2023年10月27日公開



〜 これまで 〜

2019年秋に青森県八戸市をスタートし、岩手県の沿岸地域を南下中です。

今年2月、初めての冬季ハイクで、さんてつ白井海岸駅から二日かけて北山崎まで歩きました。計画ではその先の机浜番屋群まで歩くつもりだったのですが、当日のコンディションを考慮して北山崎で切り上げました。

今回は大型連休を目一杯使い、北山崎から丸三日かけて、さんてつ摂待駅を目指して歩くことにしました。


2023年5月2日(火)

15時過ぎに仕事を早上がりして、いそいそと帰宅。

荷物を最終チェック。今回はテント泊行なので、バックパックは持ってる中で一番大きいマックパックのGlisade/75Lにした。

出発前にひと風呂浴びる余裕が有って良かった。今夜は車中泊、明日と明後日はテント泊の予定で、入浴チャンスは限りなくゼロに近いから。

きっと新大阪駅は混雑してて、デカイ荷物背負っていては買い物も不自由だろうと予想(果たしてそのとおりであった)して、家を出る前に隣のファミマでモバイルバッテリーを借りがてら、お菓子や水などを購入した。夕飯もゆっくりとは摂れないだろうから、時間的にはちょと早かったけど駅前の吉野家で牛丼並の味噌汁&ポテサラセットで済ませた。

18:15、新大阪を出発。のぞみ178号。

GW真っ只中とあって、駅構内も車内もさすがに旅行客が多かった。

名古屋までは隣の三人掛け席の赤ん坊連れが騒々しかった。が、新幹線で寝てしまうと、宮古までの夜行バスの車内で眠れなくなってしまうだろうから、なるべく起きていたかったので、若干イライラはしたけどここはむしろ助けてもらっていると考えることにした。が、名古屋からは持ってきた文庫「日本残酷物語」を読み始めるなり、すぐにウトウトしてしまい、品川まで一章しか読み進まなかった。

20:45、東京駅に定刻着。

盛岡・宮古行きの夜行バス・MEX盛岡宮古に乗り継ぐべく八重洲口で改札を出て地下街へ。

以前、駅を出たとこのロータリーのバス乗場で同じバスに乗車した記憶があるけど、今回は昨年9月にオープンしたばかりの東京ミッドタウン八重洲の地下2階、バスターミナル東京八重洲1の6番乗場が乗車場所。

地下街にはコンビニも飲食店もドラッグストアもあって、乗車前に何かと便利そう。いちいちコジャレていて、オッサンには敷居がやや高いが。

乗車。座席の埋まり具合は…一番前の席なのでよくわからんが、けっこう乗ってそうな感じ。あと、道中、けっこう咳ゲホゲホ鼻ズルズルしてる人、男女問わず結構いた。まぁ、これも新コロが蔓延期から平時に戻る過渡期におけるひとつの事象、くらいにおおらかに考えておくのがよかろう。一応、マスク着用しておく。

21:35、定刻通り出発。

しまった、座席横のスマホ充電口、USBだけだわ。バッテリーが惜しいし、早々に電源オフにして寝てしまおう。

…と、その前に、最新の天気予報のチェックだけしとこう。

先週くらいからずっとチェックしてるのだけど、今年のこの大型連休は、後半天気が崩れるのと、晴れの日は最高気温がかなり上がり、朝夕の寒暖差が大きくなるだろうという予報。4日、宮古では最高気温が26℃まで上がるそう。朝、早目に歩き始めて、涼しい時間帯にある程度距離を稼がないと…出来るのかそんなことがこの俺に。

2023年5月3日(水・祝)

さすが大型連休、昨夜は東北道もかなり渋滞したらしく、早朝、紫波SAでのトイレ休憩の時点で50分遅れ。宮古駅06:45着の予定なんだけど、ありゃりゃ、これ以上遅れると、さんてつへの乗り継ぎヤバいかも?

まぁ、着くタイミング次第でどうとでもしようと腹を括ったが、回復運転頑張ってくれはったみたいで、結局、宮古には07:20着。

田野畑行きのさんてつへの乗り継ぎにも十分に余裕あって、観光案内所の横のトイレで用足して、顔洗って、歩き用の支度に着替えた。駅ソバで朝食(念願の「みやころっけ」載せて450円也)。

それにしても昨夜の夜行バス、最前列席を選んだので、前方の圧迫感こそなかったものの、なんとなくリクライニングしそびれちゃって損した気分。

窮屈なりにまぁまぁ眠れたけれど、後席の人がトイレに立った隙に全倒ししてみたら、かなりフラットになったやんけ…これなら遠慮せんとガバーッて倒したらよかったわ。このバスにはまたお世話になるだろうから、よく覚えておこう。

それと、特に大型連休なんかの高速バスは渋滞で遅れる可能性があるってことも、よく覚えておこう。乗り継ぎ時間には余裕を持っておかないとな。

07:52、さんてつ宮古を予定通り出発。田野畑に向かう。

列車が動き出すと、まずはスマホで天気予報チェック。

宮古市、今日は晴れ。気温は最高20℃、最低6℃。バスを降りた時には肌寒く感じられたほどで、朝食の後でフリースを着た。なんにせよ今日明日は天気の心配は無さそうで何よりだ。

続いて駅の自販機で買った缶コーヒーを啜りながら、地図を広げて今回の行程を軽くおさらい。

今回の作戦方針

前回、今年2月から歩き始めている、さんてつ普代駅〜田野畑駅間、距離は約26キロ、北から黒崎、北山崎、弁天崎の三つの岬からなる、太平洋に張り出した海岸段丘の縁伝いを歩く。アップダウンが頻繁にあり、総所要時間は約10時間(無雪期の概算と思われる)といったところ。

最初から一日で歩き切れる距離じゃないと割り切って、トレイル沿いの宿泊施設に逗留しながら南下する方針ではいたのだけど、前回は初めての冬季ハイクで積雪にも苦戦したこともあり、この区間のちょうど中ほどの北山崎で切り上げてしまっていた。

今回は要所々々でさんてつと田野畑観光乗合タクシーをエスケープルートに利用することを念頭に、今日、ひとまず前回ギブアップした北山崎〜弁天崎間を踏破して、その先の明戸(あけと)キャンプ場でテント泊。

明日は、明戸から田野畑村の沿岸部を南下し、沿岸屈指の景勝地、鵜の巣断崖を経て岩泉町に入り、御殿崎自然休養林でテント泊。

そして明後日、最低でも岩泉小本まで、あわよくば摂待まで足を延ばし、さんてつで宮古に戻るという計画だ。

そう、特に入浴について言うと、今日明日二晩はチャンスは皆無。

今夜の明戸キャンプ場には風呂、シャワーの設備は無く、入浴は車で3分ほど(約2キロほど南)のところにあるホテルの日帰り入浴がオススメされてるのだけど、大荷物背負って丸一日歩いた後、テントの設営までして、それからほぼ手ぶらとは言え往復4キロ、風呂のためだけに歩くか歩けるかと言えば、まぁ歩かないだろうなー。

さらに、明晩テント泊予定の御殿崎自然休養林は、「キャンプ可」だが正式なキャンプ場ではなく、公衆トイレは利用可だけど、水道は「飲用不可」とのことで、飲み水にも事欠きかねないんで、ましてや入浴なんてわけにはいかないだろう…

本当はホテルかその近くの民宿に泊まるって手もあったんだけど、お一人様の宿泊が無理そうだったってのと、折角だからキャンプ場があるところではキャンプしとこうという気持ちも手伝って、気が付くと「バス車中1泊・テント2泊」を経てようやくホテル泊、という割とハードな行程になってしまっていたのだった。

08:37、さんてつ田野畑駅に定刻着。

駅前のロータリーには事前に予約していた観光乗合タクシーが既に来ていて、これで予約の人揃ったのでと、少し早いけど出発してくれる。

相乗りのお客さんはやはりSOBOのセクションハイカーで盛岡在住と言う男性。年のころは同じくらいかな?北山崎までの道中、色々と情報交換。

北山崎の駐車場で降車・清算。これで660円/人は利用しやすい料金設定だと思う。

北山崎の展望台で太平洋を眺めながらストレッチなど準備運動。辺りにはマイカーで乗り付けたと思しき家族連れや、二人連れの外国人ハイカーの姿も見える。

09:30、北山崎VC(SOBO/156.59)を出発。

近くに立てられたMST標識には「陸中海岸自然歩道(明戸まで8.8q)」とある。今日のゴールにして泊地、明戸。さてどのくらいかかることやら。

歩きだすなりすぐに波打ち際近くまで標高にして150メートルほど下る。カメラマン一人、それに外国人と思しき釣竿を手にした三人組を追い越す。急だが階段はよく整備されていて難なく沢筋まで下る。

北山崎付近から南方を望む

【画像】北山崎付近から南方を望む。

沢の対岸に渡る木橋が崩落していたが、沢の流量はごく少なく、ここも難なく渡る。尾根筋に出るまでは急な階段をフウフウ言って登った。

小一時間歩いたところで女性のソロハイカーとすれ違った。

更に1時間ほど緩やかなアップダウンを繰り返したところで、海の見晴らせるベンチがあったので荷物を下ろして小休止。

軽量化には努めているつもりなんだけど、どうも荷物がデカくて重く感じられてならないのはなんでだろう?バックパックのフィッテイングが悪いのか、ブーツが重いのか…とかなんとか考えていると、後方から女性のソロハイカーが現れて、颯爽と追い抜いて行った。後姿はシュッとしていてスリムな印象、 バックパックにフォームパッドを括りつけてるところを見るとデイハイクでは無さそうだったけど、いかにも身軽な感じ。靴もローカットの「シューズ」のようだったし、うーん、それに比べて自分の装備の見るからに重たげなことよ。ま、今は考えても仕方なし。とにかく前進あるのみ。

