2024年11月02日公開
みちのくトレイルクラブ 発行(2020年10月1日 初版第1刷)
2019年秋に青森県八戸市をスタートして足掛け4年半、広い岩手県の長い海岸線のちょうど真ん中あたりに差し掛かっております。
前回は昨年秋、さんてつ岩泉小本駅から新田老駅までを二日かけて歩きました。市町村で言うと岩泉町から宮古市に入ったことになります。
今回、いよいよ三陸沿岸でも指折りの大きな町である同市の中心部に到達します。ここ数回は宮古駅を基点に北方にアクセスして南に向かって歩くというパターンだったのですが、それも今回が最後になりそうです。
仕事を早めに切り上げて16時には帰宅。
軽くひと風呂浴びて、荷物の最終チェックをして出発。
今回はモバイルバッテリーのレンタルはしなかった。夜はホテル泊だし、朝時点で満充電にしとけば充分だろうと考えて。
バスが延着して宮古で乗り継ぎを急がなくてはならない場合を考慮して、コンビニで明日の昼食までカバー出来るくらいのボリュームの食料を購入。これが結果的にナイス判断だった(後述)。
駅前の吉野家で早めの夕飯を済ませ、余裕を持って神戸線で新大阪へ。
新大阪駅は例によってえらく混雑してた。オンライン予約しておいた行き帰りの新幹線の切符を発券し、18:15発ののぞみ244号にて一路東京へ。
車内は、座席はそこそこ埋まってる様子だった割には静かだった。持ってきた文庫、まるで読まずに結局、うとうとまどろんでるうちに新横浜に着いてしまった。疲れてたのかなやはり。
今回は腕時計をしてない。たまたま修理に出さなきゃならなくなって、間に合わせに安物を買ってもゴミになるだけだからと今回はスマホの時計のみを頼ることにしたのだけど、ついつい左手首に目を遣っちゃう。寂しいような心細いような。
八重洲の地下バスターミナルにもすっかり馴れた。迷うことなく到着し、余裕で時間待ち。岩手県北バス「MEX宮古盛岡」、21:35出発。
東京駅の改札出た時、なんだか肌寒く感じたが、明日、現地はどんなだろうな。スマホでチェックしてみると、明日の宮古市は晴れ時々曇り、気温は最高16℃、最低8℃、今日より寒くなるけど、お出かけ日和らしい。桜も見頃らしいし、こりゃ期待しちゃうなぁ。
今宵のバスは満席とかってほどでは無い様子。八重洲では10人も乗らなかったと思うし、さいたま新都心から乗ったのも3人かそこらだったと思う。
ずっと座席のUSBで充電しつつPokemonGOやってたけど、23時頃、車内の消灯に合わせて寝に入る。
バスは朝6時半には宮古駅前に到着。時刻表より15分ほど早着。折角なので予定より一本早いさんてつに乗ることにした。
トイレで顔だけ洗って、朝食はいつもの駅そばでちゃちゃっと済ませて、自販機で缶コーヒー買って久慈行きに乗り込む。06:55宮古発。
昨日、コンビニで食料を調達してなかったら、ここから食料の買い出しなどして予定通り一本後のさんてつに乗ることになっただろう。ここで浮いた一時間が、今日の行程の終盤で活きてくることになる(後述)。
うっかり田老までで買っちゃってた切符で、ひと駅先の新田老で下車(運賃は変わらない)したら、降車改札の乗務員さんに「ちゃんと降車駅(新田老駅)までで買って頂かないと」といったニュアンスのことを言われてしまった。やはり切符は正しく買わなくては…お詫びを言って下車。
駅舎を出たところで身支度と準備運動。夜行バスの窮屈な一晩で強張った体をゆっくりじっくりそこそこほぐす。
この駅は東日本大震災の後に新設されたもので、岩泉小本駅と同様、市の支所や出先機関と建物をシェアしている格好だ。プラットホームは3階だけどエレベーターがあるし、ベンチに冷暖房も完備、トイレもキレイ。自販機もありとトレッキングの始点終点にはうってつけと思われた。まぁ平日は通常業務をしていて利用者の出入りも多いだろうから配慮は要るだろうけど。
07:40、さんてつ新田老駅を出発。
トレイル本線に復帰するには前回の終点「津波遺構たろう観光ホテル」(SOBO/211.61)に戻るべきところだが、まずは国道45号線をまったく逆方向に田老駅に向かう。
例によって事前リサーチ中にストリートビューで見付けた石塔と、その傍から伸びる石段、これらをどうしても自分の目で確かめたかったので。
位置的には田老駅前を南北に国道45号線と並走する県道が「林本酒店」の南で内陸方向にカーブする辺り、県北バスの「田老駅口」停付近。グーグルマップには「蠶霊塔」とある。ここまでで見たことのない碑銘。
【画像】田老にて・蠶霊塔(さんれいとう)
グーグルマップからのリンク先を二、三、訪れてみたところ、「蠶」は「蚕」の旧字体で、絹糸を採る過程で避けられない無数の蚕の生命を供養するために建てられたもののようだ。
現地で実際に見た石塔は、背後に立つ明治時代の銘のある「天照大御神」の碑に比べてやや新しい印象。礎石に「昭和十五年三月二十八日<改行>下閉伊郡養蠶組合<改行>田老支部建之」と刻まれていた。
海沿いの集落では漁業がやはり圧倒的に家計の中心だっただろうけれど、ちょっと山の方に入れば農林業の傍ら養蚕が行われていたとしても不思議はない。ここまでそれを意識して来なかったので意外の念に打たれたと同時に、そういえば郷里・安曇野の実家でも、うんと幼い頃、改築する前にあった土蔵の二階の広間のことを祖母や両親が「蚕室(さんしつ)」と呼んでたのを不意に思い出した。壁土とカビの臭いの漂う、昼間でも中は真っ暗な土蔵。父も幼い頃、夜、蚕室の番を手伝わされたって言ってたな。皆が寝静まると蚕が桑の葉を食べる音だけが聞こえていたものだって。こんな旅先の偶然をきっかけに昔々の記憶が呼び起こされるなんてのも面白いものだなぁ。
この「蠶霊塔」の傍らに、先ほどの林本酒店の裏にあたる小高い丘に登るらしき石段が設けられている。鳥居こそないが、石碑なり祠なりがありそうなので登ってみた。予想通り、朽ちかけた幾つかの石碑と小さな祠、フェンスに囲まれたNTTの電波塔、その更に奥、立ち入り禁止の看板の向こうは三陸鉄道の線路の法面になっていた。
つまり三鉄の線路が切通になっていて、おそらく三鉄が通る前には線路向こうの斜面とつながった細い尾根筋だったことが想像された。そしてその尾根伝いに今日の田老駅の西側の山上にある「日枝神社」までの参道になっていたものと推察。
