2002年02月10日公開
長野県中信地方の要衝松本市から安曇平を抜けて北陸糸魚川に達する千国街道−「塩の道」とも呼ばれる−は、古くは中世戦国時代から、日本海側諸国と山国信州の内陸部とを結び、日本海沿岸の塩田で精製された塩や海産物を運んだ通商路であった。「敵に塩を送る」の諺の由来となった上杉謙信と武田信玄との故事の舞台となったとも言われている。明治以降、近代的道路の整備が進み国道147号及び148号が開通するまでは物流のメインルートであった。
今日では、街道の一部は国道を遠く離れた山間の薮に埋もれ、また一部はスキー宿の間を縫うように生活路として残る。街道筋に散在する史跡や懐かしみのある山村風景に惹かれてこの地を訪れるトレッカーは少なくない。
*
2001年8月12日(日)朝
午前8時過ぎ発の信濃大町行き普通列車に乗る。
今回の同行者タケヲと会うのは半年ぶりくらい。お互いの近況やら世間話などしつつ電車に揺られること30〜40分、この電車の終点にして今回のスタート地点である信濃大町駅に到着。
駅を出ると今にも泣き出しそうな空模様だ。
タケヲ曰く「いつもならこんな天気の日に敢えて歩きには出ない」のだそうだが、今日は遠来のゲスト(私のことだが)のために節を曲げてもらう。
駅前商店街のアーケードを歩いていくと、銀行の前の歩道に木製の椅子が2脚とテーブルが置かれている。
張り紙がしてあって「御自由にお使い下さい」とある。歩道の幅も広いし、さほど通行の邪魔にもならないが、なぜこんなものが置いてあるのか訝しんで通り過ぎる。
大町というのは、これでも一応「市」なのだけれど、いつ来ても寂れた印象を受ける。
実際「市」にしては活気が無さ過ぎだ。
かつて黒部ダムの工事で建築関係の様々な需要があった頃は随分と華やかに潤ったらしい。しかし今では飲み屋街の佇まいにもうらぶれ通りに特有の一抹の寂しさが漂っているように見えるのも、あながちこの空模様のためばかりとは言えまい。 (写真:撮影 タケヲ)
コンビニで昼飯用におにぎりとお茶、それにカメラのフィルムを買う。
そろそろ早いお店が開店し始めた。その様子を見ていると、さっき銀行の前で見たのと同じ椅子とテーブルを店内から引っ張り出して店の軒先に並べている。どうやら商店街あげての取り組み、ということらしい。
なるほど買い物の途中でちょっと荷物を置きたいな、なんて時には至極好都合かも知れない。合点はいった。合点はいったが、個人的にはなんだかいまいちピンとこないのであった。
「塩の道博物館」に立ち寄る。
一応街道の歴史的な背景とか大まかなところを把握しておきたいということで。
平林家という旧家の母屋と蔵がそのまま博物館として公開されている。
街道を牛馬や人足に背負われた物産が行き来していた時代に、塩の卸問屋として塩はもちろん漬物などを商っていたと言う。
入館料\500を払って中に入る。
土壁と黴の匂いのする古い町屋作りの建物。行灯や煙草盆、旅行李や箪笥など往時の生活用品などが展示されている。
囲炉裏で煤けた太い大黒柱や、何代にも渡る家人の営みで自然に艶の出た階段や廊下など、建物自体が既に骨董品的風格を漂わせている。
惜しむらくは入館料を取ってる割には管理状態がもうひとつなことだ。
ニュージーランドを旅した折には、どんな小さな町に行っても大抵その町の歴史や環境を紹介した Museum があって、その多くが質素ながらよく手入れされていて感心させられたものだ。
この平林家のように博物館として使ったりしていなくても、古い町屋作りの建物は日本中あちこちにまだ健在だが、世代交代に伴って徐々に姿を消しつつある。
古いから不便だからというだけでばりばり壊して、馬鹿の一つ覚えで2×4の近代住宅に建て替えてしまうのはいかにも勿体無いと思う。
極端な話、レストアするのに必要な資金を自治体や役所が援助しても良いと思う。
そうでないと「懐かしい日本の風景」とやらが懐かしいばかりでなく「幻」あるいは「過去のもの」になってしまうだろう。
