2009年06月25日公開
今年のGWに予定していた念願の第4次NZ遠征を、4月も下旬になって発生した豚インフルエンザと、その世界的流行に対する懸念から諦めたのが出発日も間近に迫った同月末日。
仕事の日程はカレンダー通りに調整し直したものの、依然、GWの6連休がぽっかりと空白になってしまって、さてどうしたものかと途方に暮れかけたのだけど、不幸中の幸いと言うか、旅装はもういつでも出発出来るように整えてあるし、家でウダウダしているとガッカリモードが悪化しそうだったので、急きょ「塩の道」歩きに出かけることにした。
他にしたいことも二、三あり、旅行には6連休の前半3日間だけを充てることにして、今回はかねてから情報収集していた「須沢道」を歩くことにした。
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「須沢道」とは「塩の道」の北端部にあたり、姫川河口付近の須沢と内陸の小滝(JR小滝駅付近)とを同川西岸の山中で結ぶルートだ。
須沢から姫川の西岸沿いを遡り、途中、中谷内・大谷内の手前で支流の虫川沿いに進路を変え、菅沼峠、朝霧沢、岡集落を経て、小滝集落で再び姫川に落ち合う。
途中、菅沼峠の手前にある「不動滝」は松本〜糸魚川間で最大落差を誇る大滝として知られ、滝に隣接してキャンプ場もある。
岡集落から更に内陸に進んで、夏中集落、大峰峠を越え平岩に至るルートとを合わせて「西廻り塩の道」とも呼ばれるが、一方で、平岩から姫川の東側を糸魚川市内に抜けるルートもあり、どちらかと言えばこちらの方がメインルートと目されているように思う(これらのルートに関しては当HP内の「『塩の道』を往く〜其之弐〜」から「同 其之四」をご参照下さい)。
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このルートを歩くならば外したくない不動滝と菅沼の廃集落、スケジュール的には寝台列車を利用したいところ。この際、温泉と日本海の海の幸も盛り込もう。コストのことはあまり気にせずに、NZに行って遣ったってぇつもりで一つ散財しようじゃないか…という企画となった。
1日(金)の午後、切符の手配に食料等の買い込みまで段取りして荷造りして、同日夜半、新大阪で寝台急行「きたぐに」に搭乗。さすがはGW、前回、年末に乗った時と同様、12両編成に増結されてはいたものの、辛うじて1席だけ残っていた禁煙のB寝台は最上段であった。
なにぶん今日の今日だったので、寝台が取れただけでも良しとしなければなるまいが、重くて嵩張るバックパック、持って上がるのも狭くて低い寝台で添い寝するのも、とても快適とは言い難かった…が、まぁ糸魚川まで5時間弱、寝るだけだからと割り切った。
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翌2日(土)5時頃起床。下車の用意。年末と違ってデッキの車窓からは払暁の沿線風景が楽しめた。水が張られ田植えを待つ一面の水田に山並が映り込み、そこに朝もやがかかって美しい春の風情。反対側には穏やかな日本海が広がる。
糸魚川で下車。待合室の椅子に腰掛けて、まずは持参のコンビニおにぎりで腹拵え。トイレで歩き装備に着替え、駅前で客待ちしているタクシーの1台を捕まえて須沢の臨海公園まで送ってもらった。所要時間は10分ほど、料金は\1570であった。
歩き始めに日本海をバックに記念撮影…などと考えて良さそうな場所を探してウロウロしていると、中年の男性に声をかけられた。四国からの旅行者で、GWと高速代\1000制度を利用して車中泊でブラブラ旅しているという。石の収集が趣味で、古来、翡翠を産することで知られるここ姫川も幾度となく訪れているのだとか。