ちなみに田老駅の南西にこの神社への参道入口があるのだけれど、今回はその存在に気が付かず参詣は諦めてしまっていた。江戸時代の建立ということだから、吉村昭の著書「三陸海岸大津波」でも大きく紙幅の割かれているここ田老の明治、昭和の大津波の惨状を偲ぶ縁もあろうかと思っていたので、つくづく惜しいことをした。次の機会があれば必ず足を運んでみたい。
「蠶霊塔」を後にして、ようやくトレイル本線への合流点を目指す。
県道と国道を渡って海側の一帯は、田老湾の防潮堤に遮られたがらんとした平地。震災前は農地と防風林が広がっていたらしい。
さんてつの車窓からも見える太陽光発電所のそばを通り、ひとつ目の防潮堤を階段で越え、更に海側の二つ目の防潮堤は真新しい閘門を潜り、漁港の西側、田老川の河口付近に出た。MSTの標識等は無かったようだが、この閘門が公式データブックに記載のトレイル本線「三陸鉄道リアス線 田老駅方面接点」(SOBO/212.37)のようだ。従ってここより本線に復帰したこととする。小さな橋を渡り、震災後に新設されたらしい小奇麗な公園で小休止。
08:20、前須賀橋/みなと公園。
公衆トイレと水道を使わせてもらった。
公園近くにある震災遺構と思しき構造物をカメラに収めたところ、背景に岸壁で海釣りに興じる家族連れの姿が映り込んだ。同じ視界の中、そこかしこに津波の痕跡は未だに残ってはいるけれど、あの日の記憶を人々の新しい営みが確実に上書きしていってるのだと感じた。
【画像】田老漁港にて・名も無き震災遺構
少し先まで歩くと、田老川に架かる水門の上部の金属製の手すりが不自然な格好で歪んでいた。これもまた津波の威力をあの日のままの姿で現してはいる震災遺構に違いない。けれど、案内板があるでも無く、いずれ設備更新などで撤去されてしまうことだろう。
こうした震災の名も無い痕跡たちを、ありのまま見られるうちに出来るだけ多く訪ね歩いておこうというのも、自分にとってのこのトレイルの全線踏破のテーマのひとつらしく思われる。そんなことをしてなんになるのかと問われたら明確な答えも無いのだけれど。
08:30、田老川河口付近・渡渉地点(SOBO/212.89)
堤防を仮設の脚立で越え、田老川を渡り対岸へ。田老川の水は先ほどの前須賀橋の方に誘導されており、ここでは河口に形成された砂州を横断したかっこう。しかし大雨などで増水することもあるらしく、30分ほど歩いたところに増水時迂回路の案内標識があった(公式マップ、データブックいずれにも記載無し)。
河口から標高にして100メートルほど一気に登り。登り切ったらしきところで小休止。体がすっかり温まったのでジャケットを脱いだ。長袖Tシャツとトレールパンツ(いずれもモンベル製)。今日は終日この格好で通した。
周囲の森の中からはいろいろな鳥の鳴き声やキツツキの(?)ドラミング音がよく聞こえた。
08:55、前述の田老川河口部の増水時迂回路の標識あり。
この先で一度、浜辺近くまで下り、もう一度100メートルほど登る。この間、左手つまり北の方角には田老湾の湾口一帯を眺める事が出来た。前回越えて来た三王岩や真崎なども一望出来た。
09:40、佐賀部(さがべ)展望所への分岐(SOBO/214.93)
分岐から東へ5分ほどで歩くと展望所に着いた。「佐賀部のうみねこ繁殖地」の看板が立っているだけで、立木に妨げられて思ったより眺めはよくない。長居せず引き返しトレイル本線に戻った。
それにしても新田老駅を発って既に2時間経過。もうちょっとペース上げないとマズくないか?今日、ゴールまではまだまだ距離あるぞ?
10:00、内陸方向(西)に向かう林道との分岐(SOBO/215.36)
MST標識「樫内浜3.4km/三王岩3.9km」。この先でトレールは下りに。
10:20、栃内浜(SOBO/216.34)に到着。小休止。
MST標識「樫内浜2.3km/三王岩5.0km」あり。佐賀部のうみねこ繁殖地の岩礁地帯は、この浜からの眺めの方が全体観を掴み易いように思った。
浜は南端部で波打ち際がかなりトレイルに近くなっていて、満潮・高潮時の通行は難しそうに見えた。トレイル沿いにカタクリの群生あり。
ちなみに〜諸説あるようだが〜「ナイ」はアイヌ語で小さい川、谷川または岸がしっかりしていて氾濫しにくい河川のことだそうだ。アイヌ語では他にも河川を意味する「ベツ(ペッ)」があるが、こちらはより全般的な川、あるいは大きく洪水の起きやすい危険な川のことだとか。どちらももちろん北海道の地名には多く見られるほか、広く東北地方にも分布している。
10:50、樫内集落への分岐 (SOBO/217.26)
栃内浜からまたも標高にして100メートルほど登ると、林が切れて舗装された集落道に合流する。海に向かって開けた台地に割とまとまった戸数の住居が散在している。
特にこの分岐点から東の、一段と平坦な一帯にナニヤラ瀟洒な建物が複数点在している。トレイルの本線からは反れるが好奇の念に駆られてここでも寄り道。
全体の印象はパッと見、分譲地のよう。特に6階建てくらいのマンションのような近代的建物と、一番海側、岬にあたる部分に建つ洋館風の建物が、こう言っちゃなんだが特に異彩を放っている。
本稿執筆にあたり調べてみたところ、地元の社会福祉法人が運営する作業所やグループホームで、一部は震災前には既に開所していたようだ。
岬の洋館風の建物は授産所で、そこにアクセスする舗装道路がロータリー状にぐるりと台地を一巡しているという位置関係だ。ストリートビューの2015年9月頃の画像から、このロータリーの内側に仮設住宅団地があったことも分かった。
休日のせいだからか車の往来も無くて、なんとはなしに開発ブームの夢の跡、みたいな雰囲気。
がしかし、さすがの好立地で眺望は絶好。南に浄土ヶ浜、重茂半島、月山を一望出来た。更に向こうはもしかして鯔ヶ崎かな?「うはーっ、これらを歩いて越えて行くのかー」と思わず感嘆。
桜もちょうど見ごろで、なるほど余生はこんな場所で暮らせたらな、なんてチラッと思ったりもした。
分岐に戻り、樫内の集落を抜ける。
本線ルートを少しだけ反れたところに神社マークがあるので訪ねてみる。朱塗りの鳥居の扁額に「日月山神社」とある。こちらもまたすっかりおなじみになった住宅建材を流用した社殿だった。
正面入口は玄関用のアルミサッシの引き戸で、施錠されていて中に立ち入って参詣することはかなわなかったが、軒下でご挨拶だけはしておいた。
正月のお飾りだろうか、藁を編んだしめ縄に松葉と干した小魚と干し昆布を結わえたものが下げられていた。これがこの地の習わしなのかなー(素朴な感じがイイな)と興味深く拝見した。ここで小休止。
【画像】樫内集落・日月山神社にて。正月のお飾り?
