2024年08月03日公開



〜 これまで 〜

2019年秋に青森県八戸市をスタートし、岩手県の沿岸地域を南下中です。

前回は5月、みちのく潮風トレイルのビジターセンターのある北山崎(田野畑村)から、さんてつ岩泉小本駅までを途中テント泊二泊で歩きました。

本当はもう一駅南の摂待まで歩きたかったのですが、無理せず手前で切り上げました…が、こんな調子ではなかなか先に進みませんなぁ。

今回は、明治・昭和の津波で大きな被害に見舞われ「津波太郎」の異名をとり、先の東日本大震災にあっても津波によって大きな被害を出した宮古市田老地区までを歩きます。

この先は南下するにつれ、もちろん歩くこと自体の楽しさはこれまで通りあるのだけど、ここまで以上に過去の津波災害の爪痕を目にすることが多くなるだろうと思うと、やはりちょっと緊張というか、心持ち背筋が伸びるような気持ちがしています。


2023年11月2日(木)

15時半には退勤。さっさと帰宅してひと風呂浴びて。早めに家を出た。

モバイルバッテリーを例によって隣のファミマでレンタル。

新大阪駅で往路(東京まで)と復路(はやぶさ&のぞみ)の切符を発券。

新幹線フロアはすごい混雑。明日から三連休、当然と言えば当然か。

眠い。まぁ、今週はずっと忙しかったし、このところ夜、寝付きが悪いと言うか、眠りが浅いもんだから、尚更。新大阪までの快速、座ったら寝過ごしそうだったから、立って我慢したくらい。夜行バスでなるべく寝れるように、東京までは寝ちゃわないようにしなくちゃだけど、難しいかも。

それにしても、11月に入ったってのに、なかなか「肌寒い」ってとこすらいかないな。この三連休は夏日になるって予報が出てるくらいだし、今回は冬物ウェアの出番は無いかも知れない。

熊リスクについて

今回、特に気になっているのが、今夏から全国的に多発している熊との遭遇事案のことだ。郊外だけでなく、住宅地や市街の中心部にも姿を現して、ことにたまたまはちあわせた、居合わせた人間が危害を加えられるケースが毎日のように報じられている。

MSTの通るエリアも例外ではなく、先月だったか、宮古市の浄土ヶ浜付近の遊歩道で散策中の人がやはり襲われて大怪我を負ったという。

このように熊の出現が増えている原因として、熊のエサとなるドングリ(ブナの実)が今夏、記録的な凶作で、飢えた熊がエサを求めて人里に出て来ているのだと言う説明がされている。

が、それだけで説明がつく話ではないと思う。以下、自分なりの考察。

ここ10年くらいのスパンの話で、まず、東日本大震災の原発事故によって福島県に図らずも出現した広大な立ち入り禁止区域が、熊を含むさまざまな野生動物の一大生息地、繁殖地になったのではないか。

熊に限らず放射能のことなど分かるわけもない動物たちにとって、かつての人間たちのテリトリーに侵入するのは容易いことだったろう。そしてそこで生きるうちに人間の住環境に馴れてしまい、人間に対する本能的な警戒感が薄れてしまったのではないか。また、特に人間の近くには常に豊富に食べ物があると言うことと、その味を覚えてしまったのではないか。

また、10年もあれば親の代からこの区域内で生まれ育った「ネイティブ」の個体が現れていても不思議はない。人間の脅威がほとんどない環境下で、そうした動物たちが個体数を増やし、福島県から山間地づたいに本州全体に生息域を拡大したのではないだろうか。

次に、これもあの震災、なかんずく原発事故によってに現れた社会的な動きのひとつである「代替エネルギーへのシフト(の試み)」が、結果として野生動物の生息域を狭め、彼らをそこから追い出したのではないか。

この動きの中で、山間部の森林や耕作放棄地など、いわゆる「生産性」の高くない、言い換えれば金にならなくて所有者が持て余すような土地に、風力発電の巨大な風車やらメガソーラーなんかが建設されるようになった。これらによって生息圏を狭められた、或いは奪われた個体が、やはり餌を求めて郊外の田畑や集落にまで進出するようになったのではないか。

既に震災の前から問題視されていた日本全国のいわゆる過疎地において、耕作放棄地や無住の集落など、野生生物が生息域を拡大し易い環境が拡大を続けていることも、この傾向に拍車をかけてはいないだろうか?

また、新型コロナ禍によって引き起こされたとも言うべき近年のキャンプブームにあっても、不用意に野生動物に餌付けしたり、残飯を放置したりといった不心得な行為が頻発しているという。かくしてより多くの野生動物が人間の食べ物の味を覚えてしまっているであろうことも想像に難くない。

そして最後に、その新型コロナ禍を乗り越え、「さあ、やっとお外で遊べるね!」って雰囲気になって皆がひさしぶりに野に山に出かけ始めたことが決め手となって、今年のこの熊との遭遇事案の急増をみたのではないか…

実際、特に本州で補殺された個体については、DNAの解析などをしたら、ある種の偏りが観察されるのではないかと思っている。

…なんて、スマホでちまちま作文してる間に東京に着いた。

新幹線は、車内アナウンスによれば名古屋から品川までは指定席もほぼ満席とのことだった。八重洲バスターミナルも人多い。宮古までのバスはまぁまぁの乗車率かな?ハイカーらしき支度の人も幾人か目に付いた。

2023年11月3日(金・祝)

前回の反省から、昨夜のバスの車中では後席に遠慮せずにシートをフルリクライニングした。けど、そんなにぐっすり寝れたという感じはしなくて、朝方、それでも軽くまどろんだかな、と言った程度。新幹線の車内ではあんなに眠かったのに。まぁ、夜行バスにも慣れが要るかな。

バスは定刻に10分ほど遅れて宮古駅前に到着。

前回のGWの時もそうだったけど、バスは途中の道路の混み具合とかでどうしてもこのくらいの誤差は出るもんだ。定刻通りに着いてれば、一本早いさんてつにギリギリ乗れちゃえたとこなんだけど、まぁ、これで予定通りなんだから順調で上出来ってことだろう。

セブンイレブンで買い出しして、さんてつのトイレ借りて着替えと用足しを済ませる。駅の立ち食いソバで朝食。

07:52、さんてつ宮古駅を定刻発車。

さんてつ車内は思いの外、ハイカーの姿多し。

スマホで天気予報をチェックする。本日の宮古市は終日晴れで、気温は最低9℃、最高26℃と、季節外れの暖かさになりそうとのこと。なので、今日はタイツもゲイターも履かず、朝方だけジャケットとフリース着て、日中は半袖Tシャツで、という支度に決めた。