やがて前方(と下方)が明るく開けて来て、長くて急な階段を下り切ると、MST標識「机浜1.7km/北山崎展望所3.1km」あり。

舗装道路を海に向かって歩くとすぐに「北山トンネル」を抜け、北山漁港に着く。コンクリート製の長い桟橋のある割と大きな入り江。

ここでちょうど正午。荷を下ろして大休止していると、先ほど北山崎で見かけた外国人コンビに追い抜かれた。追い抜かれてばかりだなぁ。

12:25、北山漁港を出発。

この北山漁港の南にはちょっと険しめの岩礁地帯が広がっていて、ラダー(ハシゴ)と手掘りの隧道(ずいどう=トンネル)で越えなくてはならないなかなかの難所。ある意味、今日のヤマ場。

漁港からはトレイルの入口は見えないので慎重にアプローチする。浜辺をドン突き近くまで行くと、ようやくトレイルらしきものが見えた。追従するとマーカーとラダー(SOBO/160.16)を発見した。ここで外国人コンビを追い抜く。

ラダーは金属製で、高さ5メートルくらいの岩場を越える地点に設置されていた。基部を岩にボルト止めされたしっかりとした作りだった。

サイズ感が写真だと分かりにくいかな…と思い、悪いけど先ほどの外国人コンビに写り込んでもらった。被写体に人間を加わえた方が見る人にサイズ感がより伝わり易いというのは風景写真撮影の基本のひとつらしいが、単独行のセルフ撮影ではままならない場面も多い。

北山漁港のラダー(と外国人コンビ)

【画像】北山漁港のラダー(と外国人コンビ)

ラダーを越えると、続いて幾つかの手掘りの隧道を抜ける。長いものでは途中真っ暗になるのでヘッドランプを点けた。

最後の隧道を抜け、陸側の急斜面を登る。登り口にMST標識「机浜0.7km/北山崎展望所4.1km」あり。

斜面を登り切り、しばらく尾根伝いを歩き、尾根の反対側に下ると、赤や青のトタン葺きの屋根の小屋の一群が現れる。「机浜番屋群(つくえはまばんやぐん)」(SOBO/161.38)13:25到着。ここで大休止。

北山崎VCを出発後、既に約4時間が経過している。前回、北山崎からここまで3時間で歩けるかどうかと迷った際、「止めとこう」と判断したのは結局、正解だったということになる。

今日のように積雪も全く無く、天気も上々であってすら、約4時間を要したのだから、前回、積雪のあるトレイル・コンディションで半日以上歩いた後、なお歩き続けて、3時間で無事に歩き通せたとは到底思えない。

机浜番屋群は、机浜漁港に隣接する漁業者の作業場兼倉庫兼宿泊施設(番屋)の集まりで、平成18年には「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」に選ばれた。

東日本大震災の津波によって跡形もなくなってしまったものの、その後、再建・復元され、現在では北山崎の海岸線を巡るクルーズツアー「サッパ船アドベンチャーズ」の拠点も擁し、田野畑村の観光資源となっている。

折しも大型連休の真っ只中とあって、大勢のお客さんを乗せたサッパ船が出発して行ったり、番屋では塩づくり体験などの催しも行われていたり、頭上には反対側の道路の法面との間に渡したワイヤーで掲げられたたくさんの鯉のぼりが悠々と風に泳いでいたり、うーん、実に五月!って感じだった。

トイレを借りて、飲み水も少し補充させてもらって、13:50再スタート。

机浜を左下に眺めながら、県道の路肩を登って行くと、トンネルの入口の手前にMST標識「机浜0.4km/明戸浜3.2km」があり、そこからトレイルに入る。アップダウンのトレイルをしばらく歩くと、左前方に赤い灯台の建物が見えて来た。

14:20、陸中弁天崎灯台(SOBO/162.33)に到着。

ここ弁天崎灯台は、観光スポットとして見ると小粒と言うか地味と言うか、黒崎や北山崎のようにアクセスも良くないし眺めもそこそこ。敢えて訪れようというのは灯台のマニア(これまた少なそう)くらいかな、といった感じ。でも、紅白縞に塗り分けられた小ぶりな姿が、実用本位ながらどこかチャーミングで気に入った。並んで記念撮影。

陸中弁天崎灯台にて

【画像】陸中弁天崎灯台にて

それにしても、前回2月と今回ここまでで、普代村と田野畑村にまたがって太平洋に大きく張り出した海岸段丘を、ようやく歩き果せたということになる。なかなかの難関だったなぁ。

陸中弁天崎灯台を後にして、「ロレオール田野畑」(地元食材を豊富に使うフランス料理店として知られているそう。今回はスルー(泣。)の軒先を通って、駐車場から県道に再合流する。

ここは先ほどMST標識のあったトンネルの出口側になっていて、ちょうど例の外国人コンビに追い抜かれた。彼らは灯台には寄らずにトンネルの中を歩いて来たものとみえる。

緩やかな下りの県道の歩道を左手に海を見ながら歩いて行く。

時々、ガードレール越しに眼下の波打ち際を覗き込んでみる。今、ちょうど満潮くらいの時間帯。波は静か、海は穏やかだった。でも、このくらいが一番ビビるよなぁって感じの高さだった。

やがて左前方に「ホテル羅賀荘」の白い建物が見えて来た。

今日はその手前にある明戸浜を望む村営キャンプ場でテント泊。どうやらそんなに遅くならぬうちに着けそうで安堵する。

県道を下り切ったところで、左前方に現れる海岸一帯が「明戸海岸防潮堤震災遺構公園」である。ちなみに「明戸」は「あけと」と読む。

かつての防潮堤は震災遺構として保存され、代わって今、歩いている県道の盛土がその役割を兼ねているかっこうだ。

キャンプ場はもうすぐそこだけど、ここで一旦荷物を下ろして大休止。

公園をひと廻りして説明パネルを読んだり防潮堤の遺構を間近に眺めたり。そうしている間にも二、三組の家族連れが車で訪れていた。

遺構公園を後にして、海に背を向けて少し歩くと「田野畑村・明戸キャンプ場」(SOBO/164.63)に到着。

さっそく管理事務所に行き、宿泊申し込みと料金の支払い(明戸川を挟んで隣接するマレットゴルフ場の管理棟がキャンプ場の受付を兼ねている)。

16:05、チェックイン完了。これをもって本日の行程終了とする。

約6時間半、地図上の距離としては10キロ弱ぱっかしなんだけど、疲れたなぁ。なにはともあれ暗くなる前にテント張らなくては。

キャンプ場は、東は明戸海岸、西は低い山に挟まれた明戸川の沖積地で、空が大きく開けたロケーション。周囲の山の木立からいろいろな鳥の鳴き声が聴こえて来て、耳も愉しませてくれる。

オートキャンプサイトが8区画と、フカフカ芝生の広いフリーテントサイト、それに炊事棟とトイレ棟がひとまとめに建てられている。設備は過不足無く必要十分、手入れもよく行き届いていそうな感じ。

今夜はオートサイトは全区画、埋まっているようだった。

一方、フリーサイトは炊事場やトイレに近い辺りが少し混んでるものの、奥の方はソロキャンパーのものと思しきテントが点々と張られているだけで、まだ余裕ありそうな感じだった。

一番奥側、フリーサイトの外縁近く、木製のベンチのそばに陣取ることにした。隣のテントとの間隔を十分にとったことは言うまでもない。

ちなみに利用料金はフリーサイトがテント一張り/泊500円、オートキャンプサイトは1区画3000円/泊であった。

テントを張り終えて、荷解きして一息つく頃にはもう夕暮れ間近。

水場で顔を洗い、テントに戻って濡れタオルで体を拭う。

前述したように、このキャンプ場には入浴設備は無いし、ひと風呂浴びるためだけに最寄りのホテルまで片道2キロ歩く気力も時間もとうに無かったから、まぁこのくらいサッパリ出来れば今日のところは上等…としておく。

長ズボンを履いてフリースを着こむと、夕飯の支度に取り掛かる。

今夜のメニューは、アルファ米(お湯を注いで15分ほどほっとくと、およそ茶碗1杯分の温かご飯になる)1パックに、インスタントマッシュポテトと常温パックのゴボウサラダのマヨネーズ和え、イワシの蒲焼き缶詰、それにこれもインスタントのトマトスープ。デザートはドライフルーツとチョコレート。食事の満足度と準備・後片付けの手間、それに荷物としての重量とのバランスを重視したのメニューのつもり。もちろん晩酌は無し。

簡素な晩餐とその後片付けをさっさと済ませ、テントの中、広げた寝袋の上に寝そべって本日の振り返り。

結論から言うと、なかなかキツかった。荷物が重かったのとアップダウンの激しさとで、ふくらはぎがバッキバキに筋肉痛。こんなんであと二日間、歩けるのか知らん。

それでも気分は悪くない。こうして寝袋の温もりを楽しみながら、どうにか今日一日、こうして計画通り歩き果せたという安堵感に浸っていると、
「まぁ、明日のことは明日の朝、起きてから考えるさ」
なんて、どこか開き直ったような、清々した気分になってくる。

今日はもうこの軽い気分と体の疲れに任せて、このまま寝てしまおう。

夕方、テントを張り終えた頃から急に気温が下がって来て、焚き火してる周囲のキャンパー達がちょっとうらやましかった。

GWとあって、家族連れや友人グループやっぱり多し。それに徒歩やらバイクやらのソロキャンパーもけっこういるっぽい。まぁまぁな数のテントが張られてたけど、皆さんまぁまぁ行儀よく、(今のところ)高歌放吟する輩も居らず落ち着いたムード。

ただ、隣のテントのオッサンがテレビかラジオかを点けてて、ボリュームは抑えてる(つもりらしい)けど…しっかり聴こえてるっちゅーねん。

ったく、他人の趣味をとやかく言うのもなんだが、こんなところまで来といて、テレビとかラジオとか、なんだかなぁって思うわ正直。なんにもないこんな片田舎のキャンプ場でも、目を遣るべきもの、耳を傾けるべきものは周りにたくさんあるんだがな。ま、こんなとこまで来て、PokemonGOやっちゃってる俺が言うのもなんだけど。

寝落ちしちゃう前にスマホのバッテリー残量をチェック。昨日、新幹線の車内で100%まで充電して、今時点で残68%ならば上出来だろう。今日は必要な時以外、長エネモードにしてWi-Fiも切ってたのが奏功したのだろう。