舗装された集落道をどん突きまで歩いたところに、集落の墓所と、その入口に古びた「大海嘯記念碑」はじめ石塔が数基。この先でトレイルは浜に向かって下りになった。
11:45、樫内浜 (SOBO/218.34)に到着。ここで大休止。
MST標識「震災メモリアルパーク中の浜6.2km/三王岩7.3km」あり。
12:10、再出発。
12:30、松月浜(まっつきはま)展望所。
トレイル本線から少し反れた小さな岬の上に木製の展望プラットフォームあり。小休止。ちなみにこの展望所については(本稿執筆時点で)公式トレイルマップにも国土地理院の地形図にもグーグルマップにも記載なし。
展望所への分岐のすぐ南で標高にして70〜80メートルほど、浜に向かって下る。
12:45、松月浜(SOBO/219.46)に到着。
MST標識「震災メモリアルパーク中の浜5.1km/樫内浜1.1km」
浜辺まで延びる道路の突き当りに「密漁は犯罪」の大看板あり。
トレイル本線はここから内陸に向かって約1キロ、国道45号線までの緩やかな坂道を蛇行。前方の海岸段丘の上にあるゴルフ場「宮古カントリークラブ」を迂回するかっこうになる。
松月は戸数数件の小集落。同集落の南側を流れる小川に沿った細い舗装路を歩いていく。国道との合流の手前辺り、小川に架かる橋のたもと辺りにも神社マークがあるので注意深くそれらしいもの(鳥居とか社殿や石塔など)を探しつつ歩くも見付けられず残念。
13:10、橋を渡った先で舗装路から山道に入る(SOBO/220.75)
山道を少し入ったところで、今日もう何回目かの「糞があります(英文で"There is feces"と付記してある)」標識に出くわした。
一応、みちのく潮風トレイルのオフィシャル標識らしいのだけど、今回のは正に矢印の指向するその位置に、なんらかの動物の、これまでに見たものよりもずっと新しそうな大きな「糞」があったのだけど、はっきり言ってくんなきゃ分かんないよなー。これって「クマの糞」ってことを言いたいんだよね?要するに察するに。…怖いやんけ。
【画像】糞があります
その山道を20分ほど登ると、社会福祉法人若竹会の運営する支援学校「わかたけ学園」の裏手に出る。ここより進行方向を再び海の方向に転じ、舗装路を歩くこと10分ほどで宮古カントリークラブに着く。
13:40、宮古カントリークラブ(SOBO/221.87)に到着。
MST標識「震災メモリアルパーク中の浜2.8km/樫内浜3.5km」あり。
小休止。クラブハウスのトイレを借り、水筒に水も補給させてもらう。
クラブのメンテナンス部門(?)の設備置場の手前からゴルフコース内に入る。ハイカーにも利用や通り抜けを認めてくれているのは有難いし、公式はじめ各種のガイドにも「トレイル本線がゴルフ場内を抜ける珍しい区間」と肯定的好意的に紹介されているものの、正直、気遣わしいばかりであまり良い気分はしなかった。周囲には今まさにプレー中のパーティが数組いたし。早足に抜ける。
14:05、ゴルフコース出口(SOBO/223.28)に無事到着。
MST標識「震災メモリアルパーク中の浜1.4km/樫内浜4.9km」あり。
海を見渡せる断崖の上。なかなかの眺望だ。それだけにモヤモヤ感は拭えない。先ほどの樫内の台地からの重茂半島の眺望も素晴らしかったけれど、そーゆー恩恵というものは広く一般に開放されて皆に愉しまれてしかるべきではあるまいか、と思うので。
また、そーゆー環境や景観といったようなものは、特定の企業や団体が独占したり無暗に棄損したりしてはならない世の中全体の財産だとも思う。土地の所有者ってのは、所有する土地の生み出す有形無形の恩恵を独占する権利がある一方で、その恩恵を広く世の中に還元して、その土地の「本当の値打ち」を守る責任があるとも思うし。
…などとまぁまたぞろ小難しいことを考えてしまった、なにせこのゴルフ場ゆえに2時間弱、約5キロの迂回を余儀なくされてるってのも事実なので…松月浜から海沿いにここまで来れてたら時間も距離も半分くらいで済んだんじゃなかろうか。まぁ言うも詮無いことか。
14:25、女遊戸(おなっぺ)浜海水浴場(SOBO/224.20)
ゴルフ場の広がる海岸段丘の南斜面を下り、水産研究所の外縁のフェンスと防潮堤の間を抜け、陸閘を潜ると女遊戸(おなっぺ)浜に出た。北側を防波堤に守られたこじんまりとした海岸。浜には船外機を載せたままの小ぶりの漁船が数隻、引き揚げられていた。トイレはあったが施錠されていた。浜の南端にある短いトンネルを抜けると次は「中の浜」だ。
14:35、「震災メモリアルパーク中の浜」(SOBO/224.66)着。
荷物卸して大休止。ようやく遅めのランチ。荷物を降ろして身軽になったところで、メモリアルパーク内も一巡して展示物などを見て回る。
ここはトイレも水道も使えた。さっきはゴルフ場のクラブハウスだったので気が引けたけど、ここでは水道の水で思い切り顔を洗ってリフレッシュ。
ここまで来れば今日のゴール「休暇村陸中宮古」まであと3キロ弱、1時間もあれば着けるだろう。
隣接する広い駐車場では野球経験者らしき若い男性が二人、キャッチボールに興じていた。ボールがミットを打つ小気味良い音が波音に交じってなんとなく愉快だった。
14:55、中の浜を出発。
浜の南外れでまたトンネルを抜け、10分ほどで宿漁港(SOBO/225.14)着。漁港の外れで登りの山道に入る。入口にMST標識「潮吹穴3.1q/震災メモリアルパーク中の浜0.6km」あり。姉ヶ崎の海岸段丘の上に出るまで、標高にして80メートルほど。今日最後の登りだ。
登り始めてすぐ、宿漁港を見下ろせる高台に朱色の鳥居の小さな祠あり。もちろんお参りした。
