2023年4月30日公開



〜 これまで 〜

2019年秋に青森県八戸市をスタートし、目下、岩手県のいわゆる「県北」の沿岸を南下中です。前回、2022年9月中旬に同県普代村に入りました。

ここまでは概ね、春と秋、年2回のペースで歩いて来ました。歩いた後、まとめ=このホームページの記事を書いてアップして、また次の計画を立てて準備して、また歩いて、というのを概ね半年サイクルで繰り返して来たのですが、今回は前回から中ひと月半ほど、少々ハイペースです。が、それにはそれなりの理由がありまして。

JR釜石線の「SL銀河」が2023年春季で運行終了になるというニュースがJR東日本からリリースされたのが、ほぼ1年前、2021年11月のことでした。

2014年春の運行開始以来、いつか必ず乗ろうと思っていたのですが、いよいよ終了が近付いて来て、おそらく最終シーズンは乗り納めの鉄道ファンで予約も難しくなるだろうから、この秋の運行期間中に乗っておかねば!と、夏くらいから計画を始めました。

曜日の並びの関係(2022年は勤労感謝の日・11月23日が水曜日で、前後の週末とつなげにくくて)と、そもそもSL銀河の運行が基本、土日メインなこと、また、前回9月中旬からひと月くらいは間隔を開けたかったってこともあって、11月第1週末、6日(日)釜石発・花巻行きを予約しました。

3日の文化の日の木曜を移動に費やし、翌日4日を年休取って一日、そして5日(土)もう一日、と、二日間歩いても良かったのですが、「出発前日に余裕が欲しい」とかねてから思っていたので、3日は休日+準備に充て、4日は移動日、5日一日だけ歩いて、6日にSL銀河に乗って、花巻から盛岡に出て最終の新幹線で帰って、明けて月曜からまた仕事…(月曜も休みが取れたら良かったのですが)前半は余裕だけど後半はいつもにも増してキチキチの旅程になってしまいました。

肝心の歩く方については、一日だけってこともあり、海沿いの本ルートではなく、前回のスタートである白井海岸駅から寄り道して、内陸の鵜鳥神社(うのとりじんじゃ)を参詣することにしました。

そこから茂市川沿いの林道を歩き普代村中心部に出て、普代駅でゴール。さんてつで宮古に出て一泊(前回のリベンジで「笑びす」で一人慰労会)し、翌6日、またもさんてつで釜石まで南下してSL銀河に乗り継ぎ、終点の花巻から一旦盛岡に出て、夕飯して新幹線でその日のうちに帰宅…詰め込み過ぎです我ながら。

往復の新幹線は、東海道、東北、それぞれ「おでかけネット」と「えきねっと」でオンライン予約し、乗車当日に焦らなくて済むよう事前に新大阪駅で発券しました(「えきねっと」はJR東日本の乗り入れ駅でないと発券出来ないのですが、新大阪駅には対応した券売機が設置されています)。以上、備忘のため記載。

また事前申込(繁忙期のみ予約受付開始の更に一週間前からのオンライン申込が可能)では申込時には座席指定が出来ないので、ひと月前、予約確定の通知を受け取ってから、オンラインで予約内容変更メニューから座席位置を変更します(荷物が大きいのでいつも車両最後部の席を選んでいます)。もっとも今回、東北新幹線は申し込み成立時点でベストな座席位置(車両最後部席、2列シートの窓側)だったので変更しなくて済みました。こちらも備忘。

SL銀河も「えきねっと」で予約取れたし、宿も早めに押さえておいたので準備は万端です。


2022年11月4日(金)

起床朝3時。

昨日、祝日を丸一日、荷造りと命の洗濯に費やして且つ早めに床に就いたので、目覚めも良く初日は順調な滑りだし。

ゆっくり朝食摂って、ひととおり最低限の片付けを済ませると、5時前には家を出た。いつものように隣のファミマでモバイルバッテリーを借りて、ついでにATMでキャッシュを引き出して食料と水を買って駅へ。

ここからはタイムテーブルに沿っての行動となるが、ほんの数日前に韓国・ソウルの梨泰院で起きた雑踏大勢圧死事故だとか、北朝鮮からミサイルが頻繁に飛んで来てたりとか、何かと不穏な感じでもあるので、いつもより慎重に落ち着いて行動しようと思う。

飛び石連休の中日、電車内はやはり、通勤の乗客が大半の様子。

東海道新幹線/のぞみ200号、定刻に新大阪を出発。

予報では関西は最高20℃最低10℃、現地(宮古市)は最高14℃最低5℃、共に晴れとのこと。関西は過ごし易く、あちらは肌寒いくらいだろうか?

東京に定刻着。東北新幹線/はやぶさ9号・新青森行きに乗り継ぐ。

のぞみを降りる時、手袋を落としたらしい。降車時、座席回りも一応確認したつもりだったんだけどな。モンベルのフリースのインナー、長年使って穴の空いた指先をスマホをタップしやすいように切り落としてて、見た目はボロ。だけど愛着あるし使える間は使おうと思ってたんだけど、あっけないお別れ。うーん、不注意。不覚。

盛岡にも定刻着。駅ナカのコンビニで軽食を購入。昼飯抜きでも宮古まで持つと思ってたが、腹減った。朝早かったからなぁ。

JR山田線に乗り継ぎ。盛岡11:09発。

終点宮古までの道中は晴れたり曇ったりの空模様だったけど、沿線の紅葉の美しさに目を奪われっぱなしで退屈知らずだった。今が盛りかな?それともちょっと過ぎたくらいかな?いずれにせよ、来年の今時分に輪行ポタリング旅などどうだろう、なーんてことを思い付いてしまった。

