2004年08月25日公開


関空には早目に着いてしまったので、チェックインカウンター近くのベンチでガイドブックを読み飛ばして時間を潰す。

チェックインが始まる頃になると、ぽつりぽつりと乗客が集まり始めた。ほぼ先頭で搭乗券を受け取り、係員の笑顔に見送られる。振り返って見たが、列と呼べるほどの人数は並んでいなかった。

一気に出国審査まで済ませて、カフェでコーヒーとサンドイッチの軽い昼食を摂ってから、ウィングシャトルで搭乗ゲートに行く。

関空に駐機するツボレフ

窓の外にはウラジオストクまでの乗機「ツボレフ–154M」が駐機して、今まさに出発準備をしているところであった。

ロシア製(厳密には旧ソ連製)の飛行機を直に見るのは初めてなので、少々舞い上がり気味にカメラを向け、数回シャッターを切る。

機内預け荷物が機体下部の貨物室にベルトコンベアで積み込まれており、自分の荷物が機に積み込まれる一部始終を目撃することが出来た。大型機ではなかなかお目にかかれない光景だろう。

出発準備が遅れているらしく、定刻になっても搭乗手続きが始まらない。

しばらくしてようやく搭乗開始となったが、この頃になってもロビーは相変わらず閑散としていた。三々五々集まってきた乗客も、全部で20人とちょっと、30人いるかいないか…といった感じだ。水色の制服に身を包んだロシア人客室乗務員に出迎えられて搭乗。

結局、定刻から1時間ほど遅れての離陸。いよいよ出発だ。

率直に言って、ロシアという国にそれほどの関心や愛着があったわけではない。

ただ、「シベリア鉄道」「ユーラシア大陸横断」といった言葉の持つロマンティックなイメージに、以前から漠然とした憧れを抱いていた。

今年に入って、たまたまその憧れを実現出来るように身辺の環境が整ってしまったので、思い切って実行に移すことにしたのだ。

さて、「行こう」と決めはしたものの、シベリアにしてもロシアにしても、漠然としたイメージばかりで具体的な知識は皆無だった。

旅の第一歩は情報収集から。これは基本。

インターネットであちこちのウェブサイトを覗くのはもちろん、ガイドブックを買ったり、旅行会社をまわってもらったパンフレットを見比べたり…。

また、ツアーガイド無しで旅行する以上、ロシア語は出来た方が良いに決まっているので、CD付きのテキストを購入して独習した。

そんな風に約半年の間、準備を重ねて、今日のこの日を迎えたのだった。

初めて乗るツボレフは、エコノミークラスとはいえ想像通りのボロさだった。

特に気になったのは背もたれの薄さ。前席の乗客がシートにもたれると、その人の背中の形に前席が変形して、後席に座るこちらの膝頭にあたる。同じことが自分と自分の後席との間でも起きているわけだが…また、折りたたみ式のテーブルもペラペラのブリキの板で、はなはだ心もとないものであった。

多くの航空会社で見られるような免税品のカタログもなければ機内誌もなく、やけに綺麗なセイフティ・インストラクションが1枚ぺらりと挿しいれられているだけ。

座席によってはウラジオストク航空の名前の入った団扇が入っているところもあったが、残念ながら私の席にはなかった。

最初は「なぜ団扇が?夏だから?」と思ったのだが、理由はすぐに分かった。座席に就いてから出発までの間、機内の空調が動かず、とにかく暑いのだ。

団扇が備えてあるところからして、この機のエアコンがたまたま故障しているのではなく、この航空会社では離陸前はエアコンを点けないことになっているのだろう…「夏の日本に乗り入れる飛行機としてそれはどーやねん」などと、その時はあまり深刻に考えもしなかった。

帰国後、この点について調べてみたところ、もう少し深刻な事情があることが分かった。

実はこの機種の構造上の問題で、離陸前に空調を入れてしまうと離陸に必要なエンジンパワーが得られないのだそうだ(!)。

他にも安全上の問題が多いらしく、ネットで調べた限り評価は芳しくない。

今回の旅行では、そんな機種に都合3回も乗ってしまった。事前に知っていたらもう少し心配もしただろうが、知らぬが仏とはこのことだ。

離陸までの間に、暑さしのぎのためもあってか柑橘系の香りのする洗浄綿が配られた。

社名入りの包装紙の飴も配られたが、これもこの後も離着陸の前に必ず配られたことからみて、気圧変化への順応、すなわち"耳抜き"用だと思われる。これも機体の構造上の問題への対策かもしれない。

飛行時間は2時間なので、安定飛行に入るとすぐに食事になった。時間的にはちょっと早めの夕食、といったところだろうか。メニューは、鶏肉とライスが心持ちロシアっぽいか?という程度の無難なもの。

ビールはロシア製のようだったが、明るいうちは飲まないというポリシーなので、ソフトドリンクにしておいた。隣席の陽気なアメリカ人の男性は、機内食の前後だけで0.5リットルを3本空にしていたが…