そこから尾根伝いを更に少し先まで登ったところで、先ほど女遊戸浜でも会ったボランティアの方と再会。軽く挨拶を交わして通り過ぎる。トレイルの傷んだ箇所に手当てをしてくれていた様子。ありがたい。
その後すぐ、一旦、車道に合流の後、再び海を見下ろす段丘の縁を歩くトレイルに入り直すべきところを、舗装路をしばらく古里という集落に向けて歩いてしまって時間ロス。
後戻りしてトレイル本線に入り直すと、すぐに海に面した斜面が大規模に皆伐されている区間が現れた。
みちのく潮風トレイル憲章/1.美しい風景と風土を楽しむ道とします。
トレイルの海側の木立は残されているので、あたかもトレイルが林を縁取っているかのよう。早くも傾き始めた西日にさらされたカタクリがなんとも痛ましい印象。
地権者かディベロッパーか知らないが、誰かがこうすると決めて、まぁおそらく法に則ってはいることなんだろうとは思うけど(まさか不法伐採・ではあるまい)、この光景のどこに「みちのく潮風トレイル憲章」に謳われた精神があるというのか…などと、先ほどの、「土地の本当の値打ち」云々の考えをまたグルグルと頭の中でこねくり回しながら通り過ぎる。
姉ヶ崎の段丘の縁に沿って伸びるトレイルを歩いていくと、やがて右手の立木越しにキャンプサイトが現れる。姉ヶ崎キャンプ場だ。
今回はここでテント泊するという選択肢もあったのだけど、事前リサーチした感触では、なんとなくハイソでシャレオツでグランピング寄りな印象で、でかいバックパック背負ったおっさんハイカーにはちょっと敷居が高そうというか気後れしそうな感じがしたので今回はパスした。
それに正直、そんなにテント泊が好きなわけではない。行程的に必要ならするししてもきたけど、荷物も大きく重くなるし準備も片付けも手間だし。
ちなみに隣接する「休暇村陸中宮古」は予約カレンダーに表示された料金を見て即断念した。国民宿舎とかも嫌いじゃないけど、やっぱりちょっとお高いんよなぁ。程良い間隔でそこそこ値ごろ感ある宿泊施設があれば積極的に利用したい派である。
16:00、姉ヶ崎展望所(SOBO/227.06)に立ち寄る。
16:05、休暇村陸中宮古(SOBO/227.31)に到着。本日はここまで。
今日のトレイル本線の行程は約14q。新田老駅からトレイル本線に合流するまでけっこう回り道したから、実際はもう少し歩いてるハズだ。
16:35発・宮古駅前行きの県北バスに乗った。ギリギリ計画通り。
17時過ぎに常宿「宮古セントラルホテル熊安」にチェックイン。
荷解きしてさっそくシャワー、長めに浴びる。あー、生き返るわ。
「笑びす」を予約した刻限までいくらか余裕もあったので、部屋に備え付けのポットで淹れた熱茶をすすりつつ、今日の反省など。
昨日、家出て以降「もしかすると」と読んだこと、そこそこ的中してた。
今日の昼飯(用食料)、昨日、「もしかすると買えないかも」と思って西宮駅前のファミマで買っといて正解。結局、宮古駅では乗り継ぎ時間短くて買い物行ってられなかったから。
また今朝のバスからさんてつへの乗り継ぎ、「折角早く着いたし、1本早いけど乗っとこう」→これも正解。予定に固執していたら休暇村陸中宮古に日のあるうちに着けなかっただろう。何事につけ、前がかり気味にガツガツ進めたのが良かったように思われる。
それと今日は日中、思いの外、暑かった気がする。いや、暑かった。
スマホで見たら最高18℃、最低8℃とかだったらしい。明日もこんな感じらしいし、やはり早い時間帯に距離を稼いでおきたいところだな。
昨夜、夜行バス車内であんまり眠れんかった分、しんどく感じたってのもあるかも。それと今回、ブーツのインソール(固めのに)換えてるんよな。それも多少、影響してるかも。
まぁそれでなくても07:40スタート、16:05ゴールで約8時間半、20分以上の休憩取らずでぶっ通し歩いたわけだし、距離的にも(寄り道分もカウントして)20キロ弱ってったら、やっぱりハードな方だったかも?しかし今回くらい軽装なら、このくらいの距離、このくらいのペースは余裕でこなせないといかんとゆーのも確か。とにかく、頑張ったから腹減った。
と言うわけで、夕飯は久しぶりの「笑びす」で。狙ってたAKABUの生酒も飲めたけど、旨かったけど、酒単体として旨いんだよなぁ。いくらでも呑める感じなんだけど、メシのオカズで呑むには上品過ぎるかな、という印象。
明日もう1日、早起きしてたくさん歩かなきゃいけないので、名残惜しかったけどほろ酔い加減の一歩手前で切り上げて、セブンイレブンで明日の朝食と昼食を購入して宿に戻る。
腕時計が無いのが、やはり不便に感じられた。さみしいわ。
22:30、就寝。
スマホのアラームで04:30起床。
昨日、夕飯飲みをほどほどに押さえたおかげか、スッキリした目覚め。
昨夜、コンビニで買った「さんてつコラボおにぎりセット」と「レンチンまめぶ汁」で朝食。支度を整えロビーに下りて、セルフサービスのコーヒーを飲みつつバスを待った。
ホテルの目の前の県北バス・中央通り停で06:27発の県北バスに乗り、休暇村陸中宮古へ。約30分で到着。
07:10、休暇村陸中宮古(SOBO/227.31)を出発
一旦、姉ヶ崎展望所に立ち寄って昨日歩いてきた方角を振り返る。樫内集落の岬の洋館と、そのむこうは前回越えて来た真崎かな。翻って前方を望めば手前から日出島(ひでじま)、浄土ヶ浜、そして重茂半島の十二神山、月山を眺める事が出来た。今日も天気は良さそうだし、上々のスタート。
展望所からは昨日に引き続き、海岸段丘の縁を時々のアップダウンを交えながら、全体としては徐々に下っていく。
