2004年08月25日公開


朝食は宿泊代に含まれている。ホテル内のピザレストランで摂るよう、昨日チェックインした際にホテルカードと一緒に食券を渡されている。

開店時間になるとすぐにレストランに行った。ウェイトレスは高校生か大学生くらいの女の子2人だったが、そのうちの1人がキレイな英語を話すので驚いた。まだ私以外に客がいないせいか、ナフキンを折りながらテレビを見て談笑している。

オムレツとパン、ミネラルウォーターの朝食。オムレツに入れられたソーセージが美味い。

食後のコーヒーをゆっくり飲んでから部屋に戻った。

イルクーツクまで二、三日は風呂にも入れないだろうから、ゆっくりと朝風呂に入っておく。

身支度し荷物をまとめてチェックアウトする。

大きな荷物をホテルのクロークに預かってもらった。40ルーブル。

列車の出発は夕方だ。丸一日時間があるので、市中心部の「革命戦士広場」を基点に徒歩で市内見物しようと決めていた。

街を往く現地の人々を見ると、老いも若いも皆、ビニールの買い物袋を提げて歩いている。ブランド物のバッグを小脇に抱えて颯爽と…なんて人はいない。日本にも多い、ディバッグをだらしなく背負うスタイルの若者もいるにはいたが、まだ少数派のようだ。

郷に入っては…というわけで、私も手荷物は黒いビニールの買い物袋に入れて持ち歩くことにした。日本から持って行ったものだが、現地調達も容易だ。大きさや色、柄もさまざまなものが売店や屋台などで10ルーブル前後で売られている。

まずは駅近くの銀行に行き、両替を済ませた。

イルクーツクまでの旅費として、150ドルをルーブルにした。

両替用窓口ではパスポートの提示を求められた。カウンターのガラスの向こうでは、行員の女性がこちらの出したドル紙幣を1枚ずつなにやらセンサーのような機械にかけている。真贋をチェックしているようだ。

レートはさすがにホテルより良いようだ。4000ルーブル以上になったので数箇所に分割して持ち歩くことにする。

街並みと停泊する船舶

博物館を見学したり、金角湾を一望出来る「鷲の巣展望台」に上ったりしてから、14時をまわった頃、「革命戦士広場」に戻り遅めの昼食。

屋台でホットドッグと水を買った。今度はなんとかロシア語で買い物出来たので嬉しい。

ベンチに腰掛けてホットドッグを頬張っていると、女の物乞いがやって来て私の隣に座り、しきりになにか話しかけてくる。ロシア語なので当然さっぱり分からない。

垢染みた素足にボロ布を巻き、家財道具は傍らに置いた手提げバッグひとつらしい。

この物乞いほどのみすぼらしさはないものの、施しを求めて座り込む人々を街角のそこかしこで目にした。

多くは老女であったが、年端もいかない子供達が道端で施しを乞うているのを見かけた時はさすがにちょっとショックであった。

話に聞くとおり、公衆トイレは有料であった。

場所によって料金は違ったが5〜8ルーブルくらいが相場のようだ。店番のおばさんに金を払ってから使う。

公園や広場では建築現場の仮設トイレのような樹脂製のトイレがほとんどで、総じて汚かった。男性が小用を足すにはさほど問題はないが、女性は避けたほうが賢明かもしれない…というコンディションだ。

駅のような大きな施設や百貨店でもたいていは有料であった。上記のような仮設トイレ式のものに比べれば幾分マシだったが、場所によっては不快な思いを忍ばなければならないこともあった。

アレウーツカヤ通り

朝から夕方までかなりの距離を歩いた。それほど大きな街ではないが、徒歩で見て回るには少々広いようだ。

9288kmキロポスト

荷物をピックアップしにホテルに戻る途中、駅の跨線橋を通りかかると、ロシア号が入線しているのを見つけた。ホームに下りてみる。

地味な暗緑色に塗られた寝台列車や赤錆の浮いた貨車が居並ぶ中、ロシア連邦の国旗を模した白・青・赤のカラーリングは、とても華やかで誇らしげに見えた。

とりあえずモニュメント(9288kmキロポスト)の写真などを撮る。

ホテルから駅への道すがら、郵便・電話局に寄って国際電話を申し込む。

電話局の中は節電のためか照明が点けられておらず、薄暗い。日本での感覚からすれば、もう閉まっているのではないかと思ってしまうくらいだ。

窓口でカードを買って公衆電話からかけるのだが、日本までは100ルーブルのカード1枚で約5分通話可能とのこと。

実家の両親にかけたのだが、うまくつながらない。同じ並びの電話機を全て試したのだが、あちらの声は聞こえるのだが、こちらの声は向こうに通っていないようだった。駅の公衆電話から改めてかけなおすことにした。