宮古にも定刻13:30着。

駅そばで遅めのランチ。イカ天そば490円也。ここの蕎麦大好き。営業時間06:30〜14:30(次回以降のためのメモ)。

さんてつに乗り換え。もうすっかりおなじみの行程、堀内駅15:03定刻着で本日の鉄道による移動、ようやく終わる。

晩秋の陽は既に随分と傾いて、お山の向うに今にも隠れんばかり。

それでも前回は諦めた堀内集落の様子を見て回ろうと、地図に載っている神社のマークを目指して歩く。

グーグルマップによると「八坂神社」とある。

集落の南はずれの小高い丘の上に建つこじんまりとした神社。参道の急な石段を登ってひとまず参拝する。

軒の下の組み合わさった柱の角の部分の装飾(「木鼻(きばな)と言うそうだ」)が、牙をたくわえた象の意匠だった。

この記事を書くにあたって軽くグーグル先生に尋ねたところ、木鼻のモチーフとしては象はありふれたものらしい。今までも目にしていたけど気付かずにいただけなのかも知れない。この神社のは技巧的には簡素と言うか素朴というか…なんだけど、どことなく愛嬌があって気に入った。

堀内集落の八坂神社の木鼻

【画像】堀内集落の八坂神社の木鼻

前回も歩いた区間を逆に戻り、縁結びの木と島川直英翁に挨拶して、16時半頃、「国民宿舎えぼし荘」にチェックイン。堀内駅からはPokemonGOしながらゆっくり歩いても徒歩40分ってところ。

チェックイン時、新コロワクチンの(3回)接種証明の提示を求められたけど、忘れたって言ったら検温だけで済ませてくれた。

部屋は和室でバス・トイレは共同だけど、特に不便は感じなかった。設備の全体的な古臭さは否めないものの、掃除は行き届いているし、随所に気配りしてくれてあるのが分かって十分に快適だ。

ひとまず大浴場でひと風呂浴びてスッキリさっぱりする。風呂上がり&食前酒として自販機ビール。晩御飯は大食堂で。品数多過ぎ!でもどれも美味しかった!ので良しとする。お酒もしっかり頂いて、すっかり満腹々々。で20時。ウトウトするまで読書して、消灯は21時半頃だったか。

2022年11月5日(土)

朝5時、スマホのアラームで起床。

6時過ぎ、日の出。朝風呂に入ろうかとも思ってたけど、寒いし面倒臭くなったので部屋で荷支度などして過ごした。

スマホで野田村の今日の天気をチェック。曇り時々晴れ、気温は最高12℃最低0℃、朝7時で3℃とのこと。雲は多いが雨の心配は無さそう。晩秋らしい穏やかな日和を期待。

部屋には湯沸かしケトルが無かった。フロアの共用スペースにあるポットでサーモスにお湯を補給してからチェックアウト。

ナニヤラ割引で宿泊料金が予約時よりも結構お安くなって、更に地域振興券的なものを1000円分貰ったので、昨晩、夕飯の折、サービスの食前酒で頂いた地元野田村産の山葡萄ワイン「紫雫」をお土産に購入。荷物が1kgほど重くなったけど、頑張って歩こう。

てなことしてたら食後のコーヒーをゆっくり頂いてる時間的が無くなったので、ロビーの自販機で缶コーヒー買って07:30出発。

08:15堀内駅着。気が付くとアウターの手袋が片方無い…えぼし荘からの何処か途中で落としたみたい。列車の時間ギリギリまで来た道を戻って探してみたものの見つからず。あきらめて上りのさんてつに乗車。

「あーあ、もぅ、二日続けて不注意だなぁ…あれ?コーヒーは?…あ!」遠ざかる堀内駅のホームの標識の上に缶コーヒー…ちょっと失せもの多過ぎるぞ今回は…どうなってんだ?堀内駅08:33発。

白井海岸駅08:40定刻着。ま、なんせひと駅だからな。あっという間。

まずはトイレ借りる。前回と違ってトイレのそばの水道は(凍結対策?)閉栓されていたので、時局柄、携行している手指消毒液を使っておく。

支度を整えると08:50出発。本日の行程のスタート。

白井海岸駅ホームの高架をくぐって、一旦、MST本線に沿って海辺へ。

白井漁港に自販機があって、ここでようやく朝の缶コーヒーにありついた。ちなみに白井海岸駅には自販機も無い。

白井海岸の南端で「力持浜トンネル」を抜けるとすぐ丁字路。右折して内陸方向に進むのが本線ルートだけど、折角なので漁港にも寄ってみる。今日はこの後、海辺に出ることが無さそうなので。

もう時間が遅いのか、力持漁港には漁師の姿は無し。地元ナンバーの小型トラックが一台と、防波堤の上に釣り人が一人だけ。

力持漁港

【画像】力持漁港

丁字路まで来た道を戻り、そこからは緩やかな上りの舗装道路を力持川に沿って歩いていく。

じきにMST標識「普代駅4.6km/堀内駅6.0km」に着いた。

MST本線は、この標識に従って力持川を渡り、海沿いの丘陵地帯を越え、普代村中心部から少し外れたところにある普代中学校の裏手に抜ける。

今回は内陸の鵜鳥神社に参詣するので、本線からは反れるかたちになるが、引き続き力持川沿いの舗装路を内陸に向かって進む。

ちなみにこのルートは最新のハイキングマップブック(NPO法人みちのくトレイルクラブ発行)には記載がないのだが、ここまで使用して来た環境省発行のトレイルマップでは「鵜鳥神社参詣」コースとして紹介されている(但しここでも扱いは「寄り道」となっている)。

この後、さんてつの高架をくぐってすぐのところで、林道の入口の石塔に気が付く。お墓だろうか?お盆頃にでも掛けられたのか、下半分がちぎれた「南無阿弥陀仏」の紙のお札が吊るされていた。彫られた文字はもう風化して判読不能だったが、どうした由縁のものだろう。