翡翠は、産出地である姫川上流部での採集は禁じられているが、荒天の日の翌日などは山からの土砂に混じってこんなところまで流されて来ることもあるのだそうで、なるほど、付近の浜辺には地元民と思しき人たちが波打ち際を舐めるように見つめながら歩いていて、その数たるや釣り人よりも多いくらい。好事家たちの興味深い生態を垣間見た気分。
さらに話題は彼の仕事の逸話–船舶の電装関係の仕事で、自衛艦や新しい南極観測船の建造にも携わったとか–にも及んで尽きるところを知らず、気が付けば1時間半近くも話し込んでいた。8時前にようやくスタート。
臨海公園から少し内陸側に歩いたところにある「須沢於背戸橋」、ここをこのルートの起点と見做す。もっとも、橋そのものは鉄骨とセメントで作られたありふれた現代的建造物で、見るべき点は何も無いが。
工事中の北陸新幹線の橋脚をやり過ごし、JR北陸本線のガード下をくぐると須沢諏訪神社はすぐそこだ。荷物をおろして参拝だけ済ますと先を急ぐ。
諏訪神社の先すぐのところで、旧道は建築資材置場を抜けて一旦山道になる。短いながら古道の面影が良く残っている…が、ここで道を見失ってしまい、無暗に藪をかき分けて登って行くと尾根筋に出てしまった。眼下には採石場。どうやら植林の際に出来た踏み分け道だったらしく、若木が植えられた緩斜面で行き止まりになった。
どう考えても道を間違えてる。引き返すことに決めて一息ついたところに、近くでガサガサと藪を踏み散らす音。ハッと目を向けるとニホンカモシカが一頭、10メートルくらい離れたところから立木越しにこちらを窺っている。熊でなくて良かった…ソロソロと来た道を戻る。
登り始めの平らな地点まで戻って辺りをよくよく注視すると、すぐに色の薄いビニールひもでマーキングされたルートが見付かる。相変わらずの方向音痴ぶり炸裂だな…
ようやく正ルートに復帰するも、程良い登りの山道はすぐに下りになって前方が急に明るく開け、東京発電株式会社・姫川第七発電所の敷地に出てしまう。塩の道はここで3本の巨大な発電用の水圧鉄管に分断される格好になる。到着は9時少し前。小休止するも、なにぶん電力会社の敷地内のようだし、長居は無用、すぐに出発する。
発電所を迂回するため、一旦、姫川の堤防上の車道に出る。この堤防道路、路肩は無きに等しく、行き交う自動車に脅かされながら歩くのは気分の良いものでは無かった。堤防と発電所の間の平地は狭いながらも田畑になっていて農業道路も通っているので、こちらを歩けば良かったのだが。
北陸自動車道の高架の手前で堤防道路を下り、山沿いの小道から塩の道に復帰したが、ここでの古道入口ももうひとつ見付け難かった。
ここからは、時間にすれば10分から20分程度だが、結構な斜面を登る。往時の牛荷歩荷の労苦が偲ばれる険しさだ。また、やはりあまり歩かれていないらしく、下草刈りや枝打ちの必要のありそうな場所が多くあった。
【画像】ニホンカモシカに遭遇
それでも一旦つづら折りを登り切り尾根筋に出ると、平坦になり格段に歩き易くなる。
佐渡見平(標識あり)には9時40分頃着。
ここからは、その名の通り年に1〜2度の天候条件の良い日には佐渡島が遠望出来るそうだが、今日は駄目なようだ。眼前に広がるのは明星セメントのプラントと糸魚川市街。むしろ散文的な風景。
佐渡見平を過ぎたところで再びニホンカモシカに遭遇。今回は落ち着いて写真も撮った。
やがて前方が急速に開けると岩木の集落が見えてくる。集落の北端の祠に10時到着。
ちなみに、須沢諏訪神社から発電所までの海側の区間と、発電所の反対(内陸)側から北陸自動車道のトンネルを越えるまでの山中の区間(いわゆる「岩木越え」)は、近年ほとんどメンテナンスされていないようで少々ラフ過ぎるし、熊も出没すると言うから、率直に言ってお勧めしない。
