2004年08月25日公開



▼参考書籍一覧

※参考にしたウェブサイトにつきましては、当サイトの【リンク集】のページにて紹介致しております。ショートカットは→こちら(別ウィンドウにて表示)


地球の歩き方「シベリア&シベリア鉄道とサハリン 2002〜2003版」
★ダイヤモンド・ビッグ社
\1,827

本書はシベリア鉄道旅行の日本語ガイドブックとしては最も普及していると思われます。が、サハリンやカムチャッカ、ヤクーツクなど、シベリア鉄道が乗り入れていないエリアも載せているためか個人的にはややまとまりに欠ける印象を受けました。

一番大きな不満は、この鉄道の始点であり終点であるモスクワの情報が全く掲載されていない、という点です。次版では同社刊の「ロシア」(後述)ほど詳しくなくても良いので、必要最低限の情報は載せてもらいたいものです。

全体的に辛口の評価になってしまいましたが、ロシアの鉄道事情をはじめ随所に挿入された読み物は十分面白く、買って損はないと思います。「沿線ガイド」「旅の会話」ページも十二分に活用させてもらいました。

Lonely Planet "Trans-Siberian Railway (1st.edition)"
★Lonely Planet Publication Pty Ltd
\1,767

本書では、モスクワとウラジオストクを結ぶ本線(Trans–Siberian)と、支線であり、中国・満州里経由、モンゴル・ウランバートル経由でそれぞれモスクワと北京を結ぶ2本の国際路線(Trans–Manchurian・Trans–Mongolian)の、合計3ルートが紹介されています。

基本情報に加え、モスクワから東へ順に沿線の概容が文章で紹介されるかたちになっています。沿線の略地図も載せられ、各ルートの基準となる駅からの/までの距離、駅間の大まかな所要時間などが付記されています。

モスクワ、サンクトペテルブルグについても最低限の情報は掲載されていますし、沿線の主な都市についても十分な項数が割かれております。本線をメインとした旅程であれば、この1冊で必要最低限の情報はおさえられると思います。

ロシア、中国、モンゴルの三ヵ国を1冊で扱っているためか、巻末のロシア語会話集が上記「地球の歩き方」ほど充実していないのが惜しいと言えば惜しいところです。

シベリア鉄道9400キロ
★角川文庫/宮脇俊三
\483

1980年代前半のシベリア鉄道旅行記です。ソビエト時代の旅の様子をよく伝えています。

冷戦時代には軍事機密保持のため、ウラジオストクへの外国人立ち入りは禁止されていました。そのため著者一行も、ウラジオストクの東約100kmの港湾都市ナホトカからの列車でウラジオストクを迂回し、郊外で本線に合流する、というコースをとらざるを得ませんでした。それによって実際の乗車距離は本線の総延長約9300キロより若干伸びて約9400キロとなりました。こうして本書のタイトルは「シベリア鉄道9400キロ」(下線筆者)となったわけです。

国内外の鉄道に関する著作を多く遺した著者の手による、シベリア鉄道旅行記の定番と言って良いでしょう。当記事のタイトルは本書からパクらせて頂きました。

NATIONAL GEOGRAPHIC (JUNE 1998)
★NATIONAL GEOGRAPHIC SOCIETY
\1,019 → \500

1年ほど前、紀伊国屋の洋書セールで "TRANS-SIBERIAN RAILROAD" の記事に魅かれて購入しました。1998年刊行とやや古いですが、シベリア鉄道に関わる人々、沿線住民の暮らしなどについて。さすが National Geographic、写真が美しいです。英文は読むのがシンドイですが。

まずはこれだけロシア語
★国際語学社/阿部昇吉
\1,785

CD付きテキストです。語彙数が下記の「指さし会話帳」に比べると物足りない反面、シチュエーション毎の文例は豊富で、自分から現地の人に何かを伝えようとする場合には非常に重宝しました。

旅の指さし会話帳26 ロシア
★情報センター出版局
\1,785

文例はやや少ないものの、語彙数は多く、またそのほとんどにイラストが添えられているため、現地の人たちにも楽しく読まれていました。巻末に和露(1700語)/露和(900語)の簡単な辞書も付いており、列車内での会話に大いに役立ちました。

地球の歩き方「ロシア –ウクライナ・ベラルーシ・コーカサスの国々– 2004〜2005」
★ダイヤモンド・ビッグ社
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ここで紹介している書籍のうち、唯一自分では購入していない一冊。区の図書館で借りました。主にモスクワの情報収集に使いました。


▼情報収集と準備について

◎情報収集

今回の旅行の情報収集にあたり、最初に利用した媒体はやはりインターネットでした。お金ほとんどがかからない上に会社で仕事中に覗くことも出来ましたから…。

ポータルサイトでの検索結果や旅行会社のウェブサイトを見るより前に、まずチェックしたのは、かの巨大掲示板サイト「2ちゃんねる」。「海外旅行板」や「趣味板」などから、めぼしいスレッドを見つけ出しては片っ端から読みました。

