2004年08月25日公開


起床。腕時計は9時をさしている。本日最初のキロポストは4180km、「第2シベリア鉄道」とも呼ばれる「バム鉄道」への分岐点 タイシェト(4515km)は夜中のうちに通過していた。

タイシェトの西40kmほどのところで等時帯の境界を通過しているので時計の針を1時間戻した(モスクワ+4/日本-1)。現在は現地時間で朝の8時ということになる。

皆まだ寝ているので、こっそり抜け出して朝のおつとめ。トイレと洗顔、歯磨き。こざっぱりしてコンパートメントに戻ると、私も二度寝を決め込むことにした。

10時。クラスノヤルスク(4098km)に到着。

この頃になると、皆ようやく起き始めたのか車内がざわつき始めた。

ホームでお買い物

空模様はやや怪しく、駅の手前で渡ったエニセイ川の川面にももやがかかっていた。

23分間の停車。ホームに下りて伸びをする。

物売りから朝食用に「ベリャーシ」を買った。10ルーブル。揚げパンの中に挽肉などの具を入れたもので、日本で「ピロシキ」と呼んでいるものは、むしろこのベリャーシに近いのではないかと言う人もいる。

このベリャーシとコーヒーで朝食にしようと給湯器のところに行く。

この給湯器は「サモワール」、または「チタン」と呼ばれていて、底部の釜で石炭を炊いて加熱・保温する構造になっている。

各車両、車掌室の前に設置されており、乗客は常に熱湯を使うことが出来る。

タンクに取り付けられた温度計で湯温をチェック出来るようになっており、大抵は90℃前後に保たれていた。

お茶を淹れたりインスタント・ラーメンを作る程度であれば十分な熱さであった。

サモワール

ちなみにこの給湯器の裏側がボイラー室になっていて、乗車口横のパネルから出入りすることが出来る。

ここには–今回は夏場だったので使われていなかったが–暖房用の大きな石炭釜が備え付けられている。

列車そのものは全区間、電気機関車に牽かれている。また、客車には車軸の回転を利用した発電機が備えられ、照明やエアコンの電力は車両ごとに確保出来るようになっている。

なのになぜわざわざ給湯や暖房に石炭を用いているのかというと、冬のシベリアでは暖房の確保が生死に関わる重大事だからである。

暖房の熱源としては、故障や事故があれば供給が途絶えてしまうおそれがある電力より、石炭の方が信頼性が高いから、というわけだ。

沿線の町並みを見ていると、集合住宅にも一戸建ての建物にも、必ず煙突があったが、これも同じ理由によるものだろう。また、大きな駅には構内に必ず広大な貯炭場があったし、石炭運搬用の貨車もたくさん見かけた。

ロシアでは石炭が未だにエネルギー供給の第一線で活躍しているのだ。

かくして、熱湯は常に手に入るようになっているので、マグカップはシベリア鉄道旅行の必携アイテムと言える。

売店でもインスタント・ラーメンやインスタント・マッシュポテトが売られていて、ロシアの人々にも人気がある。

コーヒーは日本からドリップタイプのものを持って来ていたのだが、走行中は列車が揺れるので、最初のうちは淹れるのに一苦労だった。
「停車中に淹れればいいじゃん」

こんな簡単なことに気付くのにクラスノヤルスクまで5000kmもかかってしまった…。

安物とは言えインスタントとは香りが違うようで、寝起きのセルゲイ達にも「いい香りだね」と好評。モスクワまでに飲みきれそうになかったこともあり、皆にもおすそ分けした。個包装ならではの芸当だ。