それに殊に前者については、結果的に私企業の敷地内にノーチェックで侵入してしまうことになるので、避けた方が良いと思う(事前に許可を取るなどした方が良いのかも知れない)。
前述したように路肩が狭くて少々危ないが、須沢諏訪神社から岩木・頭山(つむりやま)の集落までは堤防沿いの車道を歩くのが無難だろう、と言うのが正直な感想。
岩木・頭山はうってかわって長閑なムードが漂う田園集落。
折しも田植えの時期、軽トラの荷台に苗が山のように積まれていたり、軒先には田植え機が引き出されて今にも出動といった体だったりで、小さい集落ながらも活気が感じられた。
家々の合間を縫うように伸びる小径は自動車が来るより昔の古道で、「ワシ等もみんなこの道を通って小学校にも通っただよ」とは軒先で一服付けていたお爺さんの弁。
一体、こうして「塩の道」の界隈を歩いていて常に嬉しく感じるのは、家々の庭先や田畑が、一見雑然としているように見えて、実はよく手入れされていてゴミひとつ落ちていないことだ。庭木も鉢植えの花々も実に丹精されていてホントに萌える。
頭山集落のはずれの不動岩白山社に参拝し、山沿いの農道(これもまた古道)を西中集落へ。こんもりとした杉林が遠目にもよく目立つ八幡社に10時45分到着。大休止。
集落のはずれ、ひさしぶりに信号機のある交差点。ここでは虫川に架かる橋は渡らずに、今井小学校のグラウンドを右手に見つつ虫川の西岸(NZ風に言えば "True Left")沿いの道を採るのが正解。橋を渡る道の方が立派でメインルートのように見えるが、この道は最終的には姫川の河原で行き止まりになっているのだ。
中谷内の霊源寺で石仏群の写真を撮ってから、先ほどの八幡社で隣家のおばさんが薦めてくれた手打ちソバのお店で昼食にすることに決めた。
11時40分着。休日のお昼前と言うこともあって席はかなり埋まっていたが、そこは単独行の強み、予約なし・飛び込みでもどうにか席を設けてもらえた。バックパックは玄関先に下ろし、バカ重いブーツを脱いで店内へ上がる。
お店は古民家を改装したもので、表の間は軒が深いため薄暗いが窓を大きく取ってあり、一方、奥の間は軒が浅くて明るく、いずれも開放的且つ涼しげで気分の良い店内。ざるそばと天ぷらのセットで\1100也。そば湯もたっぷり頂いて満足。
お店も混みあって来たので12時半に再出発。小1時間の休憩となった。
ここ中谷内・大谷内の両集落が通年居住の限界で、この先、岡集落までの区間は冬期は積雪のため不通となる。虫川の True Left 側を更に遡り、13時過ぎに虫川集落に到着。
【画像】虫川集落の民家
今日の目的地「不動滝」まで、ここがだいたいの中間地点。道に面した神社(虫川白山社)の石段に腰掛けて一服していると、不意に落ち葉を蹴散らす軽快な足音が後方から近付いて来る。ビックリして振り向くと、ビックリして振り向いた私の動きにビックリしたのか、やおら遁走するタヌキの後姿。
何箇所か大規模な採石場を通過し、13時40分、森屋敷橋に至る。昼食後ここまでの道中、何台か行楽の家族連れのものと思しき車の行き来はあったものの、道端の田畑で野良仕事に勤しむ二、三の地元の人たちに挨拶する以外、他の人と会うことはなかった。
橋の向こう側には、比較的新しい急勾配の車道が長々と伸びている。折からの刺すような午後の日差しから逃れる木陰も無さそうで少々気押される。が、地図に拠ればこの坂を登り切れば不動滝キャンプ場は目前のハズだ。最後の最後にこの Gut-Buster かよ…たっぷり水分補給してから橋を渡る。
急坂の終盤、人工的に植樹された桜の苗木とログハウス風の建物が前方に見えてきた。今日の終点、不動滝キャンプ場の施設らしかった。
登りの頂上付近で道端に安置された「三界万霊地蔵」に軽くお参りする。この時、お地蔵様の背後に林に分け入る小道があるのに気が付いた。林業用の作業路のようにも見えたので、さして気にも留めなかったのだが…