収獲は満足すべきものでした。書き込みの内容は概して(ネット上の情報というのは往々にしてそういうものかも知れませんが)玉石混交ではありましたが、非常に有用な情報も少なからず得ることが出来ました。

また、他にもいろいろなサイトにアクセスして、そう多くはないものの他の人の体験談に触れることも出来ました。その結果、「俺1人でもなんとかなりそうじゃん」という確信を深めることが出来、これまた大きな収獲となりました。

特に参考になったサイトに関しては当サイトの【リンク集】のページにて紹介しております。ショートカットは→こちら(別ウィンドウにて表示)

◎準備:情報分析と「マイ時刻表」

上記のガイドブック、インターネットでの情報等、それに旅行会社でもらったパンフレット等も駆使して、沿線の時刻表を自作しました。積算距離、対モスクワ/対日本の時差なども付記し、プリントアウトして持って行きました。

もともと2冊のガイドブックそれぞれに記載された沿線情報を、自分にとって見やすいように一元化したい、というのが作成の目的でした。

Lonely Planet は距離や所要時間、時差等の数値についてはかなり信頼出来るものの、いかんせん字が細かく、本も厚く、何より英語で書かれているので必要な情報を探し出すのがまず一仕事です。一方、「地球の歩き方」は、日本語で書かれていますから当然読みやすいのですが、記載された距離にあまり信頼がおけませんでした。

更に、ウラジオストクから「西行き」で旅をする私にとって、上記2冊が共にモスクワから「東行き」の順番で書かれているという点は、やはり不便に思われました。

そこで、自分の旅程に合わせて西行きの順番に書き換え、更に両ガイドブックへの索引も必要に応じて付す、という、「ガイドブックのガイド」のようなものを作ってみようと考えたわけです。

こうして出来上がった「マイ時刻表」、実用上のメリットもさることながら、作成作業を通してシベリア鉄道の全体像を事前に把握するのにもある程度役立ったと思います。

…とは言うものの、普通の人はここまでしないでしょうし、しなくても旅行は十分楽しめます。この作業に関しては、全て私の偏執的な性格の為せる業、といって差し支えありますまい…いやはや。

そうそう、モスクワに関しては、クレムリンの情報を中心に「地球の歩き方」をカラーコピーして持って行きました。中でも地下鉄の路線図はかなり役に立ちました。

◎準備:ロシア語

とにかく出来ることから始めようと思い、ガイドブックの会話集などを参考に勉強を始めたのが1月半ば。2月に「まずはこれだけロシア語」を買ってからは、付属のCDを毎日最低1回は聴くように、CDに合わせて出来るだけ声に出して練習するように心がけました。

しかし、やはりその程度の勉強で身に付こうはずもなく、ここぞという時には専ら英語が頼りでした。

それでも数字、食べ物、飲み物の名前といった基礎単語や、簡単な挨拶や「これいくら?」とか「これなに?」といったような頻出表現は、なんとか憶えていて、すぐに使えました。相手に通じていたかどうかは知りませんが、少なくともとりあえず口に出せすことは出来ました。

また、会話本に何度も目は通していたので、「あれ?聞いたことあるな?確かテキストのあそこに載ってたな…」みたいなかたちで、どうにかテキスト見ながら指さしながら、コミュニケーションを成立させることは出来ました。

もっとも、お互い意思疎通のためにあれこれ手を尽くした挙句、私が「ニェット・パニマーユ」(わかりません)の一言で降参してしまうことも多かったです。そのたびに笑われたり肩をすくめられたり。威張れたもんじゃぁありません。

やはり海外旅行は現地の言葉が喋れた方が面白いよなぁと、今回も思ったのでした。努力はしたつもりだったのですが…う〜ん、悔しいなぁ。

◎準備:おまもり

本文中でもたびたび触れている通り、今回の旅行における最大の心配は現地の治安事情でした。

幸い大きなトラブルにはみまわれずに済みましたが、特に「本来、困った時に一番頼りにしたい」警察官の中に悪いヤツがいるぞ、という情報には一番ナーバスにさせられました。

例えば下記などは「2ちゃんねる」から拾った今年4月頃の書き込みですが、信憑性はともかく(「2ちゃん」ですから…)、ロシア語の「日本大使館/領事館への連絡を要求します」の文言は緊急時には役に立つかと思い、大使館と総領事館の電話番号を付記したものをプリントアウトして携行しました。

これだけのことで安心感が全然違いました。使わずに済んで良かったですが…。

※以下、書き込みを原文のまま転載しております(読み易くするため筆者が適宜改行しました)。内容に関する事実関係の確認等は一切しておりませんので、その点ご了承下さい。

