2020年11月03日公開



〜 これまで 〜

昨年(2019年)11月、「みちのく潮風トレイル」を歩き始めて、第2回目を今年の4月中旬に予定していたのだけど、新型コロナウィルス感染症の感染拡大で東京・大阪を含めた7都道府県に緊急事態宣言が発出されるような状況だったので、さすがにキャンセルせざるを得なかった。

新規感染者数は6月下旬に一度、底を打ったものの、その後「県をまたぐ移動の自粛要請」が緩和されたり、「GO TO トラベル」キャンペーンの開始なども影響してか、8月中旬に現れた2度目のピーク期には全国の感染者数総計が1万5千人に達した。

その後、9月下旬までのひと月ちょっとで感染者数は5千人台にまで減少し、以後、10月上旬までは横ばいで推移していた(※本文執筆中の10月末時点ではやや増加の傾向がみられる)。

「GO TO」キャンペーンをはじめとした政府の諸施策は、感染拡大抑止と経済活動の均衡をこのくらいのところで保とうとしているのかなという印象を受けたのと、この夏、「ステイ・ホーム」とは言いながら、あちこちに電車で小旅行に出かけたり、混まなさそうな時間帯を狙って外呑みもしたりして、個人的には「単独行で且つ基本的な感染予防策を怠らない限り国内旅行は大丈夫そう」と判断するに至った。こうしてほぼ一年ぶりに「みちのく潮風トレイル」に歩きに出かけることにしたのだった。


2020年10月15日(木)

フレックス勤務で15時に仕事を切り上げ、帰宅して旅装を整えると出発。

新大阪駅、思いのほかお客さん多かった。大半は出張と思しきスーツ姿の人たちで、観光っぽいいでたちの人たちもチラホラ、といったところ。

新大阪17:33発・新幹線のぞみ116号〜東京20:03着。

東京駅で晩御飯に駅弁を買おうと思っていたが、改札を通ってホームに出るとお弁当屋さんは20時で閉まってた。仕方ないのでまだ開いてたコンビニ売店でおにぎりとサンドウィッチを買って夕食は軽めで済ますことにする。晩酌も今夜は無しにしておいた。

車内は平日ってことを差し引いてもやはり空いてる。ガラガラ、とはいかないまでも、三列席、二列席とも窓側がそこそこ埋まってるかな、という程度。東北新幹線は仙台からガクッと乗客減ったし。

東京20:16発・新幹線はやぶさ45号〜八戸23:07着。ここまで定刻通り。

東横INN八戸駅前にチェックイン。1泊朝食付き5415円・現金払い。

ちなみに前回は東京〜八戸間は高速夜行バス「シリウス号」で移動した。これだと新幹線よりざっくり5〜6千円安いし宿代も1泊分浮くのだけど、今年は新コロの影響で運休になってて。まぁ、翌日丸一日歩くことを考えれば、前の晩、宿でゆっくり休めるならそれに越したことは無いか。

なんやかんや一年ぶりか〜。明日は天気も良いようだし、海風しっかり吸い込んでデトックスじゃ。

2020年10月16日(金)

05:30起床。

朝食@ホテルのサービス。平時には朝食バイキングなのが今は新コロ対策でお弁当形式になっている。宿だっていろいろ頑張ってくれてるよなぁ。

食料調達@駅前のローソン。

八戸07:17発・久慈行き普通〜種市08:18着。680円也。

八戸出発が接続待ちで12分遅れ。そのうえ通常3両編成なのが何かの都合で今日に限って2両編成だそうで、通学の地元高校生でなかなか「密々」の満員電車。鮫と白銀で大勢下車するまでは今回の旅行で一番「密」ってた。

去年来た時は台風被害で階上以南が不通で代替バスだったから、こうして復旧した区間を列車に乗れて嬉しい。種市駅は相変わらず清潔且つのどか。

種市駅を08:35出発。有家駅までの約15kmを6〜7時間で歩く予定。

前回歩いた種市の市街地から南へ向かう。まずは種市海浜公園のキャンプ場を通り抜けて「窓岩」を見物。なるほど、波打ち際の岩礁に大きな穴が開いていて向うが覗ける奇観。引き潮の時間ならすぐそばまで行けそうだ。

種市海浜公園近く・「窓岩」

【画像】種市海浜公園近く・「窓岩」(画像中央)