14時ちょうど。須沢の臨海公園からざっと6時間、とりあえずキャンプ場にチェックインすることにする。先ほど見えたログハウス風の建物はやはり管理事務所で、その前でバックパックを下ろすと、こちらから声をかける前に管理人さんが出て来てチェックインを勧めてくれた。
「まぁ一応…」と利用申込書は書かされたが、「自前のテントで泊まるだけなら無料なので、あとは常識の範囲内で気持ちよく利用して行って下さい」とだけ。大人な扱いに好印象。
キャンプ場そのものは、管理事務所の傍の坂道を少し下ったところ、周囲の山々の急峻な斜面に囲まれた小さな平地に設けられている。その一番奥に、約70mという松本〜糸魚川間で最大の落差を誇り、このキャンプ場の名前にもなっている不動滝が轟々と雪解け水を迸らせている。滝壺から流れる出る小川は今日遡って来た虫川の源流である。また、キャンプ場の平地はこの滝に運ばれた土砂が谷あいに長年堆積して出来たものと思われる。
敷地はさほど広くもないが、AC電源も取れる炊事場、水洗トイレ、キャンプテーブルなどが程良く整えられているし、なによりゴミ一つ落ちておらず、手入れが行き届いているのが見て取れて更に好感度アップ。
ネットでの事前調査では情報がほとんど見付からなかったこともあり、正直、もっと辺鄙で簡素な施設を予想していたので、けっこう拍子抜け。でもナイスなキャンプ場。
大型連休初日ということもあってか、私以外の利用者は家族連れが一組と友人同士らしい数人連れが一組だけ、それぞれ車で物資をたっぷり持ち込んで豪勢な感じに幕営している。なんにせよあまり騒々しくない性質の人たちのようで一安心。
こちらはと言えばテントも一人用で、担いで歩けるだけの荷物でのこじんまりキャンプ。
でも周囲の山々からはウグイスの鳴き声がひっきりなしに聴こえてくるし、そのバックでは不規則のような規則的のような不動滝の滝音、5月の風はこの山間ではまだ少し肌寒いくらいで清々しいし、言うことなしのシチュエーションだ。早速、一番良さそうな場所に陣取ってテントを設営する。
張り終えたテントに荷物を放り込むと、不動滝にご挨拶に伺う。
狭い滝壺の水際から見上げる滝は高さも水量も貫禄十分で、確かに一見の価値ありだ。
この滝の主は竜で、滝壺のほとりには小さな祠も建てられている。石を投げ込んだりすると大雨を降らすそうなので、やはりちゃんと粗相の無いようにご挨拶しておくべきところだろう。
日が少し陰って風が冷たくなってきたので、テント内に退却。コーヒーを淹れたサーモマグ片手にガイドブックで今日の行程をリビューする…と、いつの間にかウトウトしてしまっていたらしい。まぁなにしろ昨夜は狭い寝台で揺られて、ぐっすり眠れたとは言い難いし…でも近頃になく気持ちよくまどろんだ感じがする。それだけリラックス出来たと言うことだろうか。
寝ぼけ眼をこすりつつ腕時計に目を遣ると、もう夕方近い。あまり暗くならないうちに夕食にすることにした。魚肉ソーセージをぶち込んだインスタンラーメンと、梅田のデパ地下で買って来たフランスパン、キャンプテーブルに腰掛けてたいらげる。
その後は再びテント内に戻って、外の明かるさで読める間、持って来たペーパーバック「The Long Good-bye」を読みつつ本格的な眠気の訪れを待つことにする。
22時頃、肩口の肌寒さに目を覚ますまで、気が付けばすっかり眠り込んでいた。用足しに行こうとテントを出ると、見上げた空には大きな朧月。テントに戻ると本格的に眠り込む。
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翌3日(日)早朝。早起き鳥の鳴き声に目を覚ます。寝袋に入ったまま、テントの入口を少し開けて外を見ると、まだ真っ暗だ。