特に着信もメールの受信もないことを確認してから、電源切って就寝。

2023年5月4日(木・祝)

朝4時半頃、寝袋越しに伝わる肌寒さとウグイスの鳴き声で目が覚める。

ダウンジャケットも持って来てるんだし、横着しないであと一枚、着込んでおくべきであったか。が、しかし、それでも昨夜の夜行バスに比べれば、手足伸ばして横になれただけ全然マシ、というか、極楽だったなぁ。

日が昇ると見る間に温かく感じられるようになった。いろんな鳥の声が聴こえて来る。時折、「ココココココ…」というドラミングの音も混じる。

寝袋にくるまったまま、スマホで今日の田野畑村の天気予報をチェック。終日晴れで、予想気温は最高22℃、最低6℃。今がまさに最低気温かなって感じの肌寒さ。

腹減った。一晩ぐっすり寝て、朝起きて空腹ってのは幸先良い感じだ。

テントを出てトイレと洗顔を済ますとさっそく朝食。乾燥ワカメを加えた日清チキンヌードルに、クラッカー、魚肉ソーセージを1本。インスタントマッシュポテトに常温パックのサラダ豆を混ぜ込んで、コショウと個包装のケチャップで味付け。かなり炭水化物に偏らせたメニューをしっかり食う。

明戸キャンプ場にて・この日の朝食

【画像】明戸キャンプ場にて・この日の朝食

食後のコーヒー(もちろんインスタント)を啜りながら、ストレッチして体をほぐす。両膝回りは特に入念に。全身に少しずつ温もりが通い始めるのを感じる。

そうこうしているうちに他のパーティもぼちぼち起き出してきた。

昨日、追い抜かれた女性のソロハイカーが手際よくさっさと身支度して早くも出発。こりゃこっちもゆっくりしてられんなと、準備の手を早める。

07:30頃、明戸キャンプ場を出発。良いキャンプ場だった。

今日は長丁場になると見込んで、極力、軽快な支度で歩こうと、上は長袖Tシャツ、下は膝丈のパンツにタイツもゲイターも無しでスタート。

海岸沿いの県道まで戻って昨日の続きを南へ。

「ひらなめ海岸」を左に眺めながら羅賀の漁港集落に向かう。

地図上、集落の北の外れの高台に神社マーク。もちろん訪ねてみる。

集落の曲がりくねった道を抜け、急な参道を登る。「大宮神社」とある。

社務所の軒下に掲げられた由緒書きによれば、14世紀、泉州(現在の大阪府堺市)で滅亡した北畠氏の姫と郎党たちが落ち延びて来て、家伝の宝鏡を奉じたのが始まりで、現在のこの場所には18世紀頃に移されたとのこと。

社殿の脇には小さい祠や古びた石塔が無造作に並べ据えられて居た。

あるものは苔むし、あるものは落ち葉に埋もれ、刻まれた文字のもはや判読出来ないものもあり、まさに歴史の忘却の彼方に去り行きつつあるが如き趣きであった。

大宮神社を後にして、県道を挟んで集落の向かい側の「羅賀ふれあい公園」には8時過ぎ頃に到着。

東日本大震災ではこの公園まで津波が到達した。ここからすぐそこの羅賀漁港のそばで現在も営業している「ホテル羅賀荘」は3階部分まで浸水したという。

公園には明治、昭和の大海嘯碑と並んで、真新しい東日本大震災の伝承碑と鎮魂碑が建てられているほか、明治の大津波で海から運ばれたという巨岩「羅賀の津波石」、それに従来「津波石」と呼ばれてきたが、近年の調査によって、より内陸側の地質であることが分かり、津波石ではない可能性が極めて高い「津波石と伝承されてきた巨岩」があり、それぞれにそれぞれ解説パネルが設けられている。

トレイルはここからしばし県道を反れ、左右を高い木立に挟まれた低い峠を越えて南隣の平井賀集落に抜ける。集落からトレイル本線を反れる格好で村道を少し戻ると、トイレ休憩するつもりのさんてつ田野畑駅に至る。

同駅に行くだけなら県沿いを歩いて行った方が早いのだけど、集落の様子も覗いてみたいし、ここは公式ルートにこだわって峠道を往くことにする。

大澤預治郎氏の顕彰碑に想う

緩やかな峠道を登って行くと、左手の斜面に登って行く山道への分岐が目に留まった。石段と、鉄製の手摺りも設けられていて、登って行ったら何かしらありそうな雰囲気だったので、寄り道することにした。

じきに登り着くと、そこは青々とした木々に囲まれた小さな広場だった。今は木立に遮られてほとんど眺望が無いが、冬になって木々の葉が落ちたら四方に眺めがひらけるかもしれなかった。そして正面奥に眼鏡の男性のレリーフを頂いた石塔が建っていた。

羅賀の「大澤預治郎君像」

【画像】羅賀の「大澤預治郎君像」

石塔の銘板には縦書きで「大澤預治郎君像」とある。

背面の碑文によると、明治時代から昭和前期にかけて、この地域の振興に尽力した人物らしかった。本人の存生中に建てられたという胸像は(金属製だったのだろう)戦争中に供出されてしまい、このレリーフは昭和45年に再建されたとある。

戦後は村長や県議会議員まで勤めたともあるし、それほどの人物ならば村のHPとかに何か情報があっても良いだろうと思って、本稿の執筆にあたり田野畑村の公式HPやグーグル先生に尋ねてみたのだけど、なにひとつ情報を得ることは出来なかった。MSTのマップブックにはもちろん、日本全国の地形図が公開されている国土地理院のHPにも、その存在を伺わせる情報すら見出せなかった。

この広場には他に「三訓之森」(背面に「昭和十五年十月廿五日御成之日 保証責任田野畑濱漁業協同組合建立」とあった)と、「宮城遥拝 明治神宮 参拝記念」という二基の碑があった。後者は表面の風化が進行していて建立の時期が読み取れなかったが、共に昭和前期頃のものだろう。

峠道からの石段のコンディションからも、近年はあまり手入れされてないのかなって印象。この場所もまた、遠からず忘却の彼方に消え去る運命なのかも知れない。昭和改元だって100年前にならんとしてるわけだからな。

だとしても、かつて立派な志に生きた大勢の人が地方にもいて、今日の我々が知らず知らずのうちにその働きの恩恵に預かっているってことも少なからずあると思うのだけど、そんな彼等の大半が歴史に名を留めることもなく、地元の人たちや直接の子孫たちにすら、その存在すらも忘れられていくというのは寂しいことだと思う。

今日のような変化の大きく且つ急速な時代にあっては、それも仕方がないことのようにも思うけれど、ならばせめて自分一人くらい、こんな風に片田舎に足を運んで、寄り道も出来るだけして、そういった先人たちの人生に思いを馳せたり遺徳を偲んだりしていこうではないか。そのためにも体が動く限り、なるべくいろんなところに歩きに行かなきゃいかんよなぁ。なんて、思わず感傷的になってしまった。

峠道に戻って歩き始めると呆気ないくらいすぐに平井賀の集落に抜ける。さんてつの車両を模した水門の建屋がひときわ目立つ。

集落の道端に、なぜか三好達治の「桐畑」の立派な詩碑があったので、ここで荷物も卸して一休み。

本稿執筆にあたり田野畑村の公式HPで確認したところ、ここは元は「本家旅館」という宿で、詩碑の「桐畑」は三好がこの旅館に逗留した際に書かれたものだそうだ。

ちなみに旅館は現在は営業していないらしい…というか、歩いた当日は、この詩碑以外の周囲のことはほとんど覚えておらず写真も撮ってない(それだけこの碑の存在が異彩を放っていたとも言える)。

グーグルのストリートビューの2014年6月付の画像を見ると、まだ詩碑は無い。しかし入口付近に「本家旅館」と大書された看板が出ていたようだし、自分好みの昭和チックな佇まいなので、今回まだ存在していたなら気が付いたと思うのだけど…注意が専ら地図上、この先の集落の外れにある神社マークに向いていた所為で見落としたのかも知れなかった。

前方にさんてつの線路が見える細い集落道に面して朱色の鳥居が建っている。扁額には「熊野神社」とある。コンクリートの急な石段を登り切ると、社殿と呼ぶにはあまりに小さな祠。お参りして辞す。

さんてつ田野畑駅でトイレ休憩の後、09:00出発。

ここで昨日、明戸キャンプ場で見かけた女性のソロハイカーと田野畑駅からスタートしたと思しきこちらも女性ハイカー二人組に追い抜かれる。

平井賀の水門を後にして県道沿いの歩道を歩いて行くと、すぐにけっこう長いトンネル(平井賀トンネル)に入る。

トンネルを抜けると、すぐに駐車スペースと海岸に下りる急なスロープが現れる。「ハイペ海岸」(SOBO/167.69)09:20着。

とりあえず海岸に下りてみる。

駐車スペースに1台だけ停まっていた軽自動車の主だろう、若い男性が打ち上げられた岩に腰かけて釣竿の先を眺めながらボンヤリと煙草をくゆらせている。優雅な休日の朝って感じ。遠目にもくつろいだムードが伝わって来るようだった。

なお、この海岸の北側の断崖に現れた地層は、1億1千万年前の浅い海底のものだそうで、三陸ジオパークのみどころ「ジオサイト」の一つとして知られている。

トレイルはここから県道沿いを大きく内陸側に蛇行する。

役場などがある村の中心部に向かう「村道ハイペ線」との分岐を越え、峠のトンネルを抜けると県道は下りになる。

いつの間にか歩道が無くなって、ずっと路肩を歩いている。けど、そもそも車の往来がそんなに多くないので危険は感じない。やがて前方にさんてつの高架とその向こうに海岸が見えて来る。

