2026年2月13日公開
みちのくトレイルクラブ 発行(2020年10月1日 初版第1刷)
2019年秋に青森県八戸市をスタートしてもう6年目に入りました。昨年秋から岩手県宮古市沿岸、MST屈指の難所と言われる重茂(おもえ)半島を攻略中です。交通機関や宿の便、それに自分のパフォーマンスや取れる年休の日数、歩く季節など諸条件を検討した結果、細かく刻んで今回含めあと2回で山田町まで着けるかな…といった展開になっております。
仕事を15時前にフレックス退勤。夕方から雨の予報だったけど、なんとか降られないうちに帰宅出来た。
ひと風呂浴びてから隣のファミマでキャッシュの払い戻しと食料の買い出し、それにモバイルバッテリーをレンタル。今回は一晩キャンプ泊するし、前回から試験的に導入しているスマホアプリ「スーパー地形」(後述)もいろいろに試してみたいので、バッテリーの心配無しでスマホを使いたいので借りることにしたのだけど、ひさしぶり過ぎてスマホからサービスにログインするとこからして面倒臭いったら。なんとか借りれたけど。
かくして16時半くらいには家を出る。荷物デカい!そして重い!
今回はもうすっかりお馴染みの宮古駅前発の岩手県北バスの重茂・石浜線の始発で重茂(里)バス停まで行き、その先の重茂漁港(SOBO/266.48km)をスタート。初日に本州最東端の魹ヶ崎(とどがさき)に到達し、そのまま南方の姉吉漁港まで歩き、漁港近くの「姉吉キャンプ場」(SOBO/277.13km)にてテント泊。
翌朝は早めの時間にスタートし、途中、千鶏(ちけい)集落を経て、県北バス重茂・石浜線の終点「石浜バス停」をゴールとして、一日この一本しかない09:56発の宮古駅前行きバスを捉まえて昼前には宮古駅に戻り、昼過ぎのさんてつで大槌に行き、何ヶ所かの定点観測地を訪ねた後、釜石経由で同日夜には盛岡着、というまたまたなんだか強行軍な旅程になってしまった。
「極力、公共交通機関を利用する」そして「年に一度は大槌詣でする」というマイルールに則ると、この区間はこう刻むより仕方がなかった。
千鶏か石浜に泊まれる宿があって(ない)、県北バスの便数がもう少しあれば(これもない)、もう少し検討の余地もあったかも知れないのだけど、歩く時期やとれる年休の日数などを勘案すると、どうしてもこんなスケジュールにならざるを得ない。が、もとよりそーゆー悪条件も楽しみのうちだ。
なお重茂の「舘」集落(前回、盛岡の佐々木さんに車で拾ってもらった県北バスの重茂車庫の近く)に、最近になってハイカー向けの民泊「渚泊 海のみやこ」が開業したというのは、今回の旅程を確定させた後で知った。
*
例の如く駅前の吉野家で早めの夕飯してからJR神戸線で新大阪へ。
新大阪で復路の特急券を発券し、27番線ホームに上がると、いきなり強い雨が降り出した。幸先悪いスタート。
新幹線の車内は、夕方と言えどそこは平日とあってか結構空いてた。なお今回、出発を敢えて木曜の晩にしたのには、キャンプ場泊を明日金曜の晩に持って来て、週末キャンパーでにぎわう(かも知れない)土曜の晩は外そうという意図なんだけど、さぁどうなるか。
新横浜までは、結局、ずっと寝て過ごしてしまった。
東京からは夜行バス。お馴染みの「MEX盛岡・宮古」。バスターミナル東京八重洲を定刻出発。
今回、なんでかここまであんまり気持ちがアガって来てない。
冷静、というのともちょっと違って、決めたことを決めた通りにただ淡々とこなしていっているって感じ。高揚感に欠ける。仕事が暇で毎日ほぼ定時って環境が、普段の心持ちをフラットとゆーかニュートラルとゆーかなものにしているのかも知れない。なんとなく妙な心持ちだ。
考えてみれば、現地とのアクセスは往路復路共に今までもう数え切れないくらい繰り返して来てるんで、要するにルーティン化・マンネリ化しちゃってるんだろう自分の中で。そりゃ高揚せんのも無理はないか。
まぁこの先、トレイルが南下するに従ってアクセスの仕方も変わっていくから、いずれまたドキドキ感を味わうことになるだろう。それまでは淡々とで良いので確実に歩き進めて行こう。
車窓の向こうの都内も雨。スマホで現地の天気をチェック。宮古エリアの明日の予報はくもり。降水確率40%、気温は最高14℃・最低7℃とのこと。
明後日も同じような感じかな?多少の雨降りは覚悟の上とはいえ、やはり晴れ間もあっては欲しいなぁ。折角、本州最東端に着こうってんだから。
天気がパッとしないのもさることながら、こちらもお馴染み&大好きな「沢内甚句」本店がまだ夜営業再開してなくて、盛岡の夜への期待が半減、とゆーのも気持ちのアガらなさの原因かも知れなかった。
仕方ないので(と言っちゃなんだが)系列店のこれもお馴染み「ももどり駅前食堂」を予約してはおいたけど(人気店だし週末だしノーアポって訳にはいかんだろうから)。
とにもかくにもなんにせよ前進あるのみ。まだまだ先の長い旅路ゆえ。
最後の乗車停留所、さいたま新都心への到着を待たず寝に入る。
早朝、紫波サービスエリアにてトイレ休憩10分。ほぼ定刻運行か。
降車してみると、そろそろ明るくなり始めてても良さそうな夜明け直前のはずの空には厚い雲がどんより垂れ込めていて切れ間はないようだった。
宮古駅前まであと2時間くらいかな?もう一眠りしよう。
06:45、宮古駅前に定刻着。
いつも思うがこの正確さよ!夜行バス1台をこれだけ正確に走らせるために、ドライバーはもとよりバス会社の運行管理者、整備部門、更に言えばバスターミナルの運営や道路の維持管理などなど、すごく大勢の人たちが関わってサービスを支えてくれているのだと思うと、やっぱりすごいわ日本て。