力持の集落を抜け、三陸道路と国道45号線のガードを立て続けにくぐる。

道路右手の民家の屋根の向うになにやら朱色の建造物が見えた。ピンと来るものがあって、道路伝いに民家の裏に回ってみると、果たして大きな鳥居が建っていた。鵜鳥神社の大鳥居。

予習で見て来たグーグルのストリートビューには映ってなかったから、気が付かなければスルーしてただろう(国道からはよく見えそうな位置だったけど)。ここで09:50。白井海岸駅を出発してちょうど1時間経過。

引き続き力持川沿いの舗装路を歩いて行く。時々、地元住民と思しき車の往来があるものの、特に変化無い。沿道の紅葉を愛でつつ歩いて行く。

やがてぽっかりと前方がひらけて、道が二又に分かれている。が、グーグルマップで確認すると、少し先で再合流しており、その間が一種の中洲の様になっているようだった。その竹藪の中に朱色の小さな祠がひとつあったので挨拶かたがたお参りしておく。

10:30普代村村営バス・鳥居バス停に到着。すぐそばに建つ「鳥居地域活動拠点施設」は、壁にお神楽(鵜鳥神楽)のイラストが描かれているところなど見るに、ここで神楽舞の練習したりなんかしてるのかな。

周辺に民家が散在し消防団の屯所があったりと少し大きめの集落に見えるのだが、トレイルマップには集落名の記載が無い。事前にネットで確認した国土地理院の地形図では、「鳥居」というのは今居るこの集落の裏手の山の向う、北隣の集落の地名で、今居るこの辺りには「天拝坂」という地名が付されていた。

でもバス停の名称が「鳥居」なところを見ると、「鳥居地区」と呼ぶのが正式なのかな?とかなんとか考えながら、写真撮ったり地図に書き込みなどしていたところ、地元の方と思しき通りがかりの男性が訝し気に「何かの調査ですか?」と声を掛けてきた。

いえなに、旅の者です。今日は鵜鳥神社に参詣に来ました、と伝えると、警戒を解いてくれたらしく、興味深いお話しを色々聞かせてくれた。

男性は「N-」さん(50年生きて来て初めて聞く姓)と言って、代々この集落に住んでいて、お爺さんの代からは鵜鳥神社の宮大工を務めているとのことだった。

「鵜鳥神社」についての私的考証(妄想)

鵜鳥神社は平安時代(807年)の開山と伝わる。

古くから北は八戸、南は釜石周辺までの沿岸各地の漁業者の信仰を集めており、今日でも旧暦の4月8日(5月中旬)に行われる例大祭には屋台なども多く出て大勢の参詣者で賑わうそうだ。

伝承によれば平泉を逃れた源義経が1190年、この地に至り鵜鳥神社で七日七夜、海上安全と武運長久を祈願したところ、願いを聞き届ける旨のお告げがあり、それに感謝した義経が卯子酉山の頂に鵜鳥大明神を寄進し、旧暦の4月8日を祭典の日と定めたとされている。

先の地域活動拠点の駐車場の脇にも「伝説義経北行コース」の解説板が建てられていて、それによるとこの辺りを「不行道(ふこうどう)」と呼ぶようになったとの説明があった。

でも、それ以前からこの周辺に定住する人々がいて、土着のいろいろな信仰が根付いていたのではないかと想像する。「N-」さんも、この辺りには小さな神社や祠がたくさんあって、昔から大切にされてきたと仰っていたし、「天拝坂」という地名にも、もしかすると義経北行以前、いや、鵜鳥神社開山以前からの由来があるのかも知れない。

開山以前のもっと古い昔から、卯子酉山が沿岸海域を行き来する船の目印になっていて、守り神のように崇められていたなんてこともあったかも知れない。山伏が狼煙や法螺貝などを用いて通信したりしていたかも知れない。少なくとも漁民と内陸住民との間には交流があっただろう。

だとしたら、昔の漁民が卯子酉山、または鵜鳥神社に行こうという場合、陸路では無く、一番近い海岸に船を付け、そこから最短距離でのアプローチを試みたのではないか?

この沿岸一帯には、河口に船を付け易い津、浦、浜が多くあって、川伝いに内陸を目指すのが一番分かり易く、おそらくは地形的にも障害が少ないであろうという経験則は持っていただろうから、現在の力持漁港辺りから力持川沿いを遡るのを最短ルートとして利用していたと考えても不自然では無いと思う。

そんな風に考えて、昔の人になったような気持ちで力持海岸からのルートを歩いてみたのだけど、どうやら当たらずとも遠からずかな、と感じる。

国道45号線から上がって来た道に面して、天拝坂の集落にはある種、宿場町・門前町のような佇まいがあるし、代々、神社の運営に関わっている「N-」さんのような方の家があることも、その想像を裏付けてくれている…ような気がする。

とかあれこれ思いを巡らせつつ、天拝坂の集落からさらに道沿いを山の方に歩いて行くことしばし、前方に大きな鳥居が現れた。

先ほどの国道との分岐に建てられてたような朱塗りののっぺりした今様のものではなく、長年の風雪に耐えた風格を備えた木造の鳥居。その向こうに鵜鳥神社の遥拝殿が見えている。左右非対称で、どことなく城郭か密教寺院を思わせる特徴的な外観。はっきり言ってカッコイイ。

先述の同神社の春の例大祭では、鎌倉時代に始った山伏神楽の形を受け継ぐ「鵜鳥神楽」(国重要無形民俗文化財)の奉納舞が大きな見どころだそうだが、なるほど傍らには朱塗りの立派な神楽殿が建っている。