この海岸は「コイコロベ海岸」といって、先ほどのハイペ海岸同様、ジオサイトに数えられている。ハイペ海岸よりは南北に長くて広い。

ちなみに「ハイペ」「コイコロベ」共にアイヌ語由来の名称だそうだ。ここに限らずアイヌ語やその名残を留める地名は東北地方には多いという。

高架をくぐって海辺に出ると、防波堤と車道の間の路肩が狭くてちょっと怖かった。が、それも真新しい防潮堤と閘門の手前辺りからはキレイで歩き易くなった。

閘門をくぐるとすぐにさんてつのホームと島越駅の特徴的なフォルムの駅舎が目に入って来る。

さんてつ島越駅10:05着。大休止。

そこに下りのさんてつ到着。「あまちゃん」ラッピング車両「走れ!三陸元気GOGO号」であった。そう言えばちょっと前にSNSでクラファンやってるのを見かけたなぁ。見ればボックスシートはかなりお客さんで埋まっている様子で、「あまちゃん」人気の衰えなさを垣間見た。

今日はここまで約5キロ歩くのに2時間半かかっている。

途中、あちこち寄り道もしているけど、まぁまぁいいペースで歩けてる方かな?(ま、ここまでほとんど舗装路だからってのもあるか)しかしすでに陽射しはかなり強くなって来てるし、今日はまだまだ先が長いからな…もう少しペース上げた方が良いかもなー。

トイレ借りて土産物コーナーを冷やかしてから、島越駅を10:30出発。

しかし出発するなり、またちょっと道草。

島越ふれあい公園(SOBO/169.87)。

ここは先の震災までは島越駅の駅前広場だった場所。

海側を新たに嵩上げされた防潮堤、陸側をさんてつの線路の盛土(震災前は高架橋だったらしい)に挟まれた広場で、旧駅舎のコンクリ製の階段が震災遺構として保存されている。

その傍らには宮沢賢治の「発動機船 二」の詩碑がある。こちらは津波に呑まれながらもほぼ無傷で、今も当時のままの位置に建っているのだという。

そのほか、これも先の震災でこの一帯を襲った津波の最大波高17.8メートル(!)を表すステンレス製の「津波高表示塔」が建てられている。

ちなみに先の震災では、ここ島越地域を含んだ田野畑村全体で被災世帯数251世帯、死者24名・行方不明者15名を数える(平成24年6月末時点)。

公園の真ん中あたりに設けられた明治、昭和、東日本大震災の犠牲者の供養碑の前で手を合わせてから再び歩き始める。

島越漁港を左手に眺めながら、道なりに歩くこと10分ほどの所に北山崎断崖クルーズ観光船の発着所(SOBO/170.29)があり、その手前で道が二手に分かれる。海辺の方、漁港の岸壁沿いを往けば平坦だが、山側の集落の方に向かう急な登り坂の方ががトレイル本線。

ここにもマップブックに記載されている通り、すぐそこの斜面の中腹に朱色の鳥居あり。鳥居の扁額には「大神宮」とある。

ここも参詣するが、急だが何でもない石段でコケた。なんとなく歓迎されてない気がしたので、一礼すると足早に立ち去る。たまにはこんなこともある。幸い膝を軽く擦りむいただけでダメージほぼ無し。

トレイル本線は昔からの生活道路らしく、幅はところどころ狭く、曲がりくねって入り組んでいて且つアップダウンもある。古い消火栓や、道端の小さな花壇に丹精された花々などにも彩られて表情豊か。こんな道が好きだ。

しばらく往くと右手の斜面に墓地が現れる。墓地の外れにはここでも明治、昭和の津波記念碑がひとかたまりにされていた。基礎部分がコンクリで、碑本体は後から据え直したことが見て取れる。ここでもおそらく、当初何処か別のところに建てられていたものを移設したのだろう。

集落の南の外れにもうひとつ神社マーク。車道の路肩から急なコンクリの階段を上がったところに二、三、小さな祠があったが、こちらは随分荒れてしまっていた。一応、お参りだけして先を急ぐ。

後日、グーグルマップで調べたところ、この周辺にあと二ヶ所ほど小さな神社があったらしいのだけど、調査不足で見逃してしまった。もっとも、事前に分かっていても全部に立ち寄れたかどうかは時間的に微妙なところ。

この神社を過ぎたところで集落道は下り坂になり、自動開閉設備を備えた閘門のある真新しい水門をくぐると再び海辺に出る。

この先しばらくはマップブックにも「高波注意」の注記のある区間。山側は急な断崖で、一面、落石防止の目の細かい金属製のメッシュに覆われている。そのうえ海側は路肩も非常に狭く、波打ち際はすぐそこだ。

防波堤は腰丈くらいの高さしかなく、それさえも途切れてる箇所があって、そんなところにはテトラポットが積み上げられている。

幸い今は満潮まで間のある時刻だし、天気も良くて海が穏やかなので車の往来にだけ気を付けて歩けば良いが、天気と潮のタイミングによっては余程気を付けないと危なそうに思われた。

やがて前方に小砂利の浜辺が現れる。白池海岸(SOBO/171.61)11:20着。MST標識「鵜の巣断崖3.4km/明戸浜6.8km」あり。

浜の向うは海に向かって切り立った断崖で、ここまでの県道はそれを避けるように大きくカーブして山側に上って行く。

トレイル本線は、川を挟んで県道の反対側の斜面を150メートルほど登って、海岸段丘の上に拓けた切牛という集落に向かう。

登り切るまでの区間は非舗装なので、ここでゲイターを装着。ついでに大休止。少し早いがランチ休憩とする。

海岸の駐車スペースに岩手ナンバーの乗用車が1台停まっているだけで、辺りに人の気配は無し。11:45出発。

トレイルは登りだけど程よく木陰で林の小径といった感じ。

黄色や赤の花々が満開で目を楽しませてくれる。後日、撮って帰った写真でググってみたところ、黄色は「一重ヤマブキ」、赤いのは「ヤマツツジ」らしかった。折角だからこんな風に山野草の名前も少しずつ覚えていこう。

白池海岸付近の「一重ヤマブキ」

【画像】白池海岸付近の「一重ヤマブキ」

斜面を20分ほどで登り切り、民家の裏手に出る。段丘の上にひらけたここは「黎明台団地」といって、先の震災で生まれた高台集団移転先のひとつだそうだ。分譲住宅と災害公営住宅が整然と立ち並んでいて、さながら「ニュータウン」の趣きだ。

事前に収集した情報では、ここ黎明台団地公園(SOBO/172.24)で水の補給が出来そうだったのだけど、水道らしきものは見当たらなかったので素通り。そろそろ飲み水の残りが心細くなってきているので、ここらで補充したかったのだけど。

団地を抜けると、道の両側は一転して昔ながらの集落。家々の間には大小さまざまの田畑や家禽小屋、農機具置場らしき建物が不規則に配され、その背景を雑木林の木立が彩っている。

佐々木弥五兵衛と三閉伊一揆

ここ「切牛」集落は、江戸時代後期に南部藩の治政を大きく揺るがした「三閉伊一揆」の首謀者・佐々木弥五兵衛の出身地であり、彼と一族郎党の墓も現存している。

「三閉伊一揆」については、「日本残酷物語」(平凡社ライブラリー刊)で読んだことがあった(今回も再読すべく携えて来ている)。

この弥五兵衛という老農は、当時の南部藩の圧政に苦しむ沿岸や内陸の村々を回っては秘密裏に一揆の必要性を説き、ついに弘化4年(1847年)、ピーク時には参加者1万人に達したともいわれる大一揆を主導したという人物。ここ切牛出身で、一揆の後に捕縛され、盛岡で牢死したとされている。ちなみにこの時、彼を捕らえた同心・工藤乙之介は、かの石川啄木の曽祖父だそうだ。

事前の情報収集中、たまたまグーグルのストリートビューで道端に建てられた「佐々木弥五兵衛の墓」の看板に気が付いたので、折角だし立ち寄ってみようと思っていたのだ。

弥五兵衛の墓は道路から私道と思しき砂利道を少し畑の中に入ったところに、妻や一族郎党の墓石と並んで建てられていた。

ホントに古びてて質素で且つこじんまりとしていた。あまりキレイに整備してしまうのもなんだか味気ないようではあるけれど、せめてもう少し体裁よくしてあげても良いんじゃなかろうかと思ったりもした。かたちばかりに両手を合わせてから後にした。

集落の中ほどまで来ると、今はもう営業して無さそうなお店が2軒続けて現れる。2軒目の、元酒販店だったらしい自販機だけまだ動いてそうな方のお店の、道路挟んで向かいの脇道を入ったところにもうひとつ神社マークがある。ここでも道草食うことにする。

鳥居の扁額には「菅原神社」とある。

境内も社殿もけっこう広く、思ったよりずっと手入れが行き届いていて、どこか厳かな感じもして、すがすがしい気持ちでお参り出来た。位置的にもこの集落の鎮守のお社らしかったが、社殿が集落に背を向けるように建てられているのが少し妙に思われた。

菅原神社を後にして10分ほど歩いたところで、集落の南の外れ、切牛地区公民館「望洋館」(SOBO/173.25)に12:45到着。

ここで若い男性のソロハイカーに遭遇。彼はNOBOのセクションハイカーで、ここで一休みしてちょうど再スタートしたところだそう。
「今朝からすれ違ったハイカー、あなたで10人目ですよ。今までで一番多いですね」なんて言っていた。やっぱりそうだよなぁ。

白池海岸を発ってからちょうど1時間経過。距離的にはキロちょっとしか進んでないけど大休止。事前情報の通り、ここで水の補給が出来て一安心。玄関脇の軒下の水道が開栓してくれてあった。

荷物を下ろしてしっかり20分ほど休憩して、13:05再出発。今日はここからが正念場なんだよね。

この望洋館の裏手でトレイル本線は非舗装の急坂を一気に海辺まで下る。

20分ほどで下り切り、槇木沢川の広い河原に出る。この川は普段は伏流している水無川だそうだ。成程まるで水の無い河原を横切った対岸で砂利道に合流し、海岸に向かう。

槇木沢川漁港(SOBO/174.23)13:25到着。

割と広い浜で、マップブックに「槇木沢川漁港」との記載あり。今、歩いて来た砂利道も「林道真木沢港線」という名称で、残された轍は車の往来があることを証拠付けるものだったけど、漁業の施設らしきものはなにひとつ見当たらなかった。ここでも荷物を下ろして小休止。

カメラマンらしき風体の男性がカメラ片手に海辺を散策していた。周囲に車が見当たらなかったから、彼もハイカーだったのかも知れない。

ところへ免許取り立て風の若いカップルが軽自動車でやって来た。なんとまぁモノズキな。車だと最寄りの舗装路からかなり走って来てるんじゃ?

