2025年06月09日公開
みちのくトレイルクラブ 発行(2020年10月1日 初版第1刷)
2019年秋に青森県八戸市をスタートして足掛け5年、広い岩手県の長い海岸線のちょうど真ん中あたり、沿岸屈指の大きな街である宮古市の市街中心部が今回のスタート地点となります。
ここから先、トレイルは重茂(おもえ)半島を越えて南隣の山田町に抜けて行きます。重茂半島は本州最東端の岬「魹ヶ崎」(とどがさき)を擁し、MST屈指のアクセスの難所として知られています。この半島をどう攻略するか、一筋縄ではいかなさそうでワクワクが止まりません(ちょっと強がり)。
仕事はフレックスで15時過ぎに切り上げて、そそくさと退勤。
帰宅してひと風呂浴びると荷物の最終チェック、戸締まり&火の用心を確かめて家を出る。駅前の吉野家で早めの夕飯を済ませて17時、新大阪には時間に余裕を持って着いておく…と、ここまではここ数回で完全にルーティン化している。
一昨日の晩、宮古での行きつけ「笑びす」を電話予約した際、明後日の日曜日、「宮古サーモンハーフマラソン大会」が開催されると聞いた。そう言えばFacebookのフィードかなにかで見かけたかも。日曜は朝から市内を路線バスで移動する計画なので、念のため岩手県北バスに電話して確認してみた。バス路線の一部が大会のコースにかかるけれど、特に運休とかルート変更とかは無くて通常運行するとのことで一安心。
さて新大阪駅は、やはり金曜の夕方とあってまずまずの混雑ぶり。
これまたいつものように往路、東京までの新幹線と、復路のはやぶさ&のぞみの特急券を発券…しようとするも、復路ののぞみの分が何度やっても「発券出来る予約がありません」ってなっちゃってちょっと慌てる。往路ののぞみと復路のはやぶさの分はちゃんと発券出来たんだけどな…
スマホからEX予約のアカウントにログインして確認してみると、予約そのものはちゃんと出来てるようなので、問い合わせるべく窓口に並んでみて、順番待ちの間に細かい注意書きの部分を読んでいると、あー、なんか書いてあるわ。今年7月末でルールが変わって、「指定席券売機」「受取専用機」でのきっぷの受取期間が「乗車日3日前以降」になったんだって。
今回、復路の乗車日は12日(火)、だから発券出来ようになるのは「3日前=9日(土)から」つまり明日からってことか。帰りの新幹線、切符が東京までの分しか手元に無いってのが少々心細いが、まぁしゃーない、帰りは東京駅で一度改札出て、東海道新幹線の入場口で改めて券売機で発券…でイケるよな?窓口に並ぶ長い列を離脱して改札に向かう。
ちなみにあとで調べたら、「4日前以前に受け取りたい場合は係員のいる窓口で手続きしてもらってね」だそうで。さいでしたか。次回はそうしようかな。それにしても新幹線って、JR各社で予約サービスが別々ってのが不便だわ。東北行く時のように複数社区間を跨ぐ場合には猶更煩わしく感じる。
東京に定刻着。これまたいつものように夜行バスに乗り換え。ボールペンを持ってくるのを忘れたことに気づき、バスターミナル内のコンビニで購入。何かしら忘れるよな最近…
お馴染みいつもの夜行バス「MEX盛岡・宮古」、前回より車両が古いような。でもなんとなくだけど足元は前回のよりゆったり広々してるような。
八重洲からは10人くらい乗った気配。例によってさいたま新都心まではPokemonGOやったり、思い付いたことどもをスマホでメモしたりして過ごす。この時間も結構楽しい。さいたま新都心では4~5人乗ったかな?ここで就寝とする。
朝4時半頃、トイレ休憩の紫波SAに到着。
外の空気を吸おうとバスを降りる。やっぱ寒いな!軽く身震いしつつも大きく伸びをして、辺りに漂う朝もやと枯葉と土の香りを胸一杯に吸い込むと、「うーん、また来た!いや、戻って来たなぁ!」と感じる。ここから宮古までは予定通り行けばあと2時間ってとこ。
夜行バスの道中は、いつも眠りは浅くて、ちょっとウトウトしては1時間おきくらいに目が覚めるって感じ。ここ何回かずっとこのパスを利用してるけど、なかなか慣れない。まぁ、狭いなりにパーソナルスペースが確保されてて、手足を伸ばしてくつろげるだけで御の字と割り切った方が良さそうだ。
さて今回、いよいよ重茂半島に足を踏み入れる。
前回から参考にしている「街道の日本史・三陸沿岸と浜街道」(吉川弘文館 刊)によれば、三陸海岸は宮古湾に注ぐ閉伊川を境に、北は隆起型の海岸段丘、南は沈降型のリアス式海岸と地形的に大きく異なるのだそうだ。
これは縮尺の大きな地図で見ると分かり易い。SOBO(南向き)で歩き始めた八戸市以南の海岸線が、途中いくらかの凸凹はあるものの宮古市までは概ね滑らかなカーブを描いているのに対し、宮古市以南はノコギリの刃のようにギザギザの海岸線が宮城県の東松島市辺りまで延々と続いているのだ。
それらノコ刃のひとつひとつにあたる大小の半島が内陸に向かって深く切れ込んだ入江を形成しており、それぞれの入江の最奥部に比較的大きな港や街が築かれている(岩手県内で言えば、北から山田、大槌、釜石、気仙沼、陸前高田…といった具合に)。
そして、そうしたノコ刃の並びの中でも、最大にして最北に位置するのが重茂半島だ。
同半島の北西側の海岸線は、内陸に大きく切れ込んだ宮古湾の最奥部、津軽石川の河口付近から、北東方向にまっすぐにノコ刃の切っ先「閉伊崎(へいざき)」まで延びている。
閉伊崎で半島の東側に転じた海岸線に沿って、宮古市のランドマークのひとつでもある月山(「がっさん」、別名「御殿山」・標高455.9メートル)を前方に仰ぎつつ南下すれば、本州最東端の岬「魹ヶ崎(とどがさき)」に至る。
魹ヶ崎の南で外海に張り出した根滝山(ねだきやま)から内陸側の湾は、もう「山田湾」である。山田湾に面して小さな漁港集落の点在する海岸線を更に南に進み、川代(かわしろ)という小集落の外れで山田町に入る。
市町界を越えてから、更にもうひと山越えると、ようやく山田町の市街地の外れに着く。重茂半島のアウトラインはおおまかにこんな感じである。
この区間のMSTを、公式データブックの記載に沿ってSOBOで述べると、まず宮古湾の最奥部、津軽石川河口の「津軽石川水門 西」(SOBO/246.30)から、海岸沿いの県道41号線を白浜と言う集落まで歩く。
白浜からは上述の月山の山頂に向かう自然歩道に入る。月山山頂を経て半島の東側に下ると、トレイルは再び舗装道路に合流し、音部(おとべ)漁港と音部、笹見内(ささみない)、舘(たて)、里といった集落を経て重茂漁港に至る。重茂漁港の先で再び非舗装の山道に変わったトレイルは、本州最東端の岬「魹ヶ崎」に至る。魹ヶ崎から、魹ヶ崎への南のアクセス地点でありキャンプ場もある姉吉漁港までは非舗装路が続く。
その先、姉吉(あねよし)、千鶏(ちけい)、川代の順でそれぞれに小さな漁業集落を通過し、川代の外れで山田町に入る。
山田町の居住地区に辿り着くには「寺地越(てらちごし)」という古い集落道で山越えしなくてはならない(最高地点の標高は月山とほぼ同じである)。「寺地越入口」(SOBO/291.17)で大沢という地区に出て県道41号線に再合流する。大沢集落の中心街区を県道に沿って西に行くと、「全日食チェーン中忠商店」(SOBO/294.38)のある交差点で国道45号線に再合流する。