鉄道駅。アレウーツカヤ通りを挟んで郵便・電話局の向かいである。

駅前には各地との連絡バスやタクシーがたくさん出入りし、また、目の前のアレウーツカヤ通りに路面電車(トラム)の停留所があることもあって、人や車の往来がこの街で一番激しい場所なのではないかと思う。

ウラジオストク駅の待合室

正面玄関の重い扉を押し開けて待合室に入る。天井の高いホールで、なかなか立派だ。

正面に電光掲示板があり、出発便、到着便それぞれの時刻表が表示されている。

時刻は現地時間で表示されていた。

ロシアでは時刻表は原則としてモスクワ時間で表示されると聞いていたので意外だったが、大きく「現地時間で」という表示も一緒にされていた。これなら間違えることはないだろう。

ホームのあるフロアを1階とすれば、表通りと同じ高さにあるこのフロアは2階に相当する。公衆電話を探してみたが、国内電話用のものしかないようだ。両親への電話はあきらめることにした。

出発まではまだ時間があるが、ホームで待つことにした。待合室からホームに下りる。

ロシア号の各車両では運行前の準備だろうか、車掌がゴミ出しをしたり、乗車口の周辺を掃除したりしているが、緊張感はない。どちらかと言えばのんびりしたムードだ。

このフロアにもホームに面するかたちで待合室と発券場がある。公衆電話もあったが全て国内用だった。

荷物預かり所がないかと周囲を見回していると、そばにいた男性に声をかけられた。
「ロシア号に乗るのかい?」
「そうだけど」
「何号車?」
「15号車。2等だよ。」

15号車、と私が言うと男性はそんな車両あったっけ?といった風に、一瞬怪訝そうな顔をした。そして、
「俺、9号車の車掌なんだけど、こっちに移って来ないか?1等のコンパートメント、1人で使えるよ。モスクワまで100ドルで良い。」

一瞬迷ったが、「イルクーツクで下りるし、乗ってみてから考えるよ。9号車だね?」と言ってお断りした。

見た感じ、ホンモノの車掌かどうかも定かでなかったし、100ドルと言うのがいかにもボッタクリな感じがしたので、断ったのだが…これが翌日には後悔の種になっていようとは、この時は考えもしなかった。

自分の乗る車両の位置を確認した。「15号車」は最後尾であった。とりあえずこの列車の編成を確かめるため先頭まで歩くことにした。

◎列車の編成・No.1 ロシア号(ウラジオストク出発時)

・機関車
・貨物車
・郵便車(?)
・1〜3号車…2等寝台/左通路
・4〜6号車…2等寝台/右通路
・7号、8号車…1等寝台/左通路
・食堂車
・9号車…1等寝台/左通路
・10号、15号車…2等寝台/右通路

…機関車含め全15両編成。

※左/右通路…進行方向に向かって左/右側が通路、の意。

上記の編成からも分かるように、客車は通路が左右交互になるように連結されている。自分のコンパートメントの窓から見えるのが左右どちら側の景色になるかは運次第、ということになる。

先頭に着いたが、機関車はまだ連結されていなかった。機関車をつないだところを写真に撮りたかったので、荷物を傍らにおいて待つ。

やがて向かいのホームに停まっていた3等寝台車中心の列車と入れ替わりに、No.5アケアン号が入線してきた。ウラジオストクとハバロフスクを1泊2日で結ぶ列車だ。

アケアン号

パステルブルーを基調に、ところどころにイルカのイラストをあしらったもので、機関車まで同じカラーリングで統一されている。

ロシアでは、モスクワ方面行き列車が奇数、ウラジオストク方面行きが偶数番号を割り振られている。

つまり同じロシア号でもウラジオストク行きは「No.2列車」となる。また、列車番号が若いほど停車駅が少なく(つまり速く)、車両のコンディションも良いとされている。

ロシア号

アケアン号の出発後30分ほどしてから、出発時刻の30分ほど前になってようやくロシア号の機関車が連結された。赤をベースに白、青、黄色などを部分的に用いた、おもちゃの機関車のようなカラーリングだ。