展望所から20分ほど歩いた下りのトレイルの真ん中で、なにやらもこもこしたものをまたいだ。テンかイタチかなにかのフンかな?とか一瞬頭をよぎったが、スルーして先に進もうとしたところ、なんだかもこもこが動いたような気がしたので、立ち止まってよくよく見てみる。コウモリだった。マツボックリにしがみついてヘタり込んでいる(ように見えた)。
【画像】コウモリを拾う
野生動物だし、むやみに素手で触ったりいじくりまわしたりしても良くないだろうと思ったが、このままトレイルの真ん中にほっといたら日中の日差しで弱るか(すでに大分弱ってる感があった)、小動物の餌食になっちゃうだろうと思って、近くの木の根元の日陰に安置した。
本稿の執筆にあたり改めて調べてみたところ、コウモリはやはりネズミなんかと同じく、様々な感染症を引き起こす病原体を保有しているとのこと。コウモリからヒトに直接感染した例はごくまれだそうなので安心したけど、みだりにいじくりまわしたりしなくて正解だった。
08:10、崎山の潮吹穴(SOBO/228.40)に到着。
海の波に削られて出来た空洞(海食洞)に大きな波が打ち付けると、空洞の先端に位置する穴(つまりこの潮吹穴)から波の力で圧された海水が吹き上がる。波高や風向・風力など気象条件がそろえば30メートルも吹き上がることもあるそうな。ニュージーランド南島、Punakaikiの"Pancake rock"を思い出した。
折角なので設けられた手すりも頼りに穴のすぐ近くまで行って見るも、ほんの10分程しか居なかったので、「あぁあそこかー」くらいに吹き上がったのは見えたけど、そんなにエキサイトするほどのことは起こらなかった。
ちなみに山側には公衆トイレも備えた駐車場があり、マイカーで気軽に見に来ることも出来るらしかった。
08:30、日出島の集落の北の外れで舗装路に出る。
08:40、日出島漁港(SOBO/228.89)に到着。
漁港を見下ろす海に張り出した小高い丘の上に朱塗りの鳥居あり。扁額に「辨財天」とある。低いが立派な鳥居と比べるとこじんまりした祠が一基。もちろんお参りする。
道を挟んで弁天様のちょうど真向い辺りに、先の震災の大津波記念碑が建てられている。碑文によると、ここ日出島と西側の段丘上の大付という集落とで、犠牲者10名、家屋損壊4棟、漁港にも大きな被害があったとのこと。黙とうを捧げてから再出発。
日出島漁港にばかり気を取られていて、山側の大付集落にも複数の神社と割と大きなホテルの廃墟があることに、本稿執筆にあたりグーグルマップを見ていて気が付いた。が、後の祭り。事前リサーチは綿密にしないとお宝をみすみす取りこぼすようなことになるな…と反省しきり。
ちなみにグーグルマップの過去画像を見ると、大付集落には他に民宿も一軒あったらしい。いずれにしても現在は両集落ともさびれた小漁村の佇まいである。
08:50、「浄土ヶ浜自然歩道入口」(SOBO/229.20)
先ほどの大津波記念碑のすぐ先(南)、舗装路の脇にMST標識「浄土ヶ浜5km」あり。ここからトレイルは再び非舗装に。
09:15、名も無い沢の流れ込む浜辺に出た。そこから沢伝いに30分ほど、標高にして100メートルほどゆっくりと内陸方向に登っていく。
ちょうど日陰になるタイミングで気持ち良い沢伝いの登り。途中、マガモのつがいが急にすぐ足下から飛び立ってびっくりする。
辺り一帯、まるで人の気配は無いが、右手の斜面の向こう側は崎鍬ヶ崎、下在家の住宅地が広がっているハズである。全然、余裕で普通の生活圏内。なにかあっても叫ぶだけで助けが来そうな距離感だ。
沢伝いを登り切った向こう側には、杉林の中を延びる下りの小径。それがやがて竹林に変わると、じきに大沢漁港の防潮堤が見えてきた。
民家の間の舗装路を下って集落とトレイルの分岐に向かう。防潮堤をくぐって河口に向かう沢(地図上にも名前はないが、たぶん「大沢」なのだろう)に架かる橋の手前にMST標識「浄土ヶ浜2.7km/潮吹穴3.2km」あり。
この集落は内陸側から流れ込む2本の細い沢が形成した小さな沖積地に拓かれていて、地形図によれば沢の合流点近くの高台に神社マークあり。もちろん訪ねてみる。
高台の手前には地区の公民館らしい建物があり、その隣地に文化・文政の年号が読み取れる古い墓石が十数基、集められていた。
参道の登り口はコンクリート製の階段。両脇に祭り際にのぼりを建てる朱塗りの基礎が立っていたが、鳥居は見当たらなかった。
急傾斜の参道を登って、参詣。こちらの社殿もお馴染みの住宅建材造りであった。グーグルマップによると「若宮八幡神社」、PokemonGOのポケストップにもなっていた。
本殿の手前の斜面に動物のフンあり。昨日、数回見たものに比べ、量は同じくらいだが粒は小さいように見える。タヌキかなにかのものだろうか。
神社を後にして、先ほどの橋の付近のMST標識まで戻る。
10:25、トレイル本線に復帰し、南へ。少し陽が陰って来たけれど、歩き始めてしばらく登りだったので却って助かった。
途中、蛸の浜を見下ろす展望所に立ち寄り小休止。それから眼下の蛸の浜漁港に向かって下っていく。
最後、階段を登り県道の歩道に出る。浄土ヶ浜大橋の北詰、「遊歩道入口」の標識あり。県道を反対側に渡り、大きな墓地の敷地内へ。昨日はゴルフコース、今日は墓地と、なかなか気遣わしいロケーションが続くなぁ。
11:20、墓地の中にMSTの利用者数カウンタあり。押して「50」にした。
墓地を抜ける最後の曲がり角に、MST標識「浄土ヶ浜0.7km/潮吹穴5.2km」あり。すぐそばの民家のブロック塀には先の震災の津波到達点を示す青地に白の「津波浸水深ここまで」の看板がかかっているが、いや、この地点、眼下の海面からの高さ、20メートルは優にありそうなんだが…