11:10鵜鳥神社遥拝殿に到着。

鵜鳥神社

【画像】鵜鳥神社/中央が遥拝殿

トイレを借りてから、早速、山頂の鵜鳥神社本殿(奥宮)に向かう。

参道はかなり険しい山道で、トレッキングシューズではちょっとしんどいだろう。ハイカットのトレッキングブーツでちょうど良いくらいだった(横着してゲイターは着けなかったけど、着けてたらモアベターだった)。

「N-」さんの話では山頂の本殿を建てた時には、この険しい山道を馬を使って資材を運びあげたというから大変だったろう。

険しいが、途中あれこれ見どころがあるので退屈も無く、ただ、折角今回の標高最高地点に着こうというのに空模様がよろしくないのが気掛かり。

11:40本殿に到着。遥拝殿からおよそ30分ほどで登り切ったことになる。

本殿は「奥宮」とも呼ばれる。過去2度の火災に遭って、現在の拝殿は昭和初期に再建されたものだそうだ。社殿の装飾は精巧(「木鼻」も写実的で立派!)だし、大きな石灯篭一対をも据えてあって厳かな雰囲気が漂う。

鵜鳥神社・本殿の木鼻

【画像】鵜鳥神社・本殿の木鼻

本殿の裏手に「お岬(さき)さま」という祠をかたどった古くて小さな碑があり、眼下に野田湾を一望することが出来た。曇り空が残念だった。

昔は卯子酉山で狼煙を上げたりしてたんじゃないかと先述したが、実際、野田湾を挟んで北方に久慈市の三崎(みさき)の岬までもはっきり見えたので、なにかしらそんなこともあったんではないかと思うのもあながち妄想とばかりも言えないのでは?と改めて思う。

一般に、御坂、三坂(みさか)などの地名は、7世紀頃に整備された官道の存在を示すと言われているそうなので、あるいは「みさき」というのも、古代の海上交通の重要地点を示す名残りかも知れない。殊に久慈市周辺には縄文時代から人々が定住していたことが分かっているから。

ただ、久慈の三崎の方はと言うと、それらしい遺跡や寺社仏閣などは無かったから、当てはまら無さそうかなとも思ったり。

「お岬さま」は長い年月、海風山風にさらされて、彫られていたであろう文字は全く判読出来ない。ふと、「こちらこそが鵜鳥神社のルーツなんじゃないかな」と思った。

お岬様から北方を望む

【画像】お岬様から北方を望む

本殿での参拝を済ますと来た道を戻る。途中、卯子酉山山頂に向かうものと思われる分岐があったけど「関係者以外立ち入り禁止」の標識があったので、パスした。今思うと、折角だし山頂にも行ってみたら良かったかなぁ。

ちなみに国土地理院の地形図に拠ると、卯子酉山の山頂は標高424m、本殿の社殿は標高370mちょいくらいの、いわば"north peak"に建っている。

ともあれ鵜鳥神社、久慈の厳島神社と並んで強く印象に残った。

遥拝殿に戻るとちょうどいい頃合いだったのでランチにした。

ランチと言っても行動食(コンビニで買ったチョコチップスティックとドライフルーツをサーモボトルのお湯で)だけど。

12:50鵜鳥神社を出発。

神社の前の道、「下閉伊グリーンロード」の路肩を南へ。見通し良いし路肩も広いので特に危険とかではなかったけど、退屈な道ではあった。

10分ほど行ったところで、午前中通過した天拝坂集落に戻る支道に反れると、すぐに右手前方に茂市川にアプローチする林道の入口が現れる。

MST標識「鵜鳥神社0.9km/茂市川1.0km」あり。

ただ、ここ、すぐ近く(ほんの数メートルのところ)に別のMST標識「鵜鳥神社0.1km/茂市川0.9km」ってゆーのが立ってるんだよなー。これは建てる場所を間違えてる…んだよな?まぁご愛嬌ってことで。

林道入口の広場でゲイターを着用。

さて、ここで問題。ここでまた林道が二手に分かれてる。どっちに行くのが正解なのだろう。これまでの経験上、こーゆー二択、熟慮して選んでも、勘で「えいやっ」と選んでも、だいたい結局、間違えるんだよなぁ。

それも持って生まれた自分の器量と諦めて、なに今まだ13時過ぎ、陽もまだ高いし、最悪、後戻りして違う方を行けば良いと開き直って、とはいえ地図をよく吟味して、右手の道をチョイスし前進。

MSTの公式のマーカーが全く見当たらず、半信半疑で進んでいくが、まぁまぁそこそこの踏み分け道なので間違ってるとしてもそう酷いことにはなるまいとたかを括って前進。

20〜30分歩いた辺りで前方が明るくなった。川沿いの林道に出る。

上半分が無くなってる石塔(墓石?)を見付けて、このルートで正解と確信。程なくMST標識「鵜鳥神社1.9km/普代中心街5.2q」発見。ようやく安堵。

ここから普代村の中心部までは茂市川沿いの林道を歩く。

いわゆる「自然歩道」のような、ある程度ラフなコンディションを予想していたのだけど、水辺はおおかた護岸されているし、降り積もった落ち葉の下は、おそらく砂利を転圧した路面で、非舗装とは言え小型トラックなら余裕で往来出来そうな立派な(?)林道だった。

茂市川沿いの林道にて

【画像】茂市川沿いの林道にて

とはいえ、落ち葉を踏み踏み歩くのは楽しい。脚にも優しい気がする。

引き続き空模様は薄曇り。陽が陰っている視界は寒々しいトーン。でも、雲間から陽が射しこむと眼前の彩りが一瞬で変化して面白い。その時々で歩みを止めてはデジカメのシャッターを切る。