アケアン号と違い、カラーリングが客車と統一されていない。ロシア号は道中で機関車の交換が頻繁に行われるからであろう。

機関車の撮影を済ますと、最後尾の15号車まで歩いて戻る。いよいよ乗車だ。

乗車口に立つ大柄な女性車掌にチケットとパスポートを手渡す。

チケットは昨日、空港でトランスファーの兄さんから受け取っていた。2枚複写のチケットのうち、1枚をパスポートと一緒に返される。「二つ目のコンパートメントの7番の寝台ね」と車掌は言った。重いバッグを先に持ち上げてから、手すりに掴まって高いタラップを上る。

車内はややくたびれた感じで、照明も点いていないので全体的に薄暗い。夕暮れ時という時間帯が余計にそう感じさせるのかもしれないが。

◎客車の仕様

寝台車両は1等、2等共に9つのコンパートメントを持ち、定員は1等18名、2等36名である(つまり1等は2人部屋、2等は4人部屋)。

各車両は車掌室、予備コンパートメント(交替車掌用)、給湯器と暖房用のボイラー、前後2箇所のトイレを備えている。

車掌室のある方を「前」とすると、コンパートメントは必ず「右ふり分け」(左側が通路、右側がコンパートメント)になっており、逆の作りになっている車両は見かけなかった。

トイレの周辺または内部、および通路の数箇所に220Vのコンセントがある。電力供給は車軸の回転を利用した発電機で各車両ごと独立して賄われているという。

通路には一定間隔で折り畳み式の簡易シートが設けられている。車内は禁煙で、車両前後の乗車口通路のみ喫煙可能。

ちなみにこれらの装備は1等も2等も同じであった。2等車のほうが定員が多い分、順番待ちになる可能性は当然高くなるわけだ。

コンパートメントには、車掌室の側から順に1から9の番号が振られており、それぞれ1等では下段に2つ、2等には上下2つずつ計4つの寝台が設けられている。

個々の寝台にも通し番号が振られており、これがチケットに記載されている座席番号になる。2等車では下段の寝台が奇数番号、上段が偶数番号になる。

私の場合は、2等車でチケットの座席番号は7番だった。前から2つ目のコンパートメントの下段の寝台を指定されていた、ということになる。これが1等車であれば、例えば6番の寝台を指定された場合、前から3番目のコンパートメントということになるわけだ。

コンパートメントには先客がいた。日本人と思しき女性。軽く目礼してから、寝台に置いた荷物の荷解きを始めた。

しばらくすると車掌がやってきて、ビニール袋に入った寝具を手渡された。シーツ2枚、枕カバー、タオルで50ルーブル。レンタルだ。

やがて遠いところから伝わるわずかな振動を感じた。車窓に目を遣ると外の景色がゆっくりと後方に流れ始めている。

現地時間20時17分、ウラジオストク(9289km)を定刻に出発。

※これ以降、沿線地名が初出の際、モスクワからの距離を併記する。

ちなみにロシアの鉄道は右側通行だ。シベリア鉄道本線の場合、西行きが右側、東行きが左側になる。従って、モスクワからの距離を示す標識「キロポスト」は、左側(東行き)の線路脇に立てられているわけだ。

列車も無事に動き出し、やがてスピードも乗ってきた。コンパートメントの中を観察する余裕も出てきた。

◎2等寝台のコンパートメント

寝台の奥行は60cmくらい。下段寝台・ドア・下段寝台でほぼ三等分されているように見えるので、コンパートメント1つあたりの間口は180cmといったところだろう。

身長170cmの私が寝そべっても足元に十分余裕があることから、座席長は200cmくらいかと思われる。天井までの高さは奥行きよりもう少しありそうだ。

下段の2つの寝台の間、窓際に折り畳み式のテーブルが設けられている。

ドアの内側には大きな鏡が取り付けられているが、ドアを閉めないと使えない。天井中央には蛍光灯があり、入り口の右脇のスイッチでオンオフする。

各寝台の設備は、枕側(窓側)に読書灯、下段の足側(通路側)には上段に上がるための補助ステップがある。使わない時は折り畳んで仕舞える仕組みだ。

腰掛けた時の背中と頭くらいの高さに、背もたれとヘッドレストがあり、これらはシートと同じ材質。その中央上部には小物やガイドブックなどを放り込むのに丁度いいくらいの大きさの網棚が設けられている。