公式トレイルマップではルートは「窓岩」で行き止まりになっているが、行ってみると海に面した斜面に津波避難路が設けられていた。登って行くと「鹿糠」という集落の外れの墓地にそばに出た。住宅地を道なりに抜けるとメインルートに合流した。

すぐにメインルートを反れて鹿糠漁港へ。漁港の外れから砂利道に入り、砂利道はやがて玉砂利の海岸に変わる。歩きにくい。漁港を過ぎてすぐにママチャリに乗ったおばあちゃんとすれ違ったが、まさかおばあちゃん、ここを乗って(押して?)来たのだろうか。

鹿糠漁港の南の海辺

【画像】鹿糠漁港の南の海辺

河口の手前でメインルートに復帰。トレイルマップにも書かれている通り、橋のたもとで遡上する鮭の姿を見る事が出来た。遡上中、というよりはすでに浅瀬で交尾・産卵していたようだった。

洋野町の町営バスの停留所「北玉川」で小休止。

玉川駅近く・田んぼは稲刈りが済んでいた。

【画像】玉川駅近く・田んぼは稲刈りが済んでいた。

玉川の辺りは、海側に広がる魚つき保安林と陸側の農地と住宅地のパッチワーク地帯に挟まれた細い林道のような道を歩く。意外とアップダウンがあった。初めて生きているアオゲラを目撃。

川畑という集落の近くで北に向かうハイカーに出会う。今朝、陸中八木からスタートしたとのこと。2回目にして初めてハイカーに出会った。

ここから宿戸漁港までは、一旦、保安林に隔てられた陸側の小径を進むことになる。先ほどの鹿糠漁港と同様、浜に出て波打ち際を歩こうと思ったが、波も高そうだったし、どうもこれから昼にかけて満潮らしいので、無理せず正規ルートを進むことにした。次回からは潮見表を忘れずにチェックして来ようと思った。

宿戸漁港にて・漂着物の(?)オブジェ

【画像】宿戸漁港にて・漂着物の(?)オブジェ

宿戸漁港10:45着。小休止。漁港近くの「土釜八龍大明神」にお参り。

宿戸漁港を過ぎてしばらく海辺を行くと、公式ルートは急カーブして宿戸駅を中心とした集落に向かう。集落の様子にも興味はあったが、ここで最初の十字路を南に折れて集落の墓地に向かう。

少し前にネットで見かけた(確か岩手日報の)記事で、この墓地に1896年(明治29年)の三陸大津波の犠牲者を供養する「大海嘯 罹災者 招魂碑」があると知ったので、せっかくなのでひと目見ておこうと思って。

碑は墓地の入り口の大きな石塔の脇にこじんまりと安置されていた。長年の風雪に苔さえむしはじめているが、前面に刻まれた文字ははっきり読み取ることが出来た。

ちなみに今回歩いた区間は、実はずっと洋野町の町内だったんだけど、あちこちで「大海嘯碑」(明治・昭和)を見かけた。

墓地の前の道をそのまま海に向かって歩いていくと、じきに大浜に出る。

その名の通り長さ1qくらいの広い砂浜で、その砂浜に沿うように八戸線が走っており、折しも1日にそう何本も無い列車が走り去っていったところだった。殊に砂浜の南端近くにある大浜通踏切は「海に向かう踏切」としてけっこう人気のスポットらしい。折角だから電車が通過するところを撮りかった。ちょっとタイミングが悪かったようだ。

この頃から空模様が少々怪しくなってきた。

八戸線・大浜通踏切

【画像】八戸線・大浜通踏切

この踏切の近くにも昭和8年の大津波の記念碑あり。「地震に気を緊め津波に避難」と読める。

一旦、国道45号線に出るが、ルートはすぐに海の方に反れていく。分岐に「BIG・IN 29」という酒屋のようなコンビニのようなスーパーのようなお店があった。「7:00-21:00・年中無休」とあったし、知ってたらここでお昼にするって手もあったかもなー。

八木の集落に向かう道をしばらく歩き、大きめの十字路を八木港に向かって海の方に曲がると、前方に高い防潮堤が現れた。

この記事を書くにあたって、Google のストリートビューで2014年5月の日付の入った同じ場所を見てみたところ、十字路の辺りからも港の向うに太平洋の水平線を眺めることの出来る開放感ある景色が広がっていた。現在ではこの防潮堤が陸中八木駅の方向に200メートルくらいに渡って陸側からの海の眺望を完全に遮ってしまっている。

