2021年12月16日公開
2019年秋に青森県八戸市をスタートし、八戸市、階上町、岩手県洋野町を経て今回が4回目の「みちのく潮風トレイル」です。
新型コロナウィルス感染症は、8月中旬にピークを迎えた第5波が、春先の第4波とは較べものにならない程、大規模なものとなってしまいました。
医療機関のひっ迫度合も全国的に高まり、自宅療養中に急性症状で亡くなるケースが連日のように報じられるなど、局地的には「医療崩壊」と言って良いような状況にまで至ってしまいました。
しかしながら、5月以降、政府主導の下、大車輪で実施したワクチン接種が奏功したのか、8月下旬以降、新規感染者数は急激な減少に転じました。10月に入ると一日の新規感染者数は3ケタ台になり、それも日を追って減少していくようになりました。
そうした流れを受け、10月からは全国19都道府県に発出されていた緊急事態宣言も解除となり、飲食店も時短営業からながら営業を再開、世間全体もようやく少し光明が見えて来たかな?というムードになった気がします。
自分自身も10月上旬に2回目のワクチン接種が済み、「これで一応、ひと安心かな」といった心境で迎えた4回目のMSTです。
朝3時起床。朝食を簡単に済ませると5時前に家を出る。外はまだ暗い。
始発のJR神戸線は思ったより通勤客が多く、混んでると言うほどではないが座席は全部埋まってて立ち客も多かった。まぁ平日だしこんなもんか。
思いの外、肌寒さを感じたので、新大阪駅のトイレでパッチをはく。
在来線から新幹線の改札に足早に向かう乗客も多かった気がしたけど、新幹線の車内はガラガラ。多分、この車両にも10人と乗ってはいまい。
東京で東北新幹線に乗り継ぎ、考えごとをしたり持ってきた文庫を読んだりしているうちに盛岡に着いた。
車窓からは山林を切り拓いて太陽光発電パネルを設置したいわゆる「メガソーラー」があちこちに見られたが、コレはマズイんじゃないかと思った。環境にも景観上も、治水や防災上も良くないだろう。多分、近年、熊だの猿だのが人里まで出てくる事案が多いのとも無関係じゃないだろう。
定刻に八戸着。天気は良いがやはり寒いのでフリースを着る。
改札横の立ち食い蕎麦で早めのランチ。イカ天そば450円也。
JR八戸線は意外と乗客多かった。地元のご年配の方々ばかり目に付いたが、通学の中高生が乗るには少し早い時間帯だったからだろう。
電車代・八戸〜陸中夏井1070円也。
JR八戸線、陸中中野〜陸中夏井間は初乗車だった。天気は良いし、眺めも楽しい。沿線の木々はところどころ色付き始めてはいるものの、大半はまだ青々と茂っていて夏の名残を留めているかのようだった。
定刻14:04に陸中夏井に到着。
国鉄時代の貨車を転用した駅舎は塗装工事中だった。前回来た時、外部の錆が目立ってて気になったので、手入れして貰えるみたいで安心した。
前回、トレールの本線を離脱した、夏井川に架かる「洋々橋」のたもとまで戻り、14:15をもって再スタートとした。
久慈湾を左に眺めながらしばらく堤防の上を歩き、適当な頃合いに堤防を降りて町の方に入る。
国道395号沿いのローソンでトイレを借りて缶コーヒー買って、すっかり体も温まったのでフリースも脱いでウォームアップ完了。
まずはすぐ近くの高台の上の金毘羅様に参詣する。厳かでなかなか雰囲気のある神社だった。展望台あり久慈湾の眺めも良し。今回の道中の無事やら悪疫退散やらを祈願してから、急な参道を取って返す。
そこからは源義経が逃避行に使ったという言い伝えの残る「源道」沿いを内陸に向けて歩いて行く。
先ほどの堤防を降りずに久慈川の河口付近で湊橋を渡り久慈港方面に抜けるのが本線ルートだが、折角なので久慈市の全体観を掴むべく今回は敢えて寄り道ルートを採ることにした。
【画像】久慈市源道(げんどう)付近で
ローソンを発ってから小1時間で、地元のロータリークラブが開設・管理する環境体験学習林「紲(きずな)の森」の入口に到着。
この頃になると秋の陽は急に傾き始めて、森の中は薄暗くてちょっと心細い。が、足元はおおむねよく整備されていて、近所にあったら毎日でも歩きたいなぁと思ったり(辺りにはポケストップも多いし)。
やがて森は切れて久慈東高校の裏手、グラウンドの脇に出る。樹齢1100年と言われる大イチョウで知られる長泉寺にてお参り兼小休止。
中学校・小学校のスクールゾーンを歩いているうちに、16:30くらいには陽が落ちて、急激に薄暗く肌寒くなってきた。
久慈川に架かる「上の橋」を渡り中心市街地へ。
