2002年07月25日公開
2002年5月5日(日・祝)は、朝からあいにくの空模様だったが、天気予報は関東甲信越の天候は午前中から回復すると告げていた。
根知駅で下車。周囲の山肌には雲が低く垂れ込めている。今日はここを始点に「塩の道」の最終区間を 糸魚川市まで歩き、日本海に出るのだ。
私達が乗ってきたのと入れ違いに糸魚川方面からやって来たディーゼル車をカメラに収める。(写真上↑)
JR東日本大糸線の南小谷–糸魚川間は、基本的にこの「キハ52」で運行されている。
再塗装を施されて遠目には綺麗に見えるけれど、車内の設備は前近代的だ。また、ひとたび走り出せばエンジンの轟音で向かいに座った乗客との会話もおぼつかない。
乗り心地や速度、利便性といった面では近代的な車両の足下にも及ばないが、旅情だの旅愁だのといった感覚的な面では、この非採算区間を走るオンボロ機動車の方に圧倒的に軍配があがる。
むき出しの配線、天井に据えられた冷房用の扇風機、衣紋掛けの横の木枠付きの水銀温度計(写真上↑)などが懐かしさを感じさせる。写真、温度計の下の紅白のボタンは扇風機のスイッチである。
中でも特に目を引いたのが、ボックス席窓側のテーブルに残る昔懐かしい栓抜き。年季の入った「センヌキ」のプレート(写真右→)がほとんどアンティークのような趣きだ。
(「センヌキ」写真提供 タケヲ)
根知川の堤をフォッサマグナパークを左手に眺めながら30分ほど歩くと、仁王堂という集落に至る。
日本中あちこちに珍奇な建造物や物体が存在し、それらをまとめた本が出版されるくらいであるから、これくらいのものは別段驚くに値しないのかも知れないが、ここまでヒネリも何も無いというのも(以下、100文字分略)
(「ドラ●もん」写真提供 タケヲ)
ともあれ、こういったものに行き当たるのも、あちこちを徒歩でぶらつくことの醍醐味と言えよう。
仁王堂の集落から「塩の道」に入る。拡幅工事中の道路を外れて旧道を歩いて行くと、ほどなく中山峠を越える。
このあたりから旧道は広葉樹の林に入り、笠取山あたりの尾根道がこの区間のハイライトと言えるだろう。柔らかい落葉に覆われた径は気持ち良く歩ける。
あまり人が入っていないようでゴミらしいゴミはほとんど落ちていない。それでいてそれなりに歩きやすく手入れが施されているようで、ニュージーランドのバックカントリートラックを彷彿とさせる。
そぼ降る雨の中、小坂の集落の休憩所で昼食を摂って更に旧道を歩いた。
午後になっても天候は回復せず、糸魚川市内に入る頃には肌寒いくらいだった。天気予報のはずれっぷりを呪ったが、天気予報を過信して雨に対する備えを 怠った自分の油断をも同じ程度に呪った。
糸魚川駅構内のターンテーブル。後方に見えるのはラッセル車と車庫。にわか鉄道マニアになりあちこちで写真を撮った。
上写真後方の車庫をホームから撮影。レンガ造りのシブイ建築。
一番左にはキハが収まっていたが、こちら側からは見えない。
糸魚川市内で「塩の道」の道路元票を探したが、それは交差点の一隅、電信柱のそばにひっそりと建てられていた。「ココニ塩ノ道ハジマル」といったような、もっと盛大なナニモノかの存在を予期していただけに、拍子抜けだった。
目抜き通りを抜けて国道8号線に出た。国道の向こうは日本海だ。首謀者タケヲとしては糸魚川漁港を最終地点と目していたのだが、今回は残念ながら時間切れだ。
彼にとっては、今回で事実上「塩の道」全区間を踏破したことになるのだが、周辺に幾つもの Detour や興味を誘う場所もあり、この地域の散策はまだまだ続きそうである。私としても可能な限り付き合おうと思っている。
帰り道は「秋にはキャンプで」なんて話題で盛り上がったのであった。