十字路の近く、ここにも昭和三陸大津波の石碑あり。

「昭和八年三月三日 想へ惨禍の三月三日 午前二時五十二分」とある。

陸中八木駅近く・金山神社

【画像】陸中八木駅近く・金山神社

陸中八木駅12:20着。

ここで昼食も兼ねて大休止…と思ったが、トイレも水道も無いので、近くの小高い丘の上にある「金山神社」までもう一歩きするも、ここもトイレも水場も無し。トイレも水もすぐ使いたいわけではなかったけど、特にトイレ、次、いつ出会えるか分からないのがやや不安ではあった(結局、さらに3時間ほど歩いた先の「中野熊野神社」でようやくトイレを借りた。有家駅にも陸中中野駅にも水場・トイレは無かった)。

小子内(こしない)集落。日本民俗学の祖・柳田国男にちなむ「清光館跡」に立ち寄る。今日では氏の遺徳を偲ぶ石碑と地元教育委員会の説明板が建てられているだけで、どちらかといえば散文的で、知らなければ気付かずに見落として通り過ぎてしまいそうな場所だった。

ここにも道路を挟んだ反対側、八戸線の跨道橋の脇に昭和三陸大津波の記念碑があった。「地震があったら津浪の用心 津浪が来たなら高い所へ あぶない所に家を建てるな」とあった。

ほどなく再び国道45号線に合流。しばらく道なりに歩く。

原子内(はらしない)川の水門を越えて、海岸沿いを有家駅まで歩くつもりだったが、水門が工事中で立ち入り禁止であった。仕方なく国道まで取って返し、内陸の迂回路を南進する。

ちなみにこの水門のあたりはJR八戸線が海沿いを緩やかにカーブしていて、線路にも割と近くまで行けるため「撮り鉄」の人たちに人気のスポットらしい。ちょうど久慈行きの普通列車が通りかかる時間だったので、ついつい1枚撮っちゃった。

原子内川河口付近で・八戸線の久慈行き列車

【画像】原子内川河口付近で・八戸線の久慈行き列車

国道45号線は、平日ということもあって「洋野階上道路」のゼッケンを付けたダンプがひっきりなしに往来していたが、ガードレールも付いた幅広めの歩道が続いていて割と安心して歩けた。

国道沿いの小さな販売所「産直しらかば」で軽く買い物。3品330円也。

ここで国道を渡り、集落の間を海に向かって下っていく。迂回路はかなり陸側に入り込んでいるので、その分けっこう急な坂道だ。

有家駅14:35着。種市駅からちょうど6時間かかった。

浜辺まで出てみたら、かなり波も激しいし、たぶん今、満潮近い。原子内の水門で無理に浜沿いに出なかったのは正解だったようだ。

それにしても予想よりだいぶ早く着いてしまった。とはいえ今からひと駅先の陸中中野まで足を伸ばすとなるとちょっとシンドイかも。どうしたものか。次の久慈行きは約2時間後の16:30発、乗る予定の列車は更にその1時間後の17:30発、…どうしたものか。

JR有家駅にて

【画像】JR有家駅にて

結局、頑張ってもうひと駅歩いてみた。

陸中中野駅16:55着。

有家駅を15:35に発ったから、1時間半くらい歩いたことになるのか。

乗る予定の久慈行き列車まで小一時間ある余裕のゴール、だったんだけど、実は中野熊野神社(にお参りしてトイレ借りて)からは、中野の集落の北側、山の中を歩く公式ルートを諦めて、住宅地の中を通る県道139号線でショートカットした。それでも中野の集落(意外と戸数はけっこうありそう)を歩いているうちにずんずん薄暗くなって、陸中中野駅に着いた頃にはもう辺りは真っ暗だったから、安全上はギリギリのタイミングだったと思う。

しかし、今回諦めてスキップしちゃったこの区間は是非歩いておきたいので、次回は有家駅をスタート地点にしようと思う。

ちなみに有家駅と陸中中野駅の間は、海岸沿いを歩けば一番早そうに見えるんだけど、有家駅から1qほど南の有家漁港で行き止まりらしく、ショートカット出来る確証がなかった。時間帯も考慮して、時間はかかるが確実に目的地に着けるルートを選択したというわけ。