そこからは蛸の浜に向かってまっすぐ下るコンクリ舗装の道。浄土ヶ浜大橋をくぐって漁港のトイレの前を通り過ぎ、漁港のスロープまで緩やかな下り(トイレの脇に「ひよりみばし」の標柱あり)を初老のご夫婦が散歩している。交わす言葉や服装の飾らない感じからして地元の方とお見受けした。お邪魔にならぬよう、軽く会釈だけして足早に追い越した。
この頃になると再び陽が差して来て暑さを感じ始めた。漁港の波打ち際をひよりみばしに沿ってどん突き近くまで歩くと、ようやく隧道の入口に着いた。これを抜ければ、浄土ヶ浜だ。
11:40、浄土ヶ浜レストハウス(SOBO/234.35)着。大休止。
浄土ヶ浜は三陸沿岸屈指の景勝地で、日本の海水浴場百選にも選ばれている。昔々、この浜を訪れたある高僧が「さながら極楽浄土の如し」と感嘆したことから名付けられたという。
宮古市の市街中心部から見て北東、宮古湾に突き出した円形の半島の北東縁に広がる浜辺で、その浜を外海から守るかのように横たわる白い岩礁が、独特の自然美を生み出している。
レストハウスのそばに広がる浄土ヶ浜海浜は、今でこそ風光明媚な景観を取り戻しているが、先の震災ではこのレストハウスも2階まで津波で浸水、浜辺も漂着した震災がれきで埋め尽くされたという。
浜の北西の隅に石碑が2基建っている。一方は昭和35(1960)年のチリ地震津波の記念碑、もう一方は昭和8(1933)年の昭和の大海嘯の記念碑だ。
チリ地震津波は、地球の反対側で起きた地震による津波が太平洋を横断し、ほぼ丸一日後に東北沿岸に到達したものであった。事前に大きな地震が無かったことから、このとき被災した地域でもこれを津波だと思う人はほとんどいなかったといわれる。その後の調査研究の結果、こうした遠方の地震による前触れの無い津波が、過去にも一定の頻度で襲来していたことが判明しているとのこと。
レストハウス前の公衆トイレを借りる。もう日差しが「初夏」って感じだ。トイレの洗面で思い切り顔を洗わせてもらってリフレッシュ。
お土産品売場で買いもの。マイカーの家族連れが目立つ。けど、混んでるってほどではない、そこそこの人出といった印象。
【画像】御台場展望所から眺めた浄土ヶ浜
12:15、「御台場展望所」の東屋でランチ休憩。スティックパンと魚肉ソーセージ、それにドライフルーツをちょっとつまむ程度で手早く済ませる。
ここは浄土ヶ浜全体を見渡すことが出来る好ロケーション。花崗岩(?)の土台に据えられた銅製の方位盤を頼りに周辺をひと通り確認する。
浄土ヶ浜の岩礁越し、北の方向に、先ほど越えて来た大沢漁港の防潮堤と、その右手即ち東側に「崎山の蝋燭(ろうそく)岩」が見えた。
この奇岩は、背後の岸壁に寄りかかるようにして、海面から約40メートルもの高さで直立している。約1億4千万年前(白亜紀)に堆積した地層に、約4千万年前に地下から高圧で押し出され貫入した岩石が冷えて固まったもので、周囲の地層がより古くて脆くて浸食されたため、この岩の部分が浮き上がって見えるようになったと推定されている。戦前には既に国の天然記念物に指定されていたとのこと。
MSTのトレイル本線はその真上を通っているので「灯台もと暗し」だったし、大沢漁港からは角度的にその全貌を見ることが出来なかったので、そのままスルーしてしまうところだった。ここでじっくりと堪能。
12:30、御台場展望所を出発。
展望所から北側が浄土ヶ浜、対して南側は小石浜と呼ばれる。この小石浜に面して、浄土ヶ浜遊覧船の乗り場と浄土ヶ浜ビジターセンターがある。
12:40、浄土ヶ浜ビジターセンター(SOBO/235.27)着。
折角なので内部をひと通り見て回ることにした。
小石浜に面した斜面に建てられており、駐車場から入るメインエントランスは3階建ての最上階にあたる。
エントランスのフロアは案内所や売店、それにハイカーもゆっくりくつろげるラウンジスペースになっている。MSTに関するディスプレイや周辺地域の情報など、行き届いているなぁという印象。また、2階、1階の展示にも非常に見応えがあった。MSTのハイカーならば下記の「うみねこ丸」クルーズと合わせて、ここで十分に時間を取れる旅程を組むことをお勧めしたい。
13:30、遊覧船「うみねこ丸」に乗船。
予定ではこの先の宮古港「出崎埠頭」の突端にある道の駅「シートピアなあど」まで歩き、14:10出航の最終便(ちなみにGW以降は夏ダイヤになり最終便の出航時刻は16:10まで延びる)に間に合ったら乗るつもりでいたのだけど、ここ小石浜でも乗船・下船出来ることにビジターセンターの案内板で気が付いたので予定変更。時間的に出崎埠頭発着便に間に合うか微妙でもあったし、端からこうしておけばよかった。これも事前のリサーチ不足のゆえだが、ま、結果オーライってことで。
「うみねこ丸」はクルーを含めた乗船定員83名の新造の双胴船で、操舵室の後部に窓付き全天候型の客室、その後方に吹きさらしの展望デッキと、デッキ後部の階段を上がった2階、つまり1階屋根部分全体が吹きさらしの展望デッキになっている。
今日は潮位が低いせいか、2階展望デッキの乗降口から乗船。やはりというか、乗客の半数ほどは外国人旅行者だった。
小石浜(浄土ヶ浜発着場)を発つと、まずは浄土ヶ浜のアーチ状の岩礁の外側に沿ってクルーズし、岩礁の付け根の沖合辺りで前出の「崎山の蝋燭岩」を眺めつつUターン。一転、南下し、右手に浄土ヶ浜、前方に重茂半島を眺めながら宮古港に入り、出崎埠頭で乗客を乗り降りさせてから小石浜に戻る、というのが大まかなコース。
