2009年04月18日公開



–– まえがき ––

今年1月25日(日)、熊本で執り行われる友人たかさんの結婚披露宴に出席するにあたり、来る3月中旬のダイヤ改正での廃止が決定した寝台特急「はやぶさ」に乗ってみることにした。


大阪駅に24日(土)0時半頃着く。この時間になるとさしもの大阪駅構内も人影まばらで、各線の終着列車を降りた乗客が足早に改札に向えば、残るのは駅員と保線作業員らしき人たち、そして千鳥足の酔客がちらほら、といったところだ。ホームの端から端まで、何物にも遮られずに見渡すことが出来る大阪駅、毎日目にしている通勤時間帯の人混みとはまるで別世界、同じ駅とは思えない閑散ぶりが新鮮だ。

つい先刻までは運行情報でびっしり埋まっていた改札の電光掲示板も、今や「はやぶさ」を残すだけとなった。そう、「はやぶさ」はこの駅をその日一番最後に発つ列車なのだ。

がらがらの中央改札口と電光掲示板/76kb

【画像】がらがらの大阪駅中央改札口と電光掲示板


少し早めにホームに出ると寒風が身に沁みた。各車両の乗車口付近には何人かずつ到着待ちと思しき人影。向かいのホームの端には三脚にビデオカメラを据えた鉄道ファンらしき人たちも。

やがて夜気を衝いていよいよ「はやぶさ」が入線。マナー違反にならぬよう気を付けつつ機関車の写真撮影を試みる。ストロボ焚かなかったのが却って効果になったのか、動きのある仕上がりになったと思う。安物の200万画素デジカメでこれだけ撮れればまぁ上出来だろう、と自画自賛。

寝台特急「はやぶさ」大阪駅に到着/60kb

【画像】寝台特急「はやぶさ」大阪駅に到着


雪の瀬戸内・車窓から/58kb

【画像】雪の瀬戸内・車窓から

1:08大阪発。車内はすでに静まりかえっている。東京始発なので席もあらかた埋まっているだろうと思い、努めて静かに自分の寝台(B寝台・禁煙5号車14番下段)に潜り込む。まだ起きていた向い側の寝台の男性と軽く目礼を交わし、車掌さんの検札を受けるとすぐに眠り込んでしまった。が…

6時半起床。いくらも寝てないw

外は雪の瀬戸内。車窓越しにシャッターを切った。山口県は下松市辺りらしかったが、何処だかなんて分からなくても構わない。その時その景色に感じた印象や風趣さえ記憶に留め置くことが出来さえすればそれで満足だ。

朝食はあなごめし弁当/67kb

【画像】朝食はあなごめし弁当

7時、徳山から車内販売のお弁当屋さんが乗車。当地の名物と聞く「あなごめし」の弁当を購入。

事前調査によると、車内販売は1号車からスタートして最後尾に向かうということなので、確実に弁当を確保すべく早めに1号車前方デッキに行ったのだが、それでも既に数人の先客。もっとも、販売の車内放送が流れる頃には順番待ちの列が2号車まで伸びていたので、やはり早い方だったようだ。先んずれば人を制す、と。

昨夜、顔だけ見ていた向かいの寝台の男性とぼつぼつ話しながら食す。まぁ格別に美味いと言うわけではないが、まぁこれも電車旅行のお約束。\900也。

やがて進行方向左手から朝陽が差してきた。通路側の広い窓いっぱいに広がる時ならぬ瀬戸内の雪景色を堪能する。寒さに耐えて夜明け前から沿線各所で粘っているであろう撮り鉄諸氏にとっても絶好の撮影条件になっていたことだろう…

そのうちに上段寝台の二人も起きて来て、下段の寝台に4人で腰掛けて鉄道談義。

既述の下段向かい側の席の男性は関東在住で建築設計の仕事をしているらしい人、向かい側上段の初老の紳士はベテランの鉄道ファン、私の上の寝台はエンジニアらしき風貌・口ぶりの中年男性。私以外は皆、ちゃんと鉄道時刻表を持参していて、終点熊本から先は行き先も乗る列車も現地で決めるという。鉄道ファンって皆こんなの当たり前なんだろうか…スゴイ世界だなぁ。

3人とも程度の差こそあれ「鉄」の人たちだったけど、般ピーの私の他愛ない与太にも話を合わせてくれたので、退屈せずに終点までの半日を過ごすことが出来た。

中でも初老の紳士氏は、新旧列車の型式から歴代国鉄総裁の人となりに至るまで、鉄道関係の知識が実に豊富で、どんなネタを振っても具体的な名称や時期、逸話などを「打てば響く」って感じで返してくれて、それでいて、どんな分野でもマニアにはありがちな、特有のスノビズムなどは全然感じさせない話し上手な方だった。氏が途中、小倉で乗り換えのため一足先に下車してから「すごい人だったねー」と、残された3人はつくづく頷きあってしまったのだった。