陸中八木、有家、そしてここ陸中中野も小さな待合室だけの簡易駅舎でトイレ、水道無し。まぁ乗客数と費用対効果を考えれば無理もないことか。

新コロ対策で窓も出入口も開放してるので寒い。幸いサーモスにお湯を入れて持って来てたので、白湯を啜って暖を取りながらフリース、手袋、帽子を着込んで列車を待つ。

陸中中野17:54発・久慈行き普通〜久慈18:17着。330円也。

久慈18:23発・さんてつリアス線〜宮古19:50着。1890円也。

駅を出るとまずは今夜の宿、「ゲストハウス3710」にチェックイン。

1泊4300円・現金払い。駅から歩いて数分のゲストハウスでドミトリー(相部屋)もあるけど、今回は新コロ対策としてシングルを予約して来た。

到着も遅かったし、お風呂は近くの銭湯、夕飯は宿の1階・エントランスがパブスペースになってるからそこで簡単に摂れればと思ってたのだけど、銭湯は20時まで、パブは今夜は貸切イベント中で使えず、と。

2階に共同のキッチン・ダイニングスペースがあって、そこで自炊することも出来たのだけど、今回は時間も遅いのでシャワーだけ浴びて夕飯は外で済ますことにする。シャワールームは狭いけど清潔でシャワーの湯量も十分で好感度高し。丸一日歩いた後のひとっ風呂はやはり大事。

こざっぱりして夜の宮古へ。駅前周辺をぐるっと一回りしてから、店頭に「AKABU」(赤武酒造の銘柄)のラベルを貼り出しているお店に決めた。

この場所は何年か前に来た時には確か模型店だったような記憶が…お店の脇に2階に上がる階段があって、2階は確かに模型店らしかった。

いやー、我ながら良い勘してたわ。お酒も料理も文句無し。しかも今日、ちょうど開店1周年だそうで、お振る舞いに頂いた1杯が自分的に超ストライク。これは探して買って帰らなくては。

ひとつだけ気になったのは金曜の晩なのにすごく空いてたってこと。やはり新コロのせいなのか…なんとか踏ん張って欲しいものである。

「味処笑びす」、宮古に来る楽しみがまたひとつ増えた。

2020年10月17日(土)

やはり寒いくらいの朝。ちなみに今回の4日間を通して、当地の最低気温は6℃、最高気温は14℃くらいだった。朝の天気予報では宮古の今日の気温は最高19℃最低8℃とのこと。昨夜、宿の布団一式に持ってきてたモンベルの寝袋シーツを着てちょうど快眠。ナイス判断。

チェックアウト09:00。今日は曇り空のスタート。

JR宮古駅の立ち食いソバ屋で朝食。「宮コロッケそば」。わかめがたっぷり入ったタラのすり身の蒲鉾を揚げたフライが載せられてて、磯の風味が強くて旨かった。460円也。売店のホットコーヒー100円也。

今日は以前から乗ってみたかったJR山田線で盛岡へ。

宮古09:26発・JR山田線/快速リアス〜盛岡11:34着。1980円也。

土曜日ながら乗客の姿はまばら。思い思いにくつろいでいる様子からして地元の利用者ばかりかなといった印象。

同線は宮古市と盛岡市を結ぶ総延長約100qのローカル線。一日の運行本数は片道8本とか9本とかで、しかも並走する国道106号線に「106急行」という路線バスが1時間1本くらいのペースで運行されているので、正直、鉄道路線としての生命は風前の灯火のような気がする。かつては途中の茂市(もいち)駅で日本屈指の鍾乳洞「龍泉洞」のお膝元、岩泉町の岩泉駅まで「岩泉線」が分岐していたが、こちらは2010年に発生した土砂崩れによる脱線事故を機に、2014年をもって廃線となって久しい。

車窓から沿線の風景を楽しむ。上述の106急行には何度か乗ったことがあるけれど、やはり列車の旅は格別だなぁ。昨日歩いた沿岸部では紅葉にはまだ少し早かったかなという印象だったけど、今日は列車が内陸に進んでいくほど紅葉が目に見えて鮮やかになっていく様子が楽しめた。この感じだと紅葉の本番は次の週末くらいだろうか。