そして自分も自分の職場にあってその一端を担っているんだと思うとやっぱりちょびっとは誇らしいし、そんな風に世の中の仕組みの一部に関わらせてもらって、それで食わせて貰えてるってのは有難いことだなと思う。
「社会の歯車」なんて自虐的な言い方もまぁ、出来なくは無いけど、この娑婆で自分一人、誰にも頼らず関わらず、何処にも属さず生きるなんてことは誰にも出来はせん。だったら(好むと好まざるとに関わらず何かの因果やなりゆきで関わりあってる)周囲の人たちに対しては、可能な限りナイスな自分で接したいと思う。畢竟、それが自分自身のためにもなるのだし。
とかなんとかはさておき、今回も宮古駅の立ち食いソバでまずは腹拵え。かけそばにミヤコロッケ乗せて500円也。それから駅前のトイレを借りて、顔洗って身支度して。ここまで済ませてもバスの時間までまだ約1時間ある。
なんだかソバだけじゃ足りない腹塩梅だったので、交差点とこのセブイレ(セブンイレブン)に行って軽く食料を買い足した。
お店を出るとバカでかいバックパックが目を引いたらしく、地元の方と思しき男性に声をかけられる。よくある「どこから来たの?どこまで行くの?」のやりとり。声かけてもらえると、やはり嬉しいな。
今回はバスロータリーを挟んで駅の向かいにある県北バスの待合室で待たせてもらうことにした。
缶コーヒー片手にスマホで今日の天気を改めてチェック。
終日曇り。晴れ間も出るかもだけど変わりやすい空模様、とのこと。気温は最高14℃、最低9℃と、昨夜チェックした内容と大きな違いは無し。まぁまぁ過ごし易そうかな?といったところ。
平日の朝の駅前、やはり通勤通学の人の往来の多さが目につく。待合室も常に乗客の出入りがあるし。これまで来たのはだいたい土曜か休日だったから、平日だとやっぱりちょっと趣きが違う感じだ。
石浜行きバスは定刻08:30に宮古駅前を出発。
通勤や通院のためと思しき地元の方々数人も磯鶏までには全員、降りちゃって、俺以外にはあと一人、見るからにハイカーって支度の女性が乗ってるだけ。小ぶりのバックパックにスリーピングパッドを外付けしてるし、彼女も姉吉キャンプ場泊まりと推察。まぁ、距離とって行こう。
晴れてきた!折角の本州最東端、やはり青空の下で着きたいもんな。
里バス停(SOBO/265.80)に定刻09:32到着。
女性ハイカーさんはまだこの先まで乗るようだ。軽く目礼して降車。
途中、運転手さんが笹見内の辺りで二度ほど新聞か何かの包みを住民の方に届けていたのを見た。僻村(といっては失礼かもだが)と最寄りの町とを結ぶか細いライフライン。我々が知らないだけで、割と何処ででも行われているんだろうと想像。ちなみにここまでのバス運賃は800円であった。
バス停に置かれたベンチの傍らで荷物を整える。
バックパックのショルダーストラップに熊鈴を提げると、ストレッチなどして軽く体をほぐす。晴れてきたし微かな春風も心地よい。09:45出発。
前回、ゴールとした重茂漁港でトイレを借りてから、バックパックのフィッティングを微調整し、改めて正式に今回のスタート。
重茂漁港(SOBO/266.48)を10:10出発。
重茂漁港の東の外れでトンネル(与奈トンネル)を潜り、小さな入り江「与奈浜」へ。ここにも震災前には漁港があったらしく、波打ち際にコンクリートの岸壁がある。が、現在は使われていないようだった。
山側に大きな露頭があり、その傍らにMST標識「魹ヶ崎6.5km/重茂漁港0.9km」(SOBO/267.41)あり。ここから非舗装のトレイルに入る。標識の横に立つ古びた石柱、「魹ヶ崎燈臺用地」と読める。この日は同様の石柱をトレイル傍に何度も目にした。
種差海岸(SOBO/270.50)に11:45到着。1時間半ほど歩いた。
MST標識「魹ヶ崎3.1km/重茂漁港4.3km」あり。小休止。
【画像】種差海岸 of 岩手県宮古市重茂
この小さな浜は、左右から岩礁がボトルネック状に張り出して小さな湾を形成しており、漁港などに利用し易そうに見えるのだけど、岸壁や防潮堤、アクセス道路などの人口構造物が全く見当たらず、昔のままの浜辺の姿を留めているらしく見えた。波打ち際を覆う小砂利や岩石に、水色や黄色の斑入りのものが多いのも面白いと思った。なお、スマホの感度は全く無し。
与奈浜からここまでの約3kmは全体的にアップダウンも緩やか、ゴミと言うゴミも見当たらずとても気分良く楽しく歩けた。
トレイルの両側の林は、一見、まだ冬支度を解いていないようだったが、梢に目を凝らせば小さく芽を吹き始めているし、足元に目を移すと一重ヤマブキが可憐な花を咲かせていた。
途中二、三か所でトレイルの真ん中に獣の糞があったが、落ち着いて観察すると熊のソレとは外観上の特徴が異なるようだったので、引き続き熊鈴は鳴らしながら歩く警戒モードは維持しつつも、幾らか安心して歩いた。
昨年来、熊(とその糞)について情報収集を続けた結果、これまでに遭遇したものは、その特徴から(おそらく)ハクビシンかアナグマ、あるいはニホンカモシカのもので、熊のものではないと判断するに至った。
外観上の大きな特徴として、熊のソレは他の獣のものとくらべてもとにかく大きな塊になっているものだそうだ。と、すると昨年春、田老のゴルフ場近くで見たものが最も「熊のソレ」らしく思われる。実際、宮古市田老は熊の目撃情報も多いエリアだ。
