2009年02月15日公開
昨年2008年の年末、はからずも塩の道探訪のネタを幾つか仕込むことが出来たので、メモがてら番外編としてアップすることにしました。
まずは、年末年始の第4次NZ遠征を延期と決定した時点で、せめて年末年始の帰省の道中、少しでも旅行気分を味わおうと、「大阪を夜半に発つ新潟行き寝台列車に乗って、翌朝、糸魚川で大糸線に乗り換え、小谷村周辺のどっかの温泉で一っ風呂浴びて一杯引っ掛けてほろ酔い気分で実家に帰る」という素敵な企画を思いつきました。
でも、残念ながら列車の着時間などとタイミングが合わなくて、途中で温泉に寄るってのは今回はパス。「実家にいる間に日を改めて日帰り入湯に出かけるとしよう」…くらいのつもりで年末帰省の日を迎えたのでした。
【画像】寝台急行きたぐに
2008年12月28日(日)23時03分、JR大阪駅10番線ホームに、寝台急行「きたぐに」入線。
12両編成で、私は前から2両目11号車の乗客。平常は10両編成だと言うから、やはり年末年始の繁忙期は増結しての運行ということだろうか。
乗客は意外と多くて、始発の大阪駅で11号車も寝台はあらかた埋まったようだった。
家族連れや若い女性が多かったのも意外だった。入線した列車の姿を鉄道ファンよろしくデジカメに収めたりしてから、自分の寝台に潜り込む。
23時27分、大阪駅を定刻通り出発。
【画像】電車3段式B寝台の車内
この列車では、車両中央の通路に面して両側に上中下3段の寝台が設けられている。ボックス席を変形させて寝台としてあり、寝台を天井部分に収納すれば普通客車としても使用出来る構造である。
つまり4人掛けボックス席の広さ=寝台1人分の広さ、と言うことになる。いささか狭いようでもあるが、シートピッチが長くとられているので、身長約170センチの私でも十分に手足を伸ばしてくつろぐことが出来た。テント泊に慣れている人ならすぐ馴染むだろう。
ただし、天井までの高さは上中下段とも70〜80センチで(一部パンタグラフ下の中段寝台を除く)、座ると天井に頭がつかえてしまう。また、中段、上段は長さこそ変わらないものの幅は下段に比べ狭くなり、感覚的にはカプセルホテルに近いようだ。
また、画像から分かるだろうか(画像左下はmy膝小僧)、寝台の設置方向は"レール向き"(すなわち列車の前後方向)になる。以前乗ったシベリア鉄道が"枕木向き"だったのとは対照的。なお、各寝台は厚手のカーテンで仕切られ、最低限のプライバシーは確保出来る。
備え付けの布団と枕を丸めてクッションにして寄りかかると、ちょうど頭の高さに車窓が来て良い感じに。このアングルで車窓から外を眺める機会もなかなかないよな…などと思いつつ、列車の揺れに身を委ねて睡魔の訪れを待った。
【画像】糸魚川駅の煉瓦車庫
とは言うものの、元来、枕が替わると眠れない性質なのと、クッションの隙間を縫って寝台の下から入ってくるヒーターの暖気が気になったりで、5時前に目が覚めるまで、あまりぐっすりとは眠れなかった。
糸魚川着翌29日(月)05時27分。
駅前周辺はまだ寝静まっていて、駅の売店もまだ開いてなかったし、ネットの地図サービスで調べて来たコンビニも別のお店になっていて、で、当然開いてなくて。結局、朝食は諦め、駅の自販機のコーヒーで空腹を紛らす羽目に。もっとも、空腹よりは寝不足の方が辛いが。
【画像】払暁の平岩駅にて。キハ
糸魚川発同日06時11分の大糸線南小谷行きのキハに乗る。
発車してすぐは、辺りはまだ真っ暗だったが、やがて払暁。平岩駅に着いた頃にはすっかり明るくなり、山国の雪景色に囲まれる。
同駅では、時間調整のため10分ほど停車。知り合い同士らしい数人の鉄道ファンたちに混じってキハの写真を撮ったりして発車を待つ。
珍しく2両編成。前よりがピンク、後ろよりがベージュとブルーのツートン(旧国鉄色だとか)。
車両は全体的に老朽化が顕著で、もはやこの先何年もは保つまい…といった趣き。
ボディのあちこちには大きなひびが入っているし、長年の改造に次ぐ改造を経た車内の新旧部分のつぎはぎぶりも痛ましく、う〜ん、ここまで来ると、レトロさとか懐かしさよりも、パッと見の「みすぼらしさ」がまず印象に残ってしまうようで、なんとも寂しい限り。
【画像】信濃大町駅の立ち食い蕎麦
南小谷着07時11分。ここで向かいのホームで待っていた07時30分発松本行き普通のワンマンカーに乗り換える。
夜明け方、オンボロ機動車の轟音に小1時間晒された後で、すっかり上った朝陽の下、明るくて清潔でモダンな電車に乗り込めば、快適さはいかにも雲泥の差には違いないが、ある種の情緒のようなものを決定的に欠いていることも確か。ま、これは無いものねだりと言うものか。
