2004年08月25日公開
夜中に停車の軽い衝撃で目が覚めた。夕食をどうするか考えているうちに、いつの間にか寝入ってしまったらしい。駅名を確認すると、グラゾフ(1163km)だ。
寝ている間に等時帯が変わっているはずなので、時計の針を1時間戻した(モスクワ+1/日本-4)。明日の朝、起きる頃には最後の時差変更だ。
ふと見るとディマの寝台が空だ。おおかた車掌さんのところで話し込んでいるのだろう。
朝4時過ぎ、キーロフ(956km)に到着。いよいよモスクワまで1000kmを切った。
ジャケットを羽織ってホームに下り、構内の写真を数枚撮るとすぐに車内に戻った。
夜明け前の駅構内はさすがに閑散としていて、下車してくる乗客も少ない。13号車では私とディマと車掌さんだけだった。
動き出した車窓からは、野良犬が数匹、ホームでゴミをあさっているのが見えた。もう一眠りする。
小さな駅を通過する時の減速で目が覚めた。駅名を見ると シャフニヤ(681km)とある。
最後の時差変更地点である コテリニチT(869km)は寝ている間に通過していた。これでモスクワ時間との時差はなくなったわけだ(モスクワ+0/日本-5)。
朝食後、ヒゲを剃るためにコンセントを使おうとするが、やはりロシア号同様、車掌に頼んで通電してもらわないと使えなかった。
朝のおつとめを済ませた頃、ゴーリキー・モスコフスキー駅(429km)に到着した。
ここも街の名前は「ニジー・ノヴゴーラド」といい、スヴェルドルフスク同様、駅名にソビエト時代の名称を留めているのだ。
さすがにあと半日でモスクワに着こうという列車だけに、ホームには物売りの姿も少ない。隣のコンパートメントの中年女性2人組も大きな荷物を抱えて下車していった。
一層静かになった車内では、ラジオからのロシアンポップスと線路の音だけが響いている。
ディマは昨夜の夜更かしのせいか、今は頭から毛布をかぶって寝ている。私は私でガイドブックでモスクワ情報をチェックしたり、たまに車窓越しに写真を撮ったりと、大人しく過ごす。
そのうちディマが起きてきたので、ティータイムにした。クッキーのお相伴にあずかる。
彼はモスクワ到着後、3時間ほどで次の列車に乗り継ぐのだそうだ。
一口にモスクワ到着、と言っても、実は「モスクワ駅」と言う駅は存在しない。
鉄道駅は市内数箇所に分散して建てられており、例えばキエフ駅、レニングラード駅、ベラルーシ駅といった具合に、その駅から伸びる路線の主要目的地が駅名になっている。
同じ理屈で、サンクトペテルブルグに「モスクワ駅」があるわけだ。
ちなみにシベリア鉄道本線の発着は市北東部のヤロスラブリ駅である。
そろそろお互いに下車の準備を始める。今回は早めに寝具を車掌さんに返した。
ウラジミール(191km)には数分の延着。23分の停車。ホームに下りてはみたが冷やかそうにもホームには物売りの1人もいない。
軽く手足を伸ばすとすぐに車内に戻った。
下車の準備や寝台の片づけが一段落すると、ディマに写真を撮らせてもらい、住所ももらった。
道中、なにくれとなく気を遣ってくれたので、せめて写真ぐらいは送らせてもらうとしよう。
そうこうしているうちにキロポストがとうとう100kmを切った。車窓に張り付いてキロポストのカウントダウンだ。
近郊路線の線路が重なり始め、次第に判別しにくくなっていく。25kmまで確認して断念。
車掌室前の通路では、ウラジミールで乗ってきたのか清掃係と思しき女性が、車掌さん2人ときゃいきゃいとはしゃいでいる。
3泊4日の道中、途中、空いたコンパートメントでゆっくり休憩してる姿も目撃していたけれど、やはり1勤務の終わりはほっとするのだろう。しかも終点は首都モスクワ、ちょっと羽を伸ばしたり…なんてところだろうか。
ともあれ、ロシアでも「女3人寄ればかしましい」わけだ。ディマもしょうがないな、という風に笑って肩をすくめた。
右手前方に高い塔が見えてきた。オスタンキノ・タワーだ。
いよいよモスクワ中心部に近付いてきたのだ。カラフルな近郊電車を尻目に列車はモスクワ、ヤロスラブリ駅構内に進入していく。
駅構内がだだっぴろい上に、長い列車の最後尾車両だったせいか、停車しても車窓から駅舎が見えないことが道中でも多かった。
それでも、停車前から通路に出て待っている気の早い乗客達が一層そわそわしだす様子やドアの開閉の音などで、到着したと分かる。