博物館を出ると町中をまたぶらぶらと歩く。
未だ眠りから覚め切らない表通りは、軒の深いアーケードのせいでただでさえ薄暗いところに曇り空のせいでなおのこと陰気な雰囲気だったが、一歩裏路地に入ると一転変化に富んだ表情が現われた。
造り酒屋の蔵の長い土壁や、和洋折衷とでも言うような住宅、民家の土蔵の軒下にはトラクターや今朝収穫したばかりの夏野菜がケースに入れられて積まれていたり。
強い生活感のある風景。
都会の下町からも生活感は感じられるが、田舎のそれとは性質が異なるように思う。
土の匂いを伴った生活感とでも言うのだろうか、畑や水田やその周りの風景までイメージされるような生活感だ。もっとも、この地方の生活について私が圧倒的に豊富な予備知識を持っていればこそ、そう感じることが出来るのに過ぎないかも知れないが…
やがて市街地を抜けた。大糸線の踏み切りを渡とすぐに北大町駅である。
無人駅のホームの階段にハタチくらいの女のコが腰掛けて携帯をいじっている。
遠目にはなかなかの別嬪さんで、昔ならさしづめ「雛には希な」とかなんとか言うところであろうが、今日び信州の片田舎の娘だって見た目だけなら渋谷やアメ村を徘徊する若い衆と大して変わりはしない。
線路に平行して伸びる砂利道を30男が肩を並べて歩いていく。しかも話題が高脂血症と肝障害とダイエットについてだから、なんともイカさないことだ。
農具川に着いたところで一服。
大町市郊外を流れる農業用水路で、見渡せばあたり一面水田である。ここから先は信濃木崎の辺りの分水嶺まで緩やかな上りが続く(「のぐがわ」と読む)。
川沿いの砂利道を北上。
川面のあちこちにゴミが引っ掛かってはいるものの、水は相当きれいだ。
タケヲは時折川面を覗き込んでは「魚がいる魚がいる」と言うのだが私にはさっぱり見えなかった。
やがて右手の山すそが前方に張り出すように伸びてきて、川沿いを行くのが困難になってきた。砂利道はあぜ道に変わった。
くるぶしくらいの高さの雑草を踏み分けてなんとか進んで行き、信濃木崎駅の少し北で大糸線の踏切を渡り、線路横のレッカー屋の裏手から国道に出た。
国道を渡って裏道を少し歩くと急に視界が開けた。もう少し歩けば木崎湖畔に出るはずだ。目の前のコンビニで小休止。
ツーリングのライダー達やドライブの家族連れ、湖畔のキャンプ場に泊まっているらしい若い衆などで混み合うコンビニで、まずはトイレを借りる。
「そういえば今日はまだコーヒー飲んでないな」というわけで、ブラックの缶コーヒーとお茶を購入。タケヲはジュースとアイスバーを購入。
コンビニの横の小道を民宿街に向って歩く。
数年来スキーもしておらす白馬方面に足を伸ばす機会もなかったのだが、ここいらへんの佇まいはなんとなく覚えている。
民宿街の外れの「仁科神社」に参詣。
別に史跡マニアとかいうわけではなくて、ぶらぶら歩いていて目についたものに向って努めていろいろ考えずに進んでいく、という今回の歩きのコンセプトに従った結果、この妙に新しくきらびやかでそれでいてどこかうつろな感じのする神社の境内に辿り着いたのであった。
神社は湖岸段丘の頂上に位置していて、その地形を活かして戦国時代には城も建てられていたという境内からは木崎湖畔が見下ろせてなかなかのロケーション。
一応義理を欠いてはいかんと思いお賽銭をあげてお参りを済ませた。
時間的にもここいらで昼御飯、という感じだったで、境内にゆっくり座れる場所を探したが見当たらない。仕方ないので神社の裏手から湖畔に降りていくと、そこは果たして木崎湖キャンプ場であった。盆休みの家族連れで賑わっている。
昔はAフレーム型の登山テントが主流だったと記憶しているが、今日ではドーム型テントにタープ、テーブルとチェアのセット、バーベキューコンロ、というのがオーソドックスらしい。
もっともここはフルセットのキャンプサイトだったから画一的なのであって、テント持ち込みのキャンプサイトならばもっと個性的なキャンパーもいたかもしれない。