------ ↓以下、引用部分 -----------------------------------------------------------

旧ソ連における警官対策

私服警官と名乗る者、制服が明らかにあやしい者の場合はこちらのパスポートを見せる前に相手の身分証を提示してもらいまょう。近くの店の人または通りがかりの人(最初からその付近にいた人はダメ)にその身分証が本物か尋ねてください。偽警官だとその時点でどこかへ行ってしまいます。

たとえ本物の警官でも安心してはいけません。旧ソ連では本物の警官こそが最も危険な人種です。「警官の中には悪い奴もいる」と考えるのは間違いです。旧ソ連の警察は「ポリツァイ・マフィア」と呼ばれる犯罪組織です。外国人からお金を盗むため事あるごとに言い掛かりをつけてきます。

明らかな制服警官から身分証の提示を要求された場合には素直にパスポートを見せましょう。つぎにホテルの宿泊カードか現在いる場所まで来るのに使ったチケットまたは登録証を見せろと言ってくるはずです。旧ソ連内の外国人の場合ヴィザはいらないのですが3日以上1ヶ所に滞在する場合には登録が必要だからです。

ただしホテルに滞在する場合はこの限りではありません。ですから中央アジア人の場合は身分証以外にホテルの宿泊カードか使用済みの切符を提示しなければならないのです。中央アジアから来た不法労働者の場合はこれらを提示することは出来ません。この場合に警官は賄賂を要求できます。20ドル程度が相場のようです。ですから東洋人を見かけると警官は喜んで職務質問してきます。

しかし日本人の場合は書類も揃っているはずですら賄賂は要求できません。ここで警官は持ち物をチェックさせろと言ってきます。荷物検査には絶対に応じないでください複数の警官に囲まれて金銭を抜かれます。酷い場合は麻薬等を手荷物に入れられて賄賂を要求してきます。

持ち物検査はあくまで任意です。パスポートを提示したにも関わらず荷物検査を要求された場合は日本大使館への連絡を要求してください。この要求を拒否すると国際協定違反となるので拒否は絶対にできません。日本大使館側も事情は理解していますので連絡があった場合は管轄の警察署の責任者に抗議してくれます。英語が解らないふりをされた場合は次の文章をプリントして見せてください。

Извините、Я хочу ОБРАТИТЪСЯ в ПОСОЛЪСТВО Японии、
Если вы ОТКАЖИТЕСЪ、это БУДЕТ НАРУШЕНИЕ МЕЖДУНАРОДНОЙ
КОНВЕНЦИИ.

(日本大使館/領事館への連絡を要求します。これを拒否すると国際協定に違反します。)

これを見せると大抵の警官は諦めますが、地方にいる場合は電話代として20ドルくらいよこせと言ってくる場合があります。

しかしお金を渡したらお金だけ盗られるのは請け合いです。絶対にお金は渡さないでください。

日本人にとって数十ドルは大した金額ではないかもしれませんが悪徳警官にお金を与えることは後から来る旅行者の迷惑になります。中央アジア人と違い日本人からお金を盗むと大使館から上司に抗議されるリスクがあり警官としても怖いはずです。警官など怖がらずに堂々と抗議してください。

ただし相手もプロです。もしあなたがマリファナ等違法な物を持っている場合は大使館に連絡してでも手荷物検査を要求するでしょう。違法な物を持っているときは素直に賄賂を支払った方が身のためです。

------ ↑引用部分ここまで --------------------------------------------------------

また、列車内での道中については、盗難の心配はほとんどしませんでした。

盗難対策のあれやこれやに神経質になるのが面倒に臭かったので、貴重品はすべてトラベルパースに仕舞って肌身離さず持ち歩き、「最悪、荷物丸ごと盗まれてもなんとか旅は続けられる」という心積もりでいました。

ですから、本文中にもあるように、寝台の下、すぐに手の付けられる位置にバッグを施錠せずに放り込んだり、カメラを寝台の上に置きっぱなしにしてコンパートメントを離れたり…といった無用心なことも頻繁にしました。カメラを置いていく場合には、ベッドの奥の方に置いて軽く上着やタオルをかけておくなど、やたらと人目に付かないようにだけは気を付けましたが、盗る気になればそれほど難しくなかっただろうと思います。

自分では「郷に入っては…」で、他の乗客の振る舞いを真似するように心がけて、なるべく集団に溶け込んでさえいれば、そう危ない目にも遭わないだろう、くらいに思っていました。

が、実際のところ、同じコンパートメントの乗客がたまたま良い人ばかりだったことが、安心して道中を過ごせた一番の要因だろうと思います。ラッキーでした。

【資料】参考資料と準備:了