このように見てみると、MSTに於ける「重茂半島区間」とは、北の宮古市側の基点を「津軽石川水門 西」(SOBO/246.30)、南の山田町側を「全日食チェーン中忠商店」(SOBO/294.38)として、トレイルの両端で国道45号線と接する地点の間と定義するのが分かり易いだろう。
さて、つまりその区間距離は約48kmということになる。単純に1日15kmペースで歩けたとしても優に丸三日はかかる距離だ。
大前提として、こちとら関西から通いのセクション・ハイカー(トレイルを小分けにして少しずつ歩くハイカーのこと。それに対して一度で全区間通して歩くハイカーを「スルー・ハイカー」と呼ぶ)、1回の旅程は3連休の週末の前後どちらかに年休1日付けてせいぜい四日間、移動に前後1日ずつ割くから正味歩けるのは中二日だけとかにならざるを得ない。
そのうえ重茂半島は、とにかくアクセスと宿泊のアレンジが難しい(後に詳述)。更にどうせあちこちで要らん道草も食うだろうから、無理せず「刻んでいく」方針に決めた。
最短でも「春・秋2回分割で1年がかり」、下手すると3回分割で2年がかりとかになるかも知れない…まぁ先々の展開は分からない(もしかするとどこかでまとまった日数、休みが取れるかも知れない)し、ひとまず現時点では以下の通りの計画とした。
<今回/2024年秋>
初日・宮古市内~白浜
二日目・白浜~月山山頂経由~重茂漁港
<次回/2025年春>
初日・重茂漁港~魹ヶ崎~姉吉キャンプ場
二日目・姉吉キャンプ場~寺地越入口
2025年秋には次の大きな半島である「船越半島」に、さらにその翌年には大槌町に手が届く…のか?なんにせよ気の長い話には違いない。
ゴールの福島県相馬市はまだ約800キロ南の彼方、少しでも急ぎたい旅路ではある…のだけれども、同時に、この先この同じ場所を再び歩きに戻る機会は多分無い、「一期一会」の一本道でもある。可能な限り1回々々を大事に歩きたいとも思う…ここに葛藤があるのだけど、それもまた愉しい。
ちなみに(前回「みちのく潮風トレイル」#11の末尾でも少し触れたが)半島の北端「閉伊崎」はトレイル本線には含まれていない。
グーグルマップで軽く調べると、地元の磯釣りファンには高評価らしいが観光的な見どころってのはこれと言って無さそう。
月山山頂から東に下って舗装路に合流する地点(SOBO/258.97)でトレイル本線を外れ、一本道の舗装道路を片道約6キロほど、行って帰るだけで優に半日はかかると見ておかなきゃなるまい。行き帰りで同じ道を歩くってのも退屈そうだし、正直、あんまり食指は動かん感じ。
ただ、こんなような先っちょとか隅っコとかには、行けるものなら行っておきたいモノズキな自分としては、行くだけ行ってみたいという気持ちはある。岬にあるという神社や灯台も、調べてみればなかなか雰囲気ありそうだし…あまり南に行き過ぎてしまわないうちに、なんとか機会を持てないもんかな…なんて考えたりもする。
*
もうすぐ宮古駅前。バスのカーテン越しに朝の陽ざしが感じられる。
降車の支度をしてからスマホで今日の宮古の天気予報をチェック。晴れ時々曇り。予想気温は最高15℃、最低1℃。
宮古駅前に着くと、いそいそと降車。やはり寒い!
まずは例の如く駅ソバで腹ごしらえして、駅の待合室でコーヒー飲みつつ地図で今日の行程を確認してから悠々と出発。
今回は上下、モンベルのジオラインの長袖Tシャツとタイツ、同じくモンベルのひざ丈のサイクルパンツ(その名の通りサイクリスト向けなんだけど、塩梅良いので愛用している)、それにサーマルにフリースと、シェルウェアはこれもモンベルの「トレントフライヤー・ジャケット」という出で立ち。
足下はいつものハイカットのトレッキング・ブーツと厚手のソックス(これらもモンベル…)、つば広の帽子もモンベル…モンベル製でないものといえば、手袋くらいかなと。
手袋だけは安物の軍手。綿なので濡れたら重くなって不快で且つ乾き難いというデメリットはあるものの、丈夫さが身上。林の中の上り下りで岩肌や地面や倒木などに手を突いたりしなきゃならんような時、高価な化繊のグローブなんかだとつい躊躇しちゃうし、強度に不安を感じることもあるから。それになにより手袋を失くしがちな自分としては、最悪、落として失くしても、たいていのコンビニで売ってるので現地調達も容易且つ廉価なので悔やまなくて済む手軽さが有難い。もちろん、防寒用にフリースのインナーグローブ(そうとも、これもモンベル製だがそれがなにか?)も携行してはいるけれど。
なお、今日はほとんど舗装路歩きなのでゲイター(スパッツ)は無し。身に着けるものでモンベル製でないのはこのゲイターだけかも。
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宮古市の目抜き通りである末広町の商店街では、道路を跨いでたくさんの富来旗(「ふらいき」=大漁旗のこと)が掲げられていた。朝の微風に緩やかにはためいている。明日のマラソン大会を盛り上げる演出なのだろう、なかなか雰囲気あってこちらの気分もアガる。
【画像】宮古市内・はためく富来旗
08:10、国道橋脚下の歩道:宮古駅方面接点(SOBO/238.50)
「新川ポンプ場角」より今回の行程スタート。
階段を上がり、まぶしい朝日に目を細めつつ宮古大橋を渡る。この辺りは町なか・歩道沿い。
宮古大橋を渡った少し先で早くもトレイル本線を外れ、さんてつの線路の向こうの高台の中腹に建つ「藤原比古神社」に詣でる。
中世創建と言われる由緒ある神社だそうだが、残念ながら、あまり手入れが行き届いてるようには見受けられなかった。
たまたま社務所の前で落ち葉を掃いていた氏子と思しき男性に挨拶し、しばし世間話。
この神社は、且つては現在は住宅地になっている海に近い平地にあったが、戦時中の空襲による焼失や戦後のアイオン台風の水害被害を経て現在の場所に遷座したとのこと。近頃は余所から来た人たちが新しく家を建てて住むようになって、近所付き合いも昔ほど密でないので神社の存続も先の見通しが不安であるとか「防潮堤は立派にしたけど、次の津波がどんなになるかだって誰にも分からないんだから…(かつての浸水域にやたらに家を建てるのはどんなもんか…)」といったお話を伺った。
神社を後にしてトレイル本線に戻る。国道45号線沿いを少し行った先の、国道106号線バイパス「宮古盛岡横断道路」宮古港IC入口交差点の手前に墓地があり、その角に「幕軍無名戦士の墓」という碑が建てられている。
幕末の戊辰戦争時、宮古湾で戦われた宮古湾海戦については、前回、湊大杉神社について書いた時に少し触れたが、この海戦の後、漂着した幕軍兵士の遺体を弔った墓であるという。更に国道沿いを先に進むと、明治、昭和の大海嘯記念碑あり。
09:00、磯鶏(そけい)信号交差点(SOBO/240.08)