鉄道駅や市役所などを擁する久慈市の中心部は、北をこの久慈川、南を長内川に挟まれた三角州に位置している。海に近く、市役所や文化会館のある辺りには1900年代前半に当時の神戸川崎財閥が製鉄所を建設したが、高度経済成長期に京浜工業地帯に集約されその歴史を閉じた。現在は「川崎町」という町名にその名残りを留めている。
その川崎製鉄所が、その後、業界再編を経て生まれた大手鉄鋼メーカーの孫請け会社に出向して働いている現在の自分としては、そこはかとない縁を感じたり感じなかったりするので書き留めておく次第である。
ちなみに、久慈川と長内川は合流して長内川となり太平洋に注ぐ。市の名を冠した方が支流になってるのが面白いと思った。
久慈大神宮に参詣。ここでも挨拶と悪疫退散祈願。更に先を急いで道の駅「くじ」を軽く冷やかすと駅前の商業エリアへ。
久慈駅にほど近い「久慈第一ホテル」が今宵の宿。今日のゴールとする。歩行約3時間、距離にして約5〜6キロといったところか。
予定通り17:00チェックイン。朝食付き1泊6,500円也。
郵便局近くの寿司屋「蛇の目寿司」の回らない寿司で夕飯。
見た感じシブめだけど、実は愛想の好い大将とMSTの話をするうちに、今日歩いた「源道」のことを「みなもとみち」と言うと、大将と奥さん、一瞬「?」って顔になったが、すぐに合点がいったらしく「あぁ、『げんどう』かぁ!」だって。後で調べてみると、あの辺り一帯を指す字名であった。
すぐ後から来店した常連らしき老夫婦も交えて旅の話を楽しく聞いて頂けて嬉しかった。寿司も申し分なく美味しかったし次回も寄りたいものだ。
それから河岸を変えて、こちらも事前に調べておいたホテル近くの居酒屋「寿々喜」でもう少し飲む。
こちらはいかにも大衆居酒屋という趣き。地元のお客さんたちが既に結構出来あがっていて、「あぁ、やっぱり飲み屋ってこうじゃなくっちゃな」などど思った。愛すべき酔客達よ我が同志達よ。
とはいえこのさして広くもない店内で「マスク会食なにそれ?」みたいな飲み方・騒ぎ方は今日日どんなもんかねぇ…なんて感じてしまうのは自分の方がナーバスになり過ぎてるのかなー、とか、揺れる飲んべぇ心。
そんなこんなで宿に戻るとまだ21時過ぎ。でも風呂にも入らず寝てしまったという次第。
05:40起床。とりあえずひと風呂浴びた。隣の民家で鶏がしきりにコケコッコーと鳴いている。のどかで大変よろしい。
07:00朝食@宿のビュッフェ。派手さはないけど実質本位で品数も割に多く、どれも美味しくて朝からご飯おかわりしてしまう。
平日ということもあってか、他の泊り客は出張とおぼしきスーツや仕事着姿の人が多かったようだ。
08:55チェックアウト。ホテル近くのローソンで食料を購入してからスタート。天候は晴れ・微風。気温11度。天気予報によれば最低気温1℃・最高気温13℃とのこと。今回も天気は味方してくれるみたいだ。
今日はここから小袖海岸までの約12〜13キロを歩き「小袖海女センター」をゴールとし、そこからは岩手県北バスの路線バス(久慈海岸線)で陸中野田駅まで行き、さんてつで宮古市に出て1泊するという計画だ。
この路線バスの午後便と夕方便が平日しか運行していないことから、木曜金曜と平日2連チャンで年休をとるという仕事的にはけっこう冒険な選択を余儀なくされたのだけど、そーゆーところに「あーでもない、こーでもない」と頭を捻りーの気を使いーのするのも旅の楽しさの一部だ。
そして陽の短い今時分のこととて、距離を稼ごうと思ったら、もっと早い時間に歩き始めた方が良いのは当然なのだけど、通勤通学の地元の人たちの目に付くのがなんとなく気恥ずかしくて、こんなのんびりスタートになってしまった。今日はあわよくば陸中野田まで歩こうなんて考えてたけど、昨日のペースを考えても、さすがに無理そうだな。
ともあれ、まずはすぐ近くの「巽山公園」に行ってみる。
久慈市中心部を見下ろす高台の上にあり、稲荷神社はじめ不動明王などの祠も点在している。市街と久慈湾も一望出来、公衆トイレやベンチも綺麗に整備されていて散策にはもってこい(ポケストップも多い)。桜も多いからお花見の時期などは賑わっていそうだな。
稲荷神社への参詣を済ませると町中に降り、県道7号線の路肩を歩いて行く。平日の所為か車の往来が意外に多い。右手が巽山公園から続く山の斜面が道路ギリギリまで迫って来ているのに対し、左手は長内川の川岸で空がぐっと広けている。
「田高」のバス停の近くで県道を渡り、住宅地を抜けると「新開橋」に09:50到着。ここで前述の長内川を渡る。木造の本体にアスファルト舗装を施した珍しい(?)スタイル(橋脚部分はさすがにコンクリート製だったけど)の橋である。
陽射しも強くなってきて汗ばむほどになってきたので、フリースを脱ぐ。
スタートしてちょうど1時間というところ。やはりちょっとゆっくりペース過ぎるか?
