2000年11月10日公開/2001年6月10日加筆・訂正



<旅行者とインターネット>

2度目のNZ旅行は1999年末から2000年にかけての約2ヶ月間でした。

1度目が1996-97年でしたから、約3年ぶりの再訪となったわけです。

降機地 Christchurch の中心部、Cathedral Square の周辺で大規模な再開発工事が行われていたのが目に止まったくらいで、最初はちょっと見た感じ、前回と大きな変化は感じられませんでした。

しかしいざ旅を始めてみると、世界的規模で進んでいる「インターネット」化の波が旅行者の世界にまで及んでいることにすぐに気付かされました。

Backpackers や YHA にも 1分2ドルなにがしかで使えるネット端末が置かれているし、ちょっと大きな街に行けばあちこちにインターネット・カフェがあって、旅行者でも旅先から気軽にネットを利用出来る状態になっています。

旅行者同士でメールアドレスを交換する光景も全く珍しくありませんでした。

インターネットがかくも浸透して来ていることを目の当たりにすると、アタマでは分かっていたつもりでいたのだけど、どうしてまったく大したもんだなと感心することしきりでした。

かく言う私も、出発前の情報収集にはインターネットをかなり利用しました。

また、2ヶ月間と言う比較的短期間の旅行だったこともあり、ホームページはおろか大阪に借りている部屋までそのままにしてありました。当然メールアドレスも生きてますし、友人連中のアドレス・URLも全部控えて行きました。

日本語環境の整った端末でないとローマ字書きでしかメールも書き込みも出来ないのだけど、気の向いた時には友人のホームページをのぞいたり、もちろん自分のをチェックしたりもして旅の無聊を慰めたこともありました。

急ぎの用事でも無い限り、高い料金を払って国際電話をかけなくても済むし、届くのに何日もかかるエアメールなど書かなくても、最寄りの端末から故国の家族や友人に気軽に連絡がとれ、非常に重宝なものです。

<「不足感」と旅する醍醐味>

ところが、重宝さに感心する反面、その「気軽に連絡可能」と言う環境が自分にとってはあまり好ましく感じられなかったというのも事実。

というのも、私は「旅の間は、普段自分が属している環境−生活なり仕事なり−からわざと距離を置くようにするくらいがちょうど良いんじゃないかなぁ」と考えていたので。

手軽に連絡が出来る環境、という奴が、「せっかく手軽なんだしどんどん連絡しなくちゃ」という強迫観念じみたものにまでなってるんじゃないかという気すらしました。ある種「ハヤリもの」でもあることですし。

旅に出ることで−一時的ではあれ−近しい人達や慣れ親しんだ生活との離別状態が生じます。そしてこの状態になって初めて、普段は得られないある種の「不足感」が芽生えてきます。

この「不足感」の正体は、残してきたもの達に対する思慕、意思疎通が不便だからこそ抱き得る故郷や友人達への思い、こういった感情です。こういった感情を自覚することで、人が如何に慣れ親しんだものに対して依存しているかを認識するわけです。

そしてそれら残してきた愛すべきもの達に思いを馳せ、距離を置いてゆっくりと深く見つめ直すことが出来ること、これが旅の−特に一人旅の−醍醐味の一つなんではないかと思います。

そしてこの感情−実際には更に一人々々のバックグラウンドに関わるもろもろの感情が絡んでくるんでしょうけれど−が、いわゆる「旅情」とか「旅のロマン」とかいった言葉の正体の一部なんではないかと思います。

ところが、コミュニケーションがあまりにも手軽になったことで、この「不足感」が簡単に充足されてしまうようになったらどうでしょう?

この旅を通してでしか抱き得なかったはずのたくさんの「思い」が、心の中で育まれること無く解消されてしまうのはなんとも勿体無いことだと思うのですが。

20世紀前半、国際航空郵便が始まり、それまでの船舶・鉄道による輸送に比べて郵送スピードが格段に早くなった頃のこと。郵便機のパイロットが、既にこんな事を言っています。

『人間相互の関係も、労働の条件も、風俗習慣も、すべてがぼくらの周囲であまりにも急激に変化した。ぼくらの心理それ自身までが、その奥底の本源において混乱した。離別や、不在や、距離や、帰還の観念は、言葉こそ同じでもすでに同じ現実を含まなくなっている。』

(『人間の土地』 サン・テグジュペリ/堀口大學 訳 新潮文庫)

エアメールにおいてさえこうなのですから、ましてやインターネットにおいては…

情報伝達のスピードという点から見れば、既に世界に時差はほとんど無いと言っても良いのかもしれません。

ただ、「離別や、不在や、距離や、帰還」といった言葉のあらわすものを、−ほんの少しの間であれ−生々しく感じることのできることが旅の醍醐味であるとすれば、あんまり便利すぎるのもどうかなぁ、と思うわけです。

<あえてアナクロに>

インターネットによるコミュニケーションは、留学や仕事などで海外生活が長期間になる場合には、従来の国際電話やエアメールといったメディアに比べ、はるかに手軽で早くて安上がりだから非常に便利だろうと思います。

でも、旅行となると、情報をたくさん伝達できるけど何日かは待たなきゃならないエアメールとか、料金を気にしながら用件を伝えなきゃならない国際電話のように、ある程度の不便さを伴う伝達手段の方が、旅のリズムというか雰囲気によりよくそぐう気がするのです。

連絡をもらう方にしても、電子メールよりは手紙や国際電話などの方が、生々しくて嬉しいんじゃないかと思うんですが、これってアナクロな考え方でしょうか。

<おしまい>