荷物スペースについては、下段寝台の場合で、寝台下の通路側に長さ90cm×幅50cm×深さ40cmくらいのコンテナがある。中型のバックパックであれば二つは余裕で入りそうであった。

寝台を持ち上げない限り中の持ち物には手が付けられないようになっており、防犯上は良いかも知れないが、荷物の出し入れには頗る不便だ。

寝台下にはこのコンテナの外にも同じくらいの大きさのスペースがある。機内持ち込み可能サイズ(25cm×40cm×55cm)のバッグならば余裕で収納可能。幾分不用心かもしれないが、便利は良い。

上段寝台の場合、外の通路の上にあたるスペースが荷物スペースになっている。奥の方の荷物が取り出しにくいという難点はあるが、大きさは十分だった。

窓には引き下げ式の遮光カーテンと、左右開きで全面をカバーする厚手の生地のカーテン、窓の下半分をカバーする薄いカーテンが設けられている。

エアコンを装備した車両では窓はハメ殺しになっているのが一般的なようだ。私が乗ったこの15号車に関して言えば、引き下げ式で上を15〜20cmほど開けることが出来た。もっともそのことに気付くまでに丸一日かかったが(後述)。

◎トイレの設備

車両前後2箇所のトイレは水洗といわゆる「ポットン便所」を足して2で割ったようなものであった。

トイレ

用を足してから足元のレバーを踏むと、便器の底の蓋が開き、ブツが線路脇に排出される。同時に少量の水が自動的に流されて便器を洗浄する…といったシロモノだ。

こういった仕様のため、停車中と停車駅の前後、および人口密集地を通過する際には車掌によって施錠され、使えない。

紙は一応、備え付けられていたし、話に聞くほど紙質も悪くはなかった。…が、トイレットペーパーは必ず持参した。たまに紙がなくなっていることがあったりもしたので。

洗面台

トイレ内には洗面台と水道、鏡、それに衣紋掛けなどが設けられていて、身だしなみを整える程度のことは十分出来るようになっている。

時間帯によってはお湯も出るようになっていたが、私がこの道中試した限りでは、ロシア号で1回使えただけだった。夏場は水だけ、ということなのかもしれない。

ガイドブック等によると、夏場はホテルなどでもお湯の供給が止まることがある、というくらいだから、現地の人たちはさほど気にしないのかもしれない…

それでも車内泊の多い道中、トイレをシャワールームの代わりにする算段で1メートルほどのホースを持っていったが、結局、面倒臭くなり使わなかった。別にめちゃくちゃ体を動かしたわけでもなし、濡れタオルで体を拭う程度で十分快適だった。

もっとも、モスクワまで途中下車せず、7泊8日乗りっ放しにするのであれば、たとえ簡易シャワーでも使えたら嬉しいだろうな、とは思う。

また、シンクに水を張れると洗面の時など便利だと思い、ゴム栓(35×28径)も持って行ったのだが、こちらはギリギリ小さくて使えなかった。これは残念。

ウラジオストクを出て、列車は一路北上する。我が15号車は右通路なので、コンパートメント側の窓には線路西側の風景が広がる。

発車後しばらくはまだ日があり、ウスリー川だろうか、水面に柔らかい夕日が映える穏やかな風景を楽しめた。

上の寝台に丸めて置かれた敷布団を下ろし、布団カバーをかぶせる。枕カバーもきちんと洗濯されていて、衛生上の問題はなさそうだ。毛布も十分な大きさ。

しつらえた布団の上に胡坐をかき、車内販売のヌルいビールを飲む。同室の旅行者とも軽く自己紹介しあう。Kさんという。やはりモスクワまで完乗するのだそうだ。

ぼんやり窓の外を眺めて今日も長い一日だったな…と思った。ともあれ、旅はようやく本番に入ったわけだ。


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