やがて林が切れて前方に集落と発電所?変電所?の建物。そのすぐ先で国道45号線に合流。MST標識「普代中心街0.5km/鵜鳥神社6.6km」あり。ちょうど15:00に通過。

茂市川沿い、ゆっくりペースで1時間半弱ってとこだったかな。鵜鳥神社からはちょうど2時間くらい。まぁまぁ良いペースで歩けたということか。

さんてつ譜代駅着15:20。今回の行程はここまでとする。

白井海岸駅から約6時間半、鵜鳥神社になんやかんや1時間ほど居たから、正味の歩行時間は5時間くらいか?波打ち際から山のてっぺん、それから川沿い林道、普代の町中をまた海に近いところまで下ってと、バラエティに富んでいて愉しめた。

あわよくば普代海岸まで足を伸ばそうかとかも考えてたけど、少し早上がりにはなったけど、予定通り普代駅でゴールにしといたのは妥当な判断だった。荷物をおろしてトイレ行ったりとかしている間にも、陽がどんどん陰って急激に肌寒くなってきたから。

駅に併設されている「道の駅ふだい」でお土産購入。普代村は味噌田楽が名物らしいのだけど、今回はチャンス無かった。次回は必ず試したい。

普代16:49発のさんてつで宮古へ。宮古17:45着。ひとまず今夜の宿へ。

「宮古セントラルホテル熊安」は今回初めて泊まるけど、なかなか良さそうでないの。

部屋で荷物を下ろすと、とりあえず、贔屓の居酒屋「笑びす」に予約の電話を入れる。…が、ありゃりゃ、今夜はもう一杯だって。あとでFacebookのフィードを見たところ周年営業だったらしい。来年は気を付けなくては。

画竜点睛を欠くとはこのことだなぁ。しかし、これも運命の導きと考えて気を取り直して他のお店を探すことにする。

飲み屋街を一巡して、なんとなく良さそうな感じのした「浜ゆう」に入ってみた。奥の座敷はご家族連れかな?貸し切りにはなってたけど、小上がりとカウンターは空いてたので入れた。

海鮮をお造り揚げもん焼き物と一通り食べて、お茶漬けで締めてまぁまぁ満足。テレビも点いてはいたけどうるさいほどではなく、他のお客さんたちも至って静かで落ち着いた雰囲気でくつろげた。

本命はこれからも「笑びす」と定めるにしても、こちらも腰据えて飲むには良さそうなお店。宮古駅周辺はけっこう飲食店多いから、あちこち試してみるのも楽しいか。

21時過ぎにホテルに戻るとすぐ寝てしまった。

今朝、出がけに「えぼし荘」のロビーで、出張で泊まってたらしい職人さん(車の感じからして造園業かな?言葉の感じは地元の人らしかった)に話しかけられた。気さくな感じのおっちゃん。

話の流れで「紅葉が良いですね」と言うと、いやいやこんなもんじゃないと、100点満点なら今年は70点いや65点くらいかなぁ?朝夕の寒暖差があまり激しくなくて、鮮やかさが足りない、なんとなく黒ずんで見えるでしょ?と、さも残念そう、口惜しそうなくらいの熱弁。「ホントはもっと鮮やかでもっと綺麗だから是非また来年も来て下さい」だって。そして最後に「東北を楽しんでって下さい」とも言ってくれて嬉しかった。もちろんですとも。

2022年11月6日(日)

朝5時半に起き出す。

夜中2時過ぎくらいに一度目が覚めて、あぁ、まだ3時間も寝ていられる…とかヌクヌクウトウトしていてハッピーだった。ただし、必ずいつか起きて動きださなきゃいかんのだぜと思うと悲しかった。

ひげも剃ってこざっぱりして、荷物の用意も整えて、6時半。さぁ、今日はここからスケジュール詰め々々だぞ。

ホテル手配の朝御飯の弁当を部屋で頂く。カップのインスタント味噌汁と岩泉ヨーグルトも付いてこのお値段なら悪くはない。20分でしっかり完食し7時半頃、チェックアウト。設備もキレイだしサービスも申し分ない。この先、宮古の常宿はここにしようと決めた。

さんてつ宮古を定刻07:46に出発。

今日もいい天気。昨日よりいいくらいかも。さんてつ車内は日曜日で時間も早めなせいか空いてる。ちらほら乗り降りするのは軒並み地元の人ばかりらしかった。行き違いの下り線も同様。

釜石に定刻09:28着。

乗り継ぎ約30分の間にバタバタと、久しぶりのシープラザ・野村商店でお土産ハントしたり、シープラザの裏からこれから乗るSL銀河を眺めたり。

そう、いよいよ今日はSL銀河に乗るのだ。

「SL銀河」

SL銀河は、東北地方の地域活性化と東日本大震災の復興を観光面から支援するべく、2014年4月以来、JR釜石線で運行されてきた観光特別列車だ。

岩手県盛岡市の県営運動公園内で静態展示されていたC58形蒸気機関車 (C58 239) を動態復元した機関車に、4両の専用客車を連結した5両編成で運行されている。

これら専用客車4両は、釜石線の急こう配区間で機関車を補うためにエンジン付きの旅客車を客車に改装したもので、必要に応じて機関車と連携して動力運転される。また、内外装は岩手県出身の作家・宮沢賢治の代表作「銀河鉄道の夜」の世界をデザインコンセプトにしている。宇宙をイメージしたとされる青〜濃紺のボディカラーに、大正・昭和レトロ調にまとめられた内装、車内の展示も宮沢賢治の著作や生涯を紹介する内容となっており、プラネタリウムルームも設けられている。

運行は基本的に4月から11月の間で冬季は運休となる。主に土日で一往復の運行で、土曜日に花巻から釜石に行って、日曜日に釜石から花巻に戻るというパターン。三連休などは中一日挟んだりもする。大型連休には二往復のダイヤが組まれることもあった。また、盛岡駅に隣接して専用の検収庫と転車台があり、釜石駅にも専用車庫と転車台がある。

このSL銀河の運行が来年2023年の春季で終了するというので、一度は乗っときたいとかねがね思っていたこともあって、今回のMSTの日程に噛ませて予約をとったのだった。というよりは、SL銀河の運行カレンダーにMSTの旅程の方を合わせた、と言った方が妥当かも知れない。

SL銀河・機関車(遠野駅にて撮影)

【画像】SL銀河・機関車(遠野駅にて撮影)

発車時刻が近付いてきた。いざ、乗車!