彼女さんのワンピース姿が、なんだかこの場所に似つかわしくない気がして、却って新鮮に感じられた。

そしてここであの外国人コンビを追い抜いた。今朝、明戸キャンプ場を彼等より先に出発したのだけど、どこかで追い抜かれてたらしい。なんだかんだと昨日と今日と、北山崎VCからずっと抜きつ抜かれつしている。

小休止のつもりが思いのほか長居してしまった。13:45に出発。ここからいよいよ今日一番の見どころ、鵜の巣断崖に向かう。

標高にして170メートルほどの登りは、ところどころ急ではあったけど、さほど長くも感じられず、20分ほどでフラットな鞍部に出た。

途中、トレイルの傍らに薄紫色の小さな花を見付けたので撮影。後日調べたところ「ミヤマスミレ」らしい。可憐。

やがて前方の視界が開けて来る。大きな駐車場のトイレの脇に出た。

鵜の巣園地駐車場(SOBO/174.96)14:15着。

トイレの前でとりあえず荷物を下ろし、地図に書き込みなどしていると、二戸から娘さんとドライブに来たという男性に声を掛けられた。

聞けば彼もMSTをSOBOセクションハイクで歩いていて、歩き始めた時期も、そして年恰好もほとんど同じだった。

前回、ここ鵜の巣園地まで歩いたので、この先の偵察も兼ねて今日はマイカーで来られたとのこと。今日はこの先の「御殿崎園地」まで歩くと言うと、「例の『体力的難所区間』ですね、気を付けて行って下さい」とのお言葉をかけてくれた。有り難い。

男性を見送ると、折角なので展望台まで歩いて行ってみることにする。

断崖を見下ろせる海沿いの展望台までは思ったより距離がありそうなので、バックパックはトイレ前に置き去りにして手ぶらで歩いて行く。なに、貴重品は身に着けてるし、こんなバカでかくて重いシロモノ、盗ろうなんてモノズキもおるまいとたかを括って。

展望エリアまでは、非舗装ながら松林の中をほぼまっすぐに抜ける散策道。展望台の周辺には付近を周回する遊歩道もあった。

鵜の巣断崖の特徴的5連アーチ・後方は弁天崎

【画像】鵜の巣断崖の特徴的5連アーチ・後方は弁天崎

さすが沿岸有数の観光名所と目されるだけのことはあって、特に北方の鵜の巣断崖は、海面からまっすぐに切り立った高さ200メートルほどの断崖が波に削られて5連の弓状に見えるという、なかなかの奇観だった。

ここでは夏の間、地元で「ヤマセ」と呼ばれる海からの寒冷な風が吹くと、海面近くに雲が発生し、まるで山で見られる雲海の様な光景が現れるそうだ。資料写真だけ見たけど、是非一度この目で見てみたいと思った。

ちなみに「鵜の巣」断崖の名は、この断崖の中腹にウミウの巣が多いことから付けられたそうだ。

また、かつては断崖直下の海辺を先ほど通過して来た槇木沢川漁港まで、また槇木沢川漁港からさらに北、大休止した白池海岸まで、要所要所を隧道で抜けて歩くことの出来る「鵜の巣断崖自然歩道」があったが、先の震災による地盤沈下によって現在は不通となっている。

なお、ここ鵜の巣園地も田野畑観光乗合タクシーの乗降ポイントなので、ここをその日のスタートまたはゴール地点にすることも可能だ。

トイレを借り、水筒に水を補給すると、鵜の巣園地を15:00出発。

鵜の巣断崖にいる間はちょっと雲が出ていたが、歩き始めるとまた晴れて来た。しばらくは海を背に内陸に向かってまっすぐ伸びる舗装道路の端を、溜まった落ち葉を踏んで歩く。往来の車が多くて気を遣った。

10分ほど歩いたところで、道路の南側にトレイルの入口を示すMST標識「小本川8.1km/鵜の巣断崖0.8km」(SOBO/175.74)あり。そのすぐ横に「体力的難路」の標識も立てられている。

これが先ほど二戸の男性も言っていた、MST全区間で唯一の「体力的難所区間」とされている、小本川河口までの約8キロの非舗装区間の北端だ。

しかし今日は小本までは行かず、マップブックの距離にしてあと約3キロ先の「御殿崎園地」でテント泊する計画だ。

しかし約3キロと言っても、この体力的難所区間であと一度、大きなアップダウン(170メートル下り&170メートル登り)をクリアしなきゃならない。更に今、既に15時を回っている。暗くなる前に着きたいが、時間的にも体力的にもギリギリのセンってところかな(途中、道草ばっか食ってたから自業自得ではあるが)。とにかく、焦らず急ごう。

歩き始めてすぐ、斜面を50〜60メートルほど、弥生沢のほとりまで下る。沢を越えるとまた登りになるが、この沢の南岸に沿って田野畑村と岩泉町の町村境が伸びているので、15:20、ここで岩泉町に入ったものとする。

すぐに尾根筋に出た。この尾根筋の一帯は間伐して間もないのか、木々が疎らで日光が良く入って明るい。左手、つまり北方に先ほど越えて来た鵜の巣園地の尾根筋を眺めながら、森の中の林道を尾根伝いに海の方向に歩く。

尾根筋を30分ほど歩いたところで、急な下りになった。地形的に位置的に、ここはもう「なんとか岬」だな。この後すぐ、一ケ所、急なギャップの鎖場があり、そこを過ぎるとすぐに急な下りの階段が現れた。階段とは言ってもかなり急でラフでタフ。こーゆー時に集中が切れるのが怪我の元、意識してゆっくり、慎重に下る。

この頃になると陽も目に見えて傾き始めており、木立の向うに広がる海面からの照り返しも柔らかみを帯びて来た。重い荷物と疲れとで足元は覚束ないが、時々は立ち止まってカメラのシャッターを切った。

16:30、ようやく下り切って海岸に出る。

ここは公式マップブックもグーグルマップも「須久洞(すくどう)漁港」と記載・表記があるのだが、それらしい建物や施設らしきものが何も見当たらない。流れ込んでいる川にも名前が無く、これまで通過して来たこうした小さな海岸では、たいていは沢伝いに通って内陸の集落とを結んでいる道路があったものだけどそれも無く、車両でのアクセスは不可能の様に見受けられた。どんなやり方で漁業をしていたのだろうか。謎だ。

ただ、波打ち際から離れた岩陰に、漂着ゴミを回収してまとめて置いてあったところから察するに、海からのアクセスによって何らかの漁業に利用されてるのだろう…などと無理矢理気味に自分に納得させる。

波打ち際に出て北方を望むと、昨日から歩いて来た弁天崎から鵜の巣断崖まで連なる海岸線が一望出来た。おぉ、こうして振り返って見るとなかなか頑張ったなぁ。ここまで来ればもうあとひと息、あとひと登り…なので、周辺の写真など撮って少し長めに休憩。

巨岩の傍らにトレイルの入口を示す小さなケルンあり。16:50スタート。

陽がよいよ傾いて来ていて、もう斜面の下生えには陽射しが届かなくなってきている。ラストスパート、頑張って登る。

須久洞漁港を振り返る

【画像】須久洞漁港を振り返る

やがて前方がひらけて、なだらかな斜面に広がるパークゴルフのコースが現れる。その向こうの台地の上に、事前調査で把握していたトイレ棟らしき建物が見える。ここからは見えないが、高台の上は駐車場に違いない。

ゴルフ場では地元のご年配の方々がちょうどプレイ中で、お邪魔したらいかんなぁとトレイルの見極めに迷っていると、そのうちの一人が「そっちそっち!そこさまっすぐ横切ったらいいがら!」と大声で誘導してくれた。

ありがたく言われるがままにゴルフコースを突っ切り、トイレ棟を目印に最後の斜面を登り切った。

台地の上はやはり駐車場になっていた。MST標識「小本川5.4km/鵜の巣断崖3.5km」あり。「御殿崎自然休養林」(SOBO/178.55)17:20到着。本日の行程、ここまでとする。

今日は約14キロ歩くのに10時間弱かかったんだなぁ。道中あちこちで随分と道草も食ったから、まぁこんなもんで上等か。我ながらよく歩いたもんだこの大荷物背負ってこの暑い中を。

ここ「御殿崎自然休養林」は岩泉町の町営?で、水尻崎(みっしりさき)の海岸段丘を利用して設けられた野外活動公園?(だった)らしかった。

今回は着いた時間も遅かったし、既にヘトヘトでもあったので探索はしないでしまったが、バラエティに富んだフィールドアスレチックのコースが売りだったようだ。

しかし近年はほとんど手入れもされていないようで、海を見渡せる展望台(御殿崎展望台)への遊歩道も荒れるに任されて藪漕ぎ状態だという。

トイレ棟のそばに建てられてる案内板にも「アスレチックは老朽化により撤去しました。『みちのく潮風トレイル』のトレッキングをお楽しみください」とシンプルに貼り紙してあるだけだった。ロケーション的に、ちゃんと整備すれば、鵜の巣断崖の向うを張れるくらいのポテンシャルは持っていそうに思うがなぁ。

キャンプサイトは案内板とトイレ棟の奧の、おそらくもとはなんらかのアスレチックのエリアだったと思われる木立に囲まれた広場。全体的に北に向かって緩やかに傾斜している。

サイトの一番奥辺りにひとつだけあるキャンプテーブルのそば、一番具合の良さそうなスポットには、昨日、明戸でも一緒して今日も抜きつ抜かれつしていた女性ハイカーのものらしいテントがすでに張られていた。サイトの入口近く、彼女のテントから十分に距離をとった位置に陣取る。