今回の区間と行程

いよいよ岩手県沿岸北部最大の街、宮古市中心部到達が近付いて来た。

今回、二日かけて田老(さんてつ新田老駅)まで歩き、次回(来年4月を予定)、もう二日間歩いて宮古市中心部に到達する見通しだ。

今回は初日の晩、岩泉小本と田老のほぼ中間に位置する「グリーンピア三陸みやこ」に宿泊するつもりでいたのだけど、いざ予約しようとすると「この時期ですと団体のお客様が多くて、お一人様宿泊はご予約お受け出来ません(閑散期なら可能かもですが)」とゆーつれないお返事。

さりとて途中のトレイル沿いにはめぼしい宿泊施設も無さそうなので、岩泉小本駅と宮古駅前を結ぶ岩手県北バスの「宮古岩泉小本線」の路線バスを利用し、初日、グリーンピア三陸みやこまで歩いて同バスで宮古に戻って常宿のビジホに泊まり、二日目は朝、また同バスでグリーンピア三陸みやこまで戻ってそこから田老まで歩き、さんてつ新田老(または田老)駅からさんてつで宮古に戻り、同じビジホにて2泊目。そして市内の居酒屋で一人打ち上げ、という計画にした。路線バスの車窓からトレイルから離れた沿線地域の様子を覗き見るのも面白そうだし、という考えもあった。

そして三日目はさんてつで、これも例の如く大槌詣でをして、JR釜石線で盛岡に出て盛岡泊。そして四日目は朝から新幹線を乗り継いで帰宅、という相変わらずの強行軍。

宮古に連泊しなくても、二日目、田老から宮古経由でその日のうちに大槌なり盛岡なりまで、行って行けないことはない。ただ、夕方、歩き終えてからから宿までがあまり遠いと、万が一、田老到着が予定より遅くなった場合、「飲み食い出来るお店が閉まっちゃった頃にしか宿に着けない」か、下手すると「宮古で宿なし・立ち往生」、或いは、先を急ぐあまり無理をして事故したり怪我したり…なんてことにもなりかねないので、ここはあえて宮古連泊として、歩くペースと移動時間に余裕を持たせることにした。

08:25、岩泉小本駅着。軽くストレッチなどしてウォームアップ。

08:45、岩泉小本駅から本日の行程スタート。

駅の玄関出てすぐ右手に観光案内板あり。これを見ると、岩泉町(下の画像の地図の濃い緑の部分)が、内陸部が広い割に沿岸部が狭いことが改めて分かる。隣接する田野畑村に北東部を圧迫されているかっこうとも言える。

【画像】岩泉町観光案内(駅前の観光案内掲示板)

【画像】岩泉町観光案内(駅前の観光案内掲示板)

同じことが北隣の久慈市にも言える。久慈市も南東部に野田村があることで、岩泉町ほどでは無いが海側の間口がすぼまっているかたちなのだ。

岩泉町は内陸部では久慈市と接しているし、それどころか野田村と普代村とも隣接しているので、より大きく見れば、久慈市と宮古市にまたがる海岸線が北から野田村・普代村・田野畑村の三ヶ村で半分以上ふさがれている、とも言えるだろう。

こんなこと言っちゃ三ヶ村の皆さんに失礼かもだけど、野田村と普代村は久慈市と、田野畑村は宮古市と、それぞれ合併したら形状としては大分すっきりしそうだなぁ。でもそれが「平成の大合併」でもそうはならずに、今のように三ヶ村が独立独歩でやってってるってのが、また面白いとこだなぁ。

09:15、小本八幡宮(SOBO/185.38)にお参りしてから出発。

厳密に言うと、駅からここまではMSTの公式なルートではないのだけど、まぁそんなことは大した問題じゃないのだ。

そんなことより、お参りを済ませて石段を下りる時、軽くコケた。前回、ちょびっと悪口書いちゃったから、バチが当たったのかも。気を付けよう。

鳥居の脇から急坂を上がっていく。ここから公式ルートとなる。林道、作業道、舗装道路との分離・合流がたびたびあった。その都度立ち止まって慎重に進路を見極めつつ歩いていく。

30分ほどで熊之鼻展望所(SOBO/186.78)に到着。

トイレと水道あり。古いけど手入れは行き届いていた。海の眺め良し。

ここでジャケット脱いで半袖半パンになる。日陰だとまだちょっと肌寒く感じるが、そのうち暑くなってくるだろう。地元の若者が二人、サイクリングに来ていた。そうか、今日は祝日だもんな。09:50、出発。

展望所から先は幅員の狭い舗装路を左に海岸線を眺めつつ南下。茂師集落の手前で、日本最古の恐竜「モシリュウ」発見の地を通過する。

「モシリュウ」は、昭和53年(1978)、この場所の斜面に露出した白亜紀の地層から発掘された。日本国内で初めて発見された恐竜とされている。

竜脚類(ブラキオサウルスに代表される、四足歩行で非常に長い首が特徴的)で、化石はその前足上部の骨の一部と推定されている。

化石の状態が悪く種の同定が出来ないことから、正式な学名は付けられておらず、便宜上、「モシリュウ」という通称で呼ばれているのだそうだ。岩泉小本駅1階の小本防災プラザで原寸大のレプリカを見る事が出来る(そう言えば見たような気がする)。

なるほど、ここまで歩いて来てみて、自分のような素人でさえこの沿岸のもつ地理的な多様さは分かる気がする。だって、白亜紀って、1億数千万年前?気が遠くなるほど昔だ。今、そんなところを歩いてるんだなぁ、と。

【画像】茂師海岸

【画像】茂師海岸

茂師の集落は、家々の外観は現代的だけど、各戸に至る細い路地が海に面した急な斜面を不規則に縫うように伸びていて、昔ながらの集落道の佇まいを感じさせる。

集落を過ぎて国道45号線に合流。海側に張り出して茂師海岸が一望出来る好立地に岩手県北バス「茂師」停留所あり。

単なるバス停にしては駐車スペースが広い。公衆電話ボックスが設けられているのも、マイカーで送り迎えをする周辺地域の利用者の利便を考慮しているものと推察(もっとも、今日びは高齢者も児童でもケータイは持ってるだろうから、公衆電話が使われる場面もそう多くはないとも想像)。

バス停のすぐ南、海側に張り出した高台のてっぺんに神社あり。もちろんお参りする。豊川神社。社殿横には古びた碑が数基、国道に面した大鳥居の脇には明治・昭和の大津波の供養塔が並んでいた。

小成川に架かる茂師橋の脇から急な階段を下りて茂師漁港へ。

10:30、茂師漁港(SOBO/187.93)にて小休止。トイレ借りた。

地図をよくよく見てみると、この漁港の敷地内を岩泉町と宮古市の境界が走っている。ざっと奥側半分弱が岩泉町、海側が宮古市となっている。

漁港を後にして小成川に沿って舗装路を内陸方向へ。ハイカーとすれ違う。クマ除けのためか腰から提げたラジオを点けっぱにして歩いた。

すぐに国道45号線に合流、歩道を100メートルほど再び海に向かって歩くと、国道の反対側にトラックのアルミボディを転用した倉庫が現れる。車の往来に気を付けて横断。岩泉町・宮古市境界を越える。

10:45(SOBO/188.42)、とうとう宮古市へ!