船上では女性スタッフによるガイダンスがあった。さすがに馴れてて要所々々、見どころを見過ごさないよう上手にガイドしてくれた。
船内ではウミネコやカモメなどにあげるための「うみねこパン」を販売していた。買わなかったけど、このパンを目当てに遊覧船に追従してくる海鳥たちに周囲の乗客が思い思いにパンを投げ与えている光景を眺めて愉しんだ(ちなみにこのパン、人間が食べても支障ないとのこと)。
これで所要時間約50分、大人1500円/人也。そこそこ面白くはあったけど、この手のクルーズとかって基本的に受身な体験なんで、その一点でどうしても物足りなさは否めないのであった。まぁ、今日歩いた区間と次回歩く重茂半島を洋上から観察出来たのは良かったから及第点といったところ。
14:20、浄土ヶ浜発着場に帰着し下船。
14:30、トレイル本線歩きを再開。
ビジターセンターからちょっとの間、階段で斜面を登ると、宮古湾を見渡せる海岸段丘の縁に出る。東端の舘ヶ崎展望所から西端の竜神崎展望所までの間は1キロもないが、よく整備されていて散歩にちょうど良さそう。トレイルにもその傍にもカタクリがたくさん咲いていて可愛らしかった。
【画像】竜神崎展望所にて小休止
竜神崎展望所で小休止。松の木陰にテーブルとベンチが据えてあって好い塩梅。地図を広げてこの先ラストスパートのルートを確認。近くの桜の梢でメジロのつがいがちーちくちーちく鳴き交わしている。長閑。
展望台から階段を下りて車道脇の歩道へ。
道路の海側には水産関連企業の建物と民家が混在している。ところどころにある空き地は震災前に建っていた住宅の跡地らしく、コンクリート製の基礎が往時をしのばせる。
道路は緩やかなカーブを描いて、ほどなく背の高い防潮堤と間近に並走する区間を経て、清水公園の丁字路に至る。交差点を右に行けば先ほど通過した蛸の浜、左に行けば宮古市街中心部まであと2キロ弱といったところ。
15:20、清水公園(SOBO/236.74)にて小休止。
公園のトイレを借りる。水道の蛇口を捻ると冷水が出た。がぶ飲みして更に念のためボトルも満たす。顔も洗って、水を含ませてゆるく絞った手拭いを首に巻く。あーこりゃ堪らん。気持ちいいわ。
この辺りは鍬ケ崎という地区。震災前には多くの民家が立ち並んでいたが、今、道路の両側には新しい建物、駐車場、そして空き地が目立つ。
宮古市の公式記録によれば、この地区での倒壊家屋数は500棟超、死者行方不明者も60余名と、宮古市街中心部に匹敵する被害規模だったそうだ。
沿道のそこかしこには真新しい住宅も建ち始めているようだし、今は「売土地」の看板の立ってる空き地も、やがて少しずつ新しい街並みに生まれ変わっていくのだろうか(先の大津波の記憶も消え去らぬうちに)。
道沿いを南に向かって歩いて行くと、やがて緩やかな登りの右カーブにさしかかった。右手の斜面の、なにやら工場設備の一部のようなコンクリート製の構造物が目に付いた。
すぐそばの路傍に建てられていた真新しい案内板に周辺の見どころの解説(こーゆーの読むの好きだ)があって、それによるとこの構造物はラサ工業株式会社が内陸の田老鉱山で採掘した鉱石の中継施設として1930年代に建てたものだそうだ。なお、ラサ工業は化成品や電子材料の開発・生産を手掛ける老舗企業。宮古市郊外にある同社工場の高い煙突「ラサの大煙突」で地元ではつとに知られている。
この案内板に記載されていた湊大杉神社を訪ねてみることにした。時刻は15時半を回ってるけど、まだあとしばらくは陽もあるし、今日の終点はもうすぐそこだし、ちょっと寄り道のつもりで。
トレイル本線からわき道をちょっと入ったところに参道入口あり。訪れる人も多くはないのか、石段には落ち葉が分厚く積もっていた。
広い境内は宮古湾を見下ろす高台にあり、ブランコや滑り台などの子供用の遊具も設けられていた。この手の神社や公園でよく見かける「忠魂碑」のほかに、幕末にここ宮古湾で官軍と幕府軍との間で繰り広げられた宮古湾海戦の顛末を記した「宮古港戦蹟碑」は、題字がこの海戦に下級の士官として遭遇した後の海軍元帥・東郷平八郎の手蹟とのこと。他にも市の文化財の石碑もいくつかあって、いちいち案内板など読んでみたり。
本殿にお参りも済ませて、さてトレイル本線に戻ろうかと踵を返しかけたところ、なにかの気配。カモシカだった。ビビったわ…
トレイル本線に戻り、国道45号線と合流する丁字交差点(宮古市愛宕)を歩道橋で渡ると、きつい西日を避けるためもあって国道から一本裏手の道に入ってみる。
NTTのビルの裏手に、上半分が欠けちゃってる石碑あり。「道供養碑」と呼ばれるこれまた宮古市指定文化財。これは「鞭牛碑群」と呼ばれる、閉伊川流域に点在する石碑群のひとつ。18世紀中頃、この地方の交通路の開削や街道筋の難所の改修などに尽力した仏僧・牧庵鞭牛(ぼくあんべんぎゅう)が、工事や交通の安全を祈願して要所々々に建てたものと伝えられている。
鞭牛は40代半ばにして寺の住職の跡目を弟子に譲ると、73歳で入寂するまでに宮古〜盛岡を結ぶ閉伊川街道100キロ超の交通・輸送環境に劇的な改善をもたらしたといわれる。
伝承によれば、最初は鞭牛一人で現場に赴いて工事を始めたのだという。ツルハシ片手に黙々と作業に励む姿に、最初は懐疑的だった地域の住民も次第に協力するようになったのだとか。
そして入寂の前日までツルハシを手に現場に入っていたとも伝わるので、一貫して「現場主義」だったことは間違いなさそうだけど、実際には仏僧としての知識や権威、コネも利用して、藩の役人や地元の有力者に事業の必要性を説いたり、物心両面での協力を仰いだりといった、今日でいうところのソーシャル・アントレプレナー、あるいはインフルーエンサーなんて感じの働きにも時間を割いてたんじゃないかとも想像。いずれにしても、なかなかにロックンロールな生き方をされたようである。