まとめた荷物を持って下車。
最初で最後のプラットホームのおかげで、重い荷物を持って高くて急なステップを下りずに済んだ。
とうとう着いたか、モスクワ(0km)へ。9300km、思えば長い道中だった。
ホームでディマと握手し、到着直前に泥縄で憶えたロシア語で「良い旅を」と伝えて別れた。
しかし、ここでも感慨に浸る間もなく、トランスファーの男性に引っ張られてホテルに向かうこととなった。どうにか制してバイカル号と一緒に記念撮影だけはしてもらったが…
トランスファーの男性は小太りの爺さん。英語はほとんど通じず、でもそんなこと気にする様子もなくロシア語であれやこれやとしきりに話しかけてくる。
分かることにはどうにかカタコトのロシア語で答えて、何を言っているのか分からないことについては「わからん」とだけ伝えた。
重要な手続きをしているわけではないし、爺さんの言っていることも概ね社交辞令的なことだったようなので、まぁこんなもんで良かろう。
それにしてもヤロスラブリ駅はすごい混雑、ロシアに来て初めての「人込み」だ。旅行者に見送りの人々、軍人、警官、駅員にポーター、物売りなどなど、カート付きとは言え重いバッグを引っ張っりながら、この雑踏を掻き分けて進むのは骨が折れた
しかも爺さんがこっちのペースにお構い無しにずんずん進んでいくものだから、最後には見失わないように着いていくのがやっとで、周囲を眺め回したりする余裕はまるでなかった。ましてや写真撮る余裕など。
駅舎の裏手の駐車場に着く。爺さんがが運転手かと思いきや、別の運転手が運転席で待っていた。ここで私の身柄を引き渡すと爺さんは歩き去ってしまった。
運転手は一転、口ヒゲをたくわえたジゴロ風の若い衆。この仕事に就いてまだ日が浅いらしく、運転は素人目にも上手くはなかった…と言うよりは下手だった。途中、道に迷って抜け道を交通警官に聞いてるようじゃチップはやれないな。
道を行く車を見ると、日本車もちらほら見えるが、プジョーやフォルクスワーゲンといったヨーロッパ車が多く、東欧諸国製かロシア国産かも知れない見たことも無いようなメーカーの車もたくさん走っていた。
駅から40〜50分でホテルに到着。市北東部のイズマイロフスキー・パールクというところに建つ大型ホテル。
運転手は私をフロントまで案内すると、大急ぎで車に戻って行った。
チェックインには少し時間がかかった。
イルクーツクでの滞在先の確認に手間取っているたらしく、ホテル名を伝えるとようやく手続きが完了した。宿泊証明のスタンプが不鮮明で、ホテル名が分からなかったようだ。パスポートはその場で返された。ホテルカードももらう。
28階建ての27階の部屋をあてがわれた。高層階用エレベーターでフロアに上がり、ジジュールナヤからキーを受け取る。
予約の都合でツインの部屋をあてがわれたのだが、おかげで部屋が広く、片方のベッドの上に荷物をぶちまけることが出来て使い勝手が良い。
デスクとは別に、窓際にもテーブルとライトスタンドが置かれている。ミニバーにテレビ、窓からはモスクワ市東部を一望出来る。これだけ揃っていて、今回利用するホテルの中で一番宿泊料が安いのだからさすが首都モスクワ、ホテル間の競争も激しいのだろう。
なにはともあれ、シャワーを浴びて4日分の汗と埃を洗い落とす。
とりあえず、無事モスクワに着いたので祝杯を挙げよう。部屋のミニバーにもビールはあったが、高価なうえに量が少ないので我慢して1階に下りた。
1階のホールにあるバーに行き、カウンター越しに「ビールある?」と聞くと、「ここにはないけど外のバーで買えるよ」との返事。玄関を出た横に、オープンバー兼レストランが設けられていたので、ついでに食事もここで済ますことにした。
まずはビールで乾杯!9300キロ無事完乗!空きっ腹に思いっきり応えるが、1本目はすぐに空けてしまった。
あとは、シェフに「何があるの」と聞いて、簡単な串焼肉のセットを頼んだ。ビール2本目まで込みで240ルーブル。
少し食べ足りない感じだったので、ミネラルウォーターを買うついでに、大きな鮭のフライを買って部屋に戻る。
鮭のフライを食べ終えてから日記を書き始めたものの、満腹感とビール2本分の酔い、それに緊張感がほぐれたこともあったのだろう、猛烈な睡魔に襲われる。
日記も途中だけれど寝てしまうことにした。