2000年12月10日公開/2001年3月25日加筆・訂正



郷里の実家は仏教の某大宗派のいわゆる「檀家」で、毎年お盆には家族そろって菩提寺にお参りするのが習わしになっているのだけれど、私はもぅとにかくこの寺が気に食わない。

先年新築された住職一家の住居、ピカピカに磨き上げられ境内に停められたスポーツカー2台、寺の軒下に大型バイク2台、これが全部檀家のお布施のなれの果て。

まさに「坊主丸儲け」のこの俗臭紛々たる境内には、「道義的な怒り」みたいな普段忘れがちな情動を蘇らせてくれるという功徳がある。その意味で「反面教師」ならぬ「反面宗教」を実践していると言っても良いかも知れない。

そもそもお布施って、「これで困っている人達に施しをしてあげて下さい」ってゆー主旨のもんなんじゃないのか?それを手前等のために遣ってどーすんだよっ

雨風をしのげる仮の宿、心ばかりの施し、そして心の平穏。これらを望んでも得られずにいる人々が巷に溢れる昨今、広々とした境内、立派な堂宇、檀家からの少なからぬ額のお布施が費やされるべき対象がもっとほかにあるんじゃないのか?

代々世話になってるって義理もあればこそお参りにも行くけれど、御先祖様に義理を欠かしたくないというだけで、こんなクサレ寺をありがたがってるわけでは無いぞ勘違いすんなよ…とかなんか、本来ありがたかるべき「信仰の場」を訪れるたびに、かえって気持ちがクサクサする。

そんな時決まって思い出すのは、旅行中に偶然訪れたとある教会だ。

バックパッカーズで知り合ったデイブとサリーという中年の夫婦。二人は長年かなりヤクザな暮らしを続けてきたのだが、サリーのオメデタを契機にまっとうな生活を始めることにしたのだという。

「今は日々の食い扶持にも事欠いているけど、クライストチャーチの近くで果樹園の仕事が見つかったから、そこに落ち着くことにしたんだ。」
とデイブが言うと、サリーもすっかり大きくなったおなかをさすりながら
「子供を育てるなら大きな街が良いわね。友達もたくさん出来るし。」
と笑顔で言った。

昼ごろ、二人が「タダでメシ食えるとこ連れてっちゃる」と言うのでついて行く。

街の中心から少し離れたところにある小さな教会。

塗り替えたばかりの白い壁がサニー・ネルソンの陽射しに映えて美しいが、建物自体はかなり古いようだ。

二人に続いて中に入る。

外の世界とはうってかわって薄暗い。古い木造の体育館の雰囲気とよく似ている。

その辛気臭いホールには先客が20人もいただろうか、ヒッピー風の若いカップル、手にギブスをした肉体労働者風の男、杖をついた小柄な老人など、風体は異なるが一見して裕福ではなさそうな人達。

つまりここは、経済的に困窮している人達に無料でランチを提供するボランティアの場というわけだ。

映画でよくあるような、お祈りをしてからみんなで「いただきます」というのではなく、配膳してもらった人から、てんでに食べ始めている。

茹でたソーセージとこれも茹でたジャガイモにグレービーソース、オレンジジュースと牛乳、こんなメニューだったように記憶している。質素ながら量的には十分だったし、味も悪くはなかった。何故か紛れ込んでいる、いかにも余所者の私にも、何の隔ても無くランチを与えてくれた。

食材は寄付に頼っていたようだが定かではない。

ボランティアのスタッフは近所のおじさんおばさん達のようであった。

いろいろな事情はあるのかもしれないけれど、他所者である俺には知る術も無かった。私は彼等から見れば、一般に「金持ち」である日本人旅行者、いかにも場違いな気がして、興味本位で根掘り葉掘り聞くのもためらわれたし。

しかし、少なくともこれだけは確かだった。

ここでは少しずつ持ち寄られた人々の善意が、困っている人達の助けになっている。そして教会が−飾り物ではなくて−そうした善意を実践する場所として現実的に機能している。

ステンドグラスを通して注ぐ柔らかな光の中でかしづき祈る敬謙な信者達。

パイプオルガンの音色と、讃美歌の合唱。彼等を見守る慈愛溢れる神父…典型的な教会のイメージには程遠かった。

むしろはっきり言って教会はうらぶれて辛気臭かった。

そしてどちらがどちら側にいても違和感が無いような有象無象の人々…

でもそこで私が見たものは、慎ましくとも「信仰の実践」にほかならなかった。

<おしまい>