2021年06月28日公開
昨日、みちのく潮風トレイルを久慈市の北侍浜野営場から陸中夏井駅まで歩いて、夕方、さんてつで宮古まで出て一泊。
今朝は起床6時。宮古駅の立ち食いそばで朝食して、7時46分発のさんてつで大槌に向かう。大槌では少し時間を取って、あの震災から10年経った今の街の様子を歩いて確かめてみるつもりだ。
昨日までとは打って変わってあいにくの雨模様。でも、さんてつ沿線の桜は今が見ごろで小雨交じりの曇天にも鮮やかに映える。
9時5分、大槌着。駅の待合室で雨天装備に着替えて歩き始める。待合室にコインロッカーもあったけれど、75リットルのバックパックは大き過ぎて入らなさそうなので結局背負って歩くことにした。
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震災の年の6月に初めての災害ボランティアとして訪れたのがここ大槌町だった。当時はまだ自衛隊や全国から支援に入っていた警察・消防の車両がひっきりなしに行き来していたものだった。マスト近くの国道45号線の道端のそこかしこに、瓦礫の中から回収されたらしい泥まみれの金庫やアルバム、位牌などが積み上げられていた光景は、あの埃っぽさ、辺りに漂っていた独特の匂いと相まって今も強く記憶に残っている。
以来、時にはボランティアの送迎バスの車窓から、積み上げられ、分別されていく瓦礫の山を眺めたり、試験盛土の山を見て「この高さが地面になるのか」と想像したり。また別の機会には秋のおまつりを一日かけて見物したりと、この10年の間にもう幾度足を運んだか分からない。
盛土だけが残されていたJR山田線を見るにつけ、「ここにまた電車が走る日が来るんかなぁ」「どんな街になるんかなぁ」と、はじめの何年かは想像も覚束なかったけれど、徐々に新しい町の姿が現れて来て、さんてつが全線開通に先駆けて試験運行を行ったというニュースには「あぁこの目で見たかった!」と悔しかったほど、嬉しかった。
かくしていつしかこの町が「最低10年は自発的・能動的に復興支援に関わろう」と決意した自分にとっての定点観測地点になっていたのだった。
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まずは恒例、城山に登って、おしゃっちを中心に町の全体観を把握。城山の桜は、残念ながら早くも葉桜になってた。
ここから眺める町の様子は、毎回少しずつ変化している。空き地は少しずつ建物で埋まっていってるようなんだけど、そのペースはなかなかゆっくりである。びっちりみっちり家やお店が立ち並ぶようになるのが良いのか、それとも、ところどころ緑地や公園が点在してスペイシャスになるのが良いのか。個人的には後者が好みだけど、いずれにせよまだ歳月を要することは間違いなさそうだ。
【画像】城山から望む大槌町/2021年4月17日撮影
【画像】城山から望む大槌町/2014年7月20日撮影
続いてこちらも恒例、小鎚神社にお参り。境内から街を望むと線路の向うのグラウンドで、この雨の中にもかかわらず少年サッカークラブ(?)が練習しているのが見えた。歓声も聞こえて来る。
【画像】小鎚神社境内から/2021年4月17日撮影
【画像】嵩上げ前の様子。小鎚神社は右手奧/2015年9月20日撮影
天気の所為か人影もまばらなメインストリート(国道45号線)を北へ。
旧町役場跡地。慰霊台とお地蔵さまは以前のままの姿。周辺はベンチなども設けられてなんとなく以前より整備された感あり。
【画像】旧町役場跡地/2021年4月17日撮影影
【画像】在りし日の旧町役場庁舎/2018年4月20日撮影
さんてつの高架をくぐって安渡地区へ。大槌稲荷神社にもお参り。
かつて「すりきず公園」のあった辺りもすっかり整備されて瀟洒な住宅街の赴き。時間が許せば赤浜から弁天島の方にも足を伸ばしたかったが、それはまた次の機会に。来た道を取って返して再びさんてつの高架をくぐり、大槌駅の海側に向かう。雨はずっと降り続いている。
【画像】安渡地区。右手の森の上が大槌稲荷神社/2021年4月17日撮影
【画像】大槌稲荷神社から見下ろす祭の連/2015年9月20日撮影
駅北の踏切を渡ったところで写真を撮っていると、雨合羽をしっかり着込んだおじいさんに声を掛けられた。
