2004年08月25日公開


昨夜ぐっすり寝たので寝起きは爽快だった。

朝、まずはジジュールナヤに断って、日本の家族に国際電話をかける。

昨日、ホテルに着いたのが18時頃、つまり日本では23時をまわっていたので、夜分遅くに電話するのも悪いと思い今日朝イチでかけるつもりだったのだ。6〜7分、もう少し喋ったかもしれない…500ルーブル也。

朝食はホテルのレストランのビュッフェ。同じビュッフェ形式でもイルクーツクのホテルとは比べものにならない。料理の品数がまるでちがう。3日では試しきれないのではないかと思うほどの種類が並んでいる。デザートもお菓子ありフルーツありととても充実していた。

頑張って朝から食べ過ぎ気味に食べる。コーヒーが美味しくなかったのだけが残念。

ベルニサッシ内部とホテル(後方)

今日は丸一日、ホテル近くのベルニサッシ・マーケットを冷やかすことに決めている。

遊園地のような施設の中が巨大土産物マーケットになっており、特に週末は、骨董市も開かれて活況を呈するということであった。

今回の旅行の大きな目的の一つに、この市場を一日冷やかしまわる、というのがあって、そのためにモスクワ滞在が週末になって且つロシア号・バイカル号両方に乗れるよう、わざわざ日程を調整したのであった。

10時の開場とほぼ同時に、10ルーブルの入場料を払って入場。16時を回ってそろそろ店じまいが始まるという頃まで、立ち並ぶ屋台をぐるぐると思う存分冷やかし回った。

常設の店舗もあれば、奥の方の通路端のようなところには、お爺さんお婆さんが有象無象のガラクタを陳列して売っていたり、地元の芸術家達が作品の展示販売をしていたり。

ベルニサッシ内部

マトリョーシカ、ホフロマ塗りの器類、Tシャツ、ピンバッジ、軍放出品、グジェリ陶器、アンティークカメラ、銀細工、寄木細工、ソビエト時代のポスターのレプリカなどなど、ロシア土産で手に入らないものは無さそうであった。

また、変わったところでは剥製や毛皮、スクリムショー、遺跡から出土したらしい石器や鉄器、古い貨幣なども売られていた。もっとも、これらは買ったは良いが税関でストップを食う確立が高そうだが。

元ミリタリーオタクとしては、つい軍装品関係のお店に目が行った。対独戦争では攻め込まれもし、また、ベルリンまで攻め込みもしたせいか、ナチスドイツ軍の古い軍装品がけっこうあった。