この交差点の角、公式マップに宿泊場所として記載されているホテル「日昇館」は残念ながら廃業しちゃってるっぽかった。さんてつ磯鶏駅に寄り小休止。トイレ借りる。
再び国道に戻り南へ。宮古市文化会館の入口付近に大きな橋脚の部材のようなものが据えられているのに気付いた。近付いて見てみる。
傍の案内板によると、この物体は閉伊川河口付近に架かっていたJR山田線の鉄橋の一部分だという。昭和20年8月の「宮古市空襲」の際に英米軍艦載機の銃撃で被弾した痕が残っており、震災前には平和学習にも活用されていたが、鉄橋全体が津波で流されてしまったため、一部を切断しここに移して展示・保存しているとのこと。確かに数ヶ所に貫通した弾痕を見ることが出来、受難の経歴がうかがえる。
今日はここまでの短い間だけでも、中世~近現代に渡って当地で起きたいろいろな出来事を垣間見ているなぁ。
文化会館を過ぎて、緩やかなS字カーブを抜けて少し歩くと、磯鶏1丁目の信号のある交差点。この辺りはカーディーラーや家電量販店などが立ち並んでいて開けた感じ。
トレイル本線に沿って交差点を河口(八木沢川)の水門の方へ左折。地図上、水門の北側の丘の中腹に神社マークあり。アパートの脇に建つ鳥居の簡素な扁額には「熊野山神社」とあった。もちろん寄ってみる。
港を見下ろす高台の上、わずかな平地にコンクリート造りの社殿が建てられていて、猫の額ほどの広さの境内の隅には江戸時代の銘のある手水鉢なども転がっていたが、こちらも全体的に、ちゃんと手入れされているようには残念ながら見えなかった。簡単にお参りだけしてトレイルに戻る。
09:55、水門を越えて神林木材港の堤防上を歩く。
「木材港」というので広い貯木場に丸太が積み上げられている風景を想像していたのだけど、それらしきものは何にもなくてガランとしていた。桟橋にはたくさんのプレジャーボートや漁船が係留されていたが。
つい調子に乗って堤防の先の「リアスハーバー宮古」の前まで歩いてしまったが、トレイル本線の分岐を通り過ぎてしまっていた。取って返して堤防を降りる急角度の階段の下り口へ。アルミ製の手摺にMSTのテープマーカーが結わえられてた。
そこから堤防を下りたところにMST標識があり、その前方には大きな鳥居が見える。事前調査によると「正一位大明神」の社があるとのことで、もちろん立ち寄る。
大鳥居にはちゃんと手作りらしい注連縄が掛っており、和紙で作った飾り「紙垂(しで)」も真新しい。かなり急勾配の石段を登ると、小さいながら鮮やかな朱色の本殿と社務所、神輿殿もあり、まずまず手入れされているという印象。社殿の背後からは宮古湾を見下ろせたが、木立に阻まれてバンテージ・ポイントとは呼び難かった。が、参拝はしっかり済ませた。
正一位大明神を辞して、MST標識に従って日当たりの悪い谷筋を少し上がると、国道45号線に再合流した。
国道沿いの歩道を淡々と歩く。左手には宮古湾が広がり、その向こうに月山の頂と閉伊崎につながる緩やかな稜線が伸びているのが一望出来た。
10:50、異人館(SOBO/242.81)
国道に再合流してから歩くこと20分ほどで、宮古湾を見下ろす小さな岬に建つ洋館風の喫茶店「異人館」に到着。
数年前、初めて宮古を訪れた際、通過する路線バスの車窓越しに「おや?こんなところにえらい小洒落れたお店だな」と思った記憶がある。宮古市内から津軽石水門までの間の、ちょうど半分くらいの位置。
この先、トレイルは宮古湾の最奥部までずっと防潮堤の上を行くことになる。時間的にも区切りが良かったので、防潮堤に上がり荷物を卸して休憩。気温も上がって来たのでフリースも脱いだ。
ところへ異人館のご主人が堤防の階段を上がって来られて、声をかけて下すったのでしばし歓談。ここはMSTのハイカーたちにもつとに知られたお店なので、勢いトレイル談義に花が咲く。温和な方で、時間さえ許せばいくらでも居られてしまいそうだった。MSTについてここ宮古市周辺について、聞きたいこと聞いて欲しいこと、話のネタは山ほどあれど、先を急ぐ旅、後ろ髪引かれつつも出発しなくては。いつか改めて訪れたい場所がまたひとつ。
11:10、異人館から堤防上を南へ。
堤防の上と言うのは、しかし、まっすぐで平らでペースは上がるけど、見るものは少なくてちょっと詰まんないかな。日陰も無けりゃ吹きっさらしだし、雨が降ってもしのげる軒も無い。右手に広がる集落や左手、漁港の防波堤で釣りに興じる人たちの姿を眺めたりして無聊を慰めつつ歩く。
高浜という集落と漁港を通過したところで、一旦、防潮堤を離れ、小学校前の交差点で国道を渡り、金浜(かねはま)という集落に立ち寄った。
お目当てはこの近くの神社マーク。事前調査によれば、金浜稲荷神社、別名「宝くじ神社」と呼ばれているそうだ。長年、宝くじで一攫千金を目指していて(ナンバーズ、ミニロト、ロト6で平日は毎日が抽選日体制)、そろそろビッグな一発が欲しい自分としては素通りするわけにはいかない。ひとつご利益を祈念していこうではないか、というわけで、ここでも道草を食う。
11:55、「金浜稲荷神社」到着。
宮古湾を見下ろす高台の上にあって、参道の登り口に掲げられた「祈願 宝くじ神社」ののぼりが実にストレートで、いっそ潔いほどだ。
【画像】金浜稲荷神社・全景
拝殿の裏手に本殿と幾つかの祠があり、そのうちのひとつに先ほどと同じ「祈願 宝くじ神社」ののぼりが立てられていた。賽銭箱が金属製のチェーンでグルグル巻きにされたうえに南京錠のゴツいのが掛けられているのを見るに、祈願かお礼参りでなのか、お賽銭を奮発する人がいるのであろうこちらが「宝くじ神社」に違いない。丁寧にお参りし「高額当選の暁には必ず1割キャッシュバックしに参りますので、何卒々々、宜しくお願い致します」などと、煩悩満々、欲丸出しのお祈りもしてしまった。
ちなみにこの祠は正式には「命婦社(みょうぶしゃ)」という。
祠の側面に掲げられた案内によると、平成8年に改修のため旧社殿を解体したところ、床下からつがいの狐のミイラが見付かったのだそう。狐はよく知られる通りお稲荷様のお遣い、または化身とされているので、これら二体の亡骸を祭神として稲荷社を建立したとのこと。なるほどその由来を聞けば、なんだか本当にご利益がありそうに思えるし、逆にこのようにちゃんと祀らなかったら祟りがあったかも、なんて思ったりも。なお、「命婦(みょうぶ)」とは稲荷神の遣いをした狐を指す異称で、もともとは平安時代の宮中に仕えた女性の官職名のひとつだったとのこと。
…といった縁起はどうあれ、とにかく地域の方々が大切にしているらしく見受けられて好感が持てた。大鳥居の脇にはチリ地震と東日本大震災の津波記念碑も建てられていて、こちらも手入れが行き届いていた。手を合わせて軽く黙祷して辞す。近くには江山寺というお寺さんもあったので、こちらもささっとお参りし。国道まで戻る。
12:20、ファミマ宮古金浜店(SOBO/245.65)
おにぎり、菓子パンと魚肉ソーセージを買ってランチにした。トイレも借りた。それにしても半日かけてまだ7kmしか歩いてない…ちょっとペースを上げないと夕方までに目的地に着かないんじゃ?