ここから国道45号線沿いに出て、築地と言う大きな交差点を渡る。
この交差点は宮古市街を抜け盛岡市中心部まで続く国道106号線の基点である。一方、国道45号線はこの次の新川交差点で直角に南に折れ、宮古湾に注ぐ閉伊川をその河口に架かる宮古大橋で渡ると、山田町、大槌町を経て釜石市へと続いていく。どっちにしてもまっすぐ行けば宮古市の繁華街、今夜の宿にも直行なんだけど、あと少しだけトレイル本線を歩こう。
築地交差点を渡ってすぐのところに「うみどり公園」という真新しくこぎれいな公園があって、日曜の午後と言うこともあってか大勢の子供たちが遊んでいた。広々してて明るくて、子供らは愉しいだろうなぁ良いなぁ。
トレイルマップによると、この公園を過ぎたところ、国道106号線が宮古大橋すなわち国道45号線をくぐるところに歩行者用の階段の登り口があって、そこが(SOBO/238.46)とされている。
標識の類いは何も見当たらなかったので半信半疑ではあったが、近くまで行って見ると階段の手すりにMSTの目印テープが結わえられていた。
【画像】宮古大橋のたもとのMSTマーキング
一旦、階段を登って橋の上まで出てみたが、横断歩道も無くて向こう側には渡れないので、戻り下りて、橋の高架を潜って、橋の反対側のたもとに出てみる。ここにもやはり階段の登り口あり。
側道を挟んで反対側の角に「新川ポンプ場」というフェンスに囲まれた何の変哲もない小さなポンプ施設があった。
トレイルマップによれば、この角が「JR山田線・三陸鉄道リアス線 宮古駅方面接点」(SOBO/238.50)のハズであるが、それを表す標識も何にも見当たらない。が、常宿にもほど近いし、この地点を今回のゴールとする。
16:20、「JR・三鉄 宮古駅方面接点」(SOBO/238.50)着。
本日の距離は約11q。時間がかかったのは「うみねこ丸」クルーズがあったからなんで、歩行ペースそのものはまぁまぁだったかな。
16:30、華街の路地裏を抜けてホテルに戻る。
ひと風呂浴びてこざっぱりしてから夜の街へ。
今夜はどこか新しいお店を開拓しようと、敢えて予約せずに勘を頼りのお店選びで、ホテルにほど近い「大衆酒場のらくら」というバル風のお店に入ってみたのだけど、ここは大当たりだった。
話の向きからして他の居酒屋の店長らしき男性と、宮古のローカルネタのいろいろや、この先の重茂半島の様子とかを肴にアレコレ話して愉快に飲んだ。はっきりとは覚えてないけど3時間くらいは飲んでたかなぁ。料理も美味しかったけど、凍らせた青竹を杯に頂くAKABUも絶品だったなぁ。
ホテルに戻ると酔いに任せてすぐ寝てしまった。
さて今、お店の注文用の紙片に飲みながら書いたらしいメモが手元にあるんだけど、「でれっき」「じゃっかん」「ずっつぐ」「えんずい」「なまこぱんのてんぷら」…なんだこりゃ?今度また行って聞かねばw
朝8時頃、チェックアウトして駅前へ。
バス案内所で08:45発の106急行のチケットを購入。しかるのち駅そばで朝食。今日はちょっと目先を変えて、めかぶとエビ天をトッピング。ちょうど「さんてつや」が開店したので、軽くお土産ショッピング。しかるのち盛岡に向けて出発。
国道106号線の沿線でも桜が満開であった。
盛岡駅に定刻10:25着。とりあえず先に駅で復路の乗車券を購入。
11時の開店を狙って沢内甚句本店に行くも開いてない…ので、ももどり食堂の方で白ビール1杯だけ飲んで、昼の定食メニューから「肉豆腐定食」食べて少し早めのちょっと飲みランチ。
しかるのちお隣の坂本酒店の角打ちコーナーでちょびっと飲んで、お土産に日本酒4合瓶を2本買って、木伏の東北ドリッパーズでカフェラテ飲みつつ食後の一服。やれやれこれでおおかた今回の旅程も消化し切った感じ。あとは気を付けて帰るのみ、だな。
にしても、もう少し涼しくないともう辛いわな外歩き。昼のニュースで盛岡の正午の気温、27℃だってんだから。日陰はちょうど良いくらいなんだよなー少し風もあって、心地よい。でも日向はもうダメだ。焦げそう。
バスも定刻通り着いたし、お昼も思ってたより長っ尻にしなかったので、帰りの新幹線までちょっと時間持て余し気味。でも外は暑いしこれ以上ウロウロする気にもならず、1時間以上あるけど改札くぐってしまった。
待合室でPokemonGOしたりして時間潰した。そのうちウトウトとしてきて、待合室のシートに座ったままユラユラしてた。
はやぶさ、定刻発着。車内誌「トランヴェール」を一読すると、後はひたすら寝ていた。東京駅で乗り換えの時、席を立とうと動いたら、なぜか体がバッキバキ。頑張れ俺の肉体。
のぞみの車内でも、ただただボンヤリ過ごす。寝てはいないけど、ただただボンヤリ。考えごとも、浮かんでは消えて、まとまらない。考えるべきことはいろいろあるはずなのだけど、そーゆー「モード」に入れないままに新大阪に着いてしまった。
新大阪駅、旅行客も多かったけど、平日の夕方だからか出張の行き帰りらしいサラリーマンの姿も目立った。こんな風に、いつもと違うタイミングで動いてみるのもまた一興だな、なんて思ったりもした。
*
次回はいよいよ宮古市南部へ。まずは重茂半島を攻略し、来年はアプローチの難所、本州最東端の鯔ヶ崎を越えて山田町に入る見通しだ。
重茂半島の突端、閉伊崎にも行ってみたいが(本線から大きく外れるし、そこになにがあるってんではないけど、やっぱり先っちょとか端っことかには行くだけ行ってみたい主義)先を急ぎたい旅でもあるからな…ここは試案のしどころだ。