買って買えない事もなかったが、本物かどうか怪しいし、本物だったらだったで、何か憑いてたりしたらいやなので買わずに済ました。

また、アンティーク扱いなのかも知れないが、実銃を売っている店もあった。トカレフやアメリカ製トンプソン・サブマシンガンなどが見えた。

主に家族向けにいろいろ買い込んだが、もう少し買っても良かったな。

本当はシベリア鉄道関係グッズがあったら記念に買おうと思っていたのだが、残念ながら見つけられなかった。

今日は朝食後、ホテルの目の前のイズマイロフスキー・パールク駅から地下鉄に乗って市内見物に出かけた。

メトロ駅の構内

地下鉄は「メトロ」と呼ばれており、街中でも地下鉄駅入り口には「M」のマークが掲げられているので分かりやすい。

環状線である4号線を、その他の各線が斜に交差するように縦横に走っており、路線バスや路面電車共々、モスクワ市民の重要な生活の足となっている。

料金は一律10ルーブル、回数券などを使えばさらに割安になる。自動改札で切符は紙製の磁気カード。使い捨てだ。

駅構内は照明がかなり暗くて怖いくらいだった。

車両は古くてオンボロで、どういうわけかたまに一瞬照明が切れて真っ暗になったりする。

地下鉄の路線案内図(駅名が英語で併記されていた)や車内広告も掲示されていた。

話には聞いていたが、駅のホームの内装は彫刻やモザイク、レリーフなどで飾られていることが多く、特にコムソモーリスカヤ駅の天井はなかなか見ごたえがあった。

また、モスクワの地下鉄はやたら地下深く、そのせいかエレベーターの速度がやたらに速いと聞いていたのだが、これはその通りだった。

面白かったのは、エレベーターの一番下に運転席があって係員が常駐しており、エレベーター上の人数が増えると速度を落としたりと随時調整していたことだ。

また、これだけ速いエスカレーターでも、やはり駆け上がる人がいて、皆、彼らのために片側を空けて乗るのである。ちなみに「関西式」に左を空けていた。

3号線からクールスカヤで4号線に乗り換えて、1号線のコムソモーリスカヤ駅で下車。

まずは先日、到着の折に写真を撮り損ねたヤロスラブリ駅に行く。終着駅の写真はやはり撮っておかねばなるまい。

ヤロスラブリ駅の周辺には、カザン駅、レニングラード駅、コムソモーリスカヤ駅(メトロ)と、鉄道駅が固まっている。

ヤロスラブリ駅 カザン駅

ヤロスラブリ駅がどこか東洋的とも言えるようなシンプルな美しさなのに対し、通りを挟んで向かい側にあるカザン駅は壮麗、という表現がぴったりの建物であった。

続いてコムソモーリスカヤ駅から1号線で市中心部のアホートヌィ・リャト駅へ。地上に出れば「赤の広場」は目と鼻の先だ。

赤の広場 アルバート通りの似顔絵描き モスクワど真ん中

…目と鼻の先のはずなのに、道に迷うあたりが方向音痴たる所以だが、駅から10分ほどかかってどうにか11時前頃には到着した。

赤の広場、クレムリン、レーニン廟、グム百貨店、聖ワシリー教会など、この周辺は観光スポット目白押しだ。

赤の広場からクレムリンの外周を反時計回りに歩き始めると、ほどなくクタフヤ塔に着く。ここにはクレムリン内部への入場口がある。券売場前には入場待ちの観光客が長蛇の列…内部見学はあっさりと断念した。

ここから一旦クレムリンを離れ、アルバート通りに向かう。旧アルバート通りの歩行者天国を、土産物屋や似顔絵描きを冷やかしながらロシア外務省のビルまで歩いてクレムリンに引き返した。

屋台でアイスを買って木陰で涼んだりしながら、引き続き外周を歩き続ける。

モスクワ川を対岸に渡り、左手にクレムリンを眺めながら川沿いを歩いて赤の広場に戻った。

聖ワシリー聖堂が工事中で、あまりかっこよく写真に撮れなかったのが残念だ。

現在はテロ警戒で立ち入り禁止になっている赤の広場、実際に目にするとその広さに驚く。冷戦時代、この広場にセスナ機が着陸するという事件があったがそれも納得の広さである。

クレムリンの尖塔群

クレムリンは、内部見学こそ断念したが、とりあえず文字通り「アウトライン」は把握出来たように思うので満足だ。

16時を過ぎた頃、赤の広場周辺で交通規制が始まった。観光客の流れに乗って、赤の広場を後にする。

随分歩いたことだし、もうホテルに戻ろうと思いメトロ3号線のプローシャチ・レヴォリューツィイ駅に向かう。

ボリショイ劇場

ここでも持ち前の方向音痴ぶりをいかんなく発揮してしまった。駅がちっと見付からないのだ。

面倒くさいのを我慢してガイドブックを取り出し、通りの名前などを確認しながら歩き回って探したのだが…暑いし埃っぽいしすっかりイヤになってしまった。

小1時間無駄に消耗した挙句、結局、アホートヌィ・リャト駅からメトロに乗って今朝来た時と同じルートでホテルまで戻った。

迷ってる間に偶然「ボリショイ劇場」に行き当たったのがせめてもの救いだ…ということにしておこう。

これであとは明日、トランスファーで空港に行き、飛行機に乗ってしまえばこの旅も終わりというわけだ。

幸いここまで、噂に聞いていたような危ない目には遭っていない。

事前の情報収集では
「ロシアでは警官、軍人の間に不正が横行しており、外国人旅行者もよく狙われる」
「ネオナチの若者が集団でアジア人に暴行を加える事件がおきている」
…などの怖い話も随分聞いていた。

人一倍心配性な私だが、まぁ、どうにかここまでは辿り着けたというわけだ。

そう言えば、「危ない目」とはちょっと違うけれど、ウラジオストクとイルクーツクではホテルの部屋の電話に「夜のお誘い」コールがかかって来た。お約束。

一晩目のコールはは英語だったので丁重にお断りしたが、次の晩またかかって来たので今度はロシア人のふりをして「アロー?」と応えたら無言で切られた。それからは専らこの手法で防戦に努めたのである。

ところがここモスクワではお誘いコール一度もなし…ちょっと淋しいような。

まぁ、とにかく、ここまで無事に来れて良かった。


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