12:40、ファミマを出発。たちまち重茂半島の入口、「津軽石川水門 西」(SOBO/246.30)に着いた。
この水門の上を歩いて対岸に渡り重茂半島区間に入るのが公式なトレイル本線なんだけど、さんてつ津軽石駅方面に少し寄り道する(またか)。
【画像】県北バス「津軽石口」停留所(後方はさんてつの踏切)
岩手県沿岸は鮭が遡上する河川が多いことで知られているのだけど、殊にこの津軽石川河口に広がる旧・津軽石村の一帯は、江戸時代から鮭の川漁と稚魚の養殖・放流がさかんな地域。その遡上数は本州の河川でも有数で、昭和後期には漁獲量で史上最高、本州一を記録したこともあったという。
以前は毎年、冬には鮭まつりが催されるなど賑わったが、東日本大震災では津波でこの一帯も大きな被害を受け、またコロナ禍の間のイベント中止、そして近年は鮭の歴史的な不漁と困難が続いているとのこと。
これまでさんてつで移動する時など、駅に鮭のオブジェがたくさん飾ってあったのを目にしたりもしてきたのだけど、正直、あんまり気には留めてこなかった。でも今回、歩くにあたっていろいろ調べていたら意外と見どころありそうなんで、時間が許す限り見て回ろうと思って来たのだけど、鮭漁にちなむ「又兵衛の碑」、それにその裏の高台に建つ「正一位稲荷社」(津軽石稲荷)にお参りしただけでタイムオーバー。
近くにある重文「盛合家住宅」(鮭漁の網元の邸宅)や、上流に少し歩いたところにある「判官稲荷神社」(源義経北行伝説のある神社のひとつ)も訪ねてみたかったのだけど、もう13時を回ってる…今日のゴールである白浜集落には、帰りのバスの時間もあって16時には着いておかなきゃならない。残念だけど切り上げた。
さんてつ津軽石駅近く、津軽石橋を渡って対岸へ。ようやく重茂半島に取り付いた。橋の上から眺めた津軽石川の河原にはたくさんのススキの穂が既に傾き始めた陽ざしに輝いていた。
橋を渡って右手には駒形通、藤畑、前方つまり進行方向には赤前という集落が広がっている。ここでも藤畑駒形神社や赤前八幡宮など、時間が許せばトレイル本線から大分逸脱するけど立ち寄ってみたかった場所がけっこうあって残念…となると津軽石~白浜間を1日かけて歩くというプランもありだったか?いや、さすがにそれはノンビリし過ぎだろ…まだまだ先は長いんだから…などと自問自答しつつ宮古運動公園に向かって辺りに広がる草ぼうぼうの空き地を眺めつつ歩く。
じきに宮古運動公園が見えて来る。ナイター設備と観客席を備えた立派な野球場と陸上競技場、それにかなり広い駐車場のある立派なスポーツ施設。
市のネーミングライツ事業で今年(令和6年)から3年間、「東北ヒロセ野球場」「東北ヒロセ陸上競技場」と呼ばれることになっているとのこと。隣接する駐車場や公園内には、明日のハーフマラソン大会の運営スタッフや下見のランナーらしき人たちがけっこう居た。
それと、駐車場前の道路を挟んだ反対側の空き地に、近年ヒットした某アニメ映画の舞台を再現した「あの扉」があって(誰が作って管理しているのかは知らないけれど)、駐車場に停められた車のうちの何台かは、それ目当てのいわゆる「聖地巡り」の人たちのものらしかった。
ちなみに津軽石駅から川を挟んでこの辺りの一帯では、あの日、津波によって住家被害約700棟、50余名の犠牲者を出したという。今、この穏やかな秋の午後の光景からはイメージするもの難しいが…
運動公園を突っ切り防潮堤に上がる。ようやくトレイル本線に再合流。
14:00、防潮堤上の歩道と一般道路との合流地点(SOBO/247.68)
その少し先、道に大きく影を落とす立派な枝ぶりの木(センノキ?)の根元にMST標識「白浜漁港4.2km」あり。今、14時ちょうど。舗装道路沿いなので時速3㎞で歩けるとして、1時間半もあれば白浜漁港に着けそう。帰りのバスには何とか間に合えそうだ。ヤレヤレ一安心。
白浜漁港までは宮古湾の東岸の海岸線沿いの細い道路沿いを歩く。
この道路はところどころにある小集落を守る防潮堤の外側を走っていて、ガードレールのすぐそこはもう波打ち際だ。途中、堀内という集落を過ぎると道幅が一段と狭くなり、車もすれ違えないほどになる。歩道も無くなり、あるか無きかの路肩を往く。
自動車が来たら(だいたい音で分かる)なるべく海側の端に寄って、場合によってはガードレールの外側に出て立ち止まってやり過ごすようにした。「歩行者は右側通行」の原則から言えば山側の路肩を歩くべきだったろうけど、急カーブで見通しのきかない場所も多かったので、こちらからも車からも視認しやすい(であろう)海側の路肩を終始歩いた。
なお、先ほど津軽石川を渡った時に通った県道41号線(重茂半島線)は、運動公園前の道路の東を赤前集落の外周に沿って伸び、堀内の辺りで大きく東に向きを変え、重茂トンネルを経て、いわばこの半島を東西に横断するかたちで重茂漁港に至る(正確には重茂漁港最寄りの「里」という小集落)。
重茂漁港から先は-魹ヶ崎に直接アクセスはしていないものの-先述の姉吉、千鶏、石浜といった集落を経て山田町まで延びている。
一方、この海沿いの道路に沿った岩手県北バスの路線(宮古~石浜線)は、白浜集落まで北上し、そこからやはり東に向きを変え、月山のふもと「白浜峠」を越えて半島の反対側、音部漁港に出る。
音部漁港の少し先、重茂漁港の手前の笹見内集落で重茂トンネルを越えて来た上述の県道41号線と合流し、営業所と車庫のある重茂漁港を経て、先に少し触れた石浜という漁港集落が終点となる。
MSTのトレイル本線ともかなりの範囲で重複するこのバス路線には、この先も、更にその先でも相当お世話になることになる。
午前中、歩いて来た対岸の防潮堤を眺めながら歩いて行くと、やがて宮古の市街地の方に、これもまた市のランドマークのひとつである「ラサの大煙突」が見えて来る。そして更に歩を進めるうちに、前方に長い防波堤を湾に突き出した大きめの漁港が現れた。白浜漁港だ。防波堤の上のそこかしこに竿を垂らす人の姿が見える。
【画像】白浜漁港にて。釣り人と「ラサの大煙突」
今、ちょうど15時。予想以上に速いペースで歩けたみたいだ。
宮古駅前行き最終バスは16:26発と、まだ1時間ちょっとあるので、まずは漁港を見下ろす堤防の上でひと休み。冷たい風が吹き始めていたので、既にかなり西に傾いた日差しのじんわりとした暖かさが有難かった。仕舞っておいたフリースをジャケットの下に着こむと、明日のスタート地点の確認と集落内の散策。
まずは明朝のスタート地点、月山に向かうトレイルの入口を確認する。ストリートビューでアタリを付けていた場所で正解だった。集落の一番海よりの外れ、堤防の近くにポツンと建っている土蔵の前を通って、浅い堰の向こうに見えている低い鳥居を潜るらしい。
続いて、白浜の集落を一巡する。
戸数は思いのほか多かった。かつては小学校もあって宮古市との間に通学用の渡船が運行されていたそうだ。あの震災の更に10年前、2001年には閉校になったそうだけれど、体育館や校庭は当時のまま残っており、校門の門柱には未だに「白浜小学校」の銘板が掛かっていて往時が偲ばれる。
集落の山側の外れにある「海嘯死者精霊塔」群、それに白山神社も訪ね、この集落でマークしていた場所は一応、一巡出来たので、少し早いけどバス停に行ってバス待ち。ここをもって本日のゴールとする。
15:30、白浜バス停(SOBO/251.44)
なおこのバス停は、公式トレイルマップやグーグルマップでの表示位置より少し集落寄りにある、今は営業していない(らしく見えた)研修施設風の建物「シーサイドハウス白浜」の前にあった(便宜上、このページでの距離表記は公式マップに準じている)。
ここに泊まれるとトレイルの行程計画にも選択肢が増えるんだけどな…なんて思ったりした。
そうこうしているうちにも日はほぼ暮れ落ちて、日陰では肌寒さを思えるほどになった。遠くからバスの音が聞こえて来た時はちょっと安心した。
バスで宮古駅に戻り、常宿のホテル熊安にチェックイン。ちなみに白浜~宮古駅前間のバス運賃は580円であった。
部屋に入ってさっさと荷解きを済ませると、普段あまりしないんだけど、湯船にお湯を張って心持ち長風呂。というのも、午後になってから右膝からふくらはぎにかけて痛みを感じるようになっていたので(ずっと舗装路だったからか?)。しっかり目に浸かって、優しめに、でも長めにマッサージも。
幸い、風呂から上がるとほとんど痛みも無くなったので、気を良くして予約してた「笑びす」へ。
お店は繁盛しててかなり忙しそうだった。
大将や女将さんには話し相手をしてくれる暇も無さそうだったけれど、カウンターで隣になった壮年カップルとなんとなく意気投合し、結局、今回も楽しく飲めてしまった。旅飲みの醍醐味を満喫。地元の方々だったので、いろいろお話聞けてホントに良い時間だった。おかげでちょっと長っ尻になってしまったのは、まぁご愛嬌ということで。
朝6時、スマホのアラームで目覚める。
