2008年06月25日公開
今年のGWは休みの並びがイマイチで、恒例の実家への帰省も後半の4日間、それも前後1日ずつは移動に費やさねばならないから、正味使えるのは中2日だけ。
たまに顔見せるのも親孝行とは言え、遠路帰省してそれだけってのもなんだか勿体無い。そこで「そうだ、去年は気乗りしなくてパスした塩の道歩き、今年は軽く行ってみようか」なんて思い付いた。それが4月下旬、GW直前のこと。急いで情報収集& 計画策定。
当初は北小谷を中心に「天神道」、「来馬温泉」あたりを早朝から軽くぷらぷらして、日帰り温泉入って「道の駅おたり」で昼飯食って帰る…ってな感じで半日ほど使おうと考えていたのだけど、電車のダイヤ上、どうやっても早朝に北小谷に着くのは無理なうえ、「島温泉の桜並木」ももう全部散ってしまったらしい…と言うことで計画の大枠を変更、一日使って「高町越え」ルートを歩くことにした。
【画像】JR大糸線・南小谷駅前
大糸線下り列車で約2時間、9:12南小谷駅着。
車窓から眺める郷里の春。今年は北アルプスの峰々を覆う残雪が例年より多いように思える。
沿線に広がる水田の中には田植えに向けて水を張り始めているものもあり、映り込みが美しい。
南小谷駅からは9:35発、小谷温泉方面行きの村営バスに乗る。乗客は数えるほどで、それもはじめの幾つかの停留所で降りてしまい、すぐに一人になる。9時55分頃、「市場」バス停で下車。
本日第一の目的地、「玉泉寺」に向かう。参道の登り口はすぐそこだ。
【画像】玉泉寺・参道脇の六地蔵
杉の木立に囲まれた急な参道を登り切ると、本堂、鐘楼、庫院が猫の額ほどの境内に肩を寄せ合うように建てられている。本堂と庫院の、板壁を庇から土台までストンと落とした作りは積雪対策だろうか、ずんぐりむっくりな外観だ。
本堂の裏手をさらに登ると墓地があり、中でも地元の戦国豪族、飯森氏の墓石群がその独特な形状–擂り粉木を逆さにしたような–で目を引いた。
道祖神に似せてか、夫婦像を浮き彫りにした古い墓石なども興味深かった。
※墓石の撮影は躊躇われたので文章のみ。
【画像】中谷集落・民家と鯉のぼり
玉泉寺を後にして参道を下り、バス通りに沿って少し川上に上がると中谷集落に至る。
中谷橋を渡ると、先ほど玉泉寺の参道近くでちょっと話したお婆さんと再会。「あすこが私ん家」と指した大きな立派な古民家。「なに、ボロ家だでね」と仰っていたが、古くても多少ボロくても、ちゃんと手入れの行き届いた建物というのは見ていて気持ちの良いものだ。
画像はお婆さん家の裏のお宅。窓はピカピカ、軒先の農具も行儀良く片付けてあり、丹精された庭先の花々も鯉のぼりもチャーミングで萌える。
【画像】中谷集落・全景
畑仕事の合間らしく、野良着のまま道路脇に座り込んで酒盛りするおじさん達に遭遇。たまには塩の道歩きのハイカーも見かけるのか、特に珍しくもないといった風に挨拶を返してくれた。
画像は中谷集落全景。中央が中谷橋で、橋の下を流れる中谷川を薄茶色く濁った雪解け水が轟々と流れていた。
橋を渡った向こう岸左手に真新しい郵便局があるが、周辺の景観に配慮した作りなのか違和感はほとんど無かった。少し川下に立つモダンな集合住宅が周囲から浮きまくっていたのとは対照的。
【画像】神宮寺
「神宮寺」は真言宗のお寺。ガイドブックには境内に古い石灯籠(17世紀末のもの)があると書かれているが、いくつもあってどれかは分からず仕舞い。
本堂にご住職の住まいが隣接していて、軒下には豆トラ、寺の縁の下には稲架木(はざぎ)、境内にはここでも手入れが行き届いたお花畑。生活感溢れる山寺の佇まい。
玄関の戸は開け払ってあったし、住まいに人の気配もあったから、どれが当の石灯籠なのか尋ねてみても良かったが、まぁそこまでするには及ぶまい…境内を抜けて寺の裏手に回る。
【画像】融通念仏供養塔
本堂脇から、裏の田んぼのすぐ向こうに十数基の石塔が並んでいるのが見える。中央のひときわ大きな石塔が「融通念仏供養塔」だ。