倉庫脇にMST標識「摂待駅3.7q/熊之鼻展望所1.7km」あり。標柱に掲出された「クマ出没注意」の警告に改めて緊張。ショルダーストラップから下げた熊鈴をしつこいほど鳴らしてから尾根伝いの山道を登り始める。

11月初旬にしては紅葉が進んでいない印象。真っ赤で見ごろに紅葉している木もあるが、全体としてはまだ葉が青々としている。日差しにもまだまだ圧力が感じられる。

急な登りを時間にして15分ほど、標高にして150メートルほど登ると、広い台地状の尾根に出た。

ここからトレイルはアップダウンが緩やかになり、森の中を内陸に向かって伸びて行く。途中、伐採作業用の作業道らしく轍のある非舗装路が幾筋にも交錯しているエリアがあって、ちょっと迷った。

それでも小一時間歩くと砂利採取場に行き着き、すぐ近くに下りのトレイル入口を示すMST標識「摂待駅1.2q/熊之鼻展望所4.2km」が見付かる。ここからは摂待の集落へ標高にして150メートルほどを一気に下る。

12:10、民家脇の石塔群(SOBO/191.57)から摂待集落に入る。

石塔は大小ざっと十数基、いずれも自然石におそらくは地元の石工が手彫りしたと思しき素朴なもの。神社仏閣拝霊塔、庚申塔や牛馬供養塔に交じって、明治・昭和の津波での死者の供養塔あり。

【画像】摂待集落の石塔のひとつ「海嘯死者供養」の碑

【画像】摂待集落の石塔のひとつ「海嘯死者供養」の碑

この集落は、太平洋に注ぐ摂待川の沖積地の一番奥まった山際に位置し、海側をさんてつの線路の盛土に守られているかっこうだ。簡易郵便局、ガソリンスタンド、それに個人商店が各1軒あり、さんてつ沿線の小駅の周辺としてはまだしも開けている方だと言えるだろうか。かつては集落の北の外れに小中学校もあったが、東日本大震災の直後に閉校となったとのこと。

一方、さんてつの線路から海側には田畑が広がっている。河口付近に水門があり、その先は漁港だ。過去、幾度にも渡って津波被害に遭ってきた結果、こういった土地の使い分けに落ち着いた、といったところだろうか。

今まで列車で幾度となく通り過ぎるたびに、車窓から眺める家々や路地の佇まいや海側に広がる田んぼの様子など、どこか郷愁を誘う感じがあって、いつかゆっくり歩いてみたいと思っていた場所。念願が叶って嬉しい。

12:20、さんてつ摂待駅(SOBO/191.97)に到着。大休止。

荷物も下して、立ったままでだが昼食も摂る。スティックパンと魚肉ソーセージ。トレイルミックスもちょっとつまんだ。駅前のトイレ借りる。水も補充。20分ほどだったけど、しっかりリチャージ出来た。

12:45、摂待駅を出発。

陽が高くなって、いよいよ暑さがしんどく感じられてきた。国道の電光掲示板には「只今の気温20℃」と表示されていたが、体感的にはもっと高かったろう。

国道45号線は、ここ摂待で急カーブを描いて一旦大きく海側に蛇行する。これは古い街道筋がそのまま国道になったものなのだろう。大回りではあるが、等高線に沿うように緩やかに作られていることから、昔から牛馬や徒歩での往来に用いられていたルートなのだと想像出来る。

それを裏付けるように、このカーブのピーク近くから張り出した短い尾根筋の突先に、15世紀頃の建立と伝わる小さな神社がある。トレイルマップにも神社マークが記されていたので、当然、立ち寄るべくチェックしていた。

国道沿いの平地に携帯の基地局の?アンテナ塔と、市の水道局の?タンクがあって、その奥が境内になっていた。小さな社殿の軒に掲げられた扁額には「村社 小沼神社」とある。

摂待の「小沼神社」

本稿執筆にあたり軽くググってみたところ、みやこ百科事典wiki「ミヤペディア」に記述を発見。以下、同サイトより引用。

"摂待村の村社として広く信仰を集めていたのが小沼神社だ。記録によると文明17年(1485)に修験者・斉蔵坊が建立したと伝えられるが詳しいことは判っていない。小沼神社の眼下には鮭がのぼる川として古くから賑わっていた摂待川と川に沿って広がった耕地が一望できる。摂待は久慈の久慈忠左ェ門が知行した土地で農地としても優れた石高があった。明治から昭和初期頃までは祭りも賑やかで神輿蔵には2基の神輿があり往時が偲ばれる。"

ちなみに摂待村は明治22年(1888年)、町村制の施行によって田老村の一部となり、田老村は昭和19年(1944年)の町制施行により町になった後、最終的に平成17年(2005年)、宮古市と合併し今日に至る。

境内の北端、尾根の突先の辺りにも、小さいがなんらかの建物があったりらしく、礎石と思しき石組が残っていた。

地図から予想した通り、やはり摂待の集落全体を見渡せる好立地。神社以前の昔には、領主の館やもしかすると城砦などがあった時期もあったのかも知れない…(などとまた妄想を膨らませるのであった。)

国道からのこのアプローチは社殿の真横からになるので、おそらく正面に参道があるだろうと思って見ると、やはり朽ちかけた石段と、なんらかの木造建物(手水舎か?)の残骸があった。

石段の下り口脇の石灯籠に「文久元年」(1861)と刻まれていることから、少なくとも江戸時代の終わり頃はこちらが正式な参道だったのだろう。現在ではグーグルマップはもちろん、国土地理院の地形図にも記載がない。もしかすると参道の上り口だった辺りに何かしら痕跡が残っているかもしれないが、今回は先を急ぐ旅、探索はまたいつか別の機会にとっておこう。