こちらのいきさつなどを簡単に話すと、ボランティアのこと、今でもこうして気にかけて来てくれることに「ありがとう」と言ってくれて、話の流れで震災前の町の様子や今の暮らしぶりなども聞かせて下さった。
若い頃に内陸の方から大槌に出て来て、ずっと町内に住んでいたが、先の震災で家は流され、再建したかったけど子供たちも皆都会に出ているし連れ合いも亡くして一人身だから復興公営住宅に入ることにした。孤独死が心配だから高層タイプの住宅は避けて長屋タイプを選んだ。今は毎日2時間くらいはこうして町内を散歩してる。
製鉄所が一番忙しかった頃の釜石市の人口は10万人、盛岡や宮古から4両も5両もつないだ汽車がそれこそ都会の満員電車のように製鉄所で働く人だちを一杯に乗せて行き来していてそれは活気があったものだと。大槌町は震災前は1万6千人だった人口が、今は6千人と半分以下になってしまって、新型コロナもあってこの先どうなるのやら…とも。
【画像】大槌駅展望デッキから見た湧水エリア/2021年4月17日撮影
おじいさんと別れると線路の海側に整備された「郷土財活用湧水エリア」を見に行った。駐車場・駐輪場・ベンチに東屋などが設けられていて、今はまだ造成されたばかりで地表がむき出しだけど、雑草やら芝やらが生えて来ればなかなか悪くない空間になるんじゃないかと思った。
また、駅向う側(山側)は嵩上げされているのに対し、海側は嵩上げされておらず、ほぼ震災当時の地面高だそうなので、往時を偲ぶよすがにもなるかも知れない。
駅海側を南に向かって行けるだけ行って適当な所で踏切渡って駅に戻ろうとしたら、遠くから見えていた踏切はどこも全部通行止めだった。結局、先ほどおじいさんと会った所まで引き返し、12時半頃駅に戻った。
駅の展望デッキに上がり、荷物を下ろして雨と汗でぐちゃぐちゃになったアウターを濡れてないフリースとかに着替えてひと心地ついた。
大槌駅に併設の「麺匠ときしらず」で煮干しラーメンにチャーシューをトッピング。900円也。雨と汗で冷えた体に沁みる美味さよ。
【画像】煮干しラーメン・チャーシュー別乗せ!/2021年4月17日撮影
13時39分発釜石行で釜石へ。釜石でJRに乗り換えて盛岡に出た。
木伏緑地のトレジオンと沢内甚句・ももどり食堂(開運橋渡って向うの本店は新コロ対応でまだ休業中)という盛岡の名店新旧2軒をハシゴして美味いものをしこたま飲んで食って今回の東北行を締め括った。
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怒られるかも知れないけど、個人的には、大槌町は同じく被災した岩手県沿岸の釜石市や陸前高田市に比べると復興がイマイチ捗ってないよなー、と正直思っている。役場職員の犠牲者が多かったため、復興のとっかかりで出遅れた感が否めないとも言われるけれど、それにしても10年経ってまだ防潮堤も水門も工事が終わってないとは。
一方、それゆえに、殊にあれだけの大きな災厄に見舞われて生き残った人たちには、そのため生じた大きな変化に馴染んでいく・適応していくための時間が必要だったと思うので、比較的その時間を長く取れているという「結果オーライ」な展開になってるんじゃないかという気もしている。
そしてそれだけに、この町はこれからの10年で大きく成長していくんじゃないかという予感も抱いている。
あのおじいさんが懐かしんだ大槌・釜石の盛んだった頃というのは、年代的には高度経済成長期で、経済や産業のニーズは確かに今より大きかったけれど、言い換えれば原動力を地域外に依存した時代でもあった。
これからは(大槌に限らず日本中の自治体に言えることだけど)そういった外部のマクロな経済に依存するだけでなく、地場産業や自然環境、歴史文化をセールスポイントに地域の魅力を発信し、域外に「大槌ファン」を大勢育てて(言葉は悪いけど)「篭絡」していく戦略が大事だと思うし、大槌町はその面で既に大きなポテンシャルとアドバンテージを持っていると思う。
何年か前から「自治体消滅」が言われるようになり、過疎や人口流出、高齢化の流れにどう対応していくかは大槌町に限らず日本中の田舎町の喫緊の課題になっている。三陸復興道路も全線開通して、これからいよいよ正念場って局面だと思うけど、大きな期待をもって見守り、応援していこうと思っている。