1999年9月19日公開/2002年12月10日加筆・訂正
2月は観光のピークシーズンだ。この時期、NZ各地の景勝地では、事前の予約無しにその日の宿を確保するのは難しい。俺が West Coast をヒッチハイクで北上していたのはちょうどそんな頃だった。
その日は Haast から2台乗り継いで、 Franz Joseph に着いた頃にはもう夕食時だった。村の中心部にかたまっている YH、Backpackers といった安宿はすべて満員だったので、ビール(1本 $3.50 超観光地価格)だけ買って、村から少し離れたキャンプ場で一夜を明かすことにした。
幸いキャンプ場には Bunk Room($13.50)があったので、そこにチェックインする。テントも持っていたものの、今日は朝から雨が降り続いていてテントを張る気にならなかったので。それから数時間のうちに、俺同様今夜の宿にあぶれた旅行者で10人部屋は満員になってしまった。
ほどなく夜になる。特に門限があるようでもなかったが、旅行者の間の不文律のようなもので夜10時には消灯だ。俺は二段ベッドの下で寝袋に身を埋めると、「あぁ、今日は相部屋がたくさんいるし寝付けるかなぁ」なんて思っていたが、連日のヒッチ疲れでいつのまにか眠り込んだ。
こんな風にスンナリ眠り込んだ夜に限って、すごいイビキをかく人と同室になるのである。夜半過ぎ、彼は呼気と吸気のたびに大音響を轟かせ始めた。
こーゆー場合、他の泊まり客の反応は大体決まっている。寝ぼけアタマで起き出してきて、「しぃーっ」とか、小声で「いびきかくな」とか言うのだ。良い気持ちで眠り込んでる当の本人には全く効き目の無い無駄な行為なのだが、気持ちは分かる。そのうちみんなあきらめて、寝返り打ったり、ぶつぶつ文句言いながらも、そのうち旅の疲れに任せてまどろんで行く。Backpacker の「少しアンラッキーな一夜」は、このようにして過ぎていくのが常だ。
ところがこの夜は違っていた。他の客の「抗議」が当然のように空振りに終わると、A国人の男がやおら起き出して部屋の灯かりを点けると、
「おいこのヤロウうるせぇぞ、イビキかくんなら出て行きやがれ」
と、えらい剣幕で怒鳴り出したのだ。
哀れイビキ男は、最初何が起こってるのか分からない様子だったが、今の今まで自分がくるまっていた寝袋を抱えて、すごすごと部屋を出ていった。A国人は自国語(?)で何か言うと、電気を消して自分のベッドに戻った。
俺も含めて他の客は、おそらく一様に驚いたに違いなかったが、それでも「やれやれ」という感じで再び睡魔に身を委ねた…
どのくらい時間が経ってからか定かではないが、部屋の外から、これまたえらい剣幕の足音が聞こえて来た。
イビキ男が戻ってきて灯かりを点けると、さっき自分を追い出したA国人に向かって
「このヤロウ、よくも俺を侮辱したな!イビキをかくのは俺のせいかっ!?」
と、こちらはどこかもの悲しげに喚いた。
するとA国人は取りつくしまも無く言い放った。
「あぁ、おまえのせいだとも。いびきかくな。いびきかく奴は外で寝ろ」
「なんだと、おまえにそんなこと言う権利があんのかっ!?」
「あぁ、あるとも。おまえはメイワクだ。みんなも眠れなくて困ってる」
「…!」
イビキ男は肩を落として出ていった。
連れが3人、後を追うように出ていくと、後には静寂だけが残った…
A国人、なんかあっという間に熟睡モードに戻ってるし…
「あぁ、これでやっと静かに眠れる」と、みんなは思ったに違いない。俺はというと、やっぱりホッとしたけれど、一方で、「ちょっと待てよ、あいつに他の客を追い出す権利があるのか?同じ宿代払ってるわけだし。あ、でも、正直いって助かったよなぁ…俺って偽善者?」とかなんとか、しばらくはまんじりともせず、ぐるぐる考え込んでいた。
それでもいつのまにか眠り込んでいて、翌朝の目覚めはそれほど悪くも無かった。
考えてみれば、相部屋の料金が安いのは相部屋なりのリスクがあるからで、それが嫌な人は –料金は高くても– シングルルームに泊まりゃぁ良いんだよなぁ。イビキ男だって、何も好きでイビキかいてるわけじゃなし。貧乏旅行者を標榜するなら、相部屋人のイビキくらい我慢しろよな。あのA国人も無茶したもんだ。
ま、でも、実際には俺も彼の「蛮行」の恩恵に預かったわけだし、これはこれで「弱肉強食」ってことで良しということにしとこうか。かくして無理が通れば通理引っ込む仕儀とあいなった。
その後あのイビキ男はどうしただろうか?きっとあの夜の出来事は彼のトラウマになっていることだろう。そして、A国のことを見聞きするたびに思い出しては、A国人全体に対する憎しみを新たにしているかもしれないな。