キャンプ場の「雑踏」を避けようと湖畔の車道を小さくなって歩いた。
車の通りが多くて快適とは言い難かったが、ここいらへんにまつわる思い出話とかキャンプの話などしつつ歩いていく。
話の流れから「そもそも日本の夏って蒸し暑いし虫も多いしキャンプには向かないんじゃないのか」という仮説に辿り着く。「じゃぁ今度秋にいっぺんキャンプしようか」という話になる。
湖畔の木陰で昼飯。
コンビニのおにぎりにお茶、というシンプルなメニュー。
それもついさっき町中で買ったものだ。
お互い装備らしい装備も無い。Tシャツに半パン、ディバックの中と言えばペットボトルの飲み物にカメラ、タオルくらい。
タケヲ曰く、「白馬くらいまでは装備なんて何にも無くても大丈夫。コンビニもあるし、駅も近いから行き当たりばったりで計画なんかいらない。でも白馬から先はそーゆーわけにもいかなくなるなぁ」
と言うのも、白馬村以北は区間によっては2日がかりでないと歩けないからだ。
旧道が山間部を通る区間では、最寄りの大糸線の駅まで出るのが一苦労である。そもそもその日のスタート地点まで行くのも大変だ。行程が進むほどその日のスタート地点となる駅が家から遠くなるからだ。
しかし、と彼は言う。その大変な区間こそがこの歩きのハイライトなのだ。
千国街道は南小谷以北からは現在の国道148号線を挟むように東西に枝別れし、西は糸魚川郊外の青海、東は糸魚川市に抜ける。
この区間こそが街道の往時の佇まいを最も色濃く残している。峠越えあり、廃村あり、過疎村訪方ありと非常に見所が多いのだ。
「あんまり急ぎたくはないけど、と言ってあんまりゆっくりだと冬になっちゃうしね。雪が降ったら歩けないから、2シーズンがかりになっちゃうなぁ。あ、それも良いか」
あんまり深く考えず、おおむねなりゆきまかせ、というこのスタンスがなんとも優雅ではないか。いずれにしても夏が過ぎれば秋の朝夕の気温変化に対応できる服装や食料も、現地調達より予め用意していった方が安心なのは間違い無い。
相変わらずの曇り空の下、再び歩き始める。
湖畔の車道沿いをログハウスやキャンプ場のバンガローを冷やかしながら歩く。
途中山側の斜面に「塩の道千国街道」の標識を見つけた。アスファルトの道路に飽きてきたこともあり、旧道を歩けるかと思って斜面のブッシュに少し分け入ってみた…が、人の踏み跡は斜面をどんどん登って行くばかりで先が見えないし、標識の指す方向は深いブッシュで薮こぎが必要になりそう、ということで断念。
それでもそこから少し歩くと、湖畔の車道から山手に伸びる道が分岐しており、「中部北陸自然歩道」の標識がある。こちらが旧道ということだろう。ジェットスキーのエンジン音で騒がしい湖面を離れてこの道を行くことにする。
アスファルト舗装に変わりはないが道幅は狭く、道の両側は鬱蒼とした森。晴れた日でも相当に涼しくて快適に歩けそうだ。
ただ、両側の森は明らかに木々が過密で間伐が必要なのは素人目にも明らかだった。「失業率が高くて困るってんならこーゆーところで間伐とかの仕事を作れば良いのになぁ、あ、でも儲けが出ないか」とかなんとか、世間話をしながら歩いた。(写真:撮影 タケヲ)
やがて両側の森が途切れると、集落が現われた。木崎湖を眼下に望む。
今風の新築住宅と古い茅葺きの家屋とが混在している。
左手の森からひいた湧き水であろうか庭先に水を引いている家が多い。
用水路の水はよく澄んでおり、手を浸すと切れるように冷たい。
歩いていても常にどこからかせせらぎが聞こえてきて耳を楽しませてくれる。
また、道沿いのあちこちに古びた石仏や祠があり、単調になりがちな歩きにアクセントを加えてくれる。
大きな神社を見つけたので軽い気持ちで立ち寄ってみると、苔むした石灯籠や手水鉢がなかなか良い雰囲気。写真を撮ってから一休み。
タケヲが先刻「塩の道博物館」で買ったガイドブックによれば、ここは「上諏訪社」で「広形銅戈」が社宝として奉られているそうだ。