やがて機は着陸のために高度を下げ始めた。

雲の下に出ると機窓からは北の海と島々が見える。いよいよロシアだ。腕時計を2時間進めた。これからモスクワに着くまでに何度この作業を繰り返すことだろうか。

ロシア沿海州地方の現地時間は通常、日本+1時間だ。しかし夏至を数日後に控えた今時分にはとっくにサマータイムが始まっており、時差はもう1時間増やされて2時間となっている。そのため現地時間はもう午後7時近いが、外はまだ真昼の明るさだ。

夏至の頃なら日は十分に長いだろうから到着時間が多少遅くてもあまり心配は要らない、という読みは当たっていたようだ

関空を発って約2時間で、ウラジオストク空港に着陸。飛行自体は順調だったようで所要時間は予定通りであった。

北朝鮮・高麗航空のジェット機

長いタクシーウェイを滑走した後、ようやく完全停止したツボレフからタラップを降りると、まず目についたのは制服姿の別嬪さん。略帽が可愛いらしい。しかしお客様をお出迎え…などという温和なムードはこれっぽっちもない。

仕事に対して真剣なのかやる気がないのか、どちらともつかないが、どちらにしても不機嫌そうなキツイ表情が印象に残った。

ボーディングバスに乗って到着口に着くと、すぐそばに駐機しているジェット機の機体に踊るハングル…北朝鮮は高麗航空の機体であった(画像上)。ものめずらしさにこっそりデジカメのシャッターを切った。

ターミナルの建物は想像していたよりずっと小さかった。

入国手続きは予想通り煩雑だったが、乗客の数が少なかったからか意外と早く済んだ。税関は所持金額が申告必要額未満だったためか、ほとんどノーチェック。

結局、着陸から30分ほどで到着ロビーに出ることが出来た。晴れてロシア入国。

税関を出るとそこはロビーになっていた。

早速、ヤミの両替屋だろうか、「チェンジマネー?」などと声をかけられたが、初めてのロシアにすっかり舞い上がってしまった私に、鷹揚にあしらう余裕はなかった。

日本で旅行会社を通して手配したタクシーによる送迎(トランスファー)が迎えに来ているはずだが…と、私の名前が書かれた紙を手にした人物を探した。20代半ばくらいの兄さんが目に留まった。声をかける。

空港からはウラジオストク市街まではタクシーで1時間ほどかかった。

日本での事前手配で6千円なにがしかかかったが、現地の公共交通機関を利用すれば大幅に安上がりになることは間違いないだろう。

しかし、今のところ空港と市中心部を直接結ぶ路線バス、列車はない。不案内な土地での乗り換え乗り継ぎはえてして面倒なものであるし、さらに飛行機が延着したり、日の短い冬場であったり、またはその両方だったりした場合、到着するなりスリリングな道中になってしまう可能性もある。

従ってウラジオストク空港から入国する場合、多少高くても事前手配をしておく方が安全だろうと思う。

20時過ぎに鉄道駅近くのホテルに到着。フロントでチェックインする。

パスポートを求められたので手渡すと、その場で出国カードの裏面に宿泊証明のスタンプとサインをして返された。

部屋を指定され、「ホテルカード」というカードを渡される。自分の部屋のある階に上がり、受付でこのカードと交換に部屋のキーを受け取る。

この各階受付に常駐している受付係をジジュールナヤといい、各階の宿泊客の面倒をみてくれる。ロシア独特のシステムであるという話だ。

ホテルの前の通りに面した部屋で、清潔だし取り立てて文句もない。テレビと冷蔵庫があるが、待機電力節約のためかコンセントが抜かれている。

ウラジオストク駅

この時間でも外はようやく夕暮れ模様。

とりあえず荷物を部屋に放り込こむと、フロントで両替してもらったルーブルを手に外に出る。

この時間でもまだ日があるので駅、ホテル周辺で写真を撮る。

近くの売店でビールと水を買う。34ルーブル。ロシア語での買い物に挑戦したのだが…残念ながら全然通じてなかったようだ。

ちなみにロシアでは飲料水は買うものと思って良い。スーパーはもちろん、街角の売店や屋台でも売っているし、ホテルでもジジュールナヤから買うことが出来る場合が多いようだ。

0.5、1、1.5、2リットルのペットボトル入りで、銘柄はいろいろあるが大抵は炭酸ガス入りだ。ガス抜きのものもあるにはあるが、置いてない店が多い。ガス入りに慣れる方が長い旅にあたっては現実的だろうと思う。

ビール、列車のチケット、ルーブル

部屋に戻り、ビールを冷蔵庫に放り込んでコンセントを差し込んでからシャワーを浴びる。

シャワーフックが無くてヘッドを固定出来ないのが不便と言えば不便であったが、湯量も温度も申し分なし。

ツボレフの機内で配られたナッツをつまみにビールを飲んで日記を書いて寝た。

長い旅の最初の長い一日はこうして過ぎた。


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