江戸末期の建立と伝えられ、もともと中谷川の更に上流の集落にあったものを崩落からの保護などのため、この地に移したものだ。
独特の力強い手蹟が印象的だが、それ以上に興味深いのが塔の中央下部に刻まれた謎の文字だ。案内板の解説によれば神代文字の変形したものと考えられているのだとか。見た感じ、ハングルに似ていなくもないが、なんともミステリアス。
【画像】大宮諏訪神社
神宮寺を後にして、来た道を数百メートル中谷集落の方に戻ると、「大谷諏訪神社」への細い道が枝分かれしている。分岐には案内板が立つ。
佇まいは地味だが、7年に一度行われ、勇壮な「木落としの神事」で知られる同県諏訪地方の御柱祭とも深い関わりのある由緒ある神社だ。
真新しい立派な注連縄のかかった鳥居をくぐり、急な石段を登ると正面に大きな社殿、左手に舞台、右手奥の方に石灯籠などが見える。
お参りを済ませ、社務所の軒を借りて小休止の後、11時過ぎに出発。ここまでで歩き始めてまだ約1時間だ。
【画像】高町越え・斜面を登る古道
地図によれば、ルートは神社の裏手から続いている筈なのだが、一応、それらしい踏み分け道が見えるものの、細い畦道で畑を突っ切らねばならず少々逡巡。ところに、近くで農作業中の男性が「こっちを通って行きなさい」と手招きしてくれた。
彼は小谷村公認の「塩の道ガイド」の一人だそうで、つい昨日も4〜5人のグループを高町越えルートで案内したばかりだと言う。
残雪や倒木などもなく、ルート・コンディションには特に問題は無いとの助言を頂いた。お礼を言って先を急ぐ。
【画像】高町越え・古道脇の石仏
いよいよ本格的に登り区間に差し掛かったわけだが、一歩一歩踏みしめる足下は、腐葉土と言うか、さまざまな樹種の落ち葉の堆積で、その感触は見た目以上に柔らかく心地良い。
今日はハイカットのトレッキング・ブーツを履いている。なにぶん今回の企画は、NZ遠征に備えての実地演習も兼ねているので、里山トレッキングにしては装備過剰なのは仕方が無いところだ。
フィールドでの使用はこれが初陣だが、これまでのところ快適の一言に尽きる。ゲイター(スパッツ)があればなお良かっただろうが…
【画像】中谷集落・遠景
山里とは言え5月ともなればもう日差しは初夏の趣きで、30〜40分も登れば、もう汗だくだ。
ジャケットを脱ぎ、Tシャツの上から腰に結わえると、ラーケンのボトルから水を一口飲む。
山すそから吹き上げて来るそよ風、汗の引く気持ち良さに浸ることしばし。どこからか鶯の啼く声も聞こえてくる。これぞまさしく風薫る5月。
高町周辺は南向きの緩やかな台地で、不自然に平らな場所はかつての水田の名残りだ。至る所に生い茂るワラビやふきのとうが、この地を訪れる人がいかに少なくなったかを如実に物語る。
【画像】埋橋集落
11:45、傾城清水の標識のある分岐に到着。
こんなところまで非舗装ながら車道が上がって来ていて、これに沿って下れば中谷川に架かる堂田橋に至る。高町越えのもう一つのルートだ。
名前からして、近くに湧水があるのだろうと思い、荷物を降ろしてしばし散策するもそれらしい場所は見つからず。少々落胆しつつ再出発。12:00。
分岐から埋橋の集落までは、一転、鬱蒼とした木立ちの中を緩やかに下る。
やがて右手から沢音が聞こえ始めると、程なくして埋橋に到着。12:15。
空色のトタン葺きの民家、雨戸を全て立て切ってあるところを見ると、今では空き家なのだろう。傍らで野良仕事をしているお爺さんが所有者で、今日は手入れをしに来ている、といったところか。
左手奥の民家も無住になって久しいらしく見えた。ガイドブックには「現在の戸数は2戸」とあるが、もはや事実上の廃村なのだろう。
【画像】埋橋集落・阿弥陀堂
薬師堂に御参りを済ませてから、軒をお借りしてコンビニおにぎりと菓子、ペットボトルのお茶で昼食。チープと言うなかれ。それどころか、都市生活者にはなかなか得難い贅沢な時間なのだ。
【画像】堅田城址・つつみの池