セルゲイは朝食を軽く済ませると、毛布を頭からかぶって再び眠ってしまった。夕方からの仕事に備えて充電、といったところだろうか。アクサナはディマと話し込んでいる。

「エアコンちょっと効き過ぎなんだけど、コンパートメントごとに調節出来ないの?」

しばらくして電気掃除機をかけに来た車掌にアクサナが聞いていた(らしい)。

やはり室内灯などと同様に車掌室の配電盤での集中管理らしく、コンパートメント単位での調節は出来ないとのこと(らしい)。

そう言えば、エアコンのせいかドアを閉め切っているコンパートメントも多く、他の乗客の様子が掴みにくい。この点ではロシア号の方が良かったかも知れない。

昼過ぎに食堂車に行く。

さてバイカル号の食堂車はどんな按配かな?と、半分物見遊山で。

車内の装飾が寝台車同様ブルーでコーディネートされていることを除けば、ロシア号の食堂車とそれほど変わりは無いようだ。

バイカル号の食堂車にて

車両が古いらしく、ややくたびれた感じがすること、各テーブルが整然とセッティングされていて気分が良いことなどはロシア号と変わらない。

客がおらず従業員が暇そうにしているところまで同じだ。

もっとも、いつ行っても客がいないのは、私が食事に行くのが常に午後2時頃だったせいかも知れないが…。

皆、備え付けのビデオで「アルマゲドン」を見ていた。

字幕も吹き替えもなく、オリジナルの英語の音声はそのままで、後からロシア語の台詞を重ねて録音してある。

自国語吹き替え版なんてのがフツーに出回ってるというのは、やはり日本は豊かだということなのだろうな。

メニュー全体については、特にロシア号と変わったところは無かったように思う。

サリャンカはロシア号のものより更に美味しかった。メインは魚。鮭か何かのフライのタルタルソース添え。黒パンは食べ放題らしく、6キレほど入った小さなバスケットが空になると、新しいのを補充してくれた。ビールがちゃんと冷えていて嬉しい。やっぱり冷えていないビールは別の飲みモノだなぁ。

それにしてもロシアに来て以来、腹ペコになった記憶がない…穀類も多く食べてるし、体重増えてるだろうなぁ…。

ゆっくり食事している間に、信号待ちだろうか、数回停車した。

追い抜いた貨車に真新しい塗装を施された軍用車両が積まれているのを見た。軍用車を輸送する貨車があるという話は聞いてはいたが、気が付いた限りではこれが初めてだ。

途中の駅では、部隊の移動中なのか迷彩服を着た兵士ばかりが乗っている寝台車を見かけたこともあった。

3等寝台車の様子

食事の後、前方の5号車まで行き、3等寝台車の様子を覗き見してから自分の車両に戻った。

途中、他の2等寝台を通過する時、細部の微妙な違いを探してみた。

目立ったところでは、通路の前端・後端上部の電光掲示板が挙げられる。モスクワ時間、温度計(車内か?)、号車数が表示されてるようになっていた。これはロシア号の新しい車両にすら付いてなかったと思う。

我が13号車にはこの設備は無く、こう言ってはなんだが、またもや年式の古い車両にまわされたようだ。

もっとも、1両だけ連結されていた1等寝台は、私の2等寝台よりも更に古そうだったが…。

また、バイカル号には旅客飛行機にあるような「トイレ表示灯」が全車標準装備されている。これは我が13号車にも装備されていて、道中大変重宝した。

東西シベリア境界(3820km)を越え、列車は西シベリアに入った。ガイドブックを読んだり車窓の風景を眺めたりしながらのんびりと過ごす。

マリインスク(3713km)で20分の停車。夕食用にソーセージ入りの揚げパンを買った。セルゲイがようやく起きてたので、皆でお茶する。

私が頻繁にメモを取ったり、あちこちで写真を撮ったりするのが奇異に見えたのか、アクサナが「なんのためにしているの?仕事?」と聞いてきた。

会話帳を使ったりして、どうにか「仕事ではなくて趣味」というのは分かったもらえたらしい。

しかし「ホームページを持っていてそこに載せるつもり」というのは、「インターネット」という言葉から話があらぬ方向に反れてしまったこともあって、伝え切れなかったようだ。