朝一番の日の光を浴びる不動滝の写真を撮るべく夜明け前に起きるつもりでいたが、まだ早いだろうと寝袋に潜り込み直し、二度寝を決め込む。
今回の寝袋はNZ遠征にあたって購入した新品。以前使ってたものより保温性が一ランク上のモデルで至極快適だ。おろしたてで扱いに不慣れな所為か肌着だけでは明け方の夜気に少々肌寒さも感じたが、ダウンジャケットと化繊のパンツを着込んで改めて潜り込み直すと、今度は申し分ない快適さとなった。寝袋カバーとインナーシーツを併用すればかなりの低温でも凌げそうで頼もしい。
本格的な起床は5時半。残念ながら空は薄曇り。昨夜の朧月に覚悟はしてはいたものの、期待していた撮影条件が整わず、少々残念。それでもリバーサルフィルムを詰めたフィルム一眼とデジカメとで、他のパーティが起きてくる前に撮影を済ませる。
不動滝はもちろん、その手前の「糸滝」という水量の少ない滝、二つの滝の間にはケヤキの巨木が立っていて、それぞれに好個の被写体なのだけど、滝への小径はアスファルト舗装、不動滝の手前にはコンクリート製の鳥居、糸滝の足下には大理石製の歌碑と、これもコンクリート製のキャンプテーブルが据えられていて、今回のカメラは2台とも広角レンズで、これらの人工物を外しつつ滝を配した構図…ってのがなかなか難しくて往生した。
それに、被写体云々はともかくとしても、特に鳥居や歌碑、言っちゃぁ悪いがちょっとセンスが無いわ…ちょっと弄り過ぎだ。キャンプ場の設備や管理は過不足無くて良い感じなだけに、やや減点要素で残念…と言うのが個人的評価。なので写真は載せないでおくことにする。
朝食をパンとツナ缶、無印良品のレトルトスープで済ませて、ドライフルーツとチョコレート、コーヒーをサーモマグに1杯でゆっくりと食後の一服をつけてから撤収開始。
8時半にキャンプ場を発つ。小滝駅11時4分発の南小谷行に乗るには少々スタートが遅いかもとは思ったが、すんなり行けばちょうど良いくらいのタイミングで着くだろうという目算。
キャンプ場前の舗装路を道なりに歩き始める…と、これが失敗のもとだった。正しいルートならば程無く菅沼の集落(跡)を通過するはずなのに、行けども行けども山手に進むばかり。前方の尾根に採石場が見え始めた辺りでさすがに道を間違えていると判断し、不動滝近くの林道分岐まで引き返した。これで小1時間のロスとなってしまった。
ここからは、今戻って来たのと反対方向に伸びる舗装路を選択し、改めて菅沼集落(跡)を目指す。ところが20分ほど歩くと、今度は菅沼峠に着いてしまった。意図した通りのルートであれば、この峠には同集落(跡)を通過しなければ着かないはずなのだが…
【画像】菅沼峠近くの林業作業路
ここで大休止とし、改めて現在位置を確認してみると、どうやら小さな盆地の底になる同集落(跡)を囲うように拓かれた尾根伝いの林道を来てしまったらしい。
大阪に帰ってから詳しく調べたところ、この林道は「ふるさと林道 岡・倉谷線」で、菅沼集落(跡)を掠めはするものの、直接アクセスはしていない。のみならず、最初に歩き始めた方向だと最終的には日本海側の青海地区周辺に出てしまうということが分かった。
そもそも、昨日、一瞥してスルーしてしまった「三界万霊地蔵」の裏手の小道、あれが正解ルートだったのだ。
更に、つい先ほど、気付いていながら「こんなのには騙されないぞ」と、これもスルーしてしまった林道分岐の脇の小道が、実は同集落(跡)に抜けるラストチャンスだったということも分かって、自分のナビゲーション・センスのお粗末さに改めてがっかりした次第。トホホだ。
ともあれ、時刻は既に10時前、小滝駅から予定の列車に乗るのならあと1時間弱しか無い…
少し迷ったが、菅沼集落(跡)には寄らずに既定の旅程に固執して先を急ぐことに決めた。菅沼集落(跡)探訪はこの秋の連休にリベンジだ。謙信・信玄像と呼ばれる、2体並んだ石仏に手を合わせてから岡集落に向けて再出発。