【画像】久慈市内「新界橋」
長内川の支流、小屋畑川を渡り暫く歩く。新興住宅街を抜けて、さんてつのガードをくぐり、そのまましばらく道なりに歩いて行く。
国道281号線との合流地点に着く。本線ルートはここで右手の山の方に向かって大きく右折する。緩やかな上り坂。
国道に面して、真ん前に松の木の生えた門のある大きなお屋敷の裏手で砂利道に変ったが、山の木々が程よく日陰を作ってくれているし、勾配もそれほどきつくなくて気持ちよく歩けそうだ。
それにしてもなんて立派なお屋敷…なんて思って見ていたところ、突然、左手の斜面の藪の中からゴソゴソと生き物の動く気配がしてちょっと緊張。果たして、腰に大きな籠を付けたおばあちゃんが現れた。
挨拶かたがた、しばし世間話などする。
「今年は陽気の加減かクリもキノコもホントに出来が悪くてねぇ」云々。
折角なので、歩いててちょっと「?」と思ったことを尋ねてみると、地元の方ならではの興味深いお話を聞かせてくれた。
よくよく拝見すると前歯は全然なくて、絵に描いたような「梅干しばあさん」のお顔だったけど、毎日のようにこうして山に入っているんだとかで、足取りもしっかりしているし頬も紅潮して子供みたいに若々しい印象だった。旅先で自分の両親と同年配の地元の方とお話するのは楽しい。
おばあさんと別れてから、ルートガイドに載っている「中長内遺跡」に寄り道してみることにする。
この辺りには縄文時代から人が住み着いていたそうで、1980年代半ばに国道の工事にあたって周辺一帯を調査した際、特に奈良・平安期の遺構から勾玉などの装飾品に加工する途中の琥珀が多く発見されたそうだ。
奈良県の古墳から出土した琥珀が久慈産のものと判明したケースもあるのだとかで、歴史のロマンを感じさせてくれる。
が、国道45号線沿いの歩道を10分ほど歩いたところにある霊園の入口付近に、10年以上前に立てられて色褪せた案内板が立ってるだけで、特に見学出来るような何かがあるわけではないらしく肩透かしを食った感じ。
国道沿いを戻りメインルートに復帰。久慈市総合運動場と、隣接する産業団地(?)を11時過ぎに通過。ここから道は舗装路・下り坂に変る。元木沢という集落を抜けると久慈港の港湾街区に出た。
【画像】諏訪神社にて・絵馬
間もなく現れた大鳥居をくぐり、急な参道を登っていく。
正午に諏訪神社に到着。久慈港を見下ろす高台の上に建つ閑静な佇まいの神社で、久慈湾を挟んで北向かい、前回訪ねた厳島神社とはまた違った雰囲気の良さがある。ここにも義経北行伝説が残る。本殿脇の社務所の軒下にはマルマル太った猫二匹。
お参りを済ませてから境内に掛けられた絵馬になんとなく目をやると、地元の方のものと思しき1枚が目に留まった。お宮さんへの感謝とコロナ禍の収束の願いが飾らない言葉で綴られていて、なんだか温かい心持になった。
隣接する公園でトイレを借りて、軽く昼食して、12時半には再スタート。
歩き始めてここまでで3時間半。この迂回コースを採らず、町中を久慈港に向けて歩くコースを採っていれば、小袖海岸までは着いてないとしても、もう少し距離を稼げてたはず。このペースだと、小袖海岸15:22発の午後便の路線バスに間に合えるかも微妙だ。
だいたい、神社やお寺を通りがかるたびに立ち寄ってお参りしてるから、そりゃ時間もかかるわ。先を急ぐことにしよう。
【画像】久慈市舟渡・祠
先を急ぐことにするつもりが、道沿いに古びた鳥居が立っていたりすると、やはりついついくぐっては奧の様子を伺ってしまうのであった。
赤沼展望所の少し南、建築会社の敷地の裏手にひっそり立つ祠。県道の脇に古びた鳥居が立っていたのでくぐってみた。こんな風に、詣でる人も絶えて久しい、といった風情の、地図にも載ってないような祠になんでか惹かれる。それがまた多いんだよなぁ、特に今回はよく目に付くわ。県道を挟んで真向かいにも鳥居があったけど、そちらはさすがに立ち寄る根気無し。