なんにせよ、近年は詣でる人も少ないらしく見えた。再訪の日までなんとか残っていてくれると良いのだが。

【画像】小沼神社

【画像】小沼神社(社殿正面=画像右方向に旧参道がある)

13:15、林道への入口。

小沼神社を後にして国道に戻り、横断する。歩道を少し歩いたところに、MST標識「摂待駅1.2km/グリーンピア三陸みやこ5.3km」あり。ここで一旦、国道を離れて尾根伝いの林道に入る。

13:45、林道切れ、国道45号線との再合流地点(SOBO/194.95)。

MST標識「摂待駅2.8km/グリーンピア三陸みやこ3.7km」あり。小沼神社からの林道1.6キロを30分ほどで抜けた計算。まぁまぁ良いペースだ。

ここまでで内陸側にかなり入り込んだが、ここで一転、国道を横断すると再び東に進路を変え、水沢集落を目指す。強い日差しに呻吟しつつ進む。

この一帯は台地になっており、東の外れで漁港とを結ぶ道路に急下降し始めるまでは、緩やかな下りが続く。また、ここでも集落の外れに神社マークあり。やはりこれもチェックすべく寄り道。

鳥居の扁額には「熊野神社」とあった。

コンクリート基礎に外壁はサイディングボード、屋根はスレート葺き。正面入口も一般住宅の玄関ドアセットを流用してあって、一見、神社には見えない独特な造り。

伝統的な木造社殿の維持は諦めはってんなーという第一印象だったけど、考えてみれば、雨風が強かったり冬季は積雪があったりといった環境では、この方が建物が傷みにくく、神様をお守りし易かろうとは思う。合理的。

それによくよく見ると、軒の出にはちゃんと反りが打ってあった。少しでも神社らしさを施そうという大工の心意気が感じられた。

神社を後にして、集落の真ん中辺りまで戻って来ると、近所の親父さんに話しかけられた。立ち止まってしばし歓談。

昔はこの集落にも学校があったそうだ。なるほど言われてみれば学校らしい建物があるので近くまで行って見てみると、コンクリートブロック積みがむき出しの元・校舎と、入口付近に「水沢分校跡」の碑が建てられていた。

「昭和63年3月21日 水沢地区民一同」の銘から察するに、この小さな分校は平成すら迎え得無かったものと見える。今日の子供たちは田老までスクールバスで通っているそうだ。緩やかな過疎「途上」にあると言って良いかも知れない。

しかしそうした現実とは裏腹に、この集落、なだらか傾斜地に広がっていて日当たりも良いし、畑もよく手入れされているし、家々の軒先や庭先は端正に整えられているしで、実に穏やかで豊かな暮らしぶりのように見受けられた。「桃源郷」と言っては大げさに過ぎるかも知れないが、こんな場所で余生を送れたら良いだろうなぁ、なんて漠然と感じた。

分校跡を右に見ながら緩やかな下りの道を進んでいくと、ジャンクヤードよろしく庭先に様々な機械や部品が積み上げられた民家と水田があり、その先で細い沢伝いの林道に入る。20分ほどで水沢の漁港と集落とを結ぶ舗装道路に出た。

14:55、トレイル本線を離れ、水沢漁港の岸壁まで歩き小休止。

15:00、トレイルの本線入口(SOBO/197.30)まで戻る。

ここにも「クマ出没注意」の警告掲示あり。この時期、15時ともなれば、早くも谷あいの日陰(特に北向きの斜面)は薄暗くなり始めているし、更に朝夕は熊の活動が活発になる時間帯だと聞いてもいるので、ちょっと不安…でも、この斜面を登り切って「グリーンピア三陸みやこ」に着いたら今日の行程は終了だし、このペースなら予定通り、路線バスにちょうど間に合うくらいで着けそうだし、さぁ、ラストスパートだ。

【画像】西日と紅葉

【画像】西日と紅葉

薄暗い林の中を、周囲の気配(人とかそれ以外の動物とかの)に注意しながら歩いていくと、周囲で木々の梢が輝き始めた。「んっ!?」と思ってよくよく見ると、楓の葉がところどころに柔らかい夕方の木漏れ日を受けて、まるで葉そのものが発光しているかのように見えているのだった。

その瞬間の自分の位置や目の高さ、木漏れ日の差す角度や紅葉の進み具合などで見え方が全く変わる。今までずっと見過ごして来たけれど、これは嬉しい驚きだった。

15:40、グリーンピア三陸みやこ(SOBO/198.64)到着。

本日の行程、ここまでとする。MSTの区間として約13キロ、総距離にして15キロくらい歩いただろうか。所要時間7時間15分。この季節に、こんなに汗だくになるとは思わなかった。

16:18、岩手県北バス・岩泉小本駅前行きの最終バスに乗車。

一旦、宮古に戻るには方向が逆の岩泉小本に向かうのは、宮古駅前行きのバスの最終が13:59発とめっぽう早くて乗れなかったからだ。岩泉小本からなら上りのさんてつに余裕で乗り継ぎ出来る。

岩泉小本まで乗るつもりだったが、「よく考えたら摂待から(さんてつに)乗ってもいいんじゃん」ってんで、摂待駅でバスを下りた。

バス車中の20分ほどで、今日歩いた一帯を車窓からレビュー…とか思ってたけど、摂待駅に着く頃には辺りはもう真っ暗になってた。

日没後なので当然と言えば当然なんだけど、周辺の灯りの少なさが一層、暗さを強調していた。西宮の夜がいかに明るいかを実感する。

17:15、摂待発

17:45、さんてつ宮古着。

かねて立ち寄ってみようと思っていた駅前の「レ・ド・シェーブル」でお土産購入。赤い缶のヤギミルククッキー。おしゃれカワイイお店でオッサンにはちょっと気恥ずかしい感じではあったが。

スーパーでパックの寿司とお惣菜、それにお酒も買ってから、常宿「宮古セントラルホテル熊安」にチェックイン。

部屋で荷物をベッドにぶちまけて、一通り整理してから風呂。あぁ沁みるわぁ(この瞬間もまた、旅の醍醐味と思う)。しかるのちテレビでニュースと天気予報をチェックしつつ夕飯。酒場巡りも楽しいけれど、同じ宿に連泊とあらば、こんなのも悪くないな。

明日の行程をおさらいしてから23時くらいに寝る。

2023年11月4日(土)