昼食を終え、埋橋集落を後にしようと歩き始めた矢先、地元のお婆さん2人組に遭遇。
そのいでたち–野良着の腰から提げて体の前に回した籠、籠の紐に挿した鎌–から、一見して山菜採りの途中と分かる。朝早くに下の方の集落を出て上がって来たものの、「もうみんな伸び切っちゃってて採るの無いねぇ」とのこと。
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お婆さん達と挨拶を交わして別れ、改めて歩き始める。引き続き林の中の緩やかな下り。
堅田城址、つつみの池で一休みする。玉泉寺に弔われていた飯森氏の居城、平倉城の北方の支城だったと伝えられる。風は凪いで、小魚が時折作る波紋を除けば池の水面は静かであった。
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ここから暫くはやや急な下り。沢を一本、そのすぐ後、石仏を一つ過ぎると、道は一転、目に見えてなだらかになり、幅も広くなった。
13:00、「銭上平の道標」の案内標識に到着。
しかし、なぜか道標そのものが見当たらない…
【画像】阿原集落・棚田
銭上平の道標を過ぎると道はコンクリート舗装になった。尾根筋の急坂を下り切ると、深原集落の外れに出た。2003年の秋以来、実に4年半ぶりの再訪だ。
一つ奥の阿原集落、前回は稲刈り後だったが、今回は田植え前、水を張った棚田が見れるだろうかと期待して足を伸ばしてみたが、駄目であった。
不揃いな中にも自然な均整美を感じさせたかつての棚田は、圃場整備によって一面、同じ形、大きさの、普通の「水田」にされてしまっていた。
あの棚田の風景は「保たれるべきだった」と言うのは、都市生活者の身勝手な感傷だろうか。
【画像】JR大糸線・北小谷駅
深原集落を後にすれば、今回のトレッキングも最終コーナーだ。北小谷駅への舗装された車道を午後の日差しに炙られながら歩く。
北小谷駅の北の踏切で、14:04発の上り列車にちょうど足留めされる。初めて見るエンジ色のキハだった。温泉で一風呂浴びてから帰るつもりなので、乗り逃したと言うわけではない。
北小谷駅15:42発上り列車で帰途に就く。群青色をベースにクリーム色の帯を横に貫いたカラーリング。なんとなく懐かしくなった。昔、こんな電車をよく見かけたような気がする。
最後コーナーを回り、姫川を挟んだ対岸を一望出来る見晴らしにさしかかる頃には、頭の中は道の駅での一風呂と風呂上りのビールとで一杯になっていた。ところが、いざ見晴らしに着いて向こう岸の道の駅の様子を窺ってみると、広い駐車場が満車になっている上、入る車、出る車がひきもきらない様子であった。やはりGW、空いた道の駅で大浴場を独り占め、空いたレストランで地元産食材を満喫、なんてのは了見が甘過ぎたと言うものだろう。
家族連れで混雑するレストランや売店、騒がしい浴場を想像して、道の駅は今回はパスと決め、プランB・来馬温泉「風吹荘」に行先を変更。
予想通り、風吹荘の日帰り入湯はそれほど混んではいなかった。先客も数人しかおらず、さして広くない浴場ながら十分にくつろげた。今風の新しい入浴施設のように垢抜けてはいなかったが、館内は隅々まできちんと手入れが行き届いていて快適だった。ロビーの自販機の飲料が市価と同額なのも嬉しい。
風呂上りの一杯は当然ビール、ロビーのソファに深々と座ってデジカメの画像をチェックしながら350ml缶を一本空ける。電車の時間までのんびりと過ごした。
いずれ機会があれば、今度は泊まりで来て–桜の頃か、さもなくば晩秋くらい–、この宿の自慢だと言う手打ちそばなども試してみたいと思った。
今回も 『塩の道 千国街道 古道案内 −歩く人のために−』(白馬小谷研究社刊)を大いに参考にしました。文中の「ガイドブック」は、ほぼ100%、この一冊を示します。また、情報収集には小谷村の観光情報HPがとても役立ちました。こちらは【リンク集】をご参照下さい。