夜半過ぎに一度、目が覚めて、水一杯飲んでまたすぐ寝た。昨夜の長風呂&マッサージが効いたのか、右膝の痛みはほとんど無くなっていた。良質のたんぱく質も(魚ばっかりになったけど)しっかり摂ったからな。30分ほどヌクヌク二度寝して起動6時半過ぎ。
7時半、ホテルを出てセブンイレブンで昼食の買い出し。朝食は今朝も駅ソバ。温ソバに今朝は奮発してミヤコロッケとめかぶをトッピング。今朝は厨房、高齢の?ご夫婦かな?睦まじい感じがなんとなく良かった。時間帯のせいか地元の方、旅行者でお客さん途切れなくて繁盛してるっぽかった。
駅の待合室に移って、更にセブンイレブンで買ったおにぎり2個をたいらげて、自販機のコーヒーをすすりつつバスの時間を待つ。
その間にスマホで今日の宮古の天気をチェック。終日スッキリ晴天の紅葉狩り日和、気温は最高17℃、最低6℃とのこと。まぁ、チェックするまでも無く清々しい朝だ。8時半、宮古駅前を発車。
沿道ではそこかしこでマラソン大会の準備中。絶好のマラソン日和だろうし大いに結構。途中、道路の真ん中に先に規制のロードコーンが置かれちゃってて、大会のスタッフが慌てて道路脇に片付けたりなんてことも。まぁこのくらいはご愛嬌。却って呑気でこれまた結構。
宮古駅前からおおよそ1時間、ほぼ定刻通りに白浜に到着。昨日、乗車した白浜バス停で今日は下車。日当たりの良い防潮堤の階段の登り口で準備運動して、靴紐も締め直して、いざ出発。
09:25、月山登山口(SOBO/251.65)
昨日、確認しておいた低い鳥居を潜る。
鳥居脇にMST標識「月山4.5km」あり。
鳥居を潜るとすぐそこに小さな社殿。扁額が無いので正式な名称は不明。
かなり築浅にも見えるので、新しいからだろうかマップブックにはもちろん、グーグルマップにも国土地理院地形図にも記載なし。しかし当然お参りして今日の行程の無事を祈願。
【画像】月山登山口(白浜側)
左手に宮古湾の波打ち際を望みながら非舗装の自然歩道を歩く。アップダウンはあるがそれほどきつくは無い。大人がやっと抱えられそうな太さの立派なアカマツが多く見られた。時折、木立越しに海辺の岩場で漁をする小舟を見かける。鳥のさえずりも多く癒される。
が、それと同時に、前回以来、時折見かける動物のフンも結構な頻度で現れる。それもトレイルのど真ん中に。これが前回からの気掛かりになってるんだよなぁ。これは何のフンなのか?もしかして熊のものなのか?熊だとしてハイカーが遭遇する可能性は?という疑問というか、つまり心配なのだ。
前回、飲んだお店で地元の常連の方に聞いた話では、従来、地元の人たちの間では「重茂半島には熊はいない」と認識されていたらしい。このところ宮古市の市街地周辺でも出没情報が結構出てきているので全くいないと断言は出来ないけど、「いたとしてもごく少数だろう」ということだった。
とはいえ、万が一、遭遇しちゃったらただでは済まないし、この先の山田町や大槌町では既に確かな遭遇事案が発生している。無視は出来ないリスクファクターと認識し、ネットを中心に情報収集はしていた。
まず、直ぐに出来る簡単な対策としては、熊鈴を着用し鳴らしながら歩くこと。熊は元来おとなしい性質なので、遭遇する前にこちらの存在を知らしめることで、熊の方から人間との接触を嫌って距離を取ってくれることが多いと言われている。ただし、雨天時や増水した川の近くなどでは音が通り難く、ばったり出くわす危険性があるため注意を要するとも。
熊鈴以外では、複数人数で歩く、歩くときはラジオを点ける、などの方法が勧められている。いずれも音(音声)でもって熊に人間の存在を知らしめるというコンセプトなんだろう。
また、前回遭遇した「糞があります」という曖昧な看板で示されていた、なんらかの動物のフンの主を特定したいという気持ちから、グーグルなどで「熊 フン 画像」とかで検索したりもした(動物のブツの画像ばっかり見ていたら、なんだか違う方面への好奇心の扉が開いてしまいそう…ほどほどにしておかないと…)けど、結局、その正体についての確証を掴めないまま、今回を迎えてしまったという次第である。
ちなみに雑食性である熊のフンは、その時々に食べたもので外観が変わるそうだ。ただ、顕著な特徴として「基本的に無臭」なのだそうだ。
複数回、同じ場所にフンをする性質のタヌキの糞塊(「タヌキのタメグソ」と呼ばれる)は熊のフンに間違えられることが多いというが、臭いを嗅いでみれば分かるそうだ。タヌキのフンは悪夢のように臭いのだそう。
…といった(半可な)知識をもとに、今、眼前に現れたフンを冷静に観察してみる。前回、宮古のゴルフ場近くで見かけたものに、ボリューム感は近いが外観はやや異なるようにも見えた。
外観はタヌキのそれのようでもあるけれど、嗅いだところ臭いはしない…外観上、木の実(ドングリ)が多く含まれているようでもあった。うーん、熊か熊以外の動物か、可能性は半々ってとこかな…というのが現時点での自分なりの見立て。依然、半信半疑。
とはいえ半々ってことは、言い換えればクマのである確率が50パーセントもあるってことなわけで…熊鈴を周囲一円に鳴り響けとばかりにしつこいほど鳴らし、また、歩いている間もその音が途切れないように気を付けながら歩くことにした。
10:35、月山山頂に連なる尾根筋の登り口で10分ほど小休止。
10:45、ジャケットを脱いで登り始める。結構な急登だ。
両側はブナや松、杉などの混交林。かなりキツイ登りだけど天気も良いし気分はいい。紅葉はまだまだ…といったところ。
11時頃、左前方に月山山頂の電波塔を初めて認める。
ここでかなり「新鮮」なフンに遭遇。表面は瑞々しく、ハエが一匹とまっていたほど。思わず周囲を見回し、熊鈴をヤケクソ気味に鳴らす。これはもう「厳重警戒ヲ要ス」状況だろうか。
そんな折も折、反対側から男性ハイカーが突然現れた。挨拶を交わしてすれ違う。今回は後にも先にも出会ったハイカーは彼一人だけ。それにしても熊鈴の音も無く前方からいきなり現れたため、かなりビビった。
だが、彼が無事通過して来たということは、この先、少なくとも今しばらくの間に限ってはまだ大丈夫か…と、少し安堵。フンをためつすがめつしているところを見られずに済んだことにも安堵。危ないとこだったわ。
11:25、林道との合流点(SOBO/254.94)
MST標識「月山0.8km/白浜3.7km」あり。車の轍のある緩やかな林道。
11:40、月山展望所、音部漁港への分岐(SOBO/255.51)
この辺りまで来ると紅葉が本格的に始まっている感じ。
11:45、月山展望所に到着。大休止。
標高455メートル。山としてそんなに高いという訳でもなく、ここより標高の高い場所なら今までも幾度となく立ってきた訳だけど、やはり北方からずっと眺めて目指して歩いて来た場所なだけにそれなりの感慨がある。
早速、展望所へ。近年、新造されたという展望デッキは、山頂部分から高い足場で中空に張り出したプラットフォームで、ベンチと方位盤、案内パネル(こちらは既に日焼けして判読不能だったが…)が設けられていた。
【画像】月山山頂から望む早池峰山
幸いド・ピーカンだったので、360度とは行かないまでも、東は重茂半島の切っ先・閉伊崎から、ぐるり北方はこれまでに後にしてきた海岸線が(多分)田野畑村の北山崎、いやもしかしてあれ三崎(久慈市)かな…ってくらいに遥か遠くまで見通せた。
一転、足元に目を転じ、浄土ヶ浜から宮古市街、昨日歩いた宮古湾の海岸線に沿って西から南を望めば、お、あれは「ラサの大煙突」、そして西の彼方にひときわ高く見えるのは早池峰山(標高1917メートル)か!うーん、神々しい!そして南西に深く切れ込んだ宮古湾の最奥部、これも昨日、通過して来た津軽石川水門まで…山頂からのパノラマを満喫した。
展望デッキ上でセルフ撮影もしたのだけど、あまりの高度感にビビってしまった(高いトコ苦手…)。
強めの風が吹き始めたので、ジャケットを着てからランチ。折角なのでPokemonGOもしたりして、なんやかんやと長居してしまった。
12:30、月山展望所を出発。
月山神社、祠があまりにもボロボロ…一応、お参りはしたけれど、なんとかならんかってくらいの有り様。
先ほどの分岐(SOBO/255.51)から、音部漁港に向かう自然歩道に入る。
宮古市街から見れば、もう月山の裏側に入ったことになる。木立越しに前下方には海面の広がりが見える。標高が下がるにつれて周囲の木々の葉が青さを取り戻していくようだ。トレイルのコンディションも上々、気持ち良く歩き下っていく。
【画像】音部に向かうトレイル上にて
歩きつつ考える。
本日のゴールである重茂漁港「里」バス停まであと約10km、同バス停を宮古市行きの終バスが出るのは16:02で、今、ざっと13時なので、あと3時間ちょい。ということは時速3.5km以上のペースをキープする必要があるという計算になるんだけど、どうだろうな…昨日だって割と平坦で且つほぼ全部舗装の区間だったけど、途中、道草も食ったせいもあるとはいえ、時速2kmにも達して無かったからな…これもう無理かも?無理では?