朝4時、スマホのアラームで起床。

部屋に備え付けのポットでお茶淹れたり身仕度したり、思い付くことから順不同且つ散漫に、ノロノロと少しずつ回転数を上げていく感じ。

スマホで天気予報をチェック。曇りのち雨。田老までのどこかで降られるのはまず確実。今日一番の見処である青野滝集落の明神崎にある賀茂神社、距離的には午前中には着けそうだけど、降り始めるまでに着けるかどうかが勝負どころかな。場合によっては田老到達は諦めなきゃならんかも。気温は最高18℃、最低12℃と、昨日に比べると大分過ごし易くなりそう。

6時頃、ホテルを出る。

今朝もセブンイレブンで昼食など購入。ついでに朝のコーヒーも。

朝食は今朝も駅の立ち食いソバ。今日は開店直後だったせいか、トッピングに人気の「みやころっけ」が買えた。名前は「ころっけ」だけど、実際は揚げたカマボコかな?温いソバとはイカ天やエビ天の方が相性が良いかもだけど、しっかり風味&しゃきしゃき食感の薬味の刻みネギと一緒に掻き込むと、特に前の晩の酒が軽く残ってるかもなーなんて感じの今日みたいな朝には、ソバの汁気も手伝って、これ一杯でかなりの充足感。

日の出は朝焼けしてた。バスを待っている今時点では、雲は多いけどまだ晴れてた。心持ち肌寒いくらいだった。

06:50、バスは宮古駅前ロータリーを出発。

休日の早朝ということもあってか、乗客は数人だけ。国道45号線沿いのあちこちで乗り降りがあったけど、途中からグリーンピア三陸みやこまでは貸切状態になってしまった。

バスは宮古市東部の中里団地と田老三王でそれぞれ住宅地をぐるりと一巡した。中里団地は細い路地の入り組んだ昭和のニュータウンっぽい雰囲気。一方、田老三王は震災後、防災集団移転事業で拓かれた新しい街区。道路も家々の間隔も広くとられており、開放的というか、今のところなんだか没個性的でスカスカした印象。だけどこれから年月を重ねていくうちに、次第にこの街らしさが育まれていくことだろう。

定刻通りグリーンピア三陸みやこに到着。ちなみに宮古駅前からの運賃は片道650円であった。

07:45、グリーンピア三陸みやこ(SOBO/198.64)を出発。

この頃には既に今にも降り出しそうな空模様に変わっていた。

グリーンピアに隣接する多目的グラウンドでは、朝も早いのに地元のサッカー少年団とマイカーで送り迎えの親御さん方が、練習なのか試合なのか、大勢集まっていた。

震災後の数年間、このグラウンドには仮設住宅団地があった。今でも仮設商店街だった2階建てのプレハブと、県北バスのバス停「仮設住宅前」が残っており往時が偲ばれる。

グリーンピアのメインゲートをくぐり、三陸自動車道(国道45号線バイパス)を高架橋で越える。高架橋の前後が田老北ICのそれぞれ入口・出口になっているので、車の往来に気を付けて横断。

高架を過ぎた先、県北バスのバス停「向新田」を過ぎてすぐの丁字路の傍にMSTの標柱あり。ここで左折。

ちなみに今、この場所のほぼ真下を、さんてつの「真崎トンネル」が走っている。同トンネルは摂待駅の南、摂待川の南岸から、田老地区の北の外れで長内川(ところでここにも「長内川」あり、久慈との地名の重複に気付く)に架かる橋梁までの、全長実に6532メートルと、さんてつ内では最長、且つ非電化鉄道のトンネルとしては国内最長だそうだ。

緩やかなアップダウンのある舗装路。沿道の民家や田畑の佇まいなどを眺めながら歩いていくと、西に大きくカーブする地点でトレイルは杉林の中に伸びる細い山道に入っていく。

小川を木橋で渡り、積もった落ち葉を踏み分けつつ上っていくと、国道に合流した。そのすぐ先で青野滝集落に向かう丁字路が現れる。東に折れる。

08:30、三陸自動車道を再度、高架橋で渡る。

しばらく歩いたところで左前方に広く切り開かれた台地が見えてくる。

その広大なこと、これまでに幾度となく見てきたトレイル沿いの皆伐現場の比ではない。台地の向こうに、先ほど出発してきたグリーンピアの本棟の建物が小さく見えている。

【画像】青野滝の台地(後方の白い建物はグリーンピア三陸みやこ)

【画像】青野滝の台地(後方の白い建物はグリーンピア三陸みやこ)

実はグリーンピアから此処までは、トレイル本線の一部がこの台地にかかっているゆえに設定された迂回ルートを歩いて来たのだったのだ。

公式DATABOOKにも「宮古市田老地区工事期間迂回路」と記載されているのだけど、なんの工事なのかも、期間がいつまでなのかも判然としない。

敷地の入口に掲出されていた「工事作業所災害防止協議会県施工体系図」に依ると、発注者は(国土交通書)東北地方整備局三陸国道事務所、工事名称は「令和4〜5年度宮古岩泉地区防災工事」となっていた。相当の面積を皆伐したうえに、丁寧に造成工事を施したようにも見える。でもこの工事名称から推理するに宅地や工業用地の開発工事ではなさそうだ。

事前リサーチの段階から気になっていたし、本稿の執筆にあたってネットであれこれ調べてもみたけれど、結局、何の工事か特定は出来なかった。

グーグルのストリートビューでは、今、立っているこの位置の過去ビューを2011年11月まで遡ることが出来た。当初は工事はまだ始まっておらず、同じ場所には背の低い雑木林が広がっていたようだ。

その後、2013年には重機が入って伐採作業をしているのが確認出来、それが2015年になると、ほぼ現在と同じくらいまで伐採が進み、ダンプカーが多数出入りしてるのが見える。この様子を見ていて、ピンと来た。

映り込んでいるダンプカー、内陸方向に向かう車は空荷、内陸から現場に向かう車は土砂を積んでいる。また、映り込んだ看板には「国道45号線山口第2トンネル工事」とあるのが見て取れた。ググってみると、それは令和2年(2020年)に開通し、現在は「猿峠トンネル」と名前が変わっている宮古市北部に位置する三陸沿岸道路のトンネルのことであった。

以上から、ここはもともと何かを建てるために拓かれた工事現場ではなく、トンネルの掘削工事で出た土砂の集積場と推察するに至った。

そして今後も何らかの災害で、土砂などの処分場所が必要になった時、または逆に復旧工事に盛土や埋め立て用の土砂が必要になった時の備えとして整備されているものなのではなかろうか?ただ、ここまで造成してあるし、なにしろ広大なので、この先、産業団地を誘致するとか宅地分譲するとかの未来はあり得るのかもしれない。

真相は、まぁ、どこかに電話一本するだけで知り得たかもだけど、こんな風に自分でアレコレひねくりこねくり回してみるのも面白い。

08:50、宮古市田老工事期間迂回路合流点(南)(SOBO/200.93)