【画像】客車B寝台の車内スナップ2枚

客車B寝台の車内スナップ1/36kb 客車B寝台の車内スナップ2/32kb

門司に到着。ここでは東京からここまで車両後方側に併結して来た寝台特急「富士」の切り離しと「はやぶさ」の機関車の交換が行われる。一連の作業が済むと、「はやぶさ」は熊本、「富士」は大分、それぞれの終点に向けて再出発する。

この一連の作業はこの便の一大イベントらしく、駅に列車が停まるやいなや、乗客=鉄道ファンの皆さんがカメラ片手に先頭の機関車に向かって走るわ走るわ。中には各席に備え付けの浴衣の前もはだけたままに仁王立ち、ノートPCを頭上に高々と持ち上げ、内蔵カメラでホームの電光掲示板を撮影するというツワモノも…う〜む熱意は認めるが人目はもう少し憚れよな…

かく言う私もデジカメ片手に見に行ってはみたものの、先頭車両付近はすごい人だかりで到底近付けそうになく、ここまでの青い機関車とヘッドマークの写真撮影は断念。

ここで少し車内の様子に触れておく。一言で言うと「昭和の列車」という印象。設備のデザインが全般にあまり垢抜けてなくて、サイズも現代人の体格からするとやや小さめかも。それだけに昭和育ちとしてどこかしら懐かしさは感じるけれど、全体的に老朽化が進んでいるのは否めない。更にデッキでは窓や乗降口ドアのフィッティングが悪いらしく、隙間から折からの雪が吹き込んで隅の方には吹き溜まりが出来ていた。車両連結部の幌もあちこち擦れて破れていた。

「ブルートレイン」として鉄道ファンのみならず多くの人々の憧れの的であった往年の花形列車の引退間近の姿としては少々寂しいコンディションであった。

とは言うものの、必要な手入れは十分に施されており、寝台も清潔で長時間の使用でも快適に過ごせるだけのサービスのクオリティは最低限保たれていたと思う。


終点熊本駅にて・機関車とヘッドマーク/94kb

【画像】終点熊本駅にて・機関車とヘッドマーク

列車は九州北部の田園地帯をひた走り、定刻通り24日(土)11:49、終点熊本駅に到着。道連れのお二人に別れを告げ、他の乗客に交じってホームに降りる。九州はプライベートで訪れるのは初めてだし、日差しもうららかで心弾む。

駅前でたかさんが待っている約束だったのだけど、ちょっと失敬して先頭車両とヘッドマークの写真だけ撮らせてもらう。ここでもファンの人だかりが出来ていたが門司駅ほどではなかった。

改札を出る時、駅員さんに「お土産に切符貰っていいですか」と尋ねると、使用済のしるしに「乗車記念」と銘打たれた桜の花をかたどったスタンプを押してくれた。

乗車11時間弱、うち、起きてて旅気分を味わったのは正味その半分ほどという短い道中だったけれど、ブルートレインでの旅という年来の憧れを実現出来たことに満足して改札をくぐった。


–– あとがき ––

結婚式では下にも置かぬ歓待を受け恐縮しきり。それでもこの冬の一大イベントを無事終えて一安心。熊本には予定通り土、日と2泊して、月曜日、博多から新幹線「のぞみ」で帰阪。

「のぞみ」はさすがに車両も真新しいし明るく清潔で、そして何と言ってもその速さ。往路「はやぶさ」で11時間かかったところを3時間弱で走り抜けてしまう。明日からはまた仕事、半日ゆっくり家事に割けるのは助かるし有難い。

でも時間が許すのであれば、次も乗りたいと思うのはやはり「はやぶさ」の方だなぁ。実は料金は「のぞみ」とほとんど変わらないし、そう考えると「のぞみ」のシートが薄くて安っぽいのが俄然、気になってくるし…グリーン車は大分違うのかもしれないけど。

限られた時間を(そう、我々日本人の時間はとかく「限られがち」だから)目的地での観光や商用に目一杯割きたいなら、速くて本数も多くて便利な新幹線に軍配が上がるのはそりゃ無理も無いけど、且つ「行き帰りの道中もゆっくり楽しみたい」というニーズを加味した場合、長距離旅客列車・寝台列車という選択肢は必要不可欠だと今回改めて思った。

なかんずく、「寝台列車」だけが持つ、旅への憧れとかロマンとか郷愁とかいったものを惹起して止まない独特の魅力…その存在がダイヤ改正のたびに運行廃止の憂き目に遭い、将来が先細る一方の近年の傾向ってのは、鉄道ファンならずとも寂しさを感じずにはいられないだろう。

これからは今残っている寝台列車には機会を見付けて出来るだけ乗ってみるとしよう。利用者がある程度見込めるうちはなんとか存続されるのではないかという儚い期待を抱きつつ…

今回も寝台列車の利用にあたっては、個人HP ほどちゃんの島−寝台列車 で大いに勉強させてもらいました。こちらは 【リンク集】からもアクセス出来ます。

おしまい