一方、昨年秋、重茂地区鵜磯付近で遭遇した正体不明の獣の気配については、まだ熊だったんではという感じが捨て切れないので、やはり重茂半島にはついては、昔は言われていたという「熊は居ない」ではなく、現状は「居るとしても数は少ない」若しくは「数は少ないが居る」というあたりが認識として適切のように思われる。
※もっともこの後、2025年の晩秋になって国内各地で熊の出没事案が急増したのは周知のとおりで、重茂半島の重茂や里周辺でも目撃事案が発生していることから、今後はこのエリアでも警戒モードを更に引き上げる必要があるだろう。
それにしてもここも「種差海岸」か…ずっと北の洋野町にも同じ名前で、MCTのビジターセンターのある「種差海岸」ってあるよなー。もうこの種の地名の重複は全然珍しく思わなくなったわ。正午に再出発。
種差海岸から一旦50メートルほど急登した後は、午前中と同様の緩やかなアップダウンが続く。
【画像】橋の遺構
途中、枯れ沢を渡る数ヶ所で、かつては短い橋が架けられていたらしき遺構(石積みと橋桁だったらしい朽ちた木材)を通過した。魹ヶ崎灯台建設時の資材の運搬や、灯台の維持管理に必要な物資を運ぶために築かれたものだろう。パッと見の規模感でも自動車が通れていたとは思えないので、馬か牛で荷車を牽いて往来出来るようにしていたものと推察。
種差海岸を発つ頃から空模様が怪しくなってきて、冷たい風にとうとう小雨が混じり始めた。折角の本州最東端、スカッと晴れた空を願っていたのだけど、どうもダメそうだなこれは。
13時過ぎ頃、斜め前方に灯台が見えると程なくMST標識「魹ヶ崎0.1km/重茂漁港7.2㎞/姉吉漁港3.6km」を通過。
魹ヶ埼灯台(SOBO/273.64)に13:20到着。重茂漁港からは約3時間。
まずは本州最東端の碑で記念撮影。それから灯台の敷地にお邪魔して大休止。灯台の真下でバックパックを降ろし、遅めのランチ。いつもの魚肉ソーセージとスティック菓子パン、チョコレートとミックスナッツ、水。温かいものが食べたい空模様だったが仕方ない。
トイレは冬季間の凍結防止措置で使用禁止中だし、ランチしようと思ってた東屋は階段と手すりが木部の腐食で壊れていて立ち入り禁止になってた。残念だが、まぁこれも時の運。仕方ない。
魹ヶ崎(とどがさき)は岩手県宮古市重茂半島にある本州最東端の岬だ。
ここに立つ魹ヶ埼灯台は、1902年(明治35年)稼働開始という歴史ある灯台で、本州最東端という位置的に今日においてもなお我が国の重要な灯台のひとつに数えられている。
沿海を航行する船舶にとって大事な目印であると共に、全長約1,050kmのMSTにおいても「SOBO/273.64km、NOBO/779.70km」と、トレイルの序盤または終盤のおおよそ四分の一の通過点にあたるランドマークでもある。
初代の灯台は鉄筋造りで、太平洋戦争末期、岩手県沿岸部の広域を米英海軍が攻撃した際(この時、宮古空襲や釜石の艦砲射撃などが行われた)に焼失したとされている。現在のコンクリート製の灯台は1950年(昭和25年)に再建されたもので、いわば二代目だ。
戦後、設備の無人化が進むまでは、全国各地の灯台で、いわゆる「灯台守」と呼ばれる職員とその家族が常駐し維持管理にあたっていた。そう言えば「宮古のごっつぉ」のマスターも小さい頃、灯台の近くには灯台守の一家が住んでいて、灯台の上まで上がらせてもらえたと言ってたっけ。
中でもこの魹ヶ埼灯台の灯台守一家の奥さん・田中きよさんの手記を元に映画「喜びも悲しみも幾歳月」(1957年公開)が作られ大ヒットした…のだけど、観たことは無い。まぁこんだけ岩手沿岸に通っておいて未だあの「あまちゃん」も観てないくらいなので…まぁいつかその気になったら観ようと思っている(そして自分の性格上、「もっと早く観とけば良かった」って悔いる…ってとこまで予見出来るが)。
なお、1998年には「日本の灯台50選」にも選ばれている。ま、本州最東端というポジション的にもこれは当然だろう。
ところで、漢字表記が岬の名称「崎」と灯台の名称「埼」とで異なってる(正直、言われるまで気付かなかったけど)ことについて。
これは間違いではなく、少し調べてみたところ、敦賀海上保安部のホームページに簡潔な解説を見付けたので以下に引用する。
--- 引用ここから -------------------------------------------------------------------
「埼」と「崎」
海図では海洋に突き出した陸地の突端部の名称として、概ね「埼」を用いています。例えば東京湾付近では地図帳には野島崎、観音崎と「山遍」で記載されていますが、海図には 野島埼、観音埼と「土遍」で記載しています。海上保安庁海洋情報部は、明治時代の海軍水路部のころから、土遍の「埼」を海図に採用してきました。国土地理院では、前身の陸軍陸地測量部が山遍の「崎」を使用していた経緯があるので、引き続き使用しています。
漢字の意味として、「埼」は陸地が水部へ突出したところを表し、「崎」は水上、陸上を問わず、山脚の突出したところを表すものであることから、海洋情報部では、海上に突出した地形の名称として「埼」を採用しています。
------------------------------------------------------------------ 引用ここまで ----
他にもいくつかのウェブ記事にこれに準拠した記述を見出すことが出来たので、ひとまず妥当な解釈になるのかなという認識。