釜石駅の改札で指定券を提示すると、記念品として石炭をくれた。(こ、これをどうしろと?)

ホームは乗客や見送りのスタッフ、また見送りを兼ねてSL見物してると思しき方々で賑わっていた。

指定の座席に行くと、ボックス席の窓際で向かい合わせに初老のご夫婦が座っていて、向かいの席にはカメラバッグが置いてあるだけ。結局、このカメラバッグの持ち主は花巻で下車するときにチラッと見かけただけ。ずっと車内を移動していたみたい。

車内アナウンスによれば(やはり)今日は満席とのこと。

釜石を定刻09:57に出発。

乗ってディスる「SL銀河」

予想通りボックス席は狭苦しいので、自席には荷物だけ置いておいて、専らソファやスツールの設けられた各車両の展示スペースに逃げておくことにした。

「正直、SLは乗るより見るもんだなぁ」と、列車が走り出すなりすぐに思ってしまった。

まず、駅や沿線で列車が来るのを心待ちにする時のような高揚感がまるでない。そりゃそうだ、乗ってたら走ってる自分の乗ってる列車は見えないんだから当然だ。

そして乗ってる自分が今、目の当たりにしている客車内の光景と言ったら、全車満席でボックス席にきゅうきゅう詰めの乗客、しかも旅行者だからデカい荷物たくさんで、頭の上の網棚からは転げ落ちそうなほどだし、網棚に乗らない分があちこちで通路部分にはみ出してるような有様。

ツアー客の年寄り連中、ガキのうるさい親子連れ、カメラ完全装備で始終車内をうろつくソレと見て分かる鉄道愛好家連中…忌憚無く感想を言えば、阿鼻叫喚の地獄絵図…とまで言わないまでも、まぁ、難民移送列車の車内ってこんなかな、ってくらいには思ってしまった。

それに、トンネル内走行中に機関車の煤煙が客室内に入り込んで来て煙たいったらない。客室内がうっすら霞んでいるのが分かるほどだ(トンネルに入る前に窓を閉めるようにアナウンスはあったけど、車両連結部の通路の幌の傷んだところから入って来ちゃってるみたい)。これでは折角のロマン溢れるサービスコンセプトも台無しじゃないか…と、乗車体験そのものには残念ながらあまり高評価は付けられない状況であった。

上有住に到着。長めの停車時間を利して皆、外の空気を吸いに出ている。

釜石線自体はこれまでにも上り下り共、散々乗ってるから、車窓風景には特に執着しない(窓がはめ殺しじゃないのは速度があまり出ないから?)。それに窓自体かなり小さいし、自席は通路側なので、隣の乗客越しに覗き込もうってのも何だか気が引けるし。

来年春の運行終了に当たっては撮り鉄大増殖だろうけど、お仲間に加わっちゃおうかなー、なんて。輪行ポタを絡めて遠野界隈で?とか、まぁ我ながら遊ぶことばっかりよく思い付くもんだわ。

遠野に到着。点検整備のため2時間ほど停車。

折角なので駅近くのクラフトビール屋「遠野醸造 TAPROOM」を再訪。

前回来たのは2018年の冬だから随分前のことだな。ビールを軽く2杯、遠野の名産「パドロン」のフリットを肴に頂く。旨かった。

店内は満席近かった。SL銀河の乗客もけっこう来てるみたいだ。皆、考えることは一緒か。なんかこの感じ、「銀河鉄道999」の一コマみたいだな。

SL銀河のメカメカしいところ

【画像】SL銀河のメカメカしいところ

機関車を切り離しての点検作業を見物してから列車に戻る。遠野駅の待合室、初めて来た時と比べると大分変ったなぁ。でも、一時は取り壊しのニュースもあったので、駅舎が今のところ健在で安心した。

機関車と客車が再連結されていて、ギャラリーもさっきよりは少なくなったので、機関車に今日一番の最接近をして写真撮ってメカメカしさを堪能した。うーん、メカ。スゴイな蒸気機関て。

遠野13:53発。宮沢賢治関連展示列車でもあるのだし、折角だから賢治の文庫持ってくれば良かった…とか思いつつ、時折ウトウトしつつ「日本残酷物語」を読みつつ、終点の花巻までの道中を過ごした。

次代「SL銀河」への要望

今回のSL銀河の運行終了は、機関車では無くエンジン付き専用客車の方の老朽化がその理由とされている。

先述の通り、盛岡と釜石に検収庫や転車台などの保守設備も設けてしまっているし、釜石線の愛称「銀河ドリームライン」の名を冠したSLなので、この区間を走る2代目(3代目か?)SL銀河として、いずれ運行再開されることは間違いない(と断言しちゃう)。

また、釜石線を走る以上、現行と同様、ディーゼル旅客車を客車に改装・転用した車両での編成にならざるを得ないだろう。

新規サービスのリリース迄のインターバルを考慮すると、次代「SL銀河」の準備は既に着々と進められているものと推察するが、今回の乗車体験から思い付いたことをあれこれ書き留めておくことにする。