()内の距離は公式DATABOOKとマップブックに記載のものだが、グリーンピアからは2キロちょっとの計算で、これは本線ルートを歩いた場合の数字らしかった。実際歩いた迂回ルートはざっと4キロくらいかとと思う。遠回りには違いなかったが、悪くはなかった。ただ、いちハイカーとしては「いつまで迂回さすねん」という気持ちは否めない。

09:07、青野滝集落に到着。

田老地域バス「たろちゃんバス」・青野滝停留所あり。停留所の時刻表によると、田老三王の防集団地の診療所を経由し、役場支所のある新田老駅とこの集落とを結ぶマイクロバスが毎週水曜日に1往復だけ運行されているようだ。地方の行政サービスのギリギリ精一杯のアウトリーチってところか。

このバス停の少し先に大きな鳥居あり。扁額には「加茂神社」とある。

前述の通りここが本日のハイライト。ちょっと寄り道して、この集落から海側にぐっと突き出した岬「明神崎」と、その突端にある加茂神社の奥宮にお参りするのだ。

青野滝集落・明神崎の「加茂神社」

事前リサーチ中、グーグルマップで偶然見つけたお宮で、提供された画像の、切り立った断崖の突先に石造りの小さな祠が建っている様子にひどく心魅かれたのである。国土地理院の地形図を見ると、その近くにもうひとつ神社マークがあるので、どちらもお参りするするつもりで歩き始める。

岬のかなり先の方まで軽トラのわだちのはっきり残った作業道路が伸びているし、電波塔があるためか、道に沿って電柱も立てられているので迷うことはない。途中、2つほど小さな祠(これまた住宅用壁材造りの)あり。

また、そこかしこに遺棄された漁具や「禁漁」の警告看板などがあることから、地元の人たちは何かしらの方法でこの断崖を波打ち際まで降りて漁をしているものとみえる。

やがて軽トラが転回できるくらいの小さな広場で作業道路が行き止まる。ここからは踏み分け道を見極めて、まずは手前の神社マークを目指す。電波塔が目印にできるかと期待してたんだけど、木立が思いのほか茂っていて見通し効かず。それでも茂みの向こうに赤褐色の屋根板らしきものが見えたので、そちらに向かって足元に気を付けながら近寄っていく。

ススキの茂みの向こうに、またしても住宅用建材で出来た社殿らしき建物が現れた。正面中央の、民家の玄関によくあるガラス張りの引き戸を開けて中に入ると、果たして「加茂神社」であった。地図上の二つの神社マークはつまり、どちらも加茂神社で、こちらの建物は拝殿らしかった。

お賽銭を上げてお参りして、いよいよ本殿というか奥宮というか、に向かう。が、これがなかなかの難路だった。

詣でる人も多くはないと見えて、一応、踏み分け道らしきものはあるけれど、風倒木や下生えが行く手を阻む。

そしていよいよ岬の突端部に近付くと、思いのほか足場が悪い。海からの強い風雨にさらされているからか、ひねこびて背は高くないがその分しっかり枝の張った低灌木にも妨げられて「あーもうこりゃ無理かも」と半ば諦めかけた時、やっとそれらしき石塔のようなものが目に入った。

【画像】加茂神社・奥宮

【画像】加茂神社・奥宮

やっとのことで加茂神社・奥宮に到着。

三方を断崖絶壁、背後は急な斜面に囲まれた狭い平地に、宝珠を頂いた石塔、その周りに石囲いを据えてある。その手前のわずかばかりの境内には、天保年間の銘のある石灯籠と狛犬がそれぞれ一対、それに何かよくわからないが古い石塔(の台座部分?)が一基。

前述のグーグルマップの画像は2年ほど前のもので、茫々に茂った雑草に覆われていたけれど、その後、手入れに訪れた人があったと見えて、きちんと草むしりもされていたし、4合瓶の日本酒が1本、お供えしてあった。

どんよりとした空模様と鈍い海の色、足下から響く砕ける波音も相まってか、上手くは言えないけれど何となくこの場所に居るのが怖いような気がしてきた。折角、たどり着いたけど、急かされるように来た道を戻った。

10:20、大鳥居に戻る。1時間ちょっとの寄り道となった。

そのまま青野滝の集落を抜けて、漁港に降りて行く坂道の途中、とうとう雨が降り始めた。一旦、折り畳み傘でしのぐ。

10:55、青野滝漁港(SOBO/203.51)に到着。

漁港に着いた頃にはけっこう本降りで、この先はまた山道を登らねばならないので、漁港の小屋の浅い軒先を借りてレインウェア上下を着る。バックパックにもレインカバーをかけて再出発。

トレイルの入口近くに、トレイルマップには記載のない新しい舗装道路が通っていた。おそらくこの先の重津部(おもつべ)集落に続いているのだろう。雨も降っていることだし、そちらを歩いた方が楽には違いなかったのだけど、本線ルートを歩けるところは出来るだけ歩いておこうというくらいのつもりで、標高にして100メートルほど山道を上った。

重津部の集落の外れに出たところで、案の定、この舗装道路に合流した。合流点の手前、稲刈りの済んだ田んぼの傍の大きな杉の木の下で小休止。

雨に降られながら、車道に沿って坂道を下っていく。やがて名もない浜に出た。重津部と乙部野(おとべの)の集落を隔てる谷あいを流れる、これも名もない沢の河口に広がる小さな砂浜。

先の震災以前は南北の浜を結んで海岸沿いに道路が通っていたらしく、浜の南北にトンネルが口を開けている。ただ、その前後は道路は崩れ、破壊されたコンクリート製の路盤が無残な姿をさらしていた。セルフ写真(2024年の年賀状に使った)を撮り、しばし周辺を散策。

名もない浜にて

【画像】名もなき浜辺で(後方に市道のトンネル、最後方は明神崎)

本稿執筆にあたり情報収集する過程で、ヨッキれん氏のブログ「山さ行がねが」に行き着いた(同ブログでは全国の廃道・廃線などの訪問レポートが数多く公開されており、その情報の膨大さに驚愕した。これから少しずつ拝読していこうと思っている)。

氏のレポートによると、この沢は「重津部沢」、トンネルはかつて青野滝漁港と、この先(南)の沼の浜とを海岸沿いに結んでいた市道「青の滝沼の浜線」のものだという。

同市道は復旧はされたものの、海岸に近く津波の被害の大きかった区間については内陸側に新たにバイパス道路を拓いたそうで、先ほど青野滝漁港と重津部集落の間にトレイルマップに記載のない新しい舗装路が通っていることに触れたが、あれはそのバイパスの一部だったようだ。