JR釜石線に乗っていると、特に遠野辺りでは神社の朱色の鳥居がよく目に付く。いずれは自転車と鉄道を併用して、めぼしいところを手あたり次第に尋ね廻ってみたいもんだなぁ…なんて夢想しつつ歩いて行く。
13時半頃、舟渡海水浴場を通過。
ここまでは歩道があって安心して歩けたが、舟渡トンネルを抜けてその先は小袖海岸まで「歩車分離無し」。少し先に行ったところに立つ路肩標識には「道が広くなるまで2700m」とある。
ちなみにルードガイドでは「船渡(ふなど)」と記載されているが、現地の交通標識やバス停の記載は全て「舟渡」であった。
諏訪神社を出た頃から空がちょっと暗くなってきた。陸側が断崖なので日陰になりがちな地形とも言えるかもしれないけれど、とにかく、実際の時刻より暗くなるのがなんだか早いような気がしてきて、ちょっと焦る。
【画像】久慈市舟渡・大尻漁港付近「鳥の巣」
大尻漁港の近くでカラスの群れがなにか小さなものを取り合って戯れていた。最後の一羽がそれを道路に落として飛び去ってしまったので、拾い上げてみると、それは小枝や枯葉で編まれた小さな鳥の巣だった。
舟渡トンネルを抜けて小袖漁港までの約3キロの間は、道幅も狭く、陸側は断崖、海側は波打ち際がすぐそこまで迫っていて、高波の時などは特に危険になりそうだ。今日においてもなお交通の難所だと言える。
しかしそれだけに、海側の岩礁地帯の風景は圧巻だった。折しもこの日は大潮で、しかも満潮時刻に近かったから、岩礁に叩き付けて削り取らんばかりの太平洋の荒波の迫力を味わうことが出来た。「兜岩」や「つりがね洞」などの有名な見どころよりも印象に残った、と言っても良いくらい。
また、そんな道路沿いの、時々現れる内陸からの沢の流れ込みの何か所かには「津波一時回避場所」という看板が立てられていた。中でも小袖漁港までのちょうど中間あたりに位置する「五丈の滝」には、仮設ながら急な断崖を登って避難するための階段まで設けられていた。
【画像】久慈市・小袖海岸の奇岩
岩礁地帯を抜けると、前方に小袖漁港の灯台と桟橋、そして立ち並ぶ二つの巨岩に注連縄を渡した「夫婦岩」が見えて来た。漁港手前でようやく歩道が復活した。
かのNHK朝の連ドラ「あまちゃん」にちなんだ記念碑や案内板があちこちに建ってるけど、漁港の営みとゴチャマゼになっててなんだかカオス。
まずは夫婦岩の「赤磯大明神」にお参りして写真を撮らせて頂き、「小袖海女センター」にチェックイン。これをもって今回のゴールとする。
小袖海女センター14:50着。本日の行程は約6時間、距離にして約13キロといったところ。
バスの時間までもう幾らも無いので海女センターでささっとお土産の買い出し。観光客はドライブと思しき夫婦が一組、後から来ただけで他には見当たらず。まぁ、平日の午後ならこんなものなのだろう。コロナ禍下だしな。
海女センターの中も、やはり多かった「あまちゃん」関係展示…だけど、なんぼ未だに熱狂的なファンが「聖地巡礼」で訪れるとしても、やっぱり朝ドラのロケ地って長持ちする観光リソースにはなり得ないと思うのだ。
ファンの情熱は衰えないかもだけど、受け入れる観光地側の共感や関心はファンほどは長くはもたないみたいだから。現に、市内の「あまちゃん」のシャッターアートとか、居酒屋の壁に貼られた撮影スタッフや俳優のサイン色紙とか、色褪せるに任せているようでは、早晩、「巡礼者」たちのニーズを満たせなくなる日が来ると思う。放映当時の地元の人たちの熱狂すらも、シャッターアートやサイン色紙と同様、いつかは色褪せていくものなのだから、久慈市もいつまでも「あまちゃん」頼みではアカンと思う。
…てなことを考えた。それとも「あまちゃん」を見くびり過ぎてるだろうか?当の連ドラ、1回も観てないしな。
【画像】久慈市小袖漁港「夫婦岩」と赤磯大明神祠