ここからのルートは、前述の「岡・倉谷線」の岡側の終端部にあたり、ところどころかなりの急坂のある真新しい綺麗な舗装路で、それだけに歩く面白みには乏しい。重いトレッキング・ブーツならばなおのこと。
それでも周辺の斜面のあちこちで山桜がまだ満開だったり、薄曇りながら明星山の雄姿は際立っていたし、鮮やかな新緑も目を楽しませてくれた。このルートを秋に攻めるとすれば…などとつらつら考えながら歩く。
【画像】岡集落近くの千枚田跡
峠から下ること30分ほどで、林道は山肌に広がる棚田の跡に出る。
林道の路肩には県外ナンバーの車が何台か停まっていて、その傍らには望遠レンズを装着したデジタル一眼が三脚に据えられていたり。なるほど、見ればJR大糸線を遠くに見下ろせる場所であった。好事家と言うのはつくづく大したものだ。
それにしても、と思う。
この棚田が、一年のまさに今時分、一面に水を湛えていたありし日の風景たるや、さぞや壮観だったことだろう。
カメラ発明以前の昔のことだから、その景色を写した写真は当然一枚もこの世に存在しない。
その美しさは、毎春々々ここに現われては、ただ塩の道の歩荷や地元の百姓たちだけに愛でられ、そして彼ら共々、時の彼方に消え去ってしまったというわけだ。現代を生きる我々には想像するより術は無いのだ。
それとも将来、この山間の僻地の斜面が再び耕作されて、その景色が我々の眼前に再び現出する日が来るだろうか…
岡集落には11時に着く。もはや予定の列車には間に合わないと見切りを付けて、集落の端にある岡諏訪神社にて大休止とする。
この日は折しも年に一度の祭日で、参道には大きなのぼりが掲げられていた。
正装した地元の氏子衆がちょうど神事を終えて帰り支度をしているところに異形の参詣者が到着、といったシチュエーションとなった。笑顔で挨拶して来意を告げると好意的に迎えて頂けた。荷物を降ろすと参道の急な石段を登り、まずはお参りを済ます。
携帯の時刻表検索で次便の発車時刻を確認。昼食を予約しておいた来馬温泉「風吹荘」に電話し、延着するが予約した手打ちソバは用意しておいてくれるよう頼む。
境内の写真撮影などして、ゆっくり半時間も休んでから再スタート。
小滝駅には正午前に到着。一応、今回の終着点だが、一大目標だった菅沼集落はスルーしちゃうわ、電車には乗り遅れちゃうわで達成感に乏しいゴール。
GW真っ只中ということもあってか、駅には待合室、駅前の駐車場、そして駅周辺にも結構な数のキハ目当ての「鉄」の人たち。ハイカーは私1人。浮いてるなぁ。
13:33発の南小谷行のキハに乗り、北小谷で下車。駅から歩いて風吹荘へ。
来意を告げると、とりあえず一風呂浴びさせてもらう。去年のGWもやはり塩の道を歩いて、やはりこの温泉で汗を流させてもらったんだった(当HP内の「『塩の道』を往く〜其之五〜」参照)。
去年は飛び込みで立ち寄ったので、ここの名物である手打ちソバも売り切れで食べ損ねたのだけれど、今年は予約しておいたのでちゃんと頂くことが出来た。
昨日の昼食のソバも悪くなかったけれど、こちらの方が好みかな。風呂上りの缶ビールと共にザル1枚ペロリと平らげて、水分補給にとソバ湯もたっぷり頂いて、これで入湯料込み\1000(缶ビールは別途\250)はお得感あるなぁ。
ゆっくり食休みしてからチェックアウトするつもりでいたのだけれど、折から団体さんも到着したりして、賑やかになって来たので早々に退散することにした。風呂と合わせても小1時間、今度来た時はもう少しゆっくり出来ると良いのだが。
職場へのお土産を買おうと、近くの「道の駅おたり」に寄った。去年は遠目にもいかにも混雑してるっぽかったのでパスしたのだが、やはりこの混みっぷりであったか…でも(レストランと温泉は利用してないので分からないが)地物野菜の直売やジューススタンドなどもある売店の品揃えは充実しており、立ち寄るだけの価値はある。