まず、サービス全体として、もっと「ゆったりスペイシャス」にすべき。

基本的に、乗客のほとんどが旅行者だと考えれば、持ち込み荷物が多く大きくなりがちなのは当然だし、とすれば車内のデザインは収納にもっと配慮すべきだったろうと思った。

そもそも4人掛けボックス席の規格は、現代の日本人の体格には狭すぎると思うので、この際、内装は思い切って改造して、近鉄特急の「しまかぜ」「ひのとり」みたいな感じにしてもらって。シートは進行方向または窓に対して向きを変えられるよう180度回転出来るようにして(窓向きで固定でも良いけど)。それと、家族連れのためにはコンパートメントがあっても良いと思う。

そして窓はうんと大きく取って欲しい。気密性を考えるとはめ殺しでも良いんだけど、その場合は花巻・釜石それぞれで出発前にピカピカに拭き上げて欲しいかな?なにせ道中まぁまぁ長いから、思い切りくつろいで沿線の風景を楽しめたら、それだけでも十分に贅沢で良いと思うんだよなー。

車内の煤煙については、客車間の接続部分の幌の隙間や穴から流入しているのは間違いない。

よくよく観察していたけれど、開けたドアを後ろ手に閉めない人が実に多い。結果、ドアが開けっ放しになって、煤煙が客室内まで入り込んで来てしまう(そもそもそれだけ乗客が頻繁に車両間を移動しているということでもある)。けどこれは自動ドアに馴れた現代人には仕方ないことかなとも思うし、連結部の気密性を高めるとかで技術的に解決出来そうな気がする。

また「SLは乗るより見るもんだなぁ」とも書いたけれど、「SLの旅」って聞いて漠然とイメージするのは、疾駆するSLとそれに乗ってる乗客である自分の姿だと思うんだけど、実際には自分を乗せて走ってるSLは自分には見えない(当たり前)わけで。だから「これだと普通に釜石線乗ってるのと大して変わんねーな」と正直、感じてしまった。

つまり、自分がSL(の引いている客車)に乗ってるって実感が、もっと強く得られるような工夫なり演出なりがあったら良いと思うのだ。家に帰って家族や友人への土産話に、疾走するSLとその客車の窓から手を振る自分の姿とかが見せれたら、ウケると思うんだけどなー

例えば、なんでもドローンでアレだけど、沿線の開けた区間でドローンを並走させて、車窓から手を振る自分の姿を自分で観られる、あるいは沿線に通信網を張り巡らせて、今、自分たちを載せて走ってるSLの姿をリアルタイムで見れるようなサービスとか?それも乗客が自分のスマホとかで写真・動画に撮れる(自分のスマホに転送・保存できる)ようにするとか。

ま、もちょっとシンプルに、機関車の見えるアングルにカメラを設置して、車内のディスプレイで常時見れるようにしておくとか、沿線ところどころにウェブカメラを設置して、その映像をリアルタイムで車内で鑑賞出来るようにするとか。ジェット機のシートのディスプレイみたいに現在位置を表示したり、関連情報がすぐに見れるように、そう、乗客全員に専用タブレットを貸し出すとか(これらなんかは割と簡単に実現出来そうでは?)。

テーマというかコンセプトというかは、引き続き宮沢賢治がふさわしいと思う。現行の展示もなかなか興味深かった。

上述のようにタッチパネル式のディスプレイを設置するか専用のタブレットを用意するかして、乗客が一人々々、宮沢賢治作品の世界のアーカイブを観賞できるようにするとかはどうだろうか。なお、プラネタリウムはなくても良かったと思う(結局見なかった)。

「SL銀河」の名称を受け継いでいくなら、基本的に宮沢賢治へのリスペクトと関与は欠かさないで欲しいけど、ん−、宮沢賢治の他に岩手県の文化に関してのテーマで取り上げるならやはり「遠野物語」、「柳田国男」かなーと。宮沢賢治のファンタジーさに比べると、ちょっとアカデミック側に寄っちゃって、華やかさには欠けるかもなぁ。でもそこは企画力で補って欲しいところかと。

ひとつこれだけは避けて欲しいと思うのは、遠野+妖怪=水木しげる、銀河+鉄道=松本零士、とかの安易な起用。あと変な萌えキャラとかアイドルユニットとか噛ませるのとかもご勘弁願いたいところだ(最近、どこに行ってもそんなんばっかで正直、お腹いっぱいである)。

遠野と言えば、運行上、遠野での2時間停車は必須ということで、前述の如く「遠野醸造」に寄ったりする乗客も結構いたけど、いかんせん遠野駅とその周辺、しもた屋も多くて活気が無い。

遠野駅での降車時、改札近くでお買物券(地域振興券?)手渡してくれてたけど、配るなら配るで使えるなら使えるで事前にアナウンスがあっても良かったと思う(多分無かったと思うのだ)。

なにせ現状、乗客にとっちゃココで2時間ツブすってのはなかなか大変なんで、例えば、SL銀河の停車時間帯に合わせて、駅前(せっかく広々してるんだし)でイベント開催なんてのはどうか?到着前1時間、停車中2時間、冬季除く通年ほぼ毎週ペースでプチイベント出来たら、地域の経済とか活性化とかにそれなりに効果あるんじゃなかろうか?