いかにも「お役所的」ではあるけど、これはこれで歴史的な背景があるってことで、敢えてどっちかに統一する必要は必ずしも無いかな…と思う。でもメンドクサイか。なお、Wikipediaでも「魹ヶ崎」を調べてみたところ、
『地元では昔から土偏の「埼」を使っているとの訴えがあり、国道45号にある案内標識などは設置当初「崎」だったものが「埼」に直されている。』
との記載がはあるものの、出典不詳の注記付きだった。
ちなみに「魹」の字も、環境依存文字なんだそうで、ネット上ではそれぞれ「トドヶ崎」「トドヶ埼」とか、「とどヶ崎」「とどヶ埼」とか、表記のされ方にバラエティが見られる。いろいろヤヤコシくて興味深い。
*
魹ヶ埼灯台を14:10に出発。
ランチ含めて小一時間、灯台に居たことになる。灯台を入れた構図でセルフ撮影するのに四苦八苦(灯台が高いのでアングル決めるのが難しかった)したりとか、ちょっとノンビリし過ぎたな。
【画像】魹ヶ埼灯台にて
本日のゴール・宿営地の姉吉まであと3.6㎞、1時間半かかったとして到着は16時前くらいか。日没時刻は18時過ぎとはいえ、これまでの経験上、16時を回ると急激に陽が陰り始めるし、ましてこの曇天、おそらく着いてテントを設営したら夜のとばりが降りるまでそう時間は無いだろう。既に風も冷たいし、少しペースを上げなくては。
魹ヶ崎以南のトレイルは、小型のユンボか、もしかすると軽トラなら通行出来そうな道幅の林道だった。灯台の維持管理には姉吉側からの方がずっとアクセスが良さそうだ。実際、灯台に関係するらしい配電盤みたいな機材やケーブルなどが設置されているのがところどころに見られた。
灯台以北と同様に、途中何ヶ所かで枯れ沢を通過した(灯台に近い方から順にアカサキ沢、コヒガシリ沢、カゴシルシ沢、ガケオトシ沢と名付けられているが、それぞれの名前の由来は不明)。
そのうち一番、姉吉寄りのガケオトシ沢を灯台から小一時間歩いた15時過ぎに通過した。ここの標柱にマジックで「←姉吉1.0km」と書かれており、そのすぐ先でトレイルはかなり経年劣化したアスファルト舗装に変わった。
更に10分ほど歩くと「灯台までの自然歩道最高地点 標高110m」と書かれた手作りの標識があった。重茂漁港から歩き始めた今日の行程全体の最高地点でもある。ここから一気に標高0mまで下るわけだ。
やがて漁港を見下ろせるところまで下って来ると、ここにもトレイル脇に手作りの標識が設けられていた。
「東日本大震災 津波遡上浸水地点 28.05m 2011.3月11日」とあった。
姉吉漁港(SOBO/276.95)に15:30到着。
大変こじんまりとした漁港。漁船が数隻係留されていたが人影は無し。
姉吉キャンプ場(SOBO/277.13)に15:45到着。本日の行程終了。
なにはさておきチェックイン手続き。事務所棟の軒下に用意されてる申込書に記入してポストに投函するだけだ。
このキャンプ場は何年か前まではデイキャンプ専用・宿泊不可だったのだけど(本稿の基本情報のマップブックにもそのように記載されている)、MSTのハイカーの利用が増えて来たからか?新コロ禍が下火になった2023年の春から「宿泊OK」になった。
事務所棟のほかに東屋、炊事棟、トイレ棟がある。いずれも手入れがよく行き届いており、これで予約不要でしかも無料ということもあってか、グーグルマップのコメントなど見るとアクセスの悪さにも関わらず(いや、それゆえに、とも言えるか?)週末や連休などは隣接する駐車場が一杯になることもあるほどの人気スポットらしい。それもあって平日の晩に利用するように日程を組んだわけだけど、見事に今夜はひとり占めである(よかった)。
ひとつだけ難点を挙げるとすれば、テントサイト全体が海に向かって緩やかな下り斜面になっていて、平らなスポットがほとんどないこと。特に区割りなどされてはおらず、芝生の上の好きな場所にテントを張って良いのだけど、なかなか「ここなら!」って場所が決まらない…結局、東屋と炊事棟に近い、まだしもマシそうなポジションを選んで設営した。テント泊のクオリティに直結する要素なので、今後の改善に期待したいところだ。
なお今朝、バスで一緒だった女性ハイカーさんには、結局、会わず仕舞いであった。
山の方からは冷たい風が吹いて来るし、なんだか今夜は寒くなりそうなんだけど、スマホの感度が無く天気予報が確認出来ない。それなりに暖かい装備で来てるから何とかなるとは思うけど。
管理人らしき男性が一人、防災無線の「夕焼け小焼け」が17時を告げてからも、辺りが暗くなるギリギリまで場内の立ち木の剪定をしてくれていた。パチパチと枝を切る音だけが辺りに響いていた。
テントに入り、膨らませたスリーピングマットに座って荷解きを済ませるとようやく人心地がついた。夕飯の支度をしても良い時間だけど、ひとまずクッカーでお湯を沸かし、インスタントのレモネードを作って一服する。
紙の地図(マップブックをカラーコピーしたもの)とスマホアプリ「スーパー地形」のログとで今日の行程を軽くおさらいする。
前回から試験的に使い始めたこのスマホアプリ「スーパー地形」は、国土地理院の地形図やグーグルマップをはじめとしたたくさんの地図データを表示したり、融合してオリジナルの地図を作ったり、スマホのGPS機能を使って正確な現在位置をそれらの地図上で確認出来たりする。音声付きのナビとしても使えるらしい(まだ試してないけど)。