あの震災から十年以上が経ち、多くの場所で道も町もすっかり新しくなって、震災遺構も撤去なり保存なり、いずれにしても綺麗に整えられて、あの日までそこにあったもの、あの日そこで起きたことは、説明されなければイメージすることが難しくなってるかもと感じる。

しかし今、この名もない浜に今日なお生々しく残る津波の爪痕に、あの日、テレビで見た光景と、その後、現地に通った年月の中で目にした被災と復興のさまざまな場面が脳裏に蘇って来るのだった。

12:00、名もない浜を後にして再び山道に入る。

登り口(SOBO/205.83)にMST標識「真崎展望所まで1.8km」あり。

12:30、沼の浜の北端に出る。

MST標識「グリーンピア三陸みやこまで8.0q」あり。

ここでも浜の北端にかつての市道のトンネルが見えた。今、ちょうど干潮の時間帯だが、それでも波打ち際が非常に近い。これでは復旧させたとしても、とても安全に通れる道路にはなるまい。

はるか前方に小港漁港のものであろうコンクリート製の構造物(防波堤の先端部か?)が見える。その後方の岬が真崎ってことか。もうひと踏ん張りして、ランチはあの辺でゆっくりしよか…と、空きっ腹をトレイルミックスでなだめつつ、波打ち際の近いコンクリート舗装の道を歩いていく。

12:55、小港漁港(SOBO/207.60)に到着。

MST標識「グリーンピア三陸みやこ9.3q/三王岩3.0km」あり。

ランチの前に、まず陸中真崎灯台を訪ねる。海側に突き出した岬の付け根にあたる鞍部から、急な階段を鉄製の手すりに助けられながら上っていくと、やがて平坦な芝生の広場に出た。灯台はその先に建てられている。

これまで見て来た普代村の黒崎灯台や田野畑村の陸中弁天崎灯台と比べると、デザインもシンプルだしなんだか地味…という印象。まぁ、今日のこの空模様ではイマイチ見栄えしないもの仕方ないし、そもそも現役稼働中の灯台、デザインも見栄えも大した問題じゃないわな。

続いて真崎神社にお参り。神社に向かう尾根筋の入口は灯台の裏手辺りにあってとても分かりにくかったけど、何とか探し当てて参詣。

先ほどの加茂神社の奥宮をさらにミニチュア化したような、こじんまりとした石の祠だった。でもここにも詣でる人はいるらしく、ちゃんとお神酒がお供えされていた。

かくのごとく済ますべきことを済ますと、鞍部まで戻り近くの展望台でようやくランチにありつく。ちょっとだけPokemonGOもやったりして、長めの休憩とした。

出発前の事前確認。ここから「三王岩まで3キロ」ということは、ペースを上げて歩いても最低1時間はかかると見て、到着は15時前後ってとこか。予定してた新田老(または田老)発15時台のさんてつは間に合わないものと諦めて、慌てず急がず、ここまでのペースを保って歩くことに決定。

13:45、展望台を出発。

しばらく山道。海岸段丘の縁にそって林の中を歩く気分の良いトレイル。

14:15、沢尻海岸に到着。

MST標識「三王岩1.8km/真崎展望所1.2km」あり。

ここからはアスファルト舗装の車道。右手方向、林に阻まれて見えないが、今朝、バスで通った田老三王の防集団地が広がっているハズである。

14:40、三王園地(SOBO/210.46)に到着。

このころには雨もすっかり上がり、薄日もさして来た。三王岩とその付近に点在するインフォメーションパネルなどをいちいちチェックしながら田老漁港へ。そして漁港の出入口とも言える防潮堤の閘門を潜り、田老の町へ。

閘門を抜けると、すぐに津波遺構「たろう観光ホテル」が視界に入って来た。けれど、一旦はすぐ近くの小高い丘の上にある神社マークをチェックしに行く。時間的に今日の神社ハントはこちらがラストかな。

グーグルマップによると「出羽神社」とある。急な階段を上ると、赤い鳥居と、今回ですっかりおなじみになった住宅建材造りの小さな社殿。

入口が開くようならちゃんとお参りしようと思って引き戸に手を伸ばすと、アルミのドア枠からなにやら部品のようなものが出ている。取っ手か鍵かと思ってよくよく見てみると、虫だった。それもこれまで見たことも無いような姿形の、たぶん「蛾」。けっこうビビった。いや、かなりビビった。

本稿執筆にあたり改めて(気を取り直して)ググってみたところ、どうやら「ヤママユ(ガ)」だったようだ。日本の代表的な野蚕(やさん・絹糸のとれるいわゆる「おかいこさん」のうち、野生のもの)で、全国に生息するってんだけど、五十余年生きて来て初めて見た。あー吃驚。

【画像】津波遺構「たろう観光ホテル」

【画像】津波遺構「たろう観光ホテル」

15:25、津波遺構「たろう観光ホテル」(SOBO/211.61)に到着。

この建物は、先の震災の津波で4階部分まで浸水、2階までは柱を残してなにもかも流失した。が、幸いにも倒壊は免れた。今日では震災の記憶の風化防止と防災教育に資するため、宮古市が取得し管理している。

建物は整備・保存のうえ周囲を鉄柵で囲い、隣接地には広い駐車場も設けられている。日本語以外に英語・繁体漢字・簡体漢字の案内板もあった。有料の防災教育ガイドツアーに参加すれば建物内部にも入れるとのこと。

ついつい「大槌町の旧・町役場庁舎もこんな風に残す道もあったかも知れないな」なんて考えてしまったりした。

MSTの公式なルートとしては、本日の行程ではここ「たろう観光ホテル」が終点だ。さんてつ新田老駅までの約1キロは、公式ルートからは逸脱したってことになる。けど、まぁそんな厳密に「公式」に拘らなくてもイイや。

たろう観光ホテルの前の道を市街地に向かって直進すると、すぐに「道の駅たろう」に着いた。お店を冷かしたりしつつ小休止。青野滝漁港から着たままで来たレインウェアの上下を此処でようやく脱いだ。

道の駅を後にして、「キット、サクラサク野球場(宮古市田老野球場)」を通り過ぎ、角に郵便局のある交差点で国道45号線を渡る。新田老駅近くの物産センター(とゆーか品揃えが雑貨店)で、軽くお土産購入。

16:10、さんてつ新田老駅に到着。これにて今回の行程を終了とする。

今日はMSTの区間としては約13キロ、総距離にして15〜16キロくらいは歩いたかな。所要時間は約8時間半。明神崎に寄り道した1時間なにがし分を考慮しても、まぁまぁいいペースで歩けたと言って良いだろう。