信濃大町駅に着くと、一旦下車して改札横の立ち食い蕎麦屋に寄る。
朝08時00分開店で、待合室側がメインだが、ホーム側にも小さなカウンターがあって改札を出なくてもホームで食べることが出来る。
20円上乗せすればスチロール製容器で車内持ち込みも出来るので、そのまま乗り続けてまっすぐ実家まで帰っちゃっても良かったのだが、とにかく腹が減っていたので、落ち着いて味わって頂いてから、次の電車に乗ることにする。山菜蕎麦390円也。薬味のネギが刻みたてで香り高く美味かった。
八分目とまではいかないまでも、暖かいものを食べてやっと人心地ついた。寒いが冬の朝の日差しが心地良くもある信濃大町駅のホームで次の電車を待った。
【画像】奉納バス停
2008年12月31日(水)午前、旧友にして私を「塩の道ワールド」に引っ張り込んだ張本人、タケヲの運転で、小谷屈指の秘湯「奉納(ぶのう)温泉」に行く。
当初は、南小谷周辺に点在する温泉施設のどこかひとつに日帰り入湯してヒルメシ食って帰ろう、って計画だったのだが、ドライブの道すがら「本当は奉納温泉に行こうかと思ってた」と漏らすと、「南小谷まで行くなら大して変わらないよ」と、水先案内を買って出てくれたのだ。
下里瀬で国道を外れ、土谷川沿いの隘路に入る。
事前にネットで漁った情報に拠れば、奉納温泉は南小谷駅着発の村営バスの終点、奉納温泉バス停から更に20分ほど登り道を歩かねばならないということだった。
冬季のこととて積雪もあるだろうし、帰省途中で手荷物も大きいから少々無理があるだろうと判断し、前述のように温泉には寄らずにまっすぐ実家に直行したのであったが、果たして正解であった。
辺り一面雪景色で、道端にも30センチ程度の積雪。実家での無聊を慰めるためのノートPCを入れたキャスターバッグなど、とても引いて歩けるような道路状況ではなかった。
「例年、今時分なら道の両側に1メートルくらいの雪の壁が出来てる。今年は雪全然ない方だね」とは巧みにハンドルを操りながらのタケヲの弁。
【画像】奉納温泉
さて、南小谷からは30〜40分ほどで奉納温泉に到着。村営バス路線のドン詰まりに立つ一軒屋で、天然温泉が売りの温泉宿だ。駐車スペースは思ったより広めだったが、さすがに大晦日とあって客のものらしい車は停まってはいなかった。
玄関でおかみさんに来意を告げ、玄関で靴を脱ぎ、入湯料を払う(日帰り入湯500円/1人)。バスタオルと入浴用手拭い(550円)も購入して浴場へ。
浴室は、快適に使えるのは大人なら4〜5人といった広さ。それなりに手入れはされているようで、際立って清潔というわけではないが、不衛生という感じは受けなかった。湯加減はややぬるめかも?でも熱いのが苦手な私には丁度良かった。
蛇口からかけ流しにされている加熱前の源泉を一口含んでみると、しょっぱかった。また、泉質のためか、珍しく長湯したためか、ほかほかの湯上りに。外の冷気が心地よかった。
温泉には満足だったが、宿としては率直に言ってかなりウラブレた雰囲気で、正直、温泉+飲み食いして泊まって…という気にはならなかった。
【画像】土谷川の谷あい
奉納温泉からの帰途、南小谷までの沿道には思いのほか民家が多かった。中には長年無住らしき家、何年も荒れるに任されているのが根雪の下にも窺える田畑も目には付いたが、全体としてはまだまだ生活感の意外なほど色濃く漂う寒村、という印象。
それにしてもいつも感心させられるのは、ここ土谷川の谷あいに限らず塩の道の沿道一帯では、日当たりが良く耕作出来そうな場所は、それが猫の額ほどの広さに過ぎない土地であろうと集落からの行き来が不便な斜面であろうと、悉く耕作され尽している、ということだ。
この地方に人が住み始めたのがいつ頃からなのかは知らないが、こんな雪深い山間の谷隘にわざわざ居を求めたのには一体どんな事情があったのだろうか。昔人の労苦と情熱が偲ばれる。と同時に、人々が便利さを追求して都市に集中する今日にあっても、この場所に踏み止まっている(留め置かれている?)人々の暮らしぶりやメンタリティにも、近頃では少なからぬ興趣をそそられているような次第である。
今回も『塩の道 千国街道 古道案内 −歩く人のために−』(白馬小谷研究社刊)を大いに参考にしました。
また、寝台列車の利用にあたっては、個人HP ほどちゃんの島−寝台列車 の情報が抜群に充実していて大変勉強になりました。こちらは【リンク集】からもアクセス出来ます。