計画を変更して、今日は音部漁港(SOBO/262.26)で切り上げて、上記の宮古市行き終バスを同漁港前のバス停(音部漁港バス停)で捉まえる、という手もある。とにかく、焦らず行こう。
13:15、不明瞭な分岐。
マップブック上、トレイルが非舗装の車道(又は林道)に変わる地点らしかった。進行方向を示すMST標識もある。が、反対の北東方向にも地図に無い作業道が伸びている。音部漁港と閉伊崎を結ぶ舗装道路にショートカット出来そうに思われたのでしばらく進んでみたが、標高がなかなか下がらないので、思い直して引き返す。標識に従ってトレイル本線に戻る。
トレイル本線に戻ってすぐ、沢筋の斜面が皆伐され開けた場所に出た。
少し先で東方向、沢伝いに割と幅の広い作業道が分かれており、分岐にはMST標識「音部漁港5.5km/月山1.5km」あり。トレイルマップとDATABOOKに「月山工事期間迂回路 基点(北)」(SOBO/256.85)と記載された地点だろう。東への作業道が元の「工事期間迂回路」で、こちらを行くとかつて小学校のあった鵜磯(ういそ)と言う辺りで先述の舗装道路に抜けるのだろう。
ここから元の工事期間迂回路を下ればけっこうな距離をショートカットし時間も短縮出来そうだったのだけど、なるべくオフィシャルなトレイル本線に沿って歩きたいという気持ちも、この時点ではまだ強かった。
分岐のMST標識の傍らで一服してから再び歩き始める。
さて、計画変更によって次回に持ち越しと決まった音部~重茂間、どうやってカバーしたもんかな…殊に重茂漁港から先はけっこうな難所、一気に歩くとなると大変かも…なんてことも考えながら。
ほどなくトレイルは等高線に沿ったごく緩やかな登り坂に変わった。そのすぐ先で、斜面を右に回り込んで向こうの見通しの効かない、いわゆる「ブラインド・コーナー」にさしかかった。こんなスポットでは、地元住民やハイカーなどと、お互い思いがけず出くわしたりすることもあるので、熊鈴をしきりに鳴らしつつアプローチする。
その右コーナーを過ぎて前方、トレイルは今度は鋭角気味の左コーナーになる。V字に切れ込んでいるけれど、こういった場所によくある沢水の流れは無さそうだ。斜面は右手から左下方に向かって落ち込んでいる。
ここでも無意識に胸元に提げた熊鈴をチリチリと鳴らす。と、次の瞬間、左前下方の斜面の下生えの中で、突然、何かが動くガサガサッという音。
「えっ?!」と思わず立ち止まったこちらの動きに反応したのか、再度、ガサガサッと動く気配。
この数秒間に、頭の中ではこれまでに遭遇してきた様々な動物の姿や動きを思い返して「それらのどれでもねーっ」という判断を下していた。
これまでに遭遇したカモシカやシカの場合、立ち姿がしゅっとして高いので、音のした方を見ればほぼ必ずそこに立っていて、且つこちらを凝視しているか、さもなくば「ぴぃっ」という警戒の鳴き声と共に早くも遁走にかかっていて後ろ姿ってことがほとんどだった。ましてやヤマドリが地面を徘徊する時のカサカサという軽い音とはまるでちがう。
今、対峙しているこの気配の主はもっと低い姿勢でいて、且つ下生えを揺らすガサガサ音に重なって聞こえた足音のドカドカした重みある響き。イメージとして猪(実物を見たことはない)が近いかも知れないが、この地方で猪が出るという話はこれまで聞いたことがない。猪でもないとすると、あとはもう熊しかないだろう。
気配からして、そんなに大きくはなさそうだけど、話に聞くツキノワグマの成獸くらい?もしこれがこの大きさの感じで子熊だとしたら、近くに必ず(より体の大きな)親熊が居るはず。
牧場の牛を襲ったりして獰猛なことで知られるヒグマは今のところ北海道にしか生息していないと言うから、ここで熊だとすればヒグマに比べれば大人しいとされるツキノワグマで間違いなだろう。
が、大人しいとはいっても、まともに組み合ったらタダゴトじゃ済まないのは言うまでもない。近年、岩手県内でも多発している遭遇事案でも、最悪(人間の方が)死亡するケースも起きている。
とにかく!これ以上の前進はアキラメて、まずは十分な距離が確保出来るとこまで後退しよう。さっきの分岐まで戻れれば、元の工事期間迂回路経由で鵜磯付近の舗装道路に出れるハズだ。そこまで出れれば、最悪の場合でもここにいるよりは助けも求めやすいだろう。
…と、ここまで脳内大回転で決意して熊鈴を鳴らしつつ後ずさりを始めたその刹那、もう一度だけトレイルの前方を凝視すると、なにか黒いシルエットが斜面からトレイルに乗り出すようにしているのが見えた…気がする。
さすがにこれは不安と恐怖心が見せた幻だったのかも知れない。下生えのかたちや木々の落とす影がたまたまそんな風に目に映ったのかも知れない。「幽霊の正体見たりなんとやら」というヤツで。けどもうこの時は「なにか居るのは間違いないけど、近付いて確かめるのは無謀。ここは逃げの一手あるのみ」と、「頼むから追いかけて来るなよ来るなよ」と必死に念じながら熊鈴をヤケクソ気味に鳴らしつつひたすら後ずさりするのが精一杯だった。
今、思うと、この時、せめて写真の1枚も撮っとけば良かったか。パソコンに取り込んで拡大するなりすれば、もしかするとあの気配の主の正体が特定出来たかも。惜しいコトをした…が、あの時は必死だったからな、そんな機転を利かすような余裕は無かった…
じきにさっきのブラインド・コーナーを回り現場が見えなくなったので、後ずさりは止めて大股に全速で歩いて先程の分岐のMST標識まで戻り着いた。この間も、間欠的に熊鈴を鳴らしながら、後方だけでなく周囲に獣の足音や気配がないか細心の注意を払ったのは言うまでもない。
分岐から工事用車両の轍をたどって沢筋を下って行くと、読み通り、10分ほどで工事業者の資材ヤードの裏手に出た。
ここまで来れば一安心かな?ホントは関係者以外立ち入り禁止らしくて「防犯カメラ作動中」のものものしい看板も掲げられてて申し訳なく思ったけど、ここは「緊急事態」だったということでご勘弁を願う。
*
14:00、鵜磯付近で閉伊崎に向かう舗装道路に合流。
資材ヤードから砂利道を更に少し下った先で、予想通り舗装道路に合流。事前にストリートビューでも確認していた鵜磯小学校の校門の跡に着いた。
旧磯鶏小学校跡の碑と、道路を挟んで向かい側に古いバス停の看板あり。「鵜磯」停。かつてはここまで路線バスが通っていたものと見える。
ちなみに道路を挟んで海側の、かつて同小学校があったと思しき場所は更地になっていて、ここにも「私有地につき立ち入り禁止」の仰々しい立て看板あり。民間に払い下げでもされたのであろうか。
道路はじきにまっすぐな登り坂になり、沿道には民家が現れた。
ここまで来れば万一の場合にも駆け込んで助けを求めることも出来るだろう。安全圏に入ったものと考えて良さそうだ。ようやく安堵する。
14:15、「月山工事期間迂回路 基点(南)」(SOBO/259.13)
今日時点ではもう迂回路は廃止され正式ルートに付け替えられているようなので、トレイルマップの通りであれば200メートルほど先に、先ほど前進を断念したトレイル本線の出口(入口)があるはず…と考えて、小休止かたがた歩いて行ってみる。と、やはり道路傍に林道の出入口があって、MST標識「月山3.7km/音部漁港3.3km」が立っている。ここがDATABOOKで「月山登山口」(SOBO/258.97)と記載されている地点だろう。
さて、ここから音部漁港まで約3.3km、音部漁港から重茂漁港・里バス停まで約3.5km、合計7㎞弱。里バス停発・宮古駅前行きの終バスの発車時刻まで2時間を切っちゃってる。非舗装路とアップダウンを含むこの先7㎞を今から2時間弱で歩き切るのは無理と判断し、音部漁港バス停または音部バス停をゴールとすることを最終決定。
月山の山頂で油売り過ぎたか?13時過ぎの「不明瞭な分岐」の前後や、先ほどの「遭遇事案」でも行きつ戻りつで時間をロスしたし…まぁ仕方ない。
音部漁港バス停発のバスの正確な発車時刻が分からないけれど、おそらく里を発って10分とかで来るだろうから、16:10発と想定して、あと2時間弱で3.3km…途中、よほど道草食わない限り十分間に合うだろう。