昨年秋、月山付近で自分の現在位置に確証が持てなくて判断に迷う場面があって、なにかしらナビゲーション機器を導入した方が良いのではないかと考えた。ただ、無暗に道具を増やすのも気が進まず思案していたところに、たまたまネットで紹介されてたこのアプリが目に止ったのだった。
このアプリでスマホ画面に国土地理院地図上の自分の現在位置を表示し、マップブックの紙地図と照合して方向や距離、所要時間などを推定しながら歩く、という使い方をとりあえず試している。
MST公式のマップブックは国土地理院の地形図をベースにしているので照合は容易だ。また、表示を拡大すると自動的にグーグルマップに切り替わるように設定しておけば、グーグルが提供しているさまざまなネット情報にも簡単にアクセス出来る(実際、これは非常に重宝している)。
また、歩くエリアの地図データを予め読み込んでおくことで、行動中は機内モードにしてバッテリーの消費をセーブしつつ、GPSで位置情報の表示・記録だけは切れ間なく出来る。
他にも地点ごとのメモ入力や、ログをさまざまなフォームに編集して出力したりとか、手のひらサイズのスマホ画面では物足りないというか、ここまで出来なくてもいいのにと思うほど機能が多彩で充実している。これで年間の利用料780円はかなりお得だと思う。このページを書くにあたって重要な、場所々々での感想や時刻などは、その場で紙地図にボールペンで書き込むというアナログなやり方を堅持しているけど、そんなのもこのアプリの機能でかなり代替出来そうだ。
もっとも、より使い勝手が良くて自分のニーズにピッタリはまるアプリも探せばあるのかも知れない(「山歩きアプリ」ってなものはいろいろあるらしい)。けどしばらくはこれをあーでもないこーでもないしながら使ってみようと思っている。
なお、本日の行程は「里」バス停基点で約11キロ・約6時間だった。
もっと早い時間にスタート出来てて、且つ、途中ノンストップで歩けてたら、暗くなる前にこの先の石浜まで歩き着くことは出来ただろうとは思う。
ただし、何度も言うけど石浜には宿泊施設が無いので、「重茂車庫」止まりの最終バスをつかまえて前出の民泊「渚泊 海のみやこ」に泊まるか、姉吉のバス停で下車してこのキャンプ場まで歩くかしかなかっただろう。
いずれにしても最後の一時間くらいを、景色も見えない夕闇の中トボトボと歩かねばならなかったろうから、今日くらいの余裕のある行程が自分には適当だったと思う。
荷解きしてて気付いた。事前に購入しておいた、宮古市と宮古観光文化交流協会発行の「本州最東端訪問証明書」、魹ケ崎で灯台を入れた構図の写真撮るつもりだったのに、すっかり忘れてた。天気が良くなくて気持ちがアガらんかったせいで、すっかり失念しちゃってたか。残念なことをした。
18時過ぎに夕飯。モンベルのアルファ米(2合)と、いなばの缶詰タイカレーイエロー、コンビーフと豆ミックスのマヨ和え、フリーズドライの味噌汁、とゆー至極簡単な献立。これだとクッカーでお湯沸かすだけ良いし、洗いものも少なくて済むし。おなかだけ満たせれば良いやという「やっつけ」メニューとも言える。
19時には寝袋に入った。ゴアテックスのカバーで外側を覆った3シーズンの寝袋に、ウォームアップシーツにくるまって潜り込む。その上から更に上半身部分にダウンジャケットを掛けた。うむ、十分に暖かく眠れそうだ。
テントの外では山側からの風が更に勢いを増して来た。寝床が温まったらトイレ行って清拭してサッパリしてから本格的に寝に入ってしまおう。
現状、自分にとってMST行におけるキャンプと言うのは、それ自体を楽しむというよりは、日程やアクセスの都合等でキャンプ場泊しか適当な選択肢がない場合の最終手段、というのが基本的な位置付けだ。
トレイルを歩くことが趣旨である以上、必然的に荷物はバックパックひとつに収まって無理なく歩けるだけの嵩と重さとに限られる。雨風を一晩しのぎ、翌日また一日歩くための気力・体力を回復するという一大事を、自身で背負って歩けるアイテムだけで賄わなくちゃならないのだから、勢い簡素で実用本位にならざるを得ない。
それでもテントでの一夜を少しでも快適にするとか、食事もそれなりに豊かに愉しめるようにするとかの工夫は、やって出来ないこともないんだろうけど、そこまで手間暇掛けようという気には今のところなってない。
その点、同じキャンプと言っても、快適さや贅沢さ(そして御洒落感)を重視するオートキャンプや昨今流行りのグランピングなどは、ほぼ別ジャンルのレジャーだと思っている。
テントはモンベルの「ステラリッジ」を使っている。自立式・3シーズン用のドーム型テントで、本来は登山用に設計されたモデル。テント内の広さに余裕が欲しくて2人用を選んだこともあって、本体とフライシート、アルミペグにグラウンドシートとかでまぁまぁな重量になる(合計3kg弱ってとこ)。
それに寝袋、スリーピングマットなども加わるので、キャンプありの行程となると、どうしても容量の大きいバックパック(75リットル)を使わなくちゃならない。
ここまでMSTを歩いて来て見かけたハイカー/キャンパーたちは、皆、概して荷物がコンパクトだった。大抵はツェルト(ウォーキングポールを使って立てる簡易テント的なもの)を使ってたし、寝袋もおそらくダウン製のコンパクトなものか、寝袋カバーだけで寝てるかだろうと推察。
バックパックのサイズもせいぜい50リットルくらいで、今回の俺のようにバカでかい(そしてそれ自体も約3kgと重たい)バックパックを使ってる人はあまり見かけたことがない…ついでに言うと、荷物が重い時はソールが硬く厚く、アッパー部分も足首をしっかり守って歩行をサポートしてくれるミドルカットかハイカットのブーツを履くようにしている。これも軽いトレッキングシューズやトレランシューズに比べると重くて足腰への負荷は大きい。