この種の銅戈は弥生時代に中国から伝えられ北九州を中心に分布しているが、日本中部以北で発見されることは希で、同社のものが北限であるとも。
神社の参道の石段を下りると、そこはもう木崎湖北端付近である。水田が広がっており、地名としては「海ノ口」と呼ばれ最寄り駅は同名の「海ノ口」駅である。
木崎湖を背に農業道路を北へと向う。
夕方が近いのだろう空が暗くなってきた。
歩いていくうちに右手の国道148号線がどんどん近付いてくる。どこかに迂回路はないものかと二人して辺りを見回しながら歩くも、それらしい脇道は見つからないままとうとう国道に出てしまった。
この一帯は東西から山が迫る隘路となっており、大糸線の線路上以外に逃げ道は無さそうだ。仕方ないので行き交う車に脅かされながら国道沿いを1kmほど歩いた。
ここも一応旧道の一部なのだが、なんとも殺伐としたものだ。
国道148号線がサンアルピナ鹿島槍スキー場に分岐する地点。
ここで中綱湖畔に下りて、ようやく国道の喧騒から解放された。
旧街道はここと湖の北端「糠原」を分岐としてぐるりと中綱湖を取り巻いている。
中綱湖を真ん中に南に木崎湖、北に青木湖が広がり、この三つの湖をまとめて「仁科三湖」と呼ぶ。中綱湖は三湖の中では最も小さく、冬期には結氷しわかさぎ釣りの釣り人で賑わうという。
タケヲは今日、あわよくばもうひとつ北の青木湖を超えて白馬村に踏み込もうと考えていたらしいのだが、そろそろ(私が)疲れたし、時間も午後4時とちょうど良い頃合いだったので、中綱湖を一周して湖畔のJR簗場駅から電車に乗って帰ることに決定。
湖畔のあちこちで釣り人が糸を垂れている。湖上にはジェットボートどころか小舟の一つも浮かんでおらず、水面はあくまでも静か。木崎湖と比べて穏やかな空気が漂っている。
湖畔の民宿街を抜けると旧道は一層「それらしさ」を加えていく。
細い砂利道の傍には石仏や馬頭観音が点在し往時を偲ばせる。
穏やかな湖面と釣り人、湖面に映り込んだ辺りの風景などを眺めつつ、昔人の暮らしぶりなどを想像しつつ、ゆっくりと湖畔を一周。
簗場駅に着くと、駅前の雑貨店でビールとポテチを買って駅の待合室に入る。
待合室のゴミバコは一杯々々で、あまつさえゴミバコからこぼれ出たゴミが辺り一面に散乱していてちょっと休憩するといった雰囲気ではなかった。
ホームの待合室で電車を待つことにした。
待合室も地元の若い衆のものと思しき落書きが目立ったが、ともかくようやく腰を落ち着けてビールで乾杯!するといい加減どんよりしていた空から大粒の雨が降り始めた。「ここで切り上げておいて正解だったね」という結論に。
程なく電車が来たが信濃大町止まりだったので、信濃大町で同駅発の電車に乗り継ぐことにする。帰りの車窓に張り付いて今日歩いた道を眺める、というのもなかなか面白いものだ。
信濃大町で待ち時間にホームの立ち食いそばを食い、ちょうど良いタイミングで出発する臨時快速で帰途に就いた。
帰りの車内の話題はこの先の行程を如何に歩くか、というもの。10月の連休に再度付き合おうか、という話になった。
豊科に帰り着いた頃には雨は上がっていて、雲間から薄い夕陽がこぼれていた。
帰宅→まずフロ→そして晩メシ→あっという間にネル。正味で7〜8時間も歩いたのは実に久しぶりで、明日の筋肉痛が心配だ。
以上、郷里の友人タケヲの「塩の道 千国街道」を踏破すると言う計画にちょこっとだけ付き合った、というお話でした。
酔狂と言えば酔狂かも知れませんが、お互い地元出身にも関わらずまだまだ見どころ多い我らが郷里。車やバイクも良いけど、早足で通り抜けてしまうのは勿体無い。歩きのスピードでゆっくり味わうのも贅沢な娯楽だ、という意見で一致しました。
前回のNZ旅行からはや2年近くが過ぎて、野歩きの感覚を忘れそうな毎日を送る中で、今回の歩きは良いリフレッシュになりました。…そんなわけで実は11月にもう一度お付き合いしたんで、この次はその時のお話をしましょうかね。