時間的にももう日没のこととて、道の駅を出た頃から辺りは急激に薄暗くなってきた。朝から夕方まで、目一杯歩けて満足だ。

一本早い宮古行きは15:29発だったので、あと30分早かったら間に合ったんだけど、まぁぼちぼち寄り道もしてこれなら上出来ってもんだ。

17:23、さんてつ新田老を発つ。

車窓の外はもうすっかり真っ暗。

今回は、昨日は季節外れの暖かさ、今日は雨と、なかなか難しかった。

朝夕ちょっと寒いくらいで、日中、清々しい陽気を期待&想定してただけに、まぁまぁのタフさだった。距離もそこそこあったと思うし。とはいえ、装備が前回とは文字通り桁違いに軽かったおかげで、なんとかなったわ。

17:45、さんてつ宮古駅に定刻帰着。

宿に戻り、荷解きやなんかを手早く片付けて、ひと風呂浴びると、一人打ち上げ会を開催すべく夜の宮古の街に繰り出す。

おなじみの「笑びす」が、案の定、満席で入れなかったので、何年か前に一度入ったことのある居酒屋の暖簾をくぐった。こちらはこちらでガラッガラで心配になったけと、その分、カウンター越しに女将さんとゆっくり話せたから良しとしよう。

2023年11月5日(日)

昨夜はベッドでスマホをいじってるうちに寝落ち。

4時前に目が覚めたが、二度寝して5時頃起動。髭も剃ってこざっぱり。結局、予定どおり6時過ぎにはチェックアウト。今朝も駅ソバで朝食。今日はエビ天乗せた。

今朝は上下とも長袖のインナーを着けて、間にフリース、アウターは昨日の続きでゴアテックスのレインウェアといういでたちでスタート。

これだと歩いてるうちに暑くなるかもだけど、どんなもんかな。天気予報では宮古で最高15℃、最低10℃、終日曇りとのこと。盛岡は最低が6℃っていうから、内陸の方が少し寒いようだ。

まずはさんてつに乗って、年に一度の大槌詣で。

休日ということもあってか、大槌に向かう上り線、始発の宮古駅出発時は貸切状態だった。大槌に着くまでの間で、それでも数人の乗り降りはあったように思う。経営状態が心配にはなるが、こんなのんびりムードがローカル線の旅の醍醐味なのも確か。そう思えば、実に贅沢な時間。

大槌ではいつものように駅から城山公園、小槌神社、大槌稲荷神社と回って、今回は完成した防潮堤の上から町の方を眺めてみたりした。

大槌町・安渡地区を防潮堤上から望む。

【画像】大槌町・安渡地区を防潮堤上から望む。

大槌駅に戻り、さんてつで釜石に出て、駅の立ち食いソバ屋でリアスラーメンで軽く腹ごしらえすると、正午過ぎ発のJR釜石線の普通列車に乗った。

車窓から眺めた限りでは、紅葉は内陸の方が進んでるっぽい感じ。

かねてから一度ブラブラ歩きしてみたいと思っていた宮守で下車。

以前、眼鏡橋を渡るSL銀河見たさに一度だけ来たことがあったけど、今回は次の列車が来るまでの1時間半ほどの時間で駅周辺を散策してみた。

思った通り、昭和かもっと昔のものらしい風情がそこかしこに残っていた。在りし日の様子など想像しながらそぞろ歩く。

【画像】遠野市・宮守の民家

【画像】遠野市・宮守の民家

こんな風に、途中下車して一駅か二駅くらい「つまみ食い散策」するのも面白い。PokemonGOもはかどるし、いつか愛車(折り畳みミニヴェロ)を輪行して来るのもイイかも…などと、しばしイマジネーションの世界に心を遊ばせる。また愉し。

今日は、殊に午後からは、全然お日様出なかった。が、晴れれば晴れたで一昨日みたいに暑くなるし、やはり今日くらいの陽気の方が歩くには良い。

15時台発の釜石線で宮守駅を後にして盛岡に出る。本日の行程はここまで。常宿にチェックインし、行きつけの「ももどり食堂」で一人打ち上げ。

2023年11月6日(月)

朝5時半にアラームで起床。昨晩、あと一杯いけるかなどうしようかな、って辺りで切り上げたのが良かったのか、割りとスッキリとした目覚め。

でも「あとちょっとだけ…」と、ベッドでうだうだする。この時間が近頃はまた、良いなぁと思っていたりもする。ホテルの朝御飯も相変わらず美味しくて、しっかり頂く。8時40分くらいにチェックアウト。

通勤通学の皆さんとすれ違い。さぁ一日ゆっくりかけて帰ろう。

新幹線は意外と混んでてちょっとびっくり。仙台からも大勢乗ったし、東京駅も通勤客と旅行者でまぁあぁ混雑。週末と違って家族連れはほとんど目に付かなかったけど。

そして暑い!…とまでは言わないが、タイツも長袖も着てこなくて正解だった。車内は冷房入ってるし(はやぶさは暖房入ってた)、概ね適温。

予定通り、16時過ぎには西宮の自宅に帰着。隣のファミマにモバイルバッテリーを返却して、今回も無事、ミッション完了とした。

MSTも今回で10回。今回、計画通り歩けたので、来春の宮古市中心部到達はほぼ確実になった。が、ゴールはまではまだまだ長い道のりだ。

ここまで沿岸各地へのアプローチにあたっては、盛岡が占めるウェイトがやはり大きかった。これはボランティアで遠野に通っていた頃からだから、十年来のお決まりルート、馴れと愛着、そして安心感があった。

が、同時に、正直、近頃、自分の中でちょっとマンネリ感も否めなくなってきたところでもある。これからトレイルが更に南下していくにつれ、新しいアプローチも開拓していかなくてはならないだろうし、それによってまた新しい視界、見え方や気付きが得られることだろう。東京からのアクセスも選択肢が増えていくと思うので、いろいろな移動手段を視野に入れてやっていこう。行く手には未知の世界が待ち構えている。ワクワクして行こう。

今年(2023年)は2月、5月、そして今回11月と3回歩いたわけだけど、殊に今回は例外的な天候に苦労させられたなぁ。暑さと、雨と。

毎回、計画と準備は我ながら周到だったと思うし、実際、ほぼ計画通りにこなすことは出来た。反面、あまりにもカツカツの強行軍になりがちだったのも確か。これからはペース配分や旅程にもう少し余裕を持たせたい。

つづく