とにかく暗くなる前にテントを設営してしまおうと荷解きを始めたところに、恰幅の良いおじさんが軽トラでやって来た。

地元ナンバーだし、好い加減に着古した感じのデニムのオーバーオールといういで立ちから、近所の農業か畜産の方と推察した。普段からこのサイトの面倒を見てくれているそうで、今夜泊まることを伝えると、差し入れの缶コーヒー(それも2本!)を手渡してくれながら、
「トイレはいつもは夜は施錠してるけど、泊りのキャンパーがいる時は開放してる。照明だけこまめに消して」とか、「そこの水道、最近、上水道を通したからそのまま飲んで大丈夫」とかの簡単な説明をしてくれた。

先述の通り、トイレ棟のそばの水場は飲用不可との情報を得ていたので、今回、新たな装備として浄水器を持って来ていた。でもまぁ実際、面倒臭いから水道水がそのまま使えるのは本当に有り難い。ちなみに以前はすぐ近くの溜め池の水をポンプで引いていたのだそうだ。

「今日はまだ来そうかな?」「昨晩、明戸で一緒だった外国人のコンビが下の浜まで来てた。もう暗くなるから多分彼等もここで泊まると思う」
そんなやりとりの後、おじさんは家に帰って行った。

なお、ロングトレイルの世界では、このおじさんのようにトレイルの維持管理に協力し、ハイカーを応援してくれる人たちのことを「トレイル・エンジェル」と呼んでいる。

エンジェルおじさんを見送ってから、いそいそとテント設営。寝た時に頭の方が高くなるよう(且つ北枕にならないよう)、地面の傾きに注意深しながら。今宵一夜の寝心地を左右する大事な作業である。

荷物をテントに引っ張り込んで、寝袋の支度まで済ませた頃には、辺りはもうすっかり暗くなっていた。ヘッドランプの灯りで、昨晩と同じような献立の夕飯を簡単に済ませて一服すると、ようやく人心地着いた気がした。

寝袋に寝転がり今日のレビューをしつつ、ウトウトと寝落ちしかけていたところに、テントの外からざっしざしという足音と、続けて日本語で会話する声が聞こえて来て目が覚める。

腕時計を見ると、21時前くらい。二人連れの男性ハイカー到着。

挨拶もそこそこに、エンジェルのおじさんに代わってお節介にならん程度にトイレと水道について説明してからテントに引っ込んだ。

二人のやりとりを聞くともなしに聞いたところ、一人はNOBOでスルーハイク中で、もう一人は行きずりのセクション・ハイカーで、今日はたまたま道連れになったらしかった。

二人とも手早くツェルトを張ると、すぐに夕飯して速攻で寝たようだ。

俺と女性ハイカーのテントの間のスペースに二人並べてツェルトを設営してたのだけど、どっちか一人のイビキがすごかった。俺にまで聴こえたくらいだから、あとの二人にもめっちゃ聴こえてたろう。御愁傷様。

それでも昨夜の明戸キャンプ場に比べると、今夜は寂しいくらいに静か。

海からの風が強く吹き始めたらしい。時折、強くゴォッと鳴る。

木々の揺れる音を聞きながら眠りに落ちる。

結局、外国人コンビは現れなかった。

2023年5月5日(金・祝)

朝5時半頃に起床。

エンジェルおじさん、6時前頃、今朝は犬の散歩がてら歩いて見に来てくれた。犬が懐っこくてとても可愛い。

おじさんによると、昨日あの後、外国人コンビが現れて「岩泉小本まで歩く」って言って進んでったとのこと。

女性ハイカーは6時半頃ご出発。こりゃ今日はもうさすがに追い付けなさそうだな。

御殿崎自然休養林のキャンプサイト

【画像】御殿崎自然休養林のキャンプサイト

朝食の後、テントの入口を開け払って、コーヒーを啜りながら、昨夜、寝落ちしちゃってし損ねた今日の行程の予習。

微風、しかし冷たくはなく丁度心地よい。鳥も近くで遠くで、たくさん鳴いている。誰か通りかかっているのだろう、遠くでおじさんの犬の鳴く声もする。穏やかな朝だ。

バッテリー残量が40%切ったスマホに、念のためレンタルバッテリーからチャージしつつ、今日の岩泉町の天気予報をチェック。

終日晴れ。気温は最高27℃最低14℃…急ごう。この涼しさを利して早いうちに距離を稼いでおかなくては。

8時頃、NOBOの男性コンビが出発。撤収作業の手を止めて見送る。

ふと気になって、昨日、外国人の二人連れを見なかったか聞いてみた。岩泉小本の駅でそれらしき二人連れを見かけたとのこと。

昨日、あの時間から本線の自然歩道を歩いたとも考えにくいから、おそらく内陸に向かう村道を歩いて国道45号線に出たのだろう。気になってたのでちょっと安心した。

08:25、御殿崎自然休養林を出発。

一番最後の出発になったけど、これでもほぼ計画通りのタイミング。

今日はまず昨日からの「体力的難所区間」の続きを含む、岩泉小本までの約7キロを4時間前後で歩き、「浜の駅おもと愛土館」で昼食。摂待まで足を延ばすか否かは、其処で検討する、といったスケジュール観で歩き始める。

駐車場から続く舗装道路を歩くこと10分ほどで、MST標識「小本川4.7km/鵜の巣断崖4.2km」あり。ここで村道から非舗装の作業用道路に反れる。作業道はじきにどん詰まりになり、MSTの標柱とマーカーに沿って自然歩道に踏み入る。スタートからここまで30分弱といったところ。

9時頃に「ナラ枯れ防除事業」の看板の設置された林道の分岐に行き当たったが、その辺りはちょっとトレイルが判りにくかった。

マップブックに「道迷い注意」の記載のある辺りで、次のマーカーも踏み分け痕も見付けられず、来た道を分かるところまで戻ったりして、なんとかトレイルに復帰したかと思ったら、すぐに名も無い細い沢まで急傾斜を下った。MST標識「小本川3.4km/鵜の巣断崖5.5km」あり。ここで9時半。

ちょっとの間、この沢に沿って下流、すなわち海の方向に向かって歩く。

ふと目を遣った沢の淀みの岩陰に魚影を目撃。御殿崎のエンジェルおじさんもそう言えば、この辺りの山中で渓流釣りするって言ってたっけ。

トレイルの脇、薄紫の花びらの大きな花(シラネアオイ?)の正面で蜜を探すクマンバチがホバリングしている。ついさっきはリスが立ち木を駆け登るのを目撃したし、白く小さな花をたくさん付けた木(ガマズミ?)も可愛らしいし、この辺りでは何かと目を愉しませてもらうこと多し。

この沢から再び斜面を登って、再び海岸段丘の縁に出る。

やがて前方で両側の木立が切れて、その向こうが明るく開けて居るのが見える。1キロほどだろうか、トレイルから陸側がかなり大規模に皆伐されている。「ここもか・またか」という気分になる。

ここまできれいさっぱり森林をなくしちゃってどうするんだろうか。この辺りの海岸段丘のなだらかな傾斜地は、かなりの部分が牧場として利用されているらしいから、もしかすると新たに放牧地を拓くためなのかも知れないけど、それにしてもここまでバッサリやっちゃって大丈夫かと心配になる。

10時過ぎ頃、林道との分岐、おそらく(SOBO/181.83)地点で皆伐地帯から林の中に戻る。MST標識「小本川2.0km/鵜の巣断崖6.9km」あり。

そのすぐ先で、またも海岸段丘から細い流れの沢まで100メートルほど下った。地図で確認すると「滝臀沢(たきしりさわ)」とある。この沢でも落ち葉だまりの下に魚影を見ることが出来た。

ここからは最初は滝臀沢に流れ込む支流に沿って登る。沢は今はほとんど枯れているが、大雨か何かで生じたらしい倒木や斜面の浸食でややラフ。

少し登ったところでトレイルは沢筋を離れ、幾らか歩き易くなってきた。これを登り切ったら小本川の河口地帯が見えてくるはずだ。

11時頃、坂を登り切って鞍部に出た。

ここでも森林の伐採が進行中らしく、まばらになった立木の向う、眼下に小本漁港の防波堤が見えてきた。下りに入る手前で小休止。

11:15再スタート。眼下の小本漁港に向かって斜面を下って行く。

やがて漁港の防潮堤の北端部が見えて来た。

その手前の、地図上はトレイルの出口のある辺りが、これまた大規模な伐採作業現場だった。こちらは今まさに作業が進行中(今日はさすがに休日だからか作業もしてないらしく静かだけど)らしく、切り口の真新しい切り株がそこら中に顔をのぞかせているし、土と松脂の匂いが漂う。

どこがトレイルなのかの見分けがつかないので、とにかく歩き易そうなところを選んで下って行く。

車道の手前の資器材置場には、樹皮を剥かれて10メートルくらいに切り揃えられた丸太が山積みされていた。数台の大きなユンボの間を抜けて車道に出る。

車道側から見上げると、下って来た時には見えなかった、MSTの利用者数カウンターと、昨日も見た「体力的難所区間」の標識(SOBO/183.81)があった。カウンターはもちろん押して「13」にした。

もともとはここにトレイルが通っていたハズだが、そのすぐ上方で丸太を積み上げた土留で通せんぼされた形になっていて、なんとゆーかあまり歓迎されてないような嫌な気分になったので、そのまま車道に出た。車道脇にMST標識「鵜の巣断崖8.9km/熊の鼻展望所3.0km」あり。ここで11:40。

今は空は薄曇り。昼食はこの小本川の対岸にある「浜の駅おもと愛土館」で摂るつもりだから、まだ少し早いようだし、ちょっと寄り道して小本川の河口付近にある龍甲岩を見に行く。

堤防沿いの道を海に向かって数分で着く。河口北側の先端に屹立する巨岩。陸側かなり遠くからでもよく見えるランドマークだ。

来た道を先ほどのMST標識まで戻り、防潮堤と小本川水門の上を歩いて対岸に渡る。また陽が照って来た。

この水門の東側の平地には、かつては防潮林が広がり、夏のキャンプなどのレジャーの場として親しまれていたが、先の震災の津波で消失、再び防潮林を復活させようと1万本ものクロマツを植栽したそうだ。