世の(?)趨勢はトレランとかUL(ウルトラライト)トレッキングに移っていってるらしいので、これまた時流に遅れたスタイルだと言えそう。
食事については、簡素でも温かい食事を摂りたいので、長年愛用しているSnow Peak製のガスストーブとクッカーを持って行く。
食材はレトルトやインスタント、フリーズドライ、缶詰などをメインに、基本的にクッカーでお湯を沸かすだけで出来る献立にしている。
水さえ汲んで来ておけばテントから出ずに調理と食事まで終えられるように、なんなら後片付けも食器はポケットティッシュやトイレットペーパーで拭って他の道具や荷物に汚れが移らない程度に洗うくらいに留めてしまう。
これは炊事場が混んでたり、暗くなってから到着した場合や朝早く出発する場合などに、待ち時間や調理に要する手間暇を極力省くためだ。
また、朝のコーヒーは、自宅ではコーヒーメーカーで淹れてるけど、キャンプの時は個包装のインスタントで済ませている。そして毎晩の晩酌を抜けない自他ともに認める軽度のアル中だけど、キャンプ泊の時は酒は飲まないことにしている。白湯かホットレモネードなどがナイトキャップ代わり。
なお、必要な食料は予め全部準備して行き、現地ではせいぜい補充程度と決めている。キャンプ泊しなければならないような区間にあっては、食料を買えるようなお店が無かったり、あっても予期せぬ理由(閉店しちゃってたとか、休業日だったとか)で買い物が出来ないってこともあり得るからだ。
例えば一週間とか十日間とか、まとめて歩くためにキャンプ泊が続くってんなら、むしろ改善しなくちゃとは思うけど、これまででも2連泊がせいぜいだった(北山崎から鵜ノ巣断崖を経て岩泉小本に抜けた時・MST⑨に詳述)し、この先もそんなにも宿の確保に困るような区間は無さそうなので、基本的にはこんな考えでやっていくつもりでいる。
起床4時半。日の出までまだ少しあるはずの頃合い。
昨夜は寝袋に入ってしばらくは少し寒くて心細かったけど、消化された夕飯が熱に変換されていって、徐々に手足がぬくぬくしてくる心地よさをウトウトしながら楽しんだ。
夜半にかけて雨風が強く激しくなってきた。時折、山の方で「ゴォッ」という音がしたかと思うと、それに続いて吹き下って来た風が周囲の木々やテントを激しく揺さぶる。
風が通り過ぎると一旦、静寂が戻る。まどろみかける。と、じきに山の方から次の風の気配が伝わって来て、ほどなく次のサイクルが始まる。これが幾度となく繰り返され、そのたびに浅い眠りから覚まされた。
強い雨風は夜半過ぎに収まった。すると今度は周囲の山から、鹿の親子かそれともツガイか?が鳴き交わすピーイピーイという声が聞こえて来た。長く短く低く高く、なんとなくもの悲しさが感じられるのを夢うつつに聴く。
時折、なんとなくだがテントの外に何かの気配を感じる。足音もしないし、糞がテントサイトのあちこちに落ちていたから、ウサギか鹿が居るのだろう…と、寝袋をひっかぶって寝返りを打って遣り過ごす。
やがて夜が明ける頃になると、さまざまな野鳥の鳴き声が聞こえてきた。目を開けるとテント越しに外の明るさが感じられた。
かくしてとうとう熟睡の恩恵には預かれなかった。にもかかわらず十分にチャージ出来た感じはあった。
朝食は日清シーフードヌードルとクラッカー、魚肉ソーセージ。デザート代わりのチョコレートと食後のインスタントコーヒーで簡単に済ます。
撤収にかかる。目覚めた頃は残っていたポツポツ雨もこの頃にはすっかり上がって、薄日もさして来た。むしろ穏やかな朝。
【画像】姉吉キャンプ場
姉吉キャンプ場を06:45出発。ほぼ計画通りの時間。
出発がいつになく早めなのは、今日は石浜まで歩いて、石浜バス停09:56発の宮古駅前行きのバスに乗らなきゃならないからだ。
石浜から宮古駅前行きは毎日この一本だけなので、これを逃すとちょっとピンチなのだ(もっとも、今日歩く区間はほぼバス路線とカブってるので、最悪、途中のバス停で上記のバスを捉まえることも可能ではあるが)。
キャンプ場の前の市道を姉吉川沿いに上流に向かって10分ほど歩いた辺りに、先の大震災の津波到達地点を示す碑と、そこからもう少し先に明治・昭和の大津波記念碑があった。この碑の位置は標高で言えば50mを超えているが、ここまで津波が遡上して被害を出したというから凄まじいものだ。
後者の碑文は以下の通り読めた。
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高き住居は児孫の和楽
想へ惨禍の大津波
此処より下に家を建てるな
明治二十九年にも昭和八年にも津波は此処まで来て
部落は全滅し生存者は僅かに前に二人、後に四人のみ
幾歳経るとも要心なせ
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なお、この集落では明治の津波では60人、昭和には100人以上が亡くなったと伝わるが、先の震災においてはこの先人の訓えに従っていた結果、建物被害はゼロだった。津波伝承碑とその教訓を忘れないことの重要さを示した例だとして注目されたという。
この碑のすぐ先、市道沿いに新旧の住宅が並ぶ姉吉の小集落。
家々の庭先ではそろそろ桜の蕾が綻びはじめていた。
事前リサーチでマークしていた神社マーク「姉吉神社」を参詣。集落を見下ろせる高台の上に建てられていて、自然木をそのまま使って作られた大鳥居が素朴な感じで好印象だった。