仕事と言えば、アクサナが私に「ディマはあらさがしするのが仕事なのよ」というような意味のことを言うと、ディマは「彼女は冗談を言っているんだよ」と、ちょっと困ったなという風に言った。警察に対する一般人の感情が垣間見えたやりとりだった。

タイガ(3565km)を発車するのとほぼ同時に、強い雨が降り出した。今日2度目の時差変更(モスクワ+3/日本-2)。

ノヴォシビルスク駅

ノヴォシビルスク(3336km)到着。

「新しいシベリアの都市」の意味で、無理やり日本の地名っぽく訳すと「新しべりあ市」といったところだろうか。オビ川河畔に築かれたシベリア最大の都市にして、鉄道の要衝である。

車窓から眺める街の様子は、これまで通過してきた街の中でも最も近代的だ。

沿線最大を誇るパステルグリーンの駅舎に、駅構内には無数に分岐したレール、網の目のように張り巡らされた架線、国中から掻き集めて来たのではないかというほどの夥しい数の機関車、客車、貨車。また、構内の外れには、内装や窓枠などを撤去されて抜け殻のようになった客車が無数に放置されている。

シベリア鉄道というシステムの巨大さを実感させられる光景だ。

ソビエト時代に比べれば確実に縮小しているとは聞くが、ロシアでは依然、鉄道が国内輸送に果たす役割が大きい。そしてロシア国鉄は、ロシア連邦にあって「もう一つの連邦」などと呼ばれるほどの大きな組織力を持っているという。

やや古い資料だが National Geographic (1998 June) から引用すると

"State within a state, Russia's railroad ministry contorols 400,000 pieces of rolling stocks,1.5 million workers, a million phone lines, 64 colleges and universities, and 400 hospitals."(ロシア鉄道省は40万両の鉄道車両、150万人の職員、100万本の電話回線、64の専門学校・大学、400の病院を管掌している)。

仕事に向かうセルゲイとアクサナを見送る。

ノヴォシビルスクを出発すると、オビ川を写真に撮ろうとすぐに食堂車に向かった。食堂車の乗車口の窓が開放可能なことは、食事に行った際に確認済みだ。

オビ川

カメラを構えて列車が川にさしかかるのを待つ。

雨は少し前に止んでいたが、空は薄雲に覆われており、夕方(時間的には21時を回っているが)ということもあって、写真撮影にはやや厳しい条件。

列車の揺れも大きく、非常に手ブレしやすい状況だ。EOSを50mmレンズに付け替え、可能な限りシャッタースピードを速めてトライすることにする。

やがて機関車が全長870mの鉄橋を渡り始める。川岸の桟橋にはフェリーが停泊し、川の中央にはたくさんの土砂運搬船が行き交っている。川沿いに屹立する無数のクレーンは、どうやら砂利の貯蓄場のようだ。

橋が長い分、時間には余裕があるはずなのだが、橋脚が写り込まないようにタイミングを計っているとなかなか思うようにシャッターが切れない。

それでもダメもとで何回かシャッターを切ったてみたが、上手く撮れてる気がまるでしない。

橋は遠く後方に消え去った。写真も撮るだけ撮ったし、コンパートメントに戻ろう。そうだ、せっかくだから食堂車で冷えたビールを買って行こう。

レジに行き「女将」然とした貫禄のある店員に声をかける。

私:「ビール、バルチカを2本、冷たいの下さい」
女将:「はいよ。58ルーブルね」
−すると、ビールとお釣りを手渡しながら−
女将:「旅行だね?」
私:「はい」
女将:「中国人?韓国人?日本人?」
私:「日本人です」
私:「この列車にはあんまり日本人いませんね」
女将:「そうだね」
そして、お金をレジに仕舞いながらこちらを見ずに
女将:「あんたのロシア語なかなか良いよ。明日もヒルメシ食べにおいで」
…と言ってくれた。

そんなに愛想の良い言い方でもなかったのに、逆に親近感が感じられたのがまたなんとも妙で嬉しかった。最初から最後までロシア語でやりとり出来たのも嬉しかった。


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