2010年05月05日公開



–– まえがき ––

年末年始には風邪で伏せっていて帰省どころじゃなかったので、家族に顔だけでも見せておこうと、1月第3週の週末を使って実家に帰ることにした。

そんな動機なので、もちろん実家滞在中ナニをするという確固たる目的も無く、郷里のツレ連中に声を掛けるにもちょっと急且つ短期間の帰省なので、「大糸線乗って温泉にでも行くか」などとネットで情報を漁っていたところ、大糸線北方の非電化区間の顔だったキハ52系が来る3月のダイヤ改正で現役引退し新型車両に取って代わられるとのニュースを目にした。

この何年かは「塩の道」歩きなんかのためもあって割と頻繁に利用していて愛着もある車両だったので、「こりゃ乗り納めに行っとかなきゃなるまいな」と急遽、ダイヤを調べて計画策定。


キハ52-115/95kb

【画像】キハ52-115 @南小谷駅 2010.01.17

1月17日(日)9時32分発の大糸線下りワンマンカー、車内には既に「鉄」っぽい人たちがチラホラ。まぁ、俺だって今日はお仲間みたいなもんだが。サーモスに淹れて来たほうじ茶をすすりつつ、北アルプスと安曇野の冬景色を車窓に愛でつつ、のんびりと道中を楽しむ。

仁科三湖以北の沿線は、折からの大雪でかなりの積雪。屋根に登って雪かきをする住民の姿に改めてこの地方の暮らしの厳しさを思う。当然、南小谷駅も分厚い積雪の下だ。

お目当ての糸魚川発のキハ52-115は若干の延着。駅近くで軽く警笛を鳴らすと薄煙をなびかせて入線。「折り返しすぐの発車となります」のアナウンスに、連絡階段の窓から数回慌ただしくシャッターを切るとホームに下りる。

ホームはけっこうな混雑。キハの前に着いていた新宿発の「あずさ」で来た鉄道ファンも多く混じっていたようで、皆、それぞれの機材でキハの姿を記録することに余念が無い。

ボックス席はあっという間に埋まり、立ち客もキュウキュウに寿司詰めの満員御礼。結局、南小谷発車も定刻より10分程の遅れ。

糸魚川までの道中は、南小谷での晴天が打って変わってボタ雪が降りしきり、車窓の外は灰色一色で天地の境界も不分明なほど。そんな空模様の下でも「撮り鉄」の人たちは沿線のあちこちで粘っていて、その酔狂ぶりに感心(…なんて、人のことは言えないか)。

頚城大野だったろうか?部活帰りと思しき中高生くらいの女学生さんたちが乗って来たが、時ならぬ混みっぷりに当惑のご様子であった。


キハ52-125 の車内温度計/37kb

【画像】キハ52-125 の車内温度計

糸魚川も暗い冬空だった。

糸魚川駅の改札を出るどころか、同じホーム発の別のキハで即、南小谷に取って返す。ダイヤが依然遅れ気味なのもあって、煉瓦車庫と入線して来たキハ52-125を撮影したところで時間切れ。

今回、老朽化を理由に廃止になるキハ52系車両は52-125、52-115、52-156の3両。3両それぞれの異なったカラーリングは旧国鉄仕様だとかで、鉄道ファンならずとも懐かしみを抱く人は多かったろう。

2両重結で運行されることもあったりと、時に「お?」と思わせる、楽しみの多い列車だったなぁと「なんちゃって鉄」の俺などでも思うのだ。

外観相応に内装もノスタルジックで、エアコンも増備されていたが、扇風機もあり、荷物棚は文字通りの「網棚」、シートはビロード張り。車窓も所謂「嵌め殺し」ではなく、金属製の重い窓枠を乗客が自分で開け閉め出来るタイプ(バスでも鉄道でも、窓が嵌め殺しだと何か興醒めなんだよな…)。

そして実際に乗ってみれば、ディーゼルエンジンの轟音と振動、微かな排気の匂い、そして車窓からは刻々と移り変わる沿線風景。乗客も地元の老若男女はもちろんのこと、ハイカー、登山者、スキーヤーなど、一年を通して多様で、都市近郊の電車や、ましてや快適・モダンな特急列車や新幹線では絶対味わえない「ローカル線旅行の風趣」が凝縮されていたと思う。

車両が新しくなったからと言って、この路線そのものの魅力が損なわれる訳ではないだろうが、後継のキハ120系が先代ほどしっくりと馴染むまでには若干の歳月を要することだろう。

いや実際、古来、難所として知られる姫川沿いのこの区間を、キハ52系は長年よく頑張って走って来たものだと思う。改めて「お疲れ様」の言葉を贈りたい。

長年よく頑張って来たと言えば、今回、キハ52系と共に姿を消すことが決まっているのが、糸魚川駅の煉瓦車庫だ。こちらは北陸新幹線の建設のための撤去だそうだ。

3レーンある庫内にキハ52系と除雪車などが仲良く収まってるのに出くわしたりすると、それだけで「絵になるなぁ」と思ったものだが…

一時、移築・保存も検討されたようだが、結局、建物の一部だけが保存されることになったという話だ。このご時勢、JRにも地元にも予算的な余裕は無いだろうし、仮に保存出来たところで、よほど上手い使い道でも無い限り、単なる「金食い虫」になるだけだったろうし、まぁ無理もないと言えば無理もない話なのだが。

とは言え、建築・建材業界で長く働いていた父によれば、今日び、もうあんな煉瓦建築物は作りたくても職人が居なくて無理なんだとか。技術の生きた記録としても取り壊しはやはり惜しまれる(そのまま使い続けられれば一番良かったのだろうが、さすがにそれは無理か)。

糸魚川駅にて。奥から煉瓦車庫、キハ52-115、52-125/54kb

【画像】糸魚川駅。奥から煉瓦車庫、キハ52-115、52-125

こういった建物を後世に遺せないという、余裕の無い今日の我が国の有様は実に残念だ。

日本中に新幹線・空港・高速道路・橋を作っては、盛んに人や物の行き来を促して経済発展を図っているハズなのに、その実、建築物の保存ひとつも意のままにならないとはね。

一方で、なまじ交通の便が良くなるものだから、我々は仕事につけ遊びにつけ、今まで以上に「効率良くこなす」ことを求められるようになって来てる気がする。いささか被害妄想気味かも知れないが、「そーゆー方向に追い込まれてる」と言っても良いのではないか…

そんなことを考えさせられながらの自分的「キハ52系乗り納め」となったのだった。


–– あとがき ––

今回は旅行当日の計画策定と記事の執筆にあたって、個人ウェブサイト 大糸線 Oito Line を大いに参考にさせて頂きました。例によって【リンク集】からもアクセス出来ます。

ちなみに、その後のキハ52系ですが、52-115(本稿画像1枚目)は岡山県津山市にある扇形機関庫・「懐かしの鉄道展示室」が終の棲家と決まったようです。他の2両は車検(で良いのかな?)が切れるまでの間はイベント列車として糸魚川周辺で臨時運行される計画だとか。

今暫くは雄姿を拝む機会も無くは無さそう…と言ったところでしょうか。

おしまい