この平地のすぐ陸側に標高130メートルほどの高台があり、小本のこじんまりとした集落はその高台のふもとに位置している。町役場の支所、支所の向かい側にはもう使われていないらしい学校の校舎、神社と寺、それに二、三の商店や理髪店、そして前述の「浜の駅」が固まっている。

水門側から見ると、小本川に相対するようにゴツいコンクリートの防潮堤が屹立している。この防潮堤の端から上流方向にゆるやかな坂を下ると、すぐ左手に「浜の駅おもと」の広い駐車場。

「浜の駅おもと愛土館」(SOBO/185.15)到着。

丁度、正午。ここで大休止とする。

陽射しが強く暑くなってきたので、敷地隅の配電盤の日陰にバックパックを下ろして、まずはトイレをお借りした。それから店内を冷やかし、催事で地元のお母さん方が焼いてた「鮭ん棒」(鮭のすり身のさつま揚げみたいなもの)を2本買って食べる。320円也。普段食べるにはちょっと塩気強めかもだけど、うんと汗かいてるので嬉しいお味。

さて、今日はココからあとひと山ふた山超えた約7キロ先、さんてつ摂待駅をゴールにする計画だったんだけど、いよいよ暑くなってきたし、正直、もうちょっとしんどいし、どうしようかな…次回以降のプランを考えると、もちろん、摂待まで歩いておければそれに越したことは無いが…

まぁ、切り上げるか続行するかは、とりあえず近くのお寺マークと神社マークを訪ねてから考えることにしよう。12:45出発。

まずはお寺。宗得寺。

それなりに古びた印象のお寺。でもお寺そのものよりも、境内に上がる石段の手前に建てられた幾つもの石塔の方に目を引かれた。

明治、昭和の大津波の犠牲者の慰霊碑と並んで、ひときわ大きくて立派な石塔には「平和祈り之塔」とあり、前面には小本とその近在出身の、太平洋戦争での戦死者の氏名・階級、出身地、亡くなった場所の地名までもが刻まれていた。脱帽し両手を合わせる。

社殿に上がる急な石段の手前には、稲荷神社らしき朱塗りの祠もあった。

うっそうとした森に囲まれて、なかなか雰囲気あるんだけど、先月くらいに春の例祭などが行われてたとして、それからひと月かそこらくらいのこの時期にしては、石段の上に積もった落ち葉の厚さ、境内の雑草の伸びっぷりなどがちょっと気になった。察するに、近年はあまりちゃんと手入れされてないんじゃないかと。

八幡様と言えば武神、かたやすぐそこのお寺は戦争の犠牲者をねんごろに慰めていて、一方で武の神さまのお宮は荒れるに任されている(?)…のだとすれば、これはまた興味深い対比だなぁ。

それでも最大限の敬意を払ってお参りを済ませて、MSTの入口(山門の鳥居のすぐわきにあった)を確認。

ここで決めた。今回はここで切り上げよう。

摂待まで、あとひと山なら続行したかも知れないけど、ふた山だからな…もうヘトヘトだし、これから一日で一番気温が高い時間帯になるし。

次回以降のことは帰ってからまたゆっくり考えれば良かろう。

と言うわけで、折角なので上りのさんてつの時刻まで、周辺を散策することにした。

小本川水門の上流で小本川に架かる小本大橋を渡る(ちなみにここは既にトレイル本線ではない)。さんてつの線路の海側、小本川の河口に至る平地は、水田や農地、それに漁業施設などとして利用されている。その真ん中を貫く国道45号線沿いにはコンビニや郵便局、入浴施設(「小本温泉」機会があったら寄ってみたい)などもあり、それなりにひらけた印象。

先ほどの八幡様とは小本川を挟んでちょうど対岸にある神社マークが気になるので、お参りに行くことにする。

浜街道の旧道と国道45号線の交わる変則交差点を鋭角に折れて、沿道の御一家が、こどもの日の?ホームパーティーを開いてるのを尻目に、すぐそこの釣具屋を通り過ぎたところを曲がる。

そのまま道なりに歩いて行くと、さっきトレイルから出て来た伐採現場に戻るのだけど、すぐ左手に目的の神社の鳥居が見えた。

地元の神様の御遣いに遭ったかもという話

扁額には「白山神社」とある。参道がすごい急傾斜。誰かが手入れをしているのか石段は掃き清められていた。

必死で登って形通りにお参りを済ませて、さてこの石段を降りるのか…と思ったところに、先程のホームパーティーのパパさん二人?とチビさんたち5人、お散歩にでも来たのか参道を上がって来るのが見える。

こちらはバカでかい荷物背負っててバランス悪いし、チビさんたちは読めない動きすることがあるから、急な石段の途中で交錯するのは危ないかなと思って、チビさん達が登り切るのを待つことにした。最後の数段まで登って来たところに「がんばれー、はい、到着ーっ!」とか応援もしちゃったり。

チビさん達はまだ3歳前後くらい?一番年下と思しき男の子なんかパパに抱っこして貰って来てた。皆、可愛らしくて思わずこちらの頬も緩む。

全員が登り着くと、中でも一番年上らしくおしゃまな女の子が、「はい、写真撮ろぉっ」と早速、本殿の軒下に座り込んで、パバさん達に写真をせがみだした。こちらは「イマドキのちびっ子ってヤツぁ」と思わず苦笑してしまったが、パパさん二人はためらい顔を見合わせてた。

折角、頑張って登って来たんだし、神様にはおことわりして撮らせて貰ったら良いじゃんと思ったので、「大丈夫ですよ、神様だってお子さん達やったら怒ったりしませんよ。(スマホお持ちやし)撮りましょうか」と声をかけた。しかしそこは分別あるパバさん達、「ちゃんと神様にご挨拶しよっ!それからねー」と、お祈りの鈴と提げ紐にめっちゃ食いつくチビさん達(猫みたい)を、かたちばかりにもお参りさせて、それから俺がパパさんのスマホで皆の写真撮らせて貰った。

白山神社の参道を下りる。

【画像】白山神社の参道を下りる。

一行が無事に降り切ったのを見届けてから、こちらも降下開始。いや、こんな長くて急な参道、なかなか無かったぞここまで。

「お騒がせしてごめんなさい、ご無礼ご容赦を」と、鳥居の前で深々一礼して、さぁ歩き始めんとすると、海の方から軽トラが上がって来た。

運転席のご老人に挨拶かたがた、神社の石段が掃き清められているって話をすると、「昨日が祭りの日だった」とのこと。うーん、お向かいの八幡様のうらぶれぶり(失礼?)を思えば、こちらの扱いは破格だなあ。

軽トラを見送ってから、「うーん、しかし、通りすがりの余所者が、地元の神様に無礼だったかな…あのご家族連れには祟りませんように。祟るなら(あまりキビシイのは困るけど)俺に祟ってね…」などと念じつつ、先ほど来た道を戻っていく。

…と、道路の真ん中に何か細長いものが落ちている。ヘビだった。ヘビは神様のお遣いだと言うから、ここでお姿を見せてくれたと言うことは「チビさん達に免じて許す」と伝えにお出ましになって下さったに違いない。

…と、思っておくことにする(いつになくお賽銭をフンパツした甲斐があった)。往来の真ん中に長居されて、車に牽かれでもしたらいかんと思い、追い立てて反対側の藪にご退去頂いた。

先程のホームパーティーのお宅を通り過ぎ、国道の交差点で信号待ちしてると、先程のパバさんの一人がチビさん連れて追いかけて来て、「さっきはありがとうございました、これどうぞ」と、冷たいオレンジジュースを手渡してくれた。なんてありがたい。信号渡ると早速、頂いた。

思えばこの二、三日、甘酸っぱいものも冷えた飲料も口にしてなかったから、まさに五臓六腑に染み渡るってヤツだった。それになんといってもお気持ちが有り難かった。なんだかちょびっと非日常的で、新鮮な経験だった。

信号を渡って先、さんてつの駅の北の高架まで、北側の海岸段丘のふもとに沿って伸びる旧道(三陸浜街道)を歩く。

この旧道沿いがかつての小本村のメインストリートだったらしく、道路に面して昔は商売屋だったと思しき古い作りの住宅や、立木の根元に古い石塔や庚申塔が半ば埋もれていたりと、昔の街道筋らしい佇まいをみせている。

石塔には江戸時代の元号のものもあったりして興味深かった。先ほどの白山神社でも、境内の一対の狛犬の片方は大正、もう一方は慶応って彫られていたもんな。やはり古い時代から開けた場所なのだろう。

岩泉小本駅。14時過ぎくらいに到着。今回の行程、ここで完了とする。

今日はトレイル本線約7キロを含む10キロ弱を6時間で歩いたことになる。摂待駅までの計画だったけど、まぁこのくらいにしとこう今回は。

この駅では2016年の秋、岩泉町での水害の支援ボランティアに参加した折に降りたことがあった。駅前から出てる路線バスで岩泉町のボラセンに向かったんだったな。

その後もさんてつで幾度と無く往来したけど全部素通りだったから、今回はこうして歩いて来ることが出来て感慨深かった。

荷物を下ろすと、真新しくて清潔なトイレをお借りして、広い洗面台で顔も洗ってさっぱりする。1階の喫茶スペースのあるホールで展示されている震災・復興関連の資料や観光情報などを眺めて宮古行の列車を待った。

宮古行の岩泉小本15:14発/宮古15:49着の列車は、昨日も島越駅で遭遇した「三陸元気!GOGO号」だった。

「宮古駅にて「三陸元気!GOGO号」ラッピング車両」

【画像】宮古駅にて「三陸元気!GOGO号」ラッピング車両

宮古に着くと、まずは常宿、宮古セントラルホテル熊安にチェックイン。部屋で荷解きして、シャワー浴びて一息つく。近頃はこうして宿のベッドでウダウダ過ごす時間が楽しく感じられるようになってきた。

夕方から街へ。今回はいつもの「笑びす」は店休日だったので、予め目星を付けておいたお店を数軒回ってみて、一人呑みがラクそうな「大ちゃん」という居酒屋をチョイスして一人打ち上げ。