区界(くざかい)駅を過ぎるともう道路もなくて、ただただ山の中鉄道。wikipedia によると、区界駅と次の上米内(かみよない)駅の駅間距離(約26q)はJR東日本管内では最長だとのこと。

何度も書くけど山田線はいずれ廃線は不可避だと思う。で、思い付いた。廃線後は「山田線レイルトレイル」とかにして、自転車とトレッキング専用コースにするというのはどうか。

盛岡側は上米内か区界まで、宮古側は茂市までは鉄道営業を残して、あとの区間は途中駅をアクセスポイントとして、敷地や設備を宿泊やアメニティに転用して。沿線集落にも雇用が生まれるし、荒廃する農地の再利用とか過疎対策にも効果あるんじゃないかなー。

それになにより、今日、車窓から楽しめた景色が、鉄道が無くなったらもう誰にも見れなくなっちゃうってのは余りに勿体ない気がする。

ひとまず旧岩泉線でやってみるとかはどうか。うまく行ったら岩泉〜茂市〜宮古・盛岡をつなぐロングトレイルが誕生するかも?問題は収益をどう確保するかだけど…

などと夢想しているうちに電車は定刻通り盛岡着。盛岡も肌寒い。小雨もパラつく冴えない空模様。さて、とりあえずこれからどうしようか。ホテルのチェックインは15時からだからなー。

駅周辺をウロウロした後で、ぜいたく昼呑みランチ@「沢内甚句」。

開運橋渡って向う岸の本店はやはり閉まってたので駅前店(ももどり食堂)へ。大女将さんもやはりおられなかったけど、本店でも働いてたおねえさんがたまたま覚えててくれて声かけてくれて、若旦那(大女将の息子さん)が席まで挨拶に来て下さったりで恐縮。昼日中なのでビール一杯だけ。じゃじゃ麺(中)でほどよくランチ。

おとなりの坂本酒店でお土産購入。昨夜、宮古の「笑びす」でご馳走になったAKABUの「極上の斬」が欲しかったけど、4合瓶でも5500円。さすがに手が出んかった。市内を少し散策してから常宿R&Bホテルにチェックイン。

ホテルで一服してから19:00、開運橋たもとの木伏緑地で吉田さんと晩ご飯@トレジオン盛岡店。今日は折しも木伏緑地1周年だとかで、岩手のアイドル「わんこ兄弟」も駆け付けて大いに盛り上がったご様子。たこさん&葵ちゃん、それに三廻部さんにも大いに歓待して頂いてここでも恐縮しきり。

お店は大いに繁盛しているみたいだった。スタッフもお客さんも若い人が多くて、こーゆー空間を提供出来てるってのは素晴らしいなぁと改めて吉田さんのすごさを実感。

とはいえ去年の周年祝いで東京・赤坂見附の本店で会って以来の再会だけど、あの頃は考えもしなかったような展開になってるなぁ、世の中。

なんとか踏ん張って欲しいと思う半面、無理はしないで欲しいとも思う。なにより自身の健康と家族の幸せを優先して貰いたいと思った。

2020年10月18日(日)

復路に就く。

盛岡08:10発・新幹線はやぶさ106号…の筈だったのだけど、自動改札で弾かれて気付いた。「16日」付で買ってるやーん。東京〜新大阪も。

乗車券は4日間有効なのでセーフ。特急券だけカードで買い直し。とりあえず東京まで。6430円也。

盛岡08:50発・はやぶさ10号〜東京11:04着。

東京11:30発・新幹線のぞみ29号〜新大阪14:00着。

ここでも特急券買い直し。5810円也。これもカードで。

う〜ん、不注意だったなぁ。旅程は散々確認したのに、まさか日付を間違えていようとは。13000円も余計に散財(泣。

ともあれ定刻通り新大阪着。神戸線に乗り換えて帰宅。

まぁ、最後にアホをやらかしてたものの、全体としては上々の旅だった。移動も歩きも宿もメシも人も何もかも。

今回は、装備は前回とほぼ同じ(30Lのバックパック+ウェストポーチ)で、寄り道分込みで20q弱歩いた。前回よりそこそこ良いペースで楽に歩けた気がするのは、ハイカットのトレッキングブーツを止めて、ローカットのハイキングシューズに替えたからかも知れない。

次の区間は途中、テント泊ありの二日間行程になりそう。装備もそれなりに重くなるし、距離も長くなりそうなので綿密に計画しなくては。

つづく