マイカー行楽客に混じってレジに並びお土産のお菓子を買い、満車の駐車場で忙しく誘導に立ち働く警備員さんたちを尻目に食後のソフトクリームを食べると北小谷駅に戻り、16:42発糸魚川行きのキハを待つ。
そう言えば、有志の手によるものだろうか、待合室に去年は無かった「駅ノート」なるものが置かれていた。同じものは小滝駅にも置かれていたので両駅で記念カキコしたのは言うまでもない。ネット全盛のこの時代に敢えてこーゆーアナログなアプローチは…好きだなぁ。
それにしても、塩の道を歩き始めて以来、この大糸線の非電化区間を割と頻繁に利用するようになったのだけれど、今回はいつになく車内にも沿線にもキハ目当ての「鉄」の人たちが多かったような気がする。
【画像】下りのキハ北小谷に到着
小滝駅の待合室で関東方面から来たいう若い衆から聞いた話では
「東北の方であと1ヶ所、同型の車両が走ってたんですが、3月のダイヤ改正で廃止されて、もうここだけになっちゃったんですよ」
ということだが、それも関係しているのだろうか。
また、同じく彼の話によれば
「北陸新幹線が開通したら在来線(北陸本線)は第3セクター化され、そうなれば大糸線の糸魚川-南小谷間は廃止になるかも…」
う〜む、そんなことになってるとは…詳しい事情は知らないけれど、実際ありそうな話ではあるなぁ。この区間、素人目にも採算がとれてるとは到底思えないもんな。
それに路線自体は存続されるとしても、主力車両であるキハの耐用年数がもう長くなさそうだし…
ん〜、保存活動とかあるなら参加するがなぁ。「車両の動体保存」は必須条件だけど。
更に言えば、この糸魚川-南小谷の非電化区間とキハとは、やはり切っても切り離せないと思うので、路線維持まで込みなら年会費3万円まで、糸魚川駅の煉瓦車庫の現役利用・保存まで込みなら5万円まで出しても良い…ってくらいの思い入れはある。決して鉄道マニアではないけど、「ここの/キハのファン」を自認しているからして。
糸魚川には17時過ぎに到着。道の駅から予約電話を入れておいた駅近くの寿司割烹で、ビールと日本酒で白身魚中心の握り寿司を\6000とちょっとでお腹一杯食べてご機嫌。
糸魚川18:55発の「はくたか」20号を金沢で「サンダーバード」50号に乗り継いで23時過ぎに新大阪に帰着。閑散としたコンコースを抜けてまっすぐ帰宅。
結局、足かけ3日間だけど、車中1泊+キャンプ場1泊で「1泊2日半」ってところかな?「温泉手打ちソバ日本海の海の幸満喫キャンプ行」って感じになった今回の「塩の道」歩き、費用は〆て4万円弱、写真のフィルム代・現像代まで入れても5万円弱ってところかな?大の大人が大型連休を半分遊んでコレならコストパフォーマンスも上々ってもんだろう。
菅沼集落(跡)を訪ね損ねたのは失敗だったけれど、おかげでこの秋に向けて良い目標が出来た、とポジティブに評価しておくことにする。
今回、このページの執筆にあたり改めてネットで情報を漁ったところ、見付けてしまったのが、こちら eまっぷいといがわ です。糸魚川市の地図情報(地形図、航空写真、地名)が閲覧出来ます。 糸魚川市HP のトップページ>右下の各種サービス>地図情報サービスを参照。事前にこのサイトをチェック出来ていれば、あんなにひどく道に迷ったりしなかっただろうに…
来馬温泉周辺(風吹荘・道の駅おたり)については、主に小谷村の観光情報HPで情報収集しました。こちらは【リンク集】をご参照下さい。
また、今回『塩の道 千国街道 古道案内 −歩く人のために−』 (白馬小谷研究社 刊)をメインの情報源としました。文中の「ガイドブック」は、ほぼ100%、この一冊を示します。