すぐにバス来る。バス停は海女センターから来た道を戻って、漁協のあるニ叉路を過ぎて橋を渡って少し久慈方面に戻ったところ。小袖海女センターはバス停じゃないので要注意(間違えかけたわ)。小袖海岸15:22発。
県北バスはマイクロバスかと思いきや、よもやの普通サイズのバスだった。沿線の様子をグーグルのストリートビューで予習していただけに、「このバスでっ!?」と驚いたけど、なんのなんの。時には集落の中のうねうねとした隘路を沿道の民家の壁や軒をスレスレにかわしながら、時にはすごいアップダウンの林道のような車道を対向車をバックさせたりしつつも、頗るスムーズな運転ぶり。年輩のドライバーだったけど、いや大した腕前だと感動してしまった。また、沿線の小袖、久喜の集落も、それぞれに歩いてみたいと思わせる風情ある車窓風景であった。
ちなみにこの間、他の乗客の乗り降りは全く無く、貸切状態であった。
さんてつ陸中野田駅、定刻通り15:54着。運賃430円也。
同駅に併設の道の駅「のだ」でお土産購入など。
陸中野田16:27発のさんてつで宮古市へ。運賃1,620円也。
「秋の陽は釣瓶落とし」と言うけれど、17時にはさんてつ沿線もう真っ暗になってた…予定通り、小袖海岸でアガっておいて正解だったわ(汗。とてもじゃないけど陸中野田まで続けて歩くなんて無理だった。
宮古には定刻17:45着。もうすっかり夜になっていた。
前回と同じ「ホテル宮古市ステーションヒルズ」にチェックイン。宿代素泊まり1泊8,980円也。ひと風呂浴びて一服してから今回も「居酒屋笑びす」にて晩ご飯。春に来た時よりお客さん多くて女将さんも忙しそう。しっかり飲んで食ってホテルに戻って23時半頃就寝。
*
翌23日(土)はJR山田線で盛岡へ。
沿線の紅葉は内陸に向かうほど進んでいくように見えたけど、やはり総じてまだまだ色付き始めたところだった。稲刈りは済んでいて、あちこちで稲束の架かった稲架木を見かけた。
定刻に盛岡に着くと、昼飯前に軽く盛岡市内を散策。盛岡城跡公園は開放的で緑も多くて素敵だなと思った。良いな、盛岡。
【画像】盛岡市内・/「盛岡城跡公園」
昼ご飯は、沢内甚句(ももどり食堂の方。本店はまだ休業中)で軽く飲みランチ。夜と翌朝は吉田さんの新しいお店「トレジオン・ルリエ」でそれぞれコースディナーと朝食バイキングを堪能した。
当初の予定では、沢内甚句とトレジオン木伏に顔出して、夕方の新幹線でその日のうちに西宮まで帰るつもりだったのだけど、まぁこのタイミングで盛岡に来といて吉田さんの新しいお店に寄らないのも水臭いかと思って、お店の入ったホテルに一泊して、お祝いかたがたのんびりゆっくり、しっかり飲んで食って帰ることにしたのだった。
結果として今回は、久慈、宮古、盛岡と、毎晩、美味いもん食いまくりの贅沢道中になっちゃったなぁ。さすが平日2日有休+土日で4連休は伊達じゃない。旅程の余裕が違う。それだけに、あぁ、週明けの出勤がユウウツだ…
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八戸経由での現地入りは今回で一旦終了、次回からは久慈市を起点に南進することになる。新幹線とバスを使って久慈で前泊するのも良いけど、この移動だけで丸々一日かかるんだよなぁ…運行再開されたらだけど、東京発の夜行バス(このページの執筆時点では新コロの影響で運休中)の利用も検討しよう…とかなんとか、考え始めると今から既に楽しい。
今回は二日間で20キロくらい歩いたかな。次回は、今回乗った県北バス・久慈海岸線の東側、久慈市と野田村を隔てて太平洋に付きだした「御崎」という半島(正式には半島ではないけど)の海沿いを歩く予定だ。
ルートガイドによれば所要時間10時間と、八戸をスタートして以来、最初の難所らしい難所になりそう。悪天候の場合の「プランB」も含めて、綿密且つ周到に準備しなくては。