所期のゴールに着けないのは、残念と言う以上に先々の行程計画に影響するのが困る…が、しかし今はとにかく、今日の行程を無事に歩き果せることが最重要だ、と気を取り直して再スタート。
ここからトレイル本線は民家の脇を抜けて東に張り出した名も無もなき岬へ。事前調査によれば大規模皆伐跡にソーラーパネルを設置している模様。国土地理院の地形図にも、それを下敷きにしているトレイルマップにも記載がないが、グーグルマップの航空写真にはそれらしいナニが見える。
果たしてK〇電鉄(アルファベットと伏字にしてる意味無いかw)の太陽光発電施設だった。令和元年運用開始。鉄柵で二重防護されていた。
トレイル本線は、この鉄柵に沿って岬の外縁を歩くかっこうになっているが、「こんなもんを見たくて歩きに来てるわけじゃねー」と正直、思った。だが、こんなものでもこの地域の「現実」の一断面であると考えれば、自ら足を運んで、自分の目で見て思う、感じる、それはそれで意義はあると思う…
岬の突端辺りの何ヶ所かには、もう訪れる人も無いらしく藪に覆われたコンクリート製のベンチとテーブルがあった。ここを自分の中でだけだけど「K〇電鉄メガソーラー岬」と命名した。
【画像】K〇電鉄メガソーラー岬
近年、三陸沿岸が不漁続きなのは、あっちこっちで森林を切り拓いてメガソーラーばっか作ってるのと無関係じゃないんじゃ…などと考えながら海岸段丘の縁を縫って伸びるトレイルを歩いて行く。
右手の山側の向こうには先ほどの舗装道路が走っているし、荒巻と言う名の集落も広がっているのだけど、クマ警戒モードは引き続き「オン」で。
やがて前方に音部漁港の灯台のある防波堤と大きめの建物が見えてきた。尾根筋を下りると浜辺近くの空き地に出る。
MST標識「月山6.1km/音部漁港0.9km」あり。DATABOOKに「歩道入口:NOBO注意」(SOBO/261.41)と記載のある地点のようだ。
すぐそこで先ほどの舗装路に再合流する。海側に広がる浜は「荒巻浜」と言う。ちょっと良さそうな浜辺で、ゆっくりしたい気持ちもあったけど、バスの時間まで1時間切ってるし、ここは先を急ぐことにした。
トレイルマップでは音部漁港の手前は海沿いの舗装道路沿いを歩くようになっているのだけど、法面の崩落か何かで工事中らしく、地図には記載のない真新しい「音部トンネル」の歩道で迂回。トンネルを抜けると目の前に音部漁港。漁港の入口脇にバス停あり。
15:25、「音部漁港バス停」(SOBO/262.26)
時刻表を確認すると、宮古駅前行き終バスは16:10発。ズバリ読み通りであった。あと45分、このくらい余裕を持って切り上げるのが良かろう。今回はここをもってゴールとする。
白浜集落・月山登山口(SOBO/251.65)を9:25に出発、音部漁港バス停(SOBO/262.26)到着が15:25なので、所要時間6時間、距離10kmちょい、といったところ。
月山越えもあったし、これ以上は望み難いかな。月山からの眺望は素晴らしかった。あそこでゆっくり時間をとったのは間違いではなかったし、なんならもっと長居したかったと思うくらいだ。となれば、もう少し早い時間にスタート出来たら良かったか…でも、路線バス利用のアプローチではこれが精一杯だ(MSTを歩くにあたっては「極力、公共交通機関を利用する」というのを自分ルールにしているので)。
月山から音部漁港側に下った「不明瞭な分岐」の前後で軽く道迷いしたのも思いのほかロスになったか?公式トレイルマップにしたって、トレイルとその周辺の状況、必ずしも最新の情報を網羅しているわけではないし、グーグルマップも、町や道から離れた地点でスマホの小さな画面を見ても、ほとんど情報は無いに等しい。GPS機器を導入するのが手っ取り早いかも知れないが、あまり無暗にあれもこれもとツール(特に電子機器)を増やしたくないという気持ちもある。
で、あればこそ、自分が無理なく歩ける距離とゆーのを、もう少しシビアに評価して計画立てないといかんか?
そこで最近、目にしたあるアウトドア雑誌の過去記事から。
まず、平坦な地形をバックパックを背負って歩く場合の標準的なスピードを時速3.2kmとして、これで全行程の距離を割って歩行時間(A)を算出。
また登り標高305メートルあたり1時間を登り所要時間(B)とし、これを歩行時間に上乗せして総歩行時間(C)を算出。
さらに総歩行時間(C)1時間につき5分の休憩を計上(D)、これら総歩行時間と総休憩時間のトータルがその区間の総所要時間の予測値になる。
今日、歩いた行程をこの式に当てはめてみたら、だいたい合致した。
10.6㎞÷時速3.2km=3.3時間=3時間18分(A)
460m(月山の標高)÷305メートル=1.5時間=1時間30分(B)
(A)+(B)=4時間48分(C)=総歩行時間
4時間48分=4.8時間×5分/h=24分(D)=総休憩時間
(C)+(D)=5時間12分
これに月山山頂に居た45分を合わせると「5時間57分」、ほぼほぼ前述の本日の所要時間と一致する。これはこの先の行程を検討するうえでかなり参考になりそう。今回くらいの軽量デイハイク装備でもこの結果なので、キャンプ泊装備の場合はもっともっとシビアに査定しないといかんだろうが…
*
事前調査で漁港の入口近くに公衆トイレがあると分かっていたので、ちょっとお邪魔して用足し。顔も洗ってこざっぱり。
同じく漁港敷地内にある八大龍王の祠にお参り。祠の横に建てられた震災の記念碑の碑文の力強さに心打たれる。以下、全文。
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後の世に伝える
一 東北地方太平洋沖地震津波
平成二十三年三月十一日高さ十六メートルの津波。
死者三名住宅十九戸全て流失。里部落は海の藻屑と消える。
一 命はてんでんこ
強い地震の後には津波が来る。自分一人でも高いところへ逃げろ。
住宅は里地内に建てるな。
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特に最後の一文、「住宅は里地内に建てるな。」には、この場所(「里」はこの字⦅あざ⦆の名前)での昔通りの暮らしにはもう戻らない・戻れないという現実を苦渋の思いで受け入れた覚悟を感じた。
【画像】音部漁港の津波記念碑
バスが来るまでの時間で、周辺の大小の祠や石塔(古い墓石)群なども見て回った。ひときわ大きな「音部大神宮」にもお参りしたかったが、小高い丘を少し登らなくてはならないようで、バスに間に合わないかもと思って大鳥居まで行って石塔群など見て引き返した。次、来た時には本殿にお参り出来たらなと思う。
16:12、音部漁港停の次の「音部バス停」発のバスで宮古市街に戻る。
ホテル最寄りの停留所(信用金庫前)で下車することを覚えた!駅前からだとちょっと歩くんよね…ちなみにバス料金は700円であった。
昨晩同様、シャワーをかなりゆっくり目に浴びてから夜の街に出る。今夜は前回初めて寄った「のらくら」を再訪。滅茶暇そうだったけど、ぼちぼち呑ってるうちに、二、三人、ご来店。うちお一人は前回4月も御一緒したキンミヤの竹炭割を愛飲する地元の大将であった。今日のハーフマラソンに参加したので一人打ち上げだというランナーの方も交えて楽しく飲んだ。
折角なのでマスターと竹炭割の大将に今日の「遭遇事案」の状況を話して意見を求めたところ、「重茂半島には確かに今は熊が居るけど数はそう多くないようだし、季節的にも親子連れでいることはない時期だし、山菜採りや沢釣りの人間だった可能性もある」とのこと。なるほど…
でも自分としては、あの最初の「ガサガサッ」の時の重量感のある足音や気配の感じから、かなりの確率で熊だったと思っている。
現に重茂半島の北の付け根の赤前地区や、隣接する山田町では確かな出没情報がある。それに人里近くでは目撃した人が通報するから出没情報が上がってくるわけだけど、山間部の集落周辺など人気の少ない地域では、実は熊はそこいらをウロついてるんだけど、「目撃する人がいないから」出没情報として現れて来てないだけ、ということだってあり得るのではないか?人間の生活圏から少し離れれば、ひょっとすると遭遇しちゃうこともあるかもよ?というくらいの可能性は見込んでおかなきゃなんない状況なのでは?