姉吉の集落を抜けてコンクリ舗装の坂道を登っていくと、県道41号・重茂半島線との合流の丁字路に着く。県北バス・姉吉バス停(SOBO/278.78)あり。ここまでキャンプ場から歩くこと約30分といったところ。
なお、キャンプ場からここまでの市道は幅員が狭く、乗用車でも車幅が大きいと離合(すれちがい)が大変そうだった。
体も十分温まったので、昔ながらの屋根付き待合室をお借りして中間着のダウンを脱ぐ。
さて出発と言うところに、重茂方面から来た車がキュッと停まって、運転席の女性が「乗って行かれませんか?」と声を掛けてくれた。聞けば助手席の男性もハイカーで、彼女の経営する宿(前述の「渚泊 海のみやこ」?)に昨晩泊まられて、今日のスタート地点までお送りする途中なのだそうで。
折角のお申し出だったけど、自分で決めた区間はきちんと歩きたい主義なので、お気持ちだけ頂いて謝辞。そこはハイカー馴れされておられる様子、すんなり「じゃぁお気を付けて!」と走り去って行かれた。
今日歩く区間ではこの辺りが最高地点。ここから千鶏の集落までは下り。道幅も広がって歩き易くなった。
じきに道路沿いの立木越し、前方眼下に山田湾が見えて来た。
昨晩の泊地である姉吉キャンプ場から南東方向に突き出した小さな半島の先端、標高165.8mの「根滝山」と、海を挟んでほぼ真南にあたる船越半島の北端「小根ヶ崎」を結んだ線の西側(陸側)が公式な山田湾である。
この先の千鶏集落、そして石浜、更に南の川代までが宮古市なので、いわば宮古市の「領海」なのだけど、名称は隣町「山田町」の名を冠している、ということになって少々ややこしい感じだ。
県北バス・木戸ヶ沢バス停を07:50頃通過。
この辺りでようやくスマホの感度5G復活。PokemonGOもプレイ出来た。
辺りではウグイスがめっちゃ鳴いてた。道路の法面に数頭の鹿を目撃。
08:00、千鶏集落に入る。
まずは集落と漁港を見下ろす高台の「千鶏神社」にお参り。
道路を挟んで大鳥居の斜め向かいには県北バス・千鶏停留所がある。側壁がコンクリートブロック剥き出し、鉄板葺きの屋根でなかなか昭和テイスト濃い目の趣きある建物。またバス停の傍らには新旧の津波記念碑がまとめて建てられていた。先の震災での千鶏地区での犠牲者数32名とあった。
トレイル本線から外れるけれど、来た道を少し戻り、地域の津波避難路を下って「旧千鶏小学校跡」を訪ねた。
先の震災では、標高30mほどの高台にあり避難所に指定されていたこの校舎まで津波が到達し、避難して来ていた人たちは更に山手の千鶏神社などに避難し直したそうだ。被災と過疎化・少子化の状況を鑑み、後の2014年3月で閉校になった。
【画像】旧千鶏小学校跡(現存する同校体育館)
今日では校舎は取り壊され、体育館の建物だけが残されている。地域の施設として利用されているのか、外観はきれいに整えられていた。軒下に丁寧に安置された校門の門柱や、かつては校庭にでも据えられていたのであろう「本州最東端の小学校」の碑や、校舎跡に残るコンクリート製の階段や石積みになどに往時が偲ばれた。
小学校跡から、津波に襲われた漁港周辺を抜け、千鶏集会所の裏手の津波避難路の階段を上がってトレイル本線に復帰。
漁港周辺の一帯に、未だに且つての宅地の擁壁などが在りし日のままに残されているのを見て思った。
あの震災から十余年、この集落の復興は多分ここまでが精一杯だろう。
よく、「あの震災は、もともと過疎化の進んでいた地域の限界集落化を早めた」または「震災が無かったとしても、もともと過疎化は避けられなかった」などと言われるが、ここまで歩いて見て来た岩手県沿岸の無数の小さな集落の様子を思い返すと、まさにその通りだと思う。
MSTの沿線に限らず、大昔から綿々と営まれて来た全国津々浦々の村里の生活風景が失われていくのを見るのは寂しい。だがそれも、都市生活者の身勝手な感傷に過ぎないと言われてしまえばそれまでである。せめて今のうちにそういった場所をなるべく多く訪ねて記憶に留めておきたいと思う。
千鶏集落を後にし、県道41号線沿いに南下。石浜漁港のすぐ手前で県道はマップブックには記載されていない新しい道になり、トレイル本線は旧道に沿うかっこうで分岐し石浜集落の北の外れに出る。
石浜口バス停(SOBO/281.73)08:45に到着。
目標のバスの時刻までに1時間ほど余しての早めのゴールとなった。
ちなみに公式マップブックではこの地点が「石浜バス停」と記載されているが、正確には「石浜口バス停」である。
まずは県道を挟んでバス停のはす向かいの「石浜神社」に参詣。
大鳥居のそばの碑によると、目の前の漁港はかつては奇石を産出する浜として漁業者の信仰を集めていたとかで、なるほど神社の境内には変わった形の岩が据えられていた。ちょっと調べると17世紀中頃創建だと言うし、なかなか歴史のある神社・集落と見受けられた。
ここでようやく今日の天気予報チェック。終日曇り。降水確率40%、気温は最高12℃、最低7℃とのこと。最高・最低とも昨日より少し低く、確かに肌寒さを感じる。昨日は心地よいと感じたけど、今日はちと辛い。
漁港のトイレをお借りして小休止してから、折角なので集落の中をうろうろさせてもらう。
漁港に流れ込む川は石浜沢といい、石浜はこの川の河口付近に拓けた漁業集落で、先ほどの神社の伝記も考えるとやはり結構な昔から人が定住していたんだろうと想像。高台にあって先の震災の津波被害を免れた家々には、昔ながらのお屋敷然とした立派なものが多いように見受けられた。