お土産ひとつ取ったって、現状、駅の売店や車内の小さなブースでの販売しかなくて選択肢が少な過ぎなんで。いっそ沿線の市町村や遠野市内のいろんなビジネスや生産者の人たちが集まって、遠野での停車時間を中心にした「市」を立てたら良いと思うんだよね。

それならいっそもう商売に限定せずに、地元の様々な伝統芸能や学校の部活の発表(音楽系のクラブなら演奏とか)、地元バンドのミニライブとかのパフォーマンスの場にしても良いんじゃないか。

駅舎の2階の(閉まったままの)元・フォルクローロ遠野のフロアを使って、例えばアートの展示でも良いし、1時間くらいの遠野物語関係のミニセミナーとか、なんなら、鍋倉山へのガイドツアー、遠野博物館のミニツアーとか…それこそ「ヒストリー・オブ・SL銀河」講座とかあったら絶対参加してたと思う。

沿線の住民の方々もけっこうSL見物に来てたし、ただ眺めるだけでも楽しいと思う(乗客サイドも手ぇ振って貰えるのは嬉しい)けど、せっかくなら何かもっと関われるかたちに出来たらモアベターなんじゃないかなぁ。毎回でなくても、なにかしら絡めていければ、ただ単に汽車が走ってるってだけでなくて、ただ乗るってだけでなくて、プラスアルファの見どころが出来て乗客も楽しめると思うし、地元の皆さんも汽車の来る週末が余計に楽しみになるんじゃないかなぁ。

とにかく、売り方、見せ方にもまだ工夫の余地があると思った次第。

批判と要望ばかりになっちゃったけど、高評価したい部分も。

特筆すべきは、運行速度の関係からかもだけど、客車の窓がはめ殺しじゃなかったこと=乗客が(昔ながらの引き上げ式の窓で)開閉出来たこと。

先に「はめ殺しでも良い」とは書いたものの、やっぱり良いもんだ、車窓の外と直に接せられるってのは。沿線のあちこちで鉄道ファンはもとより、大勢の沿線住人が笑顔で手を振ってくれてて、こんなのは乗ってて絶対嬉しいに決まってるんで、それも密閉式の窓より、窓が開いてた方が距離感が圧倒的に違うと思うんよね、乗客と沿線の皆さんとの。

あと、機関士や運転士の方々が皆、慣れもあるかもだけど、フレンドリーだったのも嬉しかった。あんまり砕け過ぎてるとちょっとアレかと感じるだろうけど、そうならないギリギリな感じだったと思う。

一方で、一定の折り目正しさ・フォーマルさみたいなものがあった方が、お値打ち感は出ると思う。これは駅員さんはじめ、乗客降車後、車内清掃に入る係員の人たちに至るまで、当てはまることだと思う。せめて新幹線の東京駅の清掃のスタッフたちくらいの丁寧さ・慇懃さはあって欲しいかな。

と、こんなん言い出したら、まぁもちろん金かかってしゃーないとは思うけど、それならそれでバリバリのプレミア付けて貰って構わんけど?

ちなみに現行のSL銀河は釜石〜花巻間片道を完乗しても乗車券・指定席券合わせて2530円。こりゃ安過ぎる。1万円とかでも良い。

そのかわり定員(現行で客車4両で定員180名)を半分とか3分の1とかくらいまで抑えて、プレミア感出してもっと高級路線に寄せていくべき。

なんにしても、次の「SL銀河」も、必ず乗りに来なくちゃだな。

花巻には数分の延着。トイレ借りて盛岡行きの普通列車に乗り換え。

花巻15:33発。盛岡には定刻着。運賃620円也。

宮守を過ぎた辺りから雨がぽつぽつ来始めた。花巻に着いた頃には小降りになって、盛岡までの電車の車窓風景は雨上がりの雲の切れ間から柔らかい夕日が降り注いで美しかった。日常の中にもハッとするような美しい場面があるもんだよなぁ。皆、スマホばっか見てないで外見ろ、外。

盛岡ではフェザンを冷やかして、木伏とルリエを偵察してから、ももどり食堂で早めの夕飯。ビール、ももどり定食、赤武純米吟醸、ひっつみ。もう少し食べれた&飲めたと思うけど、赤武も飲めたし、腹八分目にしとこう。

17:50発のはやぶさ38号に乗った。後は帰るだけ。

仙台まで隣席の老紳士、俺の荷物と広げていたルートマップを見て「どこか登って来られたんですか」って。それをきっかけに仙台まで、旅行やアウトドア談義に花が咲いた。「車内では会話はご遠慮下さい」のご時勢なのでちと憚られたが、楽しかった。

東京駅には5分ほど延着。のぞみ459号に乗り継いで、新大阪には定刻着。

新大阪で下車する際、座席前のドリンクホルダーに入れといた水のPETボトルを持って降りるのを忘れた。いやはや、もはやここまで忘れ落とし失くすとは、もうダメダメだな。なんとかこれ以上、失わずに帰り着きたいものである。

隣のファミマにモバイルバッテリーを返却し今回のミッションも完了。

そう言えば今回はモバイルバッテリー使わずに済んだ。

宿で夜の間にコンセントで満充電して、昼間、歩いている間はWi-Fiを切るようにしていたのがよかったのかな?GPSもところどころで位置確認(とPokemonGO)する時以外は切っていたのも効果あったかも。

現在のスマホ、3年使ってバッテリーが大分ヘタってきてるし、行動中の不測の事態に備えた緊急連絡ツールでもあるので、バッテリー残量には常に気を付けるようにしなくては。

23:30無事帰宅。結局、今回も強行軍だったなぁ。

帰宅→ざっと荷解き・片付け→その日のうちに就寝。

次回は来年のGWの予定。

今回、寄り道ルートとは言え、さんてつ普代駅には到達したので、順当に行くなら普代駅スタートで、黒崎、北山崎と海岸伝いを延びる本線ルートを南下することになるのだけど、今回スルーした白井海岸駅以南〜普代村中心部の本線ルートも捨てがたい気がするしどうしようかな…などと地図を見てあれこれ計画するのも楽しいのであった。

…と、それと、今回は失くしものが多過ぎた。慣れで散漫になってるかも知れない。気を付けなくては。

つづく