なかなか流行ってるというか、この後の予約も沢山入ってるらしかった。連休で帰省した仲間同士とかの宴席が多いのかなと推測。特に海鮮ピザが美味かった。

カウンター席で、ほろ酔い加減で考えたこと。

MSTだけでも、歩き始めてからそこそこ経ったけど、行く先々で特産品、名物、名所色々あるけど、全部をカバーするなんてやっぱり無理だよなぁ。今回も押さえたものより取りこぼしたものの方が多いだろうな。

限られたリソースの中で、広く構えれば浅くなるし、深掘りしようとするとカバー出来る範囲はどうしても狭くなる。あーでもない、こーでもないと試行錯誤しているうちに、時間はどんどん&淡々と過ぎていってしまうし…悩ましいところ。だけど、それがまた次の旅へのモチベーションになってるってのもあるかも知れないな。

駅前の交差点角に新しく出来てたセブンイレブンで、明日の朝食の買い出しとキャッシュの引き出しして、宿に戻る。三夜ぶりのベッド、あっという間に寝てしまったのは当然。

2023年5月6日(土)

スマホのアラームで08:00起床。

昨夜、雨が少し降ったらしく、路面が濡れている。今は止んでいる。

昨夜は細切れに目が覚めたりしたので、まだまだいくらでも寝ていられる感じだけど、ノロノロと起き出して、顔洗ったりヒゲ剃ったり、部屋に備え付けのお茶を淹れて、昨晩、コンビニで買ったチョコクッキー食べたり…とかしてたら、あっと言う間にさんてつの時刻が迫って来たので、いそいそとチェックアウト。

今日はさんてつで釜石まで行ってJR釜石線に乗り継いで、遠野で途中下車してラストランの近いSL銀河の勇姿を遠野周辺で見物しようという計画だったのだけど、あいにくと昨夜から天気が崩れて、遠野に着く頃には大荒れになりそうな予報だった。なのでSL銀河見物は断念し、その分、朝、ゆっくりして、あとは所期の旅程で盛岡着時間は予定通り、とした。

後半、失速の感は否めないものの、昨日まで十分頑張ったと思うし、今日と明日はルーズにいこう。そう言えば一昨年もだったかも、テント行の後、雨の中、大槌を訪ねたっけな。

宮古駅で今回二度目の「みやころっけ蕎麦」で朝食。

さんてつの車窓風景を眺めながら思ったこと。

牧歌的な田畑の風景や懐かしい街角の佇まいなど、余所者としては残していって欲しいと思うけれど、それらがそのまま残っていくってのは、難しいんだろうな。

その景色の中で暮らしていく人たちもまた、より良い、より快適で、安心な生活を望むことは当然だし、それらが個々に希求追求されていく過程で、変わって行くもの・失われていくものがあるのは当然だし、それを残念だとかって言うのは余所者のエゴだと言われても仕方ない。

一方で、余所者もで地元の人たちでもない、より大きな括りの中で、守り維持しなくてはならないものもあると思う。

例えば、MSTに限らず、あちこち行ったり来たりしていてよく見かける森林の皆伐現場や耕作放棄地に敷き詰められたソーラーパネルなどは、もっと否定的に扱われなければならないと思う。

近頃よく言うSDGsとやらの見地からも、農地や山林は、手を入れて本来の機能を維持した方が、断然、サステナブルなハズなのだ。経済的にペイしなくちゃ困ると言うなら、ペイするような仕組みを知恵や工夫で創っていくべきだ。そういった道理が通るような世の中であって欲しい。

列車は大槌通過。うーん、やはり年に一度は来て訪ねておきたい。年内は秋にあと1回だからな、なんか考えよう。鵜住居辺りから雨が降り始めた。

釜石に定刻着。乗り換えの30分ほどでシープラザを冷やかして、駅の立ち食い蕎麦屋で早めの昼食。リアスラーメン旨かった。スープも全部飲んでしまった。二食続けて麺。

釜石を定刻12:09出発。

遠野までの沿線では、あちこちでSL銀河お目当てのギャラリーがクラスタ化していた。6月のラストランまでエスカレートが続くだろう。

遠野駅もお客さん大勢いた。遠野周辺を通過する頃には雨は降りそうで降らない空模様。これなら当初の予定通りでも良かったか。ま、悔やむまい。

釜石線沿線も遠野以東では、まだ田植えはしてなかった。早い田んぼでもようやく代かきしようかってところ。それが新花巻辺りまで来ると代かきが本格的な段階、どころかもう田植え済んでるトコもあった。面白い、さすが岩手県は広いってことか。同じ県内でも沿岸と内陸とで、田んぼの進捗にもこんな差があるんだなぁ。

終点・花巻に定刻着。

東北本線に乗り換え盛岡へ。今日は鉄道旅の一日だった。

盛岡は駅もホテルもお客さん一杯だった。

常宿R&Bホテルにチェックイン。部屋で横になってうだうだと一休みしてから、外出。まず新装なった坂口酒店に行く。なかなかコジャレて明るくなった…だけでなく、店内で角打ち出来るようになってた…これでまた盛岡での行動の選択肢が増えてしまった。常温で持ち帰れる銘柄を4合瓶1本飼う。

しかる後、木伏緑地に行き、東北ドリッパーズのプレオープン店舗を訪ねてみた。社長手ずからの濃いめのカフェラテを頂く。

それから予約してたいつもの「ももどり食堂」でしっかり飲んで食って、2軒目(3軒目か)、「トレジオンルリエ」のカウンターで〆の一杯飲んで、ホテルに戻って即寝る。

2023年5月7日(日)

スマホのアラームで05:30起床。

昨夜、半ば寝ぼけながらスマホでチェックした天気予報によると、今日は交通機関に影響が出る恐れがあるほど天気が崩れるとのこと。早めに帰り着ける予定だからまぁ大丈夫とは思うけれど。

ホテルの朝食ビュッフェ、ひさしぶりに利用したけど相変わらず美味しいな。多過ぎず少な過ぎずのボリューム感。

余裕をもって7時にはチェックアウト。

新幹線改札内の早くから開けてるお店でお土産購入。今回は道中であまりアレコレ買い物しなかった。テント泊仕様で、ただでさえ重くて嵩張る荷物をこれ以上大きくしたくなかったし、さすがにこれだけ頻繁に同じところを訪れていると新味が無いってのもある。

今回はしかし、ちょっと盛り込み過ぎたな。歩きは岩泉小本までにしといて、その日のうちに盛岡まで出てしまって、昨日のうちにゆっくり帰るようにしとけば、今日は一日、ゆっくり片付けも出来たろうに。

それと、初日もいつものように宮古までの移動に一日かけても良かった、無理して夜行バス乗らんでも…とか、反省は今時点でも既に色々ある。が、まぁ、帰宅してからゆっくりまとめることにしよう。

はやぶさは盛岡で乗車率8割くらい?で、仙台、大宮で順当に席が空いていって、東京で降りる乗客はむしろ少なめに感じられた。だが、東京駅は、やっぱり混雑。それでも乗り継ぎ時間に余裕を持たせてたので慌てなくて済んだ。トイレにも寄れたくらい。そう、トイレと言えば、東京駅ではトイレのハンドドライヤーの使用が再開されててちょっと驚いた。

東海道新幹線は特にダイヤの乱れなど無く、定刻通り昼過ぎには新大阪に帰着した。

13:20に帰宅。あーもー重たかった荷物!を卸すと、すぐまた外出。

今、旅モードを解除しちゃったら、多分もう何もヤル気にならないから、惰性で動ける間に済ませ得る用事は済ませなくては。

というわけで、隣りのファミマでモバイルバッテリーを返却し、その足でCOOPへ。まず吉野家で牛丼並・お新香セットで昼食し、食材の買い出しを済ませ、14:40帰宅。今回はこれをもってミッション完了とする。図らずも最初と最後に吉野家だった。

御殿崎自然休養林に着いて、エンジェルおじさんと話している間、ある時を境に周囲を急にハエや他の羽虫が飛び始めた。おじさんも「急に出てきな」と言っていた。翌日も特に日が高くなると増え始めたような気がする。

まさにあの刹那、春が初夏に切り替わった。そうゆう「季節のギアが一段シフトアップした」ドンピシャのタイミングだったように思われる。

そして自分にとっては、特に重装備ハイクは4月と11月くらいが適期で、「GWあたりはもう、いかに東北と言えど日中は暑くてしんどい」という、平生からの漠然とした認識が確信に変わった瞬間でもあった。

さらに装備と言えば、今回見かけた他のテント泊ハイカーと比べて自分の装備が明らかに大きく、そしておそらくは重い。何が違うんだろう?

今回、これでも荷物は最低限に絞ったつもりだったんだけど、MST随一の体力的難所区間だったとはいえ、身体的にかなり堪えた。

調理器具類は軽量化の余地がありそう。ただ、愛着あるし、ある程度自分なりの使い方も定まっているから、あまり手を加えたくないのも事実。

テントは今回もダブルウォールでペグインするタイプ(総重量2kg弱)のを背負って歩いたが、これをツェルト(1sくらい)に代えるのも手か。

NZ遠征の際も基本的にはHUT(小屋)泊だし、緊急避難的に使用するならそれこそツェルトでも十分そう。少なくとも夏場ならば。

あとは、そもそもバックパックが重いかも。愛用のマックパックGlisade/75Lは空荷で重量3sちょいもある。そのうえ、本文中でも触れたが正直、適切にフィッティングが出来ているかイマイチ自信が無い…まぁこれも愛着あるものなので、心情的に手放し難いので余計に悩ましい。

とはいえ、いろんな点で今回くらいの条件が自分のテント泊行の限界だと分かったことは収穫だった。MST、まだまだ先は長く、テント泊が必要になることも一再ならずあるだろうから。

そして、認めたくはないが(加齢に因る)体力的な衰えも考慮すべきレベルに近付きつつあることも改めて実感した。これはについては避け難いとしても、なんとか足掻けるだけ足掻いて、出来るだけ踏み止まらなくては。

つづく