ぐるっと集落を一周し、集落の南の外れにある県北バス・石浜バス停へ。
バス停にデカ重バックパックを降ろし、近くにある次回のスタート地点を下見に行く。
「歩道入口:寒風峠方面」(SOBO/282.32)、09:30に到着。
此処を今回のゴールとする。本日の行程・約5㎞。所要時間・3時間弱。
【画像】岩手県北バス・石浜バス停
さぁ今日はここから一気に宮古・大槌・釜石を経由して、今夜は盛岡市内泊という強行軍だぞ。気持ちを切り替えていこう。
宮古駅前行きの県北バス、定刻09:56発。
石浜からの乗客は、俺の他に近在の方と思しきおかあさんが一人。通院か何かだろうか?ドライバーさんとも顔馴染みのご様子であった。
重茂~音部~月山~白浜と、ここ数回ですっかり馴れたバス路線を戻る。このバスに乗るのも次回が最後になるかなぁ、などと胸算用しつつ。
白浜からハイカーとおぼしき男性二人組が乗って来るまでは、乗客はおかあさんと俺だけ。津軽石を過ぎた辺りから市中までの間は意外と頻繁に乗客の乗り降りがあった(「意外」というのも失礼かもだが)。
おかあさんは信用金庫前で下車。俺は終点・宮古駅前まで完乗。なお石浜からの運賃は1000円ちょうどであった。
宮古駅に着くと、とりあえず「さんてつや」でおみやげショッピング&駅ソバでランチ。お昼なのでラーメンにした。宮古ラーメン580円也。
宮古の街も曇りだけど薄日が差してて、陽が高くなって来た所為か、まぁなんとかしのげる陽気。
さて、さんてつの時間までまだ小一時間あるよな。まぁダラダラ待つか。
今回もいろいろ詰め込んだ分、乗り継ぎには特に余裕持たせてあるから、ここまで来ちゃえばこの先はよほどのトラブルでも無い限り、計画通り、大槌~釜石経由で夜には盛岡に着けるだろう。
さんてつ宮古12:31発。
車窓から眺めるさんてつ沿線は春も盛りといった趣。どこもかしこも桜は良い感じに咲いてるし、田畑も「これからヤリマッセー」なムード醸し出してて、自然と気持ちが軽くなるようだ。
さんてつ大槌13:34着。
デカ重バックパックを駅のコインロッカーに押し込む(300円也。ギリギリ収まった)と、恒例の大槌行脚へ。
小鎚神社、城山公園、元・町役場、大槌稲荷神社と回って、15時過ぎには大槌駅に戻れた(かなりハイペースで歩いたのも確かだけど)。
【画像】里は花も盛り・小鎚神社
予定では「ますと乃湯」でゆっくり汗を流して、大槌17:17発のさんてつに乗って、釜石経由で盛岡到着21時頃…ってつもりだったんだけど、盛岡着が遅くなると、「一人打ち上げ会」、あんまりゆっくり出来なくなるしなぁ。というわけで「ますと乃湯」はまた次回以降にして、大槌発のさんてつを予定より一本早め、夕方には盛岡に入ることにした。
さんてつ大槌15:21発~釜石15:39着。
JR釜石線・釜石15:57発。花巻行き普通列車。
鵜住居で大きな試合でもあったのか、ラグビーファンらしき人達、それとハイカーらしき人達、けっこう目についた。
釜石は春らしい日差し。なんか今回は天気が不安定だわ。
釜石線の車内では車窓風景を眺めたり、疲れからウトウトしたり、これはこれで至福だなぁ。花巻の手前で日没。空にはまん丸お月様。昨晩、姉吉で見たかった空だなぁ。トホホだ。花巻で乗り換え。
18:57盛岡に定刻着。さすがにちょっと疲れた。
常宿R&Bホテルにチェックインしてひと風呂浴びてから、予約しといた「ももどり駅前食堂」で一人打ち上げ会。久しぶりだったけど、相変わらずなに食べても旨かった。ドンコのたたきもモツ煮込みも最高だった。盛岡のお店をなかなか開拓出来ずにいるのは、なんだかんだで結局、此処に落ち着いちゃうからなんだよなぁ。「仕方なく」とか言ってごめんなさい。
朝は何時に起きたかよく憶えていない。アラームかけてた6時半よりは早く目が覚めて、自分でアラーム止めてたみたいだ。例によって半覚半睡のままぐずぐずウトウトと惰眠をむさぼった。
8時半過ぎにホテルの朝食。しっかり頂くと共に、ホールのテレビから流れる天気予報やトランブ関税のニュースなんかで現実世界に引き戻される。
部屋で目一杯のんびりして、10時ギリギリにチェックアウト。
駅のコインロッカーにデカ重バックパックを預けると、まずは復路の乗車券を購入。それからフェザンでお土産ショッピング。
主に東北DRIPPERSと磐手屋。コインロッカー代(特大サイズ1000円!)の元をとろうと、ゆっくり見て回ってもっといろいろたくさん買うつもりだったんだけど、結局、そんなには買わないでしまった。貧乏性?
新幹線、盛岡を定刻発。相変わらずインバウンド連中の姿多く、ほぼ満席かなってところ。仙台辺りから雨が降り始めた。
東京に定刻着。東京も雨。乗り換え。混雑ってほどでもなかったけれど、やはり乗客多し。昼食には万世のカツサンド。800円也。カツが分厚くてシンプルかつボリュームあって大好物。
もうすぐ新大阪。こちらも雨。
盛岡以降の行程は万事予定通り。モバイルバッテリーの返却も済ませて、17時前には帰宅出来た。これにて今回のミッションも無事完了。
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重茂半島攻略作戦は、これで次回、11月に最後の難関、寒風峠~寺地越を経て山田町に入って完了の見通しとなった。
魹ヶ崎をアンチクライマックスというか、割と淡々と通過してしまった気がして勿体なかったかなと今更思うのであった。