2004年08月25日公開
目を覚ますと、列車は ウラン・ウデ(5640km)に向かってひた走っているところであった。キロポストを確かめると5757kmだ。ちょうど次の等時帯に入ったところなので、腕時計を1時間戻す(現地時間=モスクワ+5・日本+0)。
西に進むにつれ、沿線の街並みや道路などのインフラが質素ながらもきちんと手入れされている、という印象を受けるようになってきた。
ウラン・ウデには9時半、ほぼ定刻に到着。
ロシア連邦ブリヤート共和国の首都であり、周辺一帯にはブリヤート族などモンゴロイド系の少数民族が多い。文化や習俗にも隣接するモンゴルの遊牧民族の影響が大きいと言う。
確かに駅のホームにいる旅行者や物売りの人々にもアジア的な顔立ちの人が多い。
近郊のザウディンスキーからは、モンゴルの首都ウランバートルを経て北京に至る国際路線が分岐している。
ホームに下りてタティアナさんを見送る。
駅構内の写真を撮ろうとホーム中央にある跨線橋の階段を駆け上ろうとする…が、ハッと我に返る。
高いところは確かに眺めは良いが、写真撮ってる自分が周囲からも丸見えだ。そしてホームにも駅舎周辺にも警官、軍人がの姿が非常に多い。これはヤバいかも知れない…と、一気に怖気づいてしまった。
結局、一番上までは上らずに、中ほどの踊り場から構内を見回すふりをしながらデジカメでこっそり1枚だけ撮影した。
そそくさと階段を下りて自分の車両に戻ろうとすると、向こうからパトロールと思しき警官2人組が歩いてくる。「南無三…」と思ったが、幸い何事もなくすれ違った。
後になって思い返すと滑稽なほどビクビクしていたのだが、この時はまさに薄氷を踏む思いだったのだ。
この駅はシベリア鉄道沿線で屈指の規模の車両整備工場を持っているということで、本当は写真を撮りまくるつもりだったのだが…。
ウラン・ウデを発つと急激に雲行きが怪しくなり、小雨が断続的に降るあいにくの空模様となった。
次の停車駅スリュジャンカTまでは5時間ノンストップである。この間に身なりを整えておくことにする。
まずはウラジオストクから伸ばしっぱなしで小汚いヒゲを剃りたい。
トイレの前のコンセントでシェーバーを使おうとするが、動かない。壊れているのかと思ったら、そばの通路でトイレの順番待ちをしている男性が何か言っている。
「壊れてる?」と聞くと、「★◎△!プラヴォドニーツァ!」と車掌室の方を指さして言う。
どうやら車掌に頼んで電源を入れてもらって使うようになっているらしい。車掌のところに行き、シェーバーを指さして「これ使いたいんだけど」と伝えると、車掌室の配電盤のスイッチを入れてくれた。
かくして3日間伸ばし放題のヒゲをきれいに落とすことが出来た。使い終わってから車掌にその旨伝えて電源を落としてもらう。
コンパートメントに戻ると、ぼちぼち荷物の片付けを始める。
しばらくして気が付くと、通路側の窓の向こうに広い湖面が見える。気付かないうちに湖畔に出ていたらしい。バイカル湖だ
片付けはひとまずおいておくことにして、コーヒーを淹れて通路の簡易シートに陣取ると、車窓からバイカル湖を眺める。
依然、上空には低い雲が垂れ込めていて、残念ながら絶景と言うわけにはいかなかった。
しかし湖畔の風景は思ったより変化に富んでいる。列車が湖面から非常に近いところを走ったり、湖岸に沿ったカーブで列車全体が良く見えるところがあったり、時には湖畔に停めた車のそばに、古めかしいAフレームテントを張った親子連れがこちらに向かって手を振ってきたり…。
また、湖畔のあちこちに煙突のある小屋や小舟が見えた。いわゆる「ダーチャ」と呼ばれる、ロシアの人々の夏の別宅とでも言うようなものかも知れなかった。
都市で働いている人でも週末には自分達のダーチャに行き、そばに作った夏野菜畑の手入れやバーニャ(ロシア風サウナ小屋)を楽しんだりするのだそうだ。
スリュジャンカT(5311km)には昼過ぎに到着。
停車前、いつになく通路に乗客が多いと思ったら、停車してドアが開かれるやいなや、皆、我先にとホームに下りようとする…と同時に、ホームの物売り達もいつになく積極的にドア付近に殺到している。
乗車口の人垣をすり抜けて振り返ると、皆、物売りから魚の干物を買い漁っている。バイカル湖特産のオームリという淡水魚の燻製である。人気があるとは聞いていたが、これほどまでとは思わなかった。
嵐のような売り買いが終わるとすぐに発車。あたかもオームリ売買のための停車だったかのようであった。
コンパートメントに戻るとナージャさんもやっぱりオームリを買っていた。
「随分買いましたね。娘さんにお土産ですか?」と聞くと、「それもあるけど、たくさん買ったから皆で食べましょうよ」と、Kさん共々、図らずもお相伴に預かることになった。
せっかくなので写真を撮らせてもらう。ナージャさんとオームリ。
燻製は2種類あるらしく、片方はそのままスモークしたもの、もう片方はゆでてからスモークしたもの。後者の方が柔らかくて食べやすく気に入った。
ナージャさん、「ナイフある?」と言うので私のオピネルを貸すと、大胆に骨ごと輪切りに。
食べ方は、皮が分厚いので骨から身をそいで歯でこそげとるようにして食べる。「これも試してみなさいよ」と、黒パンと一緒に食べるのをすすめられた。特に黒パンに乗せて食べるのが美味しかった。
ちょっと塩味がキツイので、1人で1尾食べたら塩分摂り過ぎかも…ビールが欲しかった。
気が付くと3人とも一心不乱に食べていた。気が付くと車内がやけに静かだ。きっと他のコンパートメントの乗客達も一心不乱にオームリを食べているのに違いない…
スリュジャンカからイルクーツクまでは2時間。スリュジャンカを通過すると、線路は湖畔を離れ、車窓からの風景は白樺に覆われた丘陵地帯に変わる。
オームリのご馳走の後片付けを済ますと、そろそろ下車の準備だ。心なしか他のコンパートメントもざわつきはじめたようだ。
荷物が片付くとナージャさんに住所を教えてもらった。さっきの写真を送ると約束。
ご馳走のお返しに、日本から持って来てまだ手を付けずにいたお菓子のパックを開けて、半分をフリーザーパックに取り分けてプレゼントした。
こちらのお菓子は概して日本のものよりだいぶ甘そうだ。だから甘さを抑えた「大人味」の日本のお菓子を喜んでもらえるかどうかは心配だったけれど、まぁ気持ちだけ。
到着直前のちょっとしたトラブル。
車掌がコンパートメントを訪ねて来て、ティーバッグの紙箱を開けて中味を指さし、「どれか選べ」と言っているらしい。
「なんだろう餞別でもくれるのかな?」などと思って、紅茶二つとコーヒーを一つ採ると、「11ルーブル」だと…なんじゃそりゃーっ!