…なんて考える一方で、100パーセントの確証は持ててないし証拠もない以上、変に吹聴して当該地域の住民の皆様に迷惑をかけるようなことになっても良くないと思うので、無辺際のインターネット空間の片隅で穴を掘って叫んでいるかのごときこのホームページで「まぁこんなこともありましたよ?ご判断は読んで頂いた皆様にお任せしたいです」というどっちつかずな伝え方に留めておくことにする。
ともあれ、今回も無事に歩き果せた安堵感も手伝って、また飲み過ぎたw
明け方、一度目が覚めた。ペットボトルの水をガブ飲みして寝直し。
ウダウダヌクヌクと寝床のぬくもりを味わい貪りまくってから8時過ぎにようやく起動。髭剃って、行動食の残りでイイカゲンな朝飯。
天気予報をチェック。今日の宮古は、昨日に引き続き晴れ。気温は昨日より少し上がって最高19℃、最低7℃とのこと。
荷物をまとめてロビーのコーヒーで一服してから9時半頃チェックアウト。
今日は半日費やして、黒森(くろもり)神社に参詣する。だいたいの位置は事前調査で把握しているが、念のためPokemonGOとグーグルマップを起動させたスマホを片手に歩き始める。
黒森神社は宮古市中心部の北、黒森山の中腹に鎮座し、古くから(付近の遺跡での出土品から、起源は奈良時代頃までさかのぼると考えられている)閉伊地方全域の住民や沖合を行く漁師や船乗りたちの信仰を集めてきた。
平泉を逃れた源義経が3年3か月、この山に身を潜めたという「義経北行伝説」の一部を成す言い伝えがあり、その名の「黒森」とは「九郎森」が転じたものだとも言われている。
またこの神社には、毎年正月に神社の神様をお移しした権現様(獅子頭)を携えた神楽衆が岩手県沿岸の集落を廻り、請われた家々や御旅所で権現舞を奉納する「廻り神楽(まわりかぐら)」という風習が伝わっている。
江戸時代初期から約400年以上に渡って受け継がれており、平成18年には国の重要無形民俗文化財に指定されている。
東日本大震災の後、この「廻り神楽」をテーマにしたドキュメンタリー映画が製作・上映され、大阪は十三のシアターセブンに足を運んだこともあった。(今、改めて観れば、きっと「あぁ、これはあそこだな」とか「ここ歩いたなぁ」とか、新しい気付きや感慨があるかもしれない)。
普代村で寄り道した鵜鳥神社と共通する点(神楽舞で知られていること、今日にあっても多くの人の篤い崇敬を集めていること、また「義経北行伝説」ゆかりの地であることなど)も多く、自分にとっては双璧を成す二社と呼んでも良いくらいなのだ。参拝せずに素通りするわけにはいかないだろう…というわけで、再三、先を急ぐ旅路と言いつつも、またこうして寄り道しちゃうわけである。
事前調査の通り、宮古市内を徒歩ほぼ1時間で到着。平日の午前中ってこともあってか、他に参拝者の姿も見えず極めて厳か。ここまで旅の無事に感謝し、先の道中の無事を祈念した。
【画像】黒森神社・本殿
来た道を戻るとちょうどお昼どきになったので「魚菜市場」でランチ。
贅沢して「ウニ乗せ海鮮丼」を頂く。2310円は、まぁなかなかイイお値段だね。場内の魚屋さんで山田産の殻付きカキを1個剥いてもらって、その場で頂く。1個300円也。先の予定が無けりゃ一杯引っかけたいとこだねぇ。
場内の店舗のメニューや店頭掲示物にインバウンダー向けか英語表記のものが多かったのが印象に残った。
ついでに軽くお土産ショッピングもしてから駅に向かう。
学校が今日は半ドンらしく、まだお昼過ぎなのに下校途中の児童生徒の姿多し。駅となりの観光案内所に寄って「本州最東端到達証明書」購入。次回で着けるかなぁ。
106急行バスで盛岡へ。 ほぼ満席?これまでで一番混んでる。国道106号線沿線は紅葉ちょうど見頃。
それにしても、まだ14時だってのに日差しの柔いこと。昨日一昨日もまさしく「秋の日は釣瓶落とし」だったし、その点から言っても、やはり行程計画はもっと緻密に立てなきゃならんな。特にこの先の魹ケ崎から山田町の間はアプローチの難所でもあるだけに。
盛岡駅前に定刻着。フェザンでお土産の買い物してから常宿、R&Bホテルにチェックイン。まずはひと風呂浴びてこざっぱりする。
夜はトレジオンの吉田さんと会食。こちらのリクエストでまずはベアレンの「菜園マイクロブルーワリー」からスタートし、吉田さんのおすすめのお店を数軒ハシゴ。ずっとノンアルだった吉田さんが、最後に車で岩山展望台に連れていってくれた。しばし盛岡の夜景を楽しむ(ヤロー二人で)。更に宿まで送ってもらってお別れ。こんな時間も良いものだな。
起動7時半過ぎ。ホテルの朝食は相変わらず安定の美味しさ。しっかり頂く。今日の盛岡、天気は晴れのち雨、気温は最高14℃、最低3℃とのこと。ちなみに西宮は最高21℃、最低14℃とのこと。
平日朝なので、駅とその周辺では当然、通勤通学の人が多かった。新幹線に乗車すると、これも毎度のお楽しみの車内誌「トランヴェール」にざっと目を通すと暫しぼんやりして過ごす。
盛岡出た時は空席が目立ったけど、仙台で出張とおぼしきスーツ姿の乗客が大勢乗って来て、座席かなり埋まった感じ。仙台を過ぎてからはスマホで作文。今回のレビューやメモなどをシコシコと打ち込んでいく作業に没頭していると、気が付けばもう上野。
東京駅に定刻着。最後の関門?のぞみの指定席券は、やはり一度、新幹線改札を退場し、東海道新幹線の切符売場で発券した。乗り継ぎが18分しかなかったので急ぎ足で少々焦って。でもなんとか無事に予定の通りののぞみに乗れてヤレヤレだぜ。つまらん手間だなぁ。
ちなみにのぞみ、平日の昼日中だってのに指定席もほぼ一杯だと。自由席車両も混み混みらしかった。
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さて、今回の旅もラストスパート。今回も盛り沢山の実り多い旅になったなぁ。いろいろと抜け・洩れ・ミスもあるにはあったけど、なんとかクリア出来た。重茂漁港に辿り着けなかったのは、しかし、次回以降のプランニングに影響あるなぁ…計画を練り直さなくては。
さて、この先は予定通り、15時には帰宅出来そうだな。今夜は早めに寝るにしても、アレコレ出来ることは出来るだけ進めようではないか。