ナージャさんが気が付いて車掌に何か言ってくれた。その中に「ノルマ」という単語が聞き取れたのと、その口調から、「なにそれケチくさいわねノルマでもあるのっ?」くらいのことは言ってくれたのかもしれない。
そのせいかどうか知らないが、砂糖のパックを二つ付けてくれたが、つまるところ押し売りされたのと変わらない結果に。
もう一つ。列車も減速を始めてもうすぐ着くかな、という頃になって、皆が乗車した時に配られた寝具のセットを持って車掌室の方に行くのに気が付いた。「あぁ自分で返しに行かなきゃいかんのか」と慌てて持って行って手渡した。
しばらくしてから車掌がエラい剣幕で怒鳴り込んできた。「★×◇!パラティエンツァ!」と言っているのが聞き取れた。
どうやら「あんたタオルがないじゃないのっ」みたいなことを言っているらしい。あれ?シーツや枕カバーと一緒に渡しただろ?と伝えた(つもり)。
それでも引き下がる気配が無いので、もしかしたらと思い、ひとまとめにしておいた洗濯物をバッグから引っ張り出して確かめてみると…ありました。
車掌室に返しに行き「ごめんなさい」と言いタオルを渡すと、「なんだこのコソ泥野郎がっ」みたいな扱いをされた。頗るバツの悪い思いをしてコンパートメントに戻ったのであった。
ロシア号については「難民移送列車」などと思いもしたが、トータルではそんなに悪くなかったと思っている。だからこそ、この車掌だけは心底憎らしくてたまらない。
しかし、ひょっとすると10年後、20年後には出来ない体験をしたのかもしれない。
この先、サービス向上の名の下に接客教育が徹底され、サービスが均質化されるなどすれば、彼女のような不良車掌の存在は過去のものになってしまわないとも限らない。
将来、「でも俺が乗った頃はそりゃぁひどかったもんさね…」などと、懐かしく思い出す日が来ないとも限らないではないか。
発展途上で洗練されていない今だからこそ出来た体験だと思えば、したり顔で出来る昔話のネタを仕込めたと思えば、悔しさも半分くらいにはなるかな…
スリュジャンカTを過ぎてからは空模様はみるみる回復した。なにぶん広大なバイカル湖であるから、その存在自体が周辺地域の天候に大きく影響していても不思議は無い。
イルクーツク(5185km)には定刻に到着。ここでは今日とモスクワに向けて出発する日を含めて4日間滞在する予定だ。
刑務所から釈放されたかのような開放感と、まだ乗っていたいような後ろ髪を引かれるような気持ちとがないまぜになった複雑な心境だった。
発車するロシア号を見送りたかったが、列車はイルクーツクにまだ20分も停まるし、既にトランスファーが迎えに来ているしで無理だった。残念。
同室の2人に別れを告げホームを後にする。
それからはあれよあれよと言う間にホテルまで引っ張って行かれてしまった。もう少しゆっくりと駅周辺などを観察したかったが、出発日のお楽しみ、ということにしておこう。
車内で運転手がバイカル湖ツアーに誘ってきたがお断りした。現地で自力で手配して行くつもりなのだ。
キーロフ公園に面した大きなホテルにチェックインする。ウラジオストクのホテルと違い、ここではパスポートを明朝まで預かると言われた。
部屋に荷物を入れると、まずはジジュールナヤに国際電話をかけたい旨伝えた。部屋の電話からどうぞ、とのこと。出発以来ようやく実家の両親に無事を伝えることが出来た。
電話を切ってからジジュールナヤにその旨伝えると、その場で清算してくれる。
約5分で250ルーブルだった。
ゆっくりとシャワーを浴びてさっぱりしてから、再びジジュールナヤのところに行きビールを買う。ちゃんと冷えてる。
部屋に冷蔵庫がないので買い置きしておけないのが不便だが、この国で冷たいビールを飲むためになら、この程度の手間は面倒のうちには入らないな…。
ホテルの部屋に1人っきりになると、ようやく緊